広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

ブログバナー

活動の主旨と主な内容 ≫ ブログ ≫

ブログ風 日々のつれづれ

1つの魂の旅立ち

先週末、大事な友人が空に旅立っていきました。
 
身内の愛に恵まれず、さまざまな困難の中を生き抜いてきた方でした。
その中でも、明るく気丈に、まっすぐに生きておられました。
小さな一歩につながって下さった縁から、「こころのともしび」のスタッフやゲストとも親しくなり、とても喜んでいました。
 
どうしてこのようなけなげな人生に、残酷な運命がおりてくるのでしょう。
その後ガンが見つかったときにはステージ4で、余命1年を宣告されました。
それでも、明るさと前向きさを失わず、苦しい抗がん剤治療を受け続けていました。
ガンは肺にありましたが、他の臓器に転移していなかったので、
「抗がん剤で肺のガンが小さくなれば切除手術を受けて回復する望みもある。
私は希望を捨てていない」と言った彼女に私は感動しました。
なんて強い人なのだと思いました。
 
その方がポツリと言った言葉。
「自分は死ぬことは恐れない。
ただ、身寄りのない自分は、死んで、どこかもわからない場所に孤独のまま、無名で葬られると思うと辛い」。
 
私は娘が眠る、丘の上の教会の墓地にその方をお連れしました。
「私の娘もここに眠っている。
あなたもその隣で安らかに眠る。あなたの名前もきちんと刻銘されて永遠に残る。
私は毎週、花をたむけに来るよ」。
それをきっかけに、その方は私と一緒に教会に通い、そこで多くの方に歓迎を受け、温かい言葉をたくさん受けました。
 
9月に病状が急変し、緩和ケア病棟に入院した彼女を面会した時、ほとんど言葉が離せない彼女から最後に聞いた言葉は「もう一度『ともしび』に行きたい」でした。
すでに無理とはわかっていたけれど、「そうだね、そうだね。もう一度元気になってまた一緒に行こうね」と声をかけたのが、最後の会話でした。
彼女の前で泣いてはいけない、と思い、面会後に泣きました。
 
彼女の遺したかばんには、財布と聖書だけが入っていました。
お棺には聖書を入れました。
斎場で最後のお別れをした後、小さな煙が青空の元、空に昇っていくのを見ながら、涙が止まりませんでした。
「ああ、いま、まっすぐ天国に昇っているのだ。きっとそこで娘にも会えるに違いない」。
 
私は「きちんとお見送りをし、遺骨を葬り、永遠に彼女が生きた証を碑銘にきざむ」と彼女に約束したことを守らなくてはいけません。
そして、今までそうしてきたように、毎週必ず花を替え、祈りをささげます。
娘と彼女のために。
 
 
2023年11月23日 11:10

ジョゼの幸せ

こころのともしび」のアイドル猫(笑)、ジョゼ。
現在17歳です。(人間なら80歳)
7歳のときに糖尿病が見つかり、以降10年間、朝晩インスリン注射が欠かせません。
インスリンによる治療は投与量の加減が難しく、体調の変化によっては、血糖値が極端に下がる「低血糖発作」を起こし、発見が遅いとそのまま死に至ります。また、人間のように自宅で血糖値が測れないので、『今の血糖値を見つつ、その都度注射量を調節する』ことができません。

ジョゼも何度も発作を起こし、死の直前までいったことも何度もあります。
夜中に「夜間動物救急病院」にタクシーを走らせたことも何度もあります。

適正な血糖値は「100~200」。その数値を保つために獣医師も私たち飼い主もインスリン投与の量を神経質なほど調整してきました。
が、このたび、獣医師は、「ジョゼの身体の安全を最優先するために、多少高血糖になることに目をつぶっても、インスリン注射の量を最低限にしましょう。」と判断しました。
 
考えてみると、私たちは何を目標に、何を一番大事にしてきたのか。
ジョゼ自身より、「適正な血糖値」という『数字目標』ではなかったのか、、、
獣医師の言葉にはっとさせられました。
一番大事なのはジョゼ自身が安全に気持ちよく過ごせることなのに、、、
人間の「かくあるべき」という考えに固執していたんだよね。

いまは獣医師の言葉通り、最低限のインスリン投与に抑えています。
 
高齢ですから、いつまでも一緒にはいられないこともわかっています。
他の病気もちらついています。
糖尿病が原因で体にいろいろな衰えも見え隠れしています。
気を付けていても低血糖発作で突然逝ってしまうことも覚悟の上です。
 
でもね、天命をまっとうするまで一緒にいようね、「ともしび」のみなさんにかわいがってもらいながら楽しく、暮らしていこうね、ジョゼ。
2023年10月26日 18:35

「自殺予防ソーシャルワーク研修」の講師を続けています

 岡山県社会福祉士会主催「自殺予防ソーシャル研修」で「自死遺族への支援」の講義を2018年から承っています。
 昨年はコロナ感染の影響などで中止になり、2年ぶりのご指名となり、先週土曜日(9月2日)に久しぶりに講義をしました。
 
 全体5講義の中で、私を除く4講義の講師は立派な肩書も社会的実績もある専門家ですから、毎回、講義の1週間前くらいから緊張と不安で胸が苦しくなります。何度事前にリハーサルをしても、「うまくできるか」不安ばかり。
 ただ、ご指名くださる「岡山県社会福祉士会」は、学術的・研究的アプローチではなく、当事者ならではの経験をまじえた話を期待してのご指名と考え、できる限り自死遺族のこころの本音をお伝えしたいと、テキストにオリジナルのシナリオや、自分自身の経験したことなどを講義に加えて臨んでいます。

 特に、社会福祉という枠では語りきれない、さまざまな自死遺族の気持ちについて丁寧に伝えたいと思っています。
 例えば一般的には「自死に伴う悲嘆が1年くらいは続く。」「それ以上悲嘆が続く場合は精神医療からのケアが必要な場合もある」と言われているそうですが、私たちの元でお話を聞く方々の中には、10年以上たっても悲しい気持ちで、ときには胸がつぶれそうになる人もいる。(私も含めて)。
 悲しい気持ちがぬぐえない人を期間で区切って「精神的なケアが必要な人」と決めないでほしい、ということ。
 また、自分を責める気持ちや、自死に対する社会的な通念や偏見。根拠もないスピリチュアル的なうわさ。
 また、それを自ら恐れるため、近しい人の「自死」を言えなかったり、違う事実を伝えてしまう。そのことでさらに自らを責め、追い詰めてしまう遺族が多いこと。

 亡くなった後には色々な公的手続きもしなくてはいけないけれど、故人と一番近い関係にあり、悲しみやこころの混乱が強い時に「死別後の必要な公的手続」が立て続けに迫られると苦痛の追い打ちになる。できたら、遺族の気持ちに寄り添いつつも、少し冷静な立場で必要な手続きをサポートしてくれることが望ましい、、、など。できる限り、自分自身の経験もふまえてお話ししました。

 講義の最後に、毎回、私が亡き娘に向けたメッセージビデオを主催者の方が映写してくださいます。「何より、米山さんの気持ちが素直に伝わるから」と言って下さる思いやりに感謝です。
 
2023年09月07日 19:10

NHK「お好みワイドひろしま」で紹介されました

7月4日、NHK広島「お好みワイドひろしま」で「小さな一歩『こころのともしび」が紹介されました。
手前みそのようで恥ずかしいですが、「こころのともしび」のような「いつでも」「だれでも」「予約なし」「何かの資格や認定など不要」で想いを語りに来られる場所の存在が
必要な方に少しでも知ってもらえたら、と願います。
2023年07月11日 19:07

命日にサプライズがありました

画像1
今日6月21日は歩美の12回目の命日です。
毎年この日は、自宅で過ごします。
この日だけは、「『自分以外の誰のため』に何かをする」ことを一切せず、
「自分のためだけ」に過ごしたいのです。
といっても特に何もしません。
 
今日は朝から強い雨が降っています。
歩美が昇天した日も雨でした。
前の日に脳死状態になり、病院で寄り添っていました。
息苦しくなり、病院の中庭でぼんやりと座っていました。
午後2時、一瞬、雨がやみ、雲の切れ目から一筋の光が差し込んでいました。その光を見上げていたら医師から、いま、心停止になったと告げられました。
「ああ、いま、光の階段を上って天に昇ったんだ」と真っ白な心で感じたのを思い出します。
 
今年も花を贈ってくださった方のおかげで、花畑の中に立っているような歩美です。
12年間、この日を忘れずに贈って下さる旧知の方や新たな友人の愛。
歩美もきっと見ていてくれると思います。

この記事を書いた後、お墓詣りに行きました。
驚くことがありました。
墓地の管理者の方から
「先ほど歩美さんのお友達、と言われる方がお花を持って来られて
『シノが夢に出てきたので、来ました』と言われていました。」
と言われました。

どなたが、どんな夢を見られたのかしら。。。
その夢の中で歩美はどんな様子でどんなことを言っていたのかしら。。。
できたら知りたい。
もしこのブログを読まれていたら、連絡がほしい、と思っています。
 
2023年06月21日 15:40

歩美がのぞむもの

17878228120721
娘の大学時代の部活動の友人は、12年たったいまも、時々近況報告をしてくれたり、LINEで会話したり、
命日にお花を送ってくれたりと、つながってくれています。
ありがたいことです。

先日、墓地の場所を教えてほしい、と連絡があったので伝えたところ、
「部活動の仲間から『お墓参りをしたい』と連絡があった」とのこと。

その後、お墓から見下ろす広島の街の写真を送ってくれました。
「5年ぶりに関東から広島に来て、真っ先にお墓詣りに向かったそうです。そうさせてくれるほど、しのちゃんはみんなの大切な存在です。いまでもみんなをつないでくれています」と書き添えてくれました。

感謝、感謝。感謝です。
そうだね、広島市内を一望する小高い場所から
いつも、いつまでも、見守っていてくれるよ。みんなをつないでくれているよ。
 
2023年03月29日 17:58

帯状疱疹の痛みと折り合っていく

 いきなり私事ですが、
 1月末に帯状疱疹という皮膚病にかかってしまい、1か月半、左腕と脇腹、胸部にわたる「ピリピリヒリヒリズキズキ」した痛みとつきあっています。
例えて言うと、生け花の剣山が「大きなシートになっていて」が体にペタッと張り付いている感じ。
 症状がひどいときは、早朝痛みで目が覚め、麻薬を求めるように、這うように鎮痛剤を飲み、痛み止めクリームを塗ってなんとか半日過ごし、夕方から雷雲が近づくようにジワジワと痛みが近づいてきて、いきなり嵐。また這うように痛み止めを麻薬のように飲む、、という繰り返しでした。
 2か月近く、朝晩鎮痛剤を飲んで体は大丈夫か、、、と不安はあるのですが、「痛い、でももう少し我慢→やっぱり痛い」という葛藤に疲れて結局薬を飲む。ならば割り切って薬のお世話になってしまおう、というのが私なりの開き直りです。
 
 ひどいときは、頭の中が「イタイイタイイタイ」でいっぱい。
 そんなときは複雑な思考を必要とする脳の働きが機能しません。
言われたこと、色々な予定や計画もすぐ忘れてしまう(もの忘れは帯状疱疹のせいだけではないのだろうけど(苦笑)。
丁寧に時間をかけてひとつひとつのことを思慮する、ということもできません。
 
 この経験で改めて
 ひどい痛みに苛まれているときに、「『そのことはさておいて』前向きで建設的な思考を持ちましょう」「別のことを考えて気晴らししましょう」と言われても、できない!ということを実感しました。
体だけでなく、こころも同じですね。
 
 本当に深く辛いこころの痛みを、すぐに完治させてくれる特効薬はないし、気晴らしで消えることもないのではないか、と。

「ではどうすれば?」

あくまで、自分自身の「帯状疱疹」についてですが、「早く楽になろう」という焦りを捨てて、開き直って、「痛みも私の一部分、そのうち、気が付いたら病気の方から去って行ってくれていた、という日が来るかも」と折り合いをつけようと思っています。
2023年03月16日 17:07

長かったような、あっという間だったような10年間

小さな一歩の活動は、今月2月の「自死遺族の希望の会」で10周年を迎えます。
 
10年前、確たるものは何もないまま、「とにかく何か一歩を踏み出せることを」と、一人でスタートラインに立ったものの、道の先が何も見えず不安しかない想い。初めての分かち合いに、「誰も来ないかも、いや、来なくて当たり前」と思っていた時のことを思い出します。
 
広島教会(日本基督教団)では、牧師先生が快く分かち合い会場を無償で使用させてくださいました。
全国自死遺族連絡会の、中国地方の仲間の方々が心配して応援に来てくださいました。
また、会場を提供下さった広島教会がパンフレットを置かせてくださったり、牧師先生や教会員の方々が、口コミで広めて下さったり。
中国新聞の方から声がかかり、何度か、記事で取り上げてくださいました。
2013年1月21日 中国新聞「洗心」欄に紹介されました (chiisanaippo.com)
11月4日「洗心」欄に投稿記事が掲載されました (chiisanaippo.com)
 
おかげで、初回から多くの参加者があり、以降もなんとか10年間、毎回参加者を得て休むことなく続けていけています。
 
「一人で始めた」と思っていたのは「驕り」であり、多くの人の協力と温かい眼差しが、その時の自分に注がれていたのだ、と振り返ってみて気づきました。
 
いつまで続けていけるのかな?自問することもありますが、その答えは神様が持っているのでしょう。始めたときがそうだったように」。
 
2023年02月19日 12:09