広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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人として生きること

一昨日まで約2週間、社会福祉士受験のために研修でお世話になったのは
重症心身障害者医療福祉施設でした。
障害区分(1~6)5以上の人がほぼ全員で、障害者福祉と同時に、医療面での毎日の見守りが欠かせない人々が長期入所しています。

先天性障害の方ばかりでなく、ある年齢までは普通に学校に通っていた子どもが事故や
急な心停止によって脳に重大な損傷を受け、
最重度の障害者になっていることも少なくありません。
自力では呼吸も栄養摂取もできず、反応することもなくベッドに横たわり、
多くの管がベッドにつながれている人も多くいました。

研修の間、ずっとある言葉が耳の中でこだましていました。

娘がビルの3階から飛び降り、脳の前頭葉挫傷で、病院の救命救急治療室に運ばれたときの医師の言葉です。

「挫傷した前頭葉が腫れて脳全体の血管を圧迫していき、数日のうちに脳死状態になる可能性が高い。
 助かる見込みは数%程度です。命をとりとめても、重度の障害が残るでしょう。」

「前頭葉の一部を切り取って、脳全体への圧迫を抑えれば一命をとりとめることはできるかもしれない。
 しかし、それをしたら、もう『人間』ではない。そこまでする勇気を僕は持てない。」

「生き延びることと、『人間』でなくなることを選択しなくてはいけない」事実。
突然のあまりの衝撃に、私たち家族は言葉を失いました。

そして、私たちもその勇気を持てなかった。

もしかしたら、このままできる限りの治療にかけて、奇跡的に助かるかもしれない、
その希望にかけるしかありませんでした。

でも奇跡は起きなかった。

その言葉が脳裏を横切るたびに「生き延びても人間でない」とはどういうことか、
と何度も何度も考えてきました。
あのとき、「『人間』でなくなっても、命を救ってください」とお願いしたらいま、どうしていただろう。
そんなことも考えました。

今回の研修で出会った最重度心身障害者の方々の生きる姿は、それを新たに考えさせられるものでした。
どんな状態の方にも、「○○さん。おはよう。今日の調子はどう?」と話しかけながら介護をする人の姿や
五月晴れの庭を、話しかけ、微笑み、笑いながら一緒に散歩する家族の姿でした。

「人として生きること」。深く考えました。でも、結論は出ない、きっと一生。

2016年05月09日 08:54