広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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2013年7月20日「自死問題シンポジウム」講演原稿

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 本日は、多数の方のご来場をいただき、誠にありがとうございます。私は小さな一歩の米山と申します。今年の2月から、「自死遺族の希望の会」と「心に病を持つ方と家族の会」という2つの自助グループの分かち合いを中心に活動をしています。
これから「自死遺族が考える自死予防」というテーマでお話しをしますが、これは、私自身や、私が直接会ってお話しを聞いた方の体験をもとにしたものですので、お聞きになっている方で、違う思いを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、その点をご容赦いただきたいと思います。また、自死にしても心の病にしても、1人として全く同じ経験、同じ想いの人はいません。したがって、当事者の総意を代表する、ということ自体がむしろ非常に不遜であり、絶対にできないことだと思っています。

自死願望は「死にたい衝動」という病気との戦い

 最近、若年層の自死の増加が問題とされ、「生きづらさの解消」という言葉が世の中に多く出回るようになりました。フェイスブックにもこの問題について多くの投稿がありました。「周りが話を聞くこと」「自分の弱さを認めること」「失業や貧困対策が必要」 などが多かったと思います。それを否定するつもりはありません、うつからの回復には大切なことでしょう。ただ、ここには誤解があると思います。若者に限ったことではありません、自死は「生きづらい」「将来に希望が持てない」からといって、世をはかなんでいきなり実行される、というより、そこから心の病にかかり、病からもたらされる「希死念慮」という発作との戦いに勝てずにおこるものです。最近の調査結果でも、自死者の7割は精神科や心療内科にかかっていたことがわかっています。「死にたくなる発作」から救われたいと思った人の方が多いのです。

「心を同じくらい体を傷つけろ、という声が聞こえる」「突然竜巻のように黒い死にたい気持ちが襲ってくる」

 娘のことを話します。娘が自分の心の変調に恐怖を覚え、精神科クリニックを受診したのは4月で、亡くなる2か月前でした。3月、交際していた男性の裏切り行為をきっかけに、心のバランスを崩し、自傷行為がはじまり、自死念慮が高まりました。その頃の心理を本人は「心がこんなに傷ついているのに体が健康なのは許せない、体も傷つけろ、という声がした」と語りました。また、「誰にも相談せず精神科の門をたたくまで、とても勇気がいった。でも、何とかしなくては、と思った。そんな自分をえらいと思う」とそのときのことを振り返って笑っていました。そのとき、娘はきっと、勇気をもって医者にかかった、これで自分は救われる、と思ったことでしょう。それが失望に変わるまであまり日はかかりませんでしたが。
当時娘は勤務先に近い場所に住んでいましたので私はそのことに気づきませんでした。突然職場で意識を失なって倒れたと連絡を受け、かけつけたとき、娘の職場の机の引き出しから、抗鬱剤が出てきました。倒れたのはその薬の副作用でした。連れて帰った娘の部屋には刃物類が一切ありませんでした。
 その後も娘は、副作用と戦いながら、きっとこれを乗り越えれば元の元気な自分に戻れると薬を飲み続けましたが、体調は回復しません。何度か一緒に精神科クリニックに相談に行きましたが、ほとんどカウンセリングもされず、投薬の指示のみ。これではよくならないと、カウンセリング診療もしてくれると聞いて、公立の総合病院の精神科に相談に行ったこともありました。
 そのようにしているうちに少しずつ回復していき、元気なときには笑顔を見せ、自分を冷静に振り返ることもできていました。冷静なときに娘は、自死願望の発作が襲ってくる状況を「突然竜巻のように真っ黒な『死にたい』願望が襲ってきて、それが怖くて、逃げたくて、気が付いたら壁に頭を打ち付けたり、腕に傷をつけてしまったりする」。死の恐怖との戦いがそのようにさせていたのです。
 そのとき、私は言いました「そんなときは、すぐ電話をして。駆けつけられなくても電話で話しているだけでも冷静になれるかもしれないから」。実際に「ママ、今、黒いものがきそう」と電話がかかってきたこともあり、落ち着くまで電話口ではげまし、安心する言葉をかけ続けました。いつもそばにいられるわけではないけれど、この方法で何とか発作を抑えながら、徐々に回復してきたと希望を持ちました。

「まさか死にはしないだろう」という盲信

 これは死後にわかったことですが、うつによる自死は回復期が一番危険で、よくなってきた、と安心して支援者の声掛けや見守りが薄くなる、本人も活動的になる、そうすると外界の刺激から大きなショックに遭遇してしまう危険がある。まだ心の体力に山谷が繰り返される時期、谷に落ちているときにそのようなショックとぶつかるといっぺんに自死願望が高まるそうです。
 その後、休職をし、カウンセリングを受けるなど、治療に専念しているうちに娘は体調もよくなり、一緒に外出や食事もできるようになっているように見えました。希望の光が見えたと思った矢先、ある晩娘は薬を大量に飲み、救急搬送されました。その日何があったのか、どんな薬をどれだけ飲んだのかは、結局わかりません。検査の結果、毒性は尿から排出できる程度と診断され、利尿剤の点滴がおわると眠りから覚めないまま退院させられました。次の朝娘は目覚め、、罵声をはき、暴力をふるいました。見たことのないような、狂った姿でした。
 しばらくして、落ち着きを取り戻したように見えた娘は、自宅に連れて行こうと、私が車に乗せた後、とても冷静な声で、笑顔で「ちょっと荷物を整理して探してほしい」と、ふと思いついたように言いました。それが最後に見た笑顔、声でした。
 私が荷物をまとめ、準備しているほんの15分くらいの間、目を離した間に娘は目の前のマンションの3階にあがり、飛び降りました。私はおろかにも、娘の部屋を片付けているその時、どさっと、外で大きな砂の袋が落ちたような音を聞きました。それでも、荷物を車に運ぶために部屋を出るまで、それが娘であるとまったく思いいたりませんでした。そのときはその2日前に一緒にコンサートに行ったときの姿やそのときに買ったCDを「ダビングしたら渡すね」と言っていた言葉が頭にありました。「あんなに元気だったのだから、次の約束をしたのだから、死ぬはずはない。薬も間違って飲みすぎたのに違いない」と思い込んでいました。直前に見た娘のおだやかな笑顔、落下音、その直後道に倒れていた娘のなぜかとてもきれいな顔。あの日以来、脳裏から離れた日はありません。

自殺未遂者に対してすべきこと、してはいけないこと

 死後にわかったことです。自死未遂者は、直後に完遂しようと、自死願望が非常に高くなり、興奮状態になりやすいので、未遂をした状況に戻してはいけない。別の環境に置き、心が落ち着くまで思いつめるような話は一切さけて、安静させなくてはいけない。目を離してはいけない。おろかで無知な私がしたことは全く逆のことでした。私が危険な場所に置き、背中を押してしまいました。
 でも、もし、私が後から知ったような今言ったようなことを前夜、病院で、それまでのいきさつを家族に聞きとりしたうえで、本人は眠りから覚めていないのですから、退院の際に病院側から一言助言されていたら、どうだったでしょうか。動揺している家族に冷静な助言があったら、せめて「自死未遂者のケア」について資料の一枚でも渡してもらっていたら、どうだったでしょうか。娘はその半月前に同じ病院の精神科でカウンセリングと診療を受けて、カルテまであったのです。

自死未遂者への事後介入が遅れている

 「平成23年版 自殺対策白書」によれば、自死者の25%に自死未遂経験があります。政府の自殺総合対策大綱見直し案では、年間3万人の自死者を1万人減らす、という目標が掲げられていますが、この3割を占める未遂経験者への事後対応が適切に行われていたら、どれだけの自死を止められるでしょうか。
 ここに「平成21年 日本臨床救急医学会・自殺未遂患者への対応」として救命救急センターのスタッフ向けに作成した詳細な行動マニュアルがあります。娘が死亡した23年にすでに明記されています。これは、何の意味があるのでしょうか。絵に書いた餅でしょうか。国や県が示した、救急搬送患者への対応指針が現場ではまったく生かされていなかった、ということです。

自死願望があるから退院してもらう

 納得できなかった私は、その後病院にカルテの開示を求め、当日に担当していた医師からも話を聞きました。自死の危険がある人をなぜ一晩でも入院させ、目をさまして様子を確認してから退院させてくれる程度のこともしてもらえないのか、と尋ねました。医師の言葉で忘れられなかったのは「娘さんは完全に昏睡していなかった。かすかに意識反応があった。いわばうそ寝だった。身体的には問題なかった。こんな状態の人を入院させたら自殺するかもしれないから看護師が監視していなくてはいけない。そんな余裕などないので帰ってもらうことにしている」。
さきほどの資料も持っていき、話の展開によっては出そうと思っていましたが、その気力さえ失われるような答えでした。これは受け入れ拒否に近い。熱や腹痛で入院する人以下の扱いです。さらに私が驚いたのは、この話を関係者に言っても誰も驚かないことでした。それは、全国の救急病院であたりまえのように行われている対応だということを知りました。「自死されると困るので」と入院さえ拒否された重い精神疾患患者の家族の話も聞きました。
 
うつ対策と自死対策は同じではない

 この2年間あまり、政府や自治体の自殺防止キャンペーンや講演会など、いろいろな場所に参加しましたが、一般の人が参加できるものは、ほとんど事前介入に属することでした。ゲートキーパーの養成講座、「うつと自殺について」知識を高める講演会。ほとんどが「自死願望を持ちやすい『うつ』について知ろう」「周りにうつの人がいたら早めに気づいて、医者に行くように勧めよう」「うつの人には、責めたりはげましたりしないで、『ゆっくり話を聞こう』」といった内容でした。
 うつは自死につながること、それは誰にでも起こりうること、その時周りの人はどう対応するのか、誰に相談するのか、それを教えている場がありません。自死願望を持った人が目の前にいて、思いつめた支援者が『待ったなし』の状況でどう行動すべきか、どこに専門相談窓口があるかといった支援体制もありません。これでは、悲劇が起きた後に気づきが悪かった、声掛けが悪かった、冷静な心でカウンセラーのように話を聞く技術も心の余裕も時間もなかった、と周囲の支援者に自死の責任を押し付ける結果になってしまいます。
土砂災害に例えてみると、今、目の前に土砂が迫ってきて家が流されそうな人に「家の基礎を強くしなさい」「柱や床のひび割れを直しなさい」とアドバイスするのと同じです。災害対策では、こんな時どうするでしょうか。まず避難場所を知らせ、避難を誘導し、そこでまず生命の安全を確保するのではないでしょうか。

いろいろな段階での危機回避所

 この2年間、ずっと「何が足りなかったのか」「どうすれば助かったのか」そればかりを考えて、調べ、考えてきた中で浮かんできたのは「いろいろな段階での『心と体の避難所』」というものです。
 その一番端的なものは「自死未遂者の避難所」だと思います。死の危険を血液検査で判断するのではなく、心の中の死の危険が去るまで、支援者も含めてケアをする場所です。それはおとなしくさせるために強い薬を与えた上で監視下におく「強制入院」とは違います。
でも、「見守る」段階にも、当事者や身近な支援者にとっての「こころの回避所」というものは絶対必要だと思います。

家族などの支援者も含め、「心の重荷をおろせる場所」の提供

 インターネットの世の中です。検索すれば色々な情報はすぐに手に入ります。行政の相談窓口もわかります。しかし、当事者も近親者も患者当事者と同じように動揺し、視野が狭くなり、独りよがりになりがちなのです。また、家族が心を病んでいることを気軽に回りの人に相談できません。その結果、当事者だけでなく、支援者も孤立しがちなのです。先ほどお話ししたように私自身がまさにそうで、すべてのことが死後にわかりました。これを生前に知っていたら、と悔やまれてなりません。
私が小さな一歩を設立したときに、自死遺族の自助グループと同時に心に病を持つ人と家族の分かち合いの会もはじめました。それは、自死遺族にしても、心の病を持つ人や家族にしても、孤立した状況で思いつめている人が、同じ当事者同士の集まりの中で、遠慮なく思いを吐露することで、少しでも心の重荷を軽くすることができれば、と思ったからです。これが十分だと思っているわけではありませんが、1人ずつでも、硬い心が多少でもほぐれてくれればうれしいと思っています。

 
 さらに、温めている構想があります。
それは「心の休息場」となる施設を作る構想です。心に重荷を負った方が、1人でも支援者と一緒でも、ゆっくりと休息できる場所の提供です。そこに、当事者の気持ちが理解でき、お話しを聞くことができるボランティアスタッフがいれば一番いいと思います。例えばうつを克服した人や、いま自分自身も気分障害と戦いながら頑張っている人、家族を自死で亡くし、その辛さを身を持って理解できる人、自死未遂経験者などです。「先生」ではなく、「共に歩む人、分かち合える人です。なぜそういう構想を持ったかというと、うつになると、必ず「何も考えずに休息しなさい」と言われますが、病気の段階にもよりますが、もともと「うつ」の原因がある環境で何もせずにいなさいと言ってもかえって思い詰めてしまったり、自分が社会や仲間から取り残される不安から落ち着けずに動いてしまい、かえって回復を遅くする、そんな繰り返しの人の話も多く聞くからです。
 いまどこまでこの構想がすすんでいるか、というと1~2割、くらいでしょうか。まったくゼロではない、というのは、瀬戸内海のある場所に建設候補地が確保されていることと、私たちの間のこの構想に対する決心が固い、という意味で1~2割です。あと8割は、構想の細かいプラン、その施設を建てるための資金の問題、運営するための人材の問題、ノウハウの問題、運営していくための運動資金の問題 など、言ってみればほとんどこれからです。
小さな一歩の活動自体が始まってまだ間がありませんので、私たちはまず、今の活動にひっくりと取り組み、あせらずに広島の地でネットワークを広げていこうと話しています。「小さな一歩」のうしろにネットワークひろしまとつけたのは、そのためです。私たちは小さな団体として立ち上げましたが、自然に、仲間や協力者、支援者のネットワークをげて大きな輪になることを願っています。がき、仲間づくりをし、協力者、支援者との出会いを重ねていきたいと思っています。
(2013年7月20日)