広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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「メンタル・ピア・サポート」勉強会

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昨日(2月6日)に、「たんぽぽの会」「Congeneration 世代交流」との共催で行った
「メンタル・ピア・サポート」勉強会では、定員30人を上回り、40人以上の参加がありました。

不登校や発達障害のお子さんを持つ主に母親、精神障害を持つ当事者やその家族が真剣に、
お互いが支えあい、新たな一歩を歩みだす道標を探すために集いました。

基調講演である、塩山先生の講演では
「うつを躁を繰り返す」症状のたとえとして、「部屋の隅にうずくまり、言動や考え方が広がらない」うつ状態と「部屋中を動き回って楽しくしようとする」躁状態(先生は「好奇心」と呼ばれるそうです)と対極としてとらえる考え方、
また、「心の病」という症状への理解として、
「さまざまな症状というのは健康に向かうためのプロセスであり、
どんな症状を示す人に対しても、それを肯定的に見守ることが必要である」ということを学びました。
また、それに寄り添う“ピアサポート”の立場として、
あくまで主役は本人であり、傾聴する立場の人は脇役に徹すること、
相談者からアドバイスを求められても、それに答えようとすることで「主客転倒」になり、説得や説教をしたくなる。
傾聴する立場の人間は、相談者の言動から、その心の深いところにある苦しみや混乱、本当の意味するところを
理解し、くみ取る「翻訳業」に徹することが役割である、と学びました。

第2部の「パネルディスカッション」では、各団体から3人がパネラーとなり、
それぞれの抱える苦しさや、「当事者でないと理解されにくいこと」「健常者との違いを理解してほしいこと」
を発表しました。

感覚器の障害があり、それが原因で授業を受けること自体が苦痛で、
学校に行きたがらないわが子に(後でわかったこと)
「学校は行かなくてはいけないところだ」という固定観念から、
「困った子」と決めつけて叱り続け、親子の戦いがあったこと。
その後、同じ悩みを持つ親同士の交流を通じて自分自身が緩やかな気持ちになったことで親子関係も、子どものこころの状態も明るい方向に向かうことができたことを涙ながらに語った方。

こころの体調が安定しないため、規則的な生活リズムが作れなかったり、毎日規則通りの出勤ができない。
そのことが周囲に理解されないために、職場で認められなかったり、人間関係がうまくいかない。
そのために自分を否定して引きこもってしまう。
そんな経験を通じて「人と人のつながりの大切」を痛感している。
でも同じ悩みを持つ同士では視野が広がらない。当事者も支援者も含めた輪の広がりの大切を実感している、と発表した方。

20年以上、順調に大人になった娘が、嫁ぎ先の心理的虐待が原因で、心を病み、離婚して以来、
様々の精神障害に苦しみ、闘病している。
いつ、何が起きるかわからない中で、親子で苦しみ、救いの道を探したこと。
その道を模索する中で「生きていてくれてありがとう」と毎日思えるようになったことを語った人。

当事者の心の叫びがそこにありました。

パネルディスカッションの最後に、塩山先生がおっしゃった
「専門家として何十年も『こころの病』に寄り添ってきた自分でも、想像できないほどの世界が
ここにあることを知った」というコメントが心に残りました。

その後に、5~6人のグループに分かれて行われた「語り合い」では、
1時間があっという間に思えるほど、各グループで、参加者全員が、当事者としての自分の思い、悩み、葛藤を
語り合い、とても時間が足りないと思えるほどでした。

みんなが共通して持ち帰った「想い」とは
1人や、家族の中といった、限られた世界、思いつめがちな関係の中で「何とかしよう」と閉じこもるのではなく、
勇気の「一歩」をもって、理解しあえる「第三者」に語ってみることの大切さ、だったと思います。

人に話しても何の解決にもならないと思えることでも、
口に出して、ちょっと違う、でも想いを共有できる人に「言葉として語ってみる」こと。
そのことで「出口なんてない」と思いこんでいる暗闇に、自分から光の方向を探す第一歩になればいい、と感じました。

 

 

2016年02月07日 21:56