広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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自死を語れない事情

先日、「自死があったことを隠さないこと」について、ある遺族とお話しをしました。

その方は、自死は後ろめたいものでも、悪でもない、と心を強くし、あえて自死であることを公にしてきたのだそうです。

それは間違っていないと思いたいが、
家族に縁談があったとき、先の家の人に「自分の側の親戚には内緒にしてくれ」と言われたり、
部屋に写真を飾っていたら、その部屋に出入りする機会がある人々が、
「あの部屋は気味が悪いからあまり行きたくない」と言っていることを知り、傷ついたといいます。

私も、小さな一歩を始めるとき、自分の名前・顔、娘の名前・写真をすべて公にさらすことが
一番の心の負担だったし、
今でも、小さな一歩の活動を紹介されるたびに、繰り返しこれらが登場してくることで
亡くなった直後は、娘の死の理由を知らなかった人、死さえしらなかった人に娘の姿をさらしている。

毎日、朝夕の祈りの中で「娘が天国で私を見守り、応援してくれますように」と祈りますが、
娘が、死後も自分を世の中にさらしている、と私を責めているのではないか、と思います。

私自身はどうでもいいけれど、娘が死後も偏見で見られているのでは、と思うと、
娘の人生や、無念の想いを語り継いでいくために始めたこの活動がよかったのかどうか、と
いつも葛藤します。

家族が亡くなり、その原因が自死であることを明かせない、または亡くなったことさえ明かせない遺族は今も少なくありません。

その背景には「自死者がいる家は『気味が悪い』『縁起が悪い』」と、表向きはともかく
裏で言われている実際のこと、
また、そのような話を耳にして「影で言われ、遺された家族がさらに傷つくのでは」と恐れる気持ちがあるからです。

自分はどうか。正直、同じ思いを持っています。
家族に同じような話があったとき、正直に娘の自死を語る勇気がありません。


2015年07月27日 18:13