広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

娘が10年前に好きだったRADWIMPSの曲

今日、亡き娘の大学時代の友人が「ともしび」に遊びに来てくれました。

久しぶりに、大学時代の娘の話をたくさんして、私の知らなかった娘の一面も知って、
楽しい時間を共に過ごしました。

家では、だらだらとして甘えん坊だった娘が
仲間の間では、とてもいい聞き役で、お姉さん役だったこと。
ちょっと面倒くさい友達の話も、辛抱強く、「うまく転がしながら」聞いていたこと。

親友と、一晩中カラオケボックスにいて、歌ったり、歌がつきたら語りつくしたり、また歌ったりして過ごした思い出。

中でも好きだったのが、RADWIMPSで、カラオケに行くと、必ず「me me she」という曲をを歌っていたそうです。

私も名前を知っている、何人かの方々の近況も聞くことが出来て、とてもなつかしく、楽しい時間でした。

気が付いたら、生前の娘の話を、悲しい気持ちになることなく、
「大学時代は本当に充実した4年間だったのだな、楽しいことだけではなかったけど、そういう意味も含めて。」
と素直に受けとめることができるようになった自分がいました。

その後、お墓参りにも一緒に行ってくれました。

「何年たっても、歩美を忘れずに、広島に着いた足で来てくれて、本当にありがとう」。

 

娘が一番のお気に入りだった、「me me she」の歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B20794)。

「空が奇麗だね 人は悲しいね」
また見え透いたほんとで僕を洗ってよ
次がもしあれば 僕の好きな君 その君が好きな僕
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ
この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」

当時は、もちろん、その後の運命など知ることはなかったとは思うけど。

2017年04月12日 17:33 |コメント|

根気強く報せ続けるのに、無駄な方法はない

先日、ふらっと来られて、初めは口が重かったけれど、語り始めたら、重い重い人生を歩んできた方。

色々な事情があって、携帯電話もパソコンも見ることができません。
心や身体に不調があって、助けてくれる機関やこころをやすめる居場所を必死に探しているのだけど、
ネット万能の時代、「どこにいけばそういう居場所の情報があるか、その情報のある場所からしてわからない」と言われました。
「ここをどうやってお知りになったのですか?」と聞くと
「2年前に『こころのともしび』が開業したときに、広島市の公共施設の開架コーナーにチラシがあって、
それをずっと持ちながら、『いつか行こう、いつ行こうか』と悩んでいた」と言われました。

2年間暖め続けてくれて、そして、たどりついてくれたことを感謝しました。
 

いまはなんでもインターネットで情報を探すのが当たり前になっています。

小さな一歩の分かち合いや「こころのともしび」に連絡して来られる方もほとんど
「ホームページを見た」と言われます。

一方で、チラシは手間もお金もかかってたくさん配布するわりには反応がいまいちなので、
「あまり効果がないのかな?」と思っていた矢先にこの方のお話しを聞き、
改めて、このような活動を知っていただくためには、
周知活動も気長に、根気強く続けなければいけないことがよくわかりました。

本当に居場所を探している人ほど、ネット情報から遠いところにいる人なのだ、と気づかされました。

といった、日々の想いを伝えるのが、これがまたインターネットであることに矛盾や疑問を感じつつ。。。。。

 

2017年03月28日 19:13 |コメント|

グラウンドゼロに立てた1本の旗

小さな一歩の「自死遺族の希望の会」は3月の会で5年目に入りました。

6年前の6月21日。
いままでの人生で少しずつ築いてきた自分の人生や価値観がいっぺんに崩壊してしまった
私にとっての「グラウンド・ゼロ」の日。

茫然と、心の中に広がるがれきの荒野に目をやるしかなかった日々から約1年半後。
「グラウンド・ゼロ」に1本の旗を立てるように始めたのが「自死遺族の希望の会」でした。

その後、多くの人との出会いがあり、そこからたくさんの「気づき」があり、それをきっかけに、小さな一歩の活動はずいぶん増えたけど。
それはまるで、荒野に少しずつ建っていく小屋のように。

時々、思うようにいかないときはこの旗の立て方や場所を変えようかと心が揺れたときもあったけど。
いっそ、旗をおろしてしまいたい、と思うほど辛いときもあったけど。

これからも、新たな出会いや気づきがあるたびに、周りに新しい小屋が建つことはあるかもしれないけど。

でも、「グラウンド・ゼロ」に立てた1本の旗は、どんなときも、同じ場所で、同じように、ここに集う人を迎えたいと、
改めて思いました。

私はこの旗に始まり、この旗の元でいつか終わる。

これからも「自死遺族の希望の会」は毎月第3土曜日の午後、広島教会で続けます。

2017年03月22日 15:26 |コメント|

社会福祉士試験に合格しました\(^o^)/

1月末に受験した、社会福祉士国家試験の結果が、今日(3月15日)発表になり、
なんとびっくり!合格でした!!

小さな一歩が4月から
広島市からの委託で新たに取り組むことがほぼ決まっている事業によい追い風になりました。


それにしても疲れました。目もボロボロになりました。
もう一生、試験勉強というものはしたくありません(笑)
2017年03月15日 20:16 |コメント|

この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう

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3月は出発と別れの季節。
小さな一歩の活動も例外ではありません。

活動で縁があった人たちにも、仕事やご家庭の事情で広島から離れる方々がおられます。

2年以上前に初めて参加し、その縁でいろいろな関わりを続けてくれた方が遠方に引っ越しになりました。

「新しい土地でも元気でがんばってください」というLINEメッセージに

「はい、がんばります」。

そして「この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
「ありがとう」

ご本人は、単純に、今話題の映画のキャラクターがかわいいから、という理由で送られたスタンプかもしれませんが(笑)
私はなんだかこの言葉に、一人でしんみりしてしまいました。

この広い世界の中の、広島という小さな都市の、片隅にある小さな活動に

たまたま、偶然、

それまでなんの縁(ゆかり)もつながりもなかった他人同士が、
お互いが見つけあって、
ふれあって、助け合って、そして別れていく。そんな思いが凝縮されている言葉だと。

私からも同じメッセージをお返ししたい気持ちです。
「この世界の片隅にある、小さな小さな活動を 見つけてくれてありがとう。」

「この世界の片隅に」。
映画を見ました。コミックも読みました。
ほのぼのとした温かさの中に、生きることの厳しさが迫ってくる映画でした。
戦争や原爆の理不尽さ、罪のない命が奪われる残酷さ、突然つきつけられる死という別れ。
そんな 生と死の瀬戸際を、
受け入れられないものを、寡黙に飲み込まざるをえない、市井の人々の生活。
淡々と、能弁すぎず描かれていて、しみじみと心に水がしみこむような、そんな映画でした。

でも、それとは別に、「この世界の片隅に」という一言を、とても身近なものとして感じた出来事でした。

2017年03月03日 18:04 |コメント|

母の急逝

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先週月曜日、静岡に住む母が急逝しました。誤嚥による窒息でした。

86歳で年齢なりに心身に衰えはあったものの、
病気も認知症もなく、父亡き後は淡々と静かに毎日を過ごしていました。
正月に帰省したとき、嚥下の動きが悪くなっていて、時々食べ物が食道内に詰まって苦しいということは知っていましたが、
まさかそれが急な死の直接の原因になるとは予想していませんでした。

近くに住む姉から電話を受けて、大急ぎで支度をして新幹線に飛び乗ったけれど、
病院にかけつけるまでに6時間。着いたときには、全てのことが終わっていて、
母は、生前のお気に入りだったブルーのジャケットを着て、眠るように横たわっていました。

時間距離は残酷だ。
どんなに焦っても、新幹線のダイヤ以上に距離は縮めることはできない。
名古屋で乗り換えて、途中駅をのんびりと停まりながら進む「こだま」を恨めしく思ったのは初めてです。

時間距離は私と母とのこころの距離をそのまま遠いものにしていました。

帰省して声をかけると「パパはいつもやさしかった。いつも幸せだった」とつぶやくばかりだった母を見ても、「仕方ないか」程度にしか考えなかった。
電話しても同じことしか言わない。それが気重で、「電話をかけても話すこともないし」と言ってさけていた。
姉からの時々の電話で母の認知の衰えを相談されてもあまり深刻に受け止めたことがなかった。
東京に出かけることがあっても、面倒くさい気持ちがどこかにあり、静岡に途中立ち寄って顔を見ることもしなかった。

いつも突然やってくる「死」は、遺された者に、重い問いかけを残します。
「なぜなんだろう」「どうしていたらよかったんだろう」「違うことをしていたら違う結果になったのだろうか」いつも答えは返ってこない。


教会での前夜式、告別式までの中途半端な時間を、私は母が最期に座り、
そこで息絶えたお気に入りのリクライニングチェアに座り、
本を読んだり外の景色をぼんやり見ながら1人過ごしました。

そのとき、母がこの椅子で座りながら、父が玄関で呼ぶ姿を見たのでは、とふと思いました。

せっかちだった父が、「おい、まだか、なかなか来ないから呼びに来たんだ」とせかすように呼ぶ姿がふと脳裡をよぎりました。
のんびり屋だった母が「あら、ごめんなさい。いますぐ行きます」と立ち上がって答えたような気がしました。
いまは、大好きだった父や孫娘の歩美と天国でゆっくりと過ごしていることを祈ります。

2017年02月13日 19:44 |コメント|

偏見があっても確信をもって、できることをやる

先週土曜日(1月28日)に渡邊直樹先生を講師として開催した
「SOSに気づいて、支えてつなぐ」勉強会では定員20人を超える参加者があり、
「こころのともしび」は満員の方々で熱気のある勉強会になりました。

1部では渡邊先生が、全国各地の、「自死防止・予防活動」の事例をもとに講義をいただきました。
中でも印象的だったのは「自殺率が全国一低い 徳島県海部町」の事例でした。
海部町の住民の方は、地域に住む人の様々な価値観や考えの多様性を認めるおおらかさがあり、
ほどよい距離感をもった「ゆるやかな」つながりが保たれているとのことです。
これはお湯の温度で例えると41度くらい。ほどよく温かく「自由で安心できる」温度感。
お湯の温度が熱すぎる、つまり熱すぎるかかわりは逆にストレスになると。

この「ほどよく温かい」ゆるやかな関係が、地縁や血縁などの「熱い関係」とは違う、
地域の自由な「たまり場」であると。
その事例として、「こころのともしび」をあげてくださいました。

渡邊先生は、一昨年から「こころのともしび」でご協力くださっている「たまり場での『精神科医の無料相談』」の試みを、
全国に広げようとご尽力下さっています。

誠にありがたいことです。
私も、もっと色々な場所にこのような、民間のNPO法人などが主体となり、
その活動に専門職の方が賛同下さり、ご協力いただく形が増えてほしいと思っています。

また、今回の勉強会には、支える方だけでなく、当事者の方も参加下さっていました。
2部では自由な質疑応答や意見交換をしました。
その中で印象的だったのは、
「傾聴をしていて、自己否定や不安感が強い方のお話しを聞き、励ましても、なかなかその方自身の『考えの形』は簡単に変えられない。そんな中で、無力感を感じることもある」と聞いた私の質問に対して
ご自分の経験から、「どんな声掛けでも、心を込めて励ましてくれる方の声は、シンプルな言葉でも心に染みている。
その時の自分は、自分のことでいっぱいいっぱいで、耳に入っていないように見えるかもしれないが、
『声をかけてくれ続けている』こと自体で本当に励まされた」と語って下さった方の発言でした。

この勇気ある、ご本人からの発言には会場から拍手がわきました。
渡邊先生も「私もよい勉強をさせてもらった」と感謝していました。

改めて思いました。
なまじカウンセリングなどの勉強をかじってしまうと
「どういう声のかけ方が正しい(言葉をきちんと使わないと間違い)のか」
ということを考えたりして頭でっかちになってしまいがちだけど、
私たち、民間のボランティアに何より必要なのは
「言葉は稚拙でも、自分の声で、こころから声をかけ続けよう。」という気持ちなのだと。

小さな一歩の活動に対する専門職や世間の目には、未だ相容れない誤解や先入観、偏見があり、
「怪しい」「危ない」「宗教の勧誘だ」「カルトだ」とささやかれていることも知っています。
でも、やれることを一生懸命やっていこうと思いました。

2017年01月30日 19:23 |コメント|

 死はなぜいつも突然やってくるのだろう

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歩美が可愛がっていた猫のマーブルが17歳を目前に突然天国に行ってしまいました。

高齢になってだいぶ動きも緩慢になり、時々せきやくしゃみをしていたけど、
歯もだいぶなくなってしまっていたけど
1か月前の検査では特に異常もなく、大きな病気をしていたとは思えなかったのに、、、

2~3日前から食欲がなくなり、今朝、うずくまっていたところを抱き上げると失禁したので
あわてて獣医師に連れていきましたが、診察を待っている間の短い時間に息絶えてしまいました。

獣医師の診断では
毛艶も肉付きもいいので、多分これは血栓のような、急性のものだっただろうと言われました。

平均寿命を超えて元気で過ごせていたことやせめて最期を看取ってやれたこと、
長患いをしなかったことなど、自分が受容するために色々なことを考えて、頭では納得するのだけど。。。

「死とは、なんでいつもこんなに突然私におそいかかってくるのだろう。」
久しぶりに、大声で泣いてしまいました。


明後日、だびにふして、骨壺を歩美の横に置いてあげよう。

くしくも、今日は歩美の31回目の誕生日でした。

「天国に行ったら、また、可愛がって遊んであげてね」。


 

2017年01月23日 20:47 |コメント|

気がついたら一緒に泣いていた


以前傾聴に来たことのある人から電話がかかってきて
ひとりぼっちが辛くて辛くて死んでしまいたい、と訴える声は血を流すようだった。
 

かわいそうで、不憫で何を言ったらいいかわからないけど、とにかく必死で言葉をつないだ。

「私は心配しているから」「私が力になるから」「1人じゃないから」と訴えた。

「米山さんみたいなやさしいお母さんがほしかった」
「米山さんがお母さんだったらよかったのに」と
泣きじゃくりながらその人が電話口で言う。

ちがう、ちがうんだよ。

こんなに一生懸命はげましていたら、
こんなに必死な気持ちで話を聴いていたら娘は死ななかったかもしれない。

いいお母さんじゃなかったんだよ。やさしくなかったんだよ。
いま、やさしいお母さんみたいなまねをしていても、
本当に一番必要なときにやさしいお母さんになれなかったんだよ。

だから、いま、ここでこうやってあなたと話す運命になったんだよ。

生きていてほしいと、乗り越えてほしいと思いながら
気が付いたら泣いていた。

いまも電話口の声が耳から離れない。

2017年01月11日 17:34 |コメント|

神様はいつも私に「人生の宿題」というプレゼントをくださる

昨年も押し詰まった12月23日、小さな一歩の活動に突然、新たなミッションが与えられました。
それは、「緊急保護にいかに対応するか」というものでした。
このミッションは目先のことだけでなく、これから長期的に取り組むかもしれない新たな課題に係ることでもあります。

クリスマスの24日から「走りながら考え、行動し、結果を作る」日々が年末年始にかけて続き、
何とか最低限の対応はできました。

「神様はいつも私に素敵なプレゼントをくれる。それは、『人生の宿題』。」

年末年始は、迫ってきた社会福祉士国家試験の勉強が気になりながらも、目の前の緊急事案に取り組んでいるうちに過ぎました。

気が付いたら試験まで1か月を切っている、、、、、

私の人生はいつも宿題に追われている、と思いつつ、何とか緊急事案は一段落したのでこれから試験日までは資格試験の勉強をがんばります。

2017年01月04日 18:23 |コメント|