広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ナインの会@愛知 への個人的な想い

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先日(7月23日)、愛知県日進市で「ナインの会(クリスチャン自死遺族の会)」が行われました。
今回で5回目です。一応、全国世話人会の事務局を務めている私にとって、感慨深い1日でした。

ナインの会のページはこちら ⇒http://chiisanaippo.com/christian.html

一昨年の7月に名古屋市で始まった会。
正直、「これからも続くのかな~」と思いながら参加しましたが、
回を追うごとに参加者も増え、今年2月の@東京では、40人超という、驚くほどの人数の参加でした。

愛知では3回目。第1回から参加している方とは「1年ぶりですね。またお会いできてよかったです」と声を交わします。

広島で、主催者の立場で開いている、小さな一歩の「自死遺族の希望の会」とは違った想いがありました。
全国から集まるクリスチャンの兄弟姉妹と1年ぶりに再会する、「なつかしさ」のようなものでしょうか。
地元から2時間離れた場所、という解放感でしょうか。
自死遺族、という共通点に加え、死生観が同じ信仰の仲間、という気やすさでしょうか。

1年ぶりにふるさとに帰るのに近い安心感がありました。

話をしているうちに、娘の救急救命室の臨終の枕元で、牧師が看護師の制止を振り切って
一緒に歌った讃美歌「いつくしみ深い」を思い出しました。
讃美歌の後、牧師が娘の額に手を当て、「光の方に行きなさい!」と声をかけたことも思い出しました。

娘を看取った後、病院の外に出たら、それまでの雨がやみ、雲が切れて日差しがさしてきました。
「ああ、この光に導かれて、天にいま、向かっているんだ」と空を見上げたことを思い出しました。

ナインの会で語られる言葉。自責感や後悔、哀しさ、辛さ。それは他の会と変わらないけれど、
いつからか、「でも、亡くなった人はいま、天国で永久の命を与えられておだやかに過ごしている」
「私たちもいつかそこに行って、愛おしい人と再会できる」
という言葉が発せられることが、クリスチャン同士ならではだと思います。

私もいつか必ず娘の元に行く。そしてもう一度会うことができる。その時、何を話し合おうか。
そんな想いに包まれた1日でした。

 

2016年07月26日 19:19