広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

他会の分かち合いに参加して心新たにしました

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 3月は、小さな一歩以外の「自死遺族の分かち合い」に招かれることが多く、
 3か所で、小さな講演をし、分かち合いに参加しました。
右の写真は3月12日に「岡山市こころの健康センター」に招かれた時の山陽新聞の記事です。

 分かち合いも主催者が違うとそれぞれに違う空気があり、また、初対面の遺族との分かち合いは、いつもの「小さな一歩 自死遺族の希望の会」とは違う緊張感がありました。

 でも、どの会でも、その場を必要としている方の深い想いにふれることができました。
 いつも新たな気持ちでしているつもりでも、自分の会だと、知らず知らずのうちに「慣れ」が生じていたことも改めて感じました。

 2月、3月は他会への参加が続きましたが、自分の気持ちを改めて引き締めるためにとてもよい機会をいただいた、と思っています。
2016年03月28日 18:35 |コメント|

ある「こころ」の雪解け

先週土曜日、自死遺族の分かち合いに初めて参加した方。

2年前に知り合い、定期的にお宅に訪問し、2人だけで自死遺族の分かち合いをしてきました。
その方は、ご自身の心的事情のために、外出して人と会うことができなかったからです。

何度か「分かち合い」への参加もお誘いしてみましたが、
その都度、「初めての場所に行って、他人と話すこと」への緊張で体調が悪くなり、間際になって
「やっぱり無理」と言われてきました。
無理に誘って心の負担になってもいけないと思い、距離をおいてみました。
ちょっとご無沙汰だな、と思っていた矢先の先日、
参加してみたいとの連絡があり、初参加となりました。

分かち合いは2時間。行く前は、「緊張と不安で、途中体調が悪くなったら」と不安になったので
「2時間を通して、その場に居ること」をとにかく目標にしましょう、しんどかったら帰っても構わないのだから、と話し合っていました。

分かち合いの間はほとんどご本人はお話ができなかったけど、
時々声をかけると「大丈夫です」と笑顔で答えてくれます。

気が付いたら、4時間、会合の場所で同席することができていました。
本人もそれが一番の驚きであり、喜びのようでした。

根気よく声をかけ続けてよかった。

小さな一歩の活動が、この方にとっての「こころの雪解け」になってくれたらいいな、と祈ります。

2016年03月21日 12:12 |コメント|

自死遺族の心の回復にハッピーゴールを決めるのですか?

先日、あるサイトで「自死遺族専門カウンセラー」という肩書の人の書き込みをたまたま見ていたら、
自死遺族の「こころの回復」に向けたプロセス、というものが書かれていました。

「否定」→「怒り」→「受容」→「生き直し」と辿って行くように導き(ここはよく本でも書かれている)、
最後には
「自死という辛い経験はしたが、それ通して、(結果的に)自分が新たな人生を探し出した。
そこで、『結果的には、新たな人生を始めることができた』、つまり『よりよい人生に導かれた』と思えるようになるのがカウンセリングのゴールだと書かれていました。

ハッピーエンドを目指すなら確かに正しいのかもしれない、心理学的には100%の成果なのかもしれない。

でも、私の心は、理屈でないところで、その結論を拒否します。

私も、娘の自死をきっかけに、それまでの人生でやったこともない「新しいこと」を始めました。
出会うはずのなかった、多くの方の多くの人生に出会うことができた。
感謝されたこともある。

でも、なぜそれをやっているか、という根源には「死にたくても生きていなくてはいけないから」という想いが今もある。
死んでしまいたい、と思いながら過ごした時期にも「自死」がどれだけ遺された人を苦しめるか、いやというほど知っているから「自死」はできない、してはいけない。
でも、以前と同じ自分には、もう帰ることができない。それまでの人生の道は断裂してしまった。

身体が命を消すまで、いやでも生きていけないなら、その間何に時間を費やしていたらいいのだろう。

そんなことを考えるところから「小さな一歩」は生まれているのです。

「娘の自死がなかったら歩まなかった、新たな人生が充実している」なんて、絶対思えない。

もし、タイムマシンができて、娘がビルから飛び降りた前の日、
薬をたくさん飲んで、病院に運ばれた夜。いや、その日の朝でもいい、戻れるなら、迷わず戻る。

そうしたら、ここで「小さな一歩」ホームページのブログに書き込んでいる私は存在しないだろう。
活動を通じてお会いしてきた方との出会いや語らいも全ては「なかったこと」になるだろう。

でも、私は迷わずそちらを選ぶ。申し訳ないけど。

自死遺族の気持ちはそうではないだろうか?

足を引きづるように生きる人生をどのように歩むのか?

その気持ちを理解せず、「よき成果に導こうとする」カウンセリングなら私は受けたくない。


 

2016年03月18日 18:54 |コメント|

色々な形で生まれる自死遺族同士のつながり

先日、某市の精神保健福祉課のお招きを受けて、
その市が開いている自死遺族の分かち合いに、ゲストで参加しました。

30分くらい、小さな一歩の活動や、自死遺族としての米山の想いなどをお話しをし、
その後、遺族の方々と分かちあいの席を囲みました。

私は初めてお会いする方々ばかりですが、その会には何度か参加している人が多かったので
最初は、手探りで話合いが始まったのですが、
だんだん打ち解けてきて、話も涙も惜しみなく分かち合うことができました。
気が付いたら当初予定の1時間を大きく超え、2時間の分かち合いになりました。

その市の分かち合いは、遺族の設立ではなく、市の担当者が司会進行をしています。
ときどき、参加する遺族が少なく、分かち合いとして成立しないことがあり、
広報に出して、問い合わせで「遺族の方は何人ぐらい来られるのですか」と問われても
確信を持った答えがだせない。
担当の方はそのことを悩んでいました。

しかし、分かちあいの最後に参加者から
「私もなんかの形でお返しをしたいと思っていたので
私が参加すれば遺族同士としての分かち合いが成立するなら、毎回参加してもいいですよ」
と最後に申出があり、担当者の方も、そこに同席していた遺族も大歓迎でした。

遺族が作る自助グループもありますが、
このような形で“自助的なグループ”が生まれ、遺族がより参加しやすくなるといいな、と
気持ちのよい想いで会場を後にしました。

2016年03月13日 17:56 |コメント|

自分のことばかり思い出してしまう3月11日

毎年3月11日に思い出すこと。

大震災が起き、津波が押し寄せた時間帯に仕事中で事態の深刻さを知らず、千葉にいた次女からの電話で知り、
夕方のテレビの画面で声も出ないほどの衝撃を受けたこと。

帰宅した今は亡き長女が、職場でニュース画面の動画に映っている人が、目の前で津波にのまれていく様を見た、と
「かわいそうに、かわいそうに。」と、何度も何度もつぶやいていたこと。
その後、死者行方不明者の数が増えていき、助かった人のインタビューを見ながら
「いのちって大事だよね」と何度も何度も言っていたこと。

その娘が、3か月後に自ら命を絶った。

大震災の被害の状況、多くの家族を失った人のインタビュー。
家や仕事も失い、途方に暮れる人々。
娘亡き後も、胸の痛くなる姿が毎日のように報道されていたが、
私はテレビも新聞もほとんど見る気力がなかった。
福島原発の事故や事故処理のことも、ほとんど見ることがなかったので、詳しく知らない。

ただただ、
「痛ましい大震災で多くの家族を失い、家も仕事までも失った人が何万人もいる。
そんな中で、自分なんかが『苦しい』『辛い』なんて言う資格はないのではないか」

「生きたい人、生きていくはずの人が突然亡くなってしまうことを、あれほど痛ましく感じ取っていた娘が、
自分の命は、なぜ大切にできなかったのだろう」

大震災で亡くなった人や遺族に対して、
自分でもなぜだかわからない、「申し訳ない」ような気持ちで、そればかりを考えてその年を過ごしていた。

毎年、この時期に、報道で東日本大震災についての特集があると、
どうしても自分は「2011年」という年をそのようにしか思い出せない。

人間は身勝手なものだとつくづく思う。

2016年03月11日 18:18 |コメント|

なんて下手くそなんだ!!

2月21日に講演した青森県主催「こどものココロを聴くために~人と人とのつながりを考えるフォーラム」
の全編が【IWJ中継市民チャンネル 青森Ch1】に動画でアップされました。

自分が話している姿を動画で(全部)観たのは初めてです(^_^;)

はっきり言って「話すの、へたすぎ!!段取り悪すぎ!話のまとまり悪い!!」

赤面赤恥ではありますが、反省の意味も込めてあえて白日の下にさらすことにしました(~_~;)

滑舌悪し、でも想いはこもっております。
私の後に登壇された渡邊先生、梅田先生のお話しはとても素晴らしいものであります。


【IWJ中継市民チャンネル 青森Ch1】
http://www.ustream.tv/recorded/83608502
(途中cmが入ります。米山の講演は冒頭6分~45分くらい)
2016年03月07日 17:14 |コメント|

不思議なご縁がつながって青森で講演しました

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先週末の日曜日、青森いのちのネットワーク」主催
「こどものココロを聴くために~人と人とのつながりを考えるフォーラム~」に招かれて、
はるばる2泊3日の旅で青森市まで行きました。

きっかけは、「こころのともしび」で隔月、「精神科医のこころの相談」を担当いただいている渡邉直樹先生がもともと、青森県精神保健福祉センターの所長として自死防止活動にご尽力されていて、
今も青森県や東北地方の諸団体と連携し、自死防止活動や、東日本大震災被災者の方の「心と体の健康」サポートのために積極的に動かれている、
その先生が、広島で浅田病院に勤務されておられた。そして「こころのともしび」の活動を知り、ご縁をつないで下さった。

なんと、人と人のつながりとは不思議なものでしょう。心を同じくする人のつながりは地理的距離を軽々と超えてしまうのですね。

フォーラムでは、小さな一歩の今までの歩みを40分くらいお話ししました。
最後に、
「心に苦しみがある人を支える家族。家族も心が行き詰ることがある。
その行き詰まりを支える、地域の活動団体や身近な人々。
その人たちも、当事者や家族を支えられないジレンマや、自分の能力力量の至らなさに行き詰ることがある。
その人たちの、行き詰まりを支える、地域にいる福祉や心理の専門家。
このように、『行き詰まりへの支え』が複層化することが大切なのではないでしょうか。
誰も「一人で抱える」ことがないように。」とお話ししました。

これは私の心からの実感です。
小さな一歩の活動、こころのともしびの運営をしながら、自分の心がパンパンになっていることがあります。
先日、塩山先生の指導を受けたときに、
先生の一言で、「がんばらなくてはいけない」と固くなっていた肩の力が抜けて、ふっと心が楽になった経験があります。

渡邊先生の、実証データに基づく「自死対策」の講演はわかりやすく、説得力があり
梅田先生の被災地仮設住宅での健康見守り活動、そのきめ細かさや自治体職員の方の熱意には感動しました。
そして会場のみなさんとの体操も、ほほえましく楽しいものでした。

フォーラム後、またその翌日、とても手厚いおもてなしをいただき、
北国の方の温かいこころにふれた3日間でした。

広島に他県の方が来られたときも、同じ想いをして帰っていただけるようにしたいな、と心から思いました。


 

2016年02月24日 16:45 |コメント|

振り返ればたくさん歩いた4年間。カウンセリングスクールの卒業式

先週土曜日(2月13日)は、4年間学んだ「広島カウンセリングスクール」の卒業式でした。

一般コース(1年)は、心理学やカウンセリングに関して幅広く知識を学び、簡単なロールプレイまで、
専門コース(3年)は、一般コース卒業生が20人程度のゼミ形式で、
毎回1~2人分ずつ、
実際に行った試行カウンセリングの音声記録を聞きながら逐語録(一言一句まで記録したもの)を検討し、
それぞれのカウンセリングの長所と短所、改善する点などをディスカッションし、
最後に指導教員から、その日の事例についての評価と、そこから「カウンセリングの注意点、ポイント」を学びました。

なんとか卒業し、「HCS ライフコース・カウンセラー」の認定資格もいただくことができました。

私の同期生で卒業したのは17人。
卒業式では、自分が行ったカウンセリングのこと、
試行カウンセリングの協力者が見つからずに焦り、悩んだこと。
仲間の前で検討されながら、赤面したり、反省したり、自己嫌悪に陥った想い出などを語り合いました。

4年前の春を思い出していました。

2012年の春、娘を亡くして8か月くらい経った頃、中国新聞で「カウンセリングスクール」の生徒募集の記事を見ました。
その頃、私は漠然と、「自分も何か、自死防止や自死遺族同士の支えあいのような活動をしたい」と思っていましたが、
それまでの人生で、ボランティア経験はゼロ、福祉も心理学も大学で薄く学んだ程度で、ずぶの素人でした。

「自分は何もできない人間だ。。。」と無力感に打ちひしがれていた頃でしたから、
「まずはこういう勉強からしてみたらいいかもしれない」と思いながら、
その時の自分には、心身ともに、やり切る自信がなく、
「無理かな、無理かな、。。。。」と悩みながら日々を過ごしました。

「途中で挫折するかもしれないけど、まずは何か始めてみよう」と決心して、申し込んだのは開講の直前でした。
その頃の私には、4年先など、全く見えず、自分が4年間も学びとおせるなど、全く想像もできませんでした。

その後、私の回りでは本当にいろいろなことが展開しました。
ただただ、手探りで過ごした4年前は、気が付けばあっという間でもありました。

でも
4年前の春に恐る恐る始めた、広島カウンセリングスクールでの学びがなかったら
「小さな一歩」もないし、「こころのともしび」もこの世にないのだ、と振り返ってみると
「気が付いたらずいぶんたくさん歩いたな」としみじみ思える道標でもあります。

 

 

2016年02月16日 11:48 |コメント|

「メンタル・ピア・サポート」勉強会

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昨日(2月6日)に、「たんぽぽの会」「Congeneration 世代交流」との共催で行った
「メンタル・ピア・サポート」勉強会では、定員30人を上回り、40人以上の参加がありました。

不登校や発達障害のお子さんを持つ主に母親、精神障害を持つ当事者やその家族が真剣に、
お互いが支えあい、新たな一歩を歩みだす道標を探すために集いました。

基調講演である、塩山先生の講演では
「うつを躁を繰り返す」症状のたとえとして、「部屋の隅にうずくまり、言動や考え方が広がらない」うつ状態と「部屋中を動き回って楽しくしようとする」躁状態(先生は「好奇心」と呼ばれるそうです)と対極としてとらえる考え方、
また、「心の病」という症状への理解として、
「さまざまな症状というのは健康に向かうためのプロセスであり、
どんな症状を示す人に対しても、それを肯定的に見守ることが必要である」ということを学びました。
また、それに寄り添う“ピアサポート”の立場として、
あくまで主役は本人であり、傾聴する立場の人は脇役に徹すること、
相談者からアドバイスを求められても、それに答えようとすることで「主客転倒」になり、説得や説教をしたくなる。
傾聴する立場の人間は、相談者の言動から、その心の深いところにある苦しみや混乱、本当の意味するところを
理解し、くみ取る「翻訳業」に徹することが役割である、と学びました。

第2部の「パネルディスカッション」では、各団体から3人がパネラーとなり、
それぞれの抱える苦しさや、「当事者でないと理解されにくいこと」「健常者との違いを理解してほしいこと」
を発表しました。

感覚器の障害があり、それが原因で授業を受けること自体が苦痛で、
学校に行きたがらないわが子に(後でわかったこと)
「学校は行かなくてはいけないところだ」という固定観念から、
「困った子」と決めつけて叱り続け、親子の戦いがあったこと。
その後、同じ悩みを持つ親同士の交流を通じて自分自身が緩やかな気持ちになったことで親子関係も、子どものこころの状態も明るい方向に向かうことができたことを涙ながらに語った方。

こころの体調が安定しないため、規則的な生活リズムが作れなかったり、毎日規則通りの出勤ができない。
そのことが周囲に理解されないために、職場で認められなかったり、人間関係がうまくいかない。
そのために自分を否定して引きこもってしまう。
そんな経験を通じて「人と人のつながりの大切」を痛感している。
でも同じ悩みを持つ同士では視野が広がらない。当事者も支援者も含めた輪の広がりの大切を実感している、と発表した方。

20年以上、順調に大人になった娘が、嫁ぎ先の心理的虐待が原因で、心を病み、離婚して以来、
様々の精神障害に苦しみ、闘病している。
いつ、何が起きるかわからない中で、親子で苦しみ、救いの道を探したこと。
その道を模索する中で「生きていてくれてありがとう」と毎日思えるようになったことを語った人。

当事者の心の叫びがそこにありました。

パネルディスカッションの最後に、塩山先生がおっしゃった
「専門家として何十年も『こころの病』に寄り添ってきた自分でも、想像できないほどの世界が
ここにあることを知った」というコメントが心に残りました。

その後に、5~6人のグループに分かれて行われた「語り合い」では、
1時間があっという間に思えるほど、各グループで、参加者全員が、当事者としての自分の思い、悩み、葛藤を
語り合い、とても時間が足りないと思えるほどでした。

みんなが共通して持ち帰った「想い」とは
1人や、家族の中といった、限られた世界、思いつめがちな関係の中で「何とかしよう」と閉じこもるのではなく、
勇気の「一歩」をもって、理解しあえる「第三者」に語ってみることの大切さ、だったと思います。

人に話しても何の解決にもならないと思えることでも、
口に出して、ちょっと違う、でも想いを共有できる人に「言葉として語ってみる」こと。
そのことで「出口なんてない」と思いこんでいる暗闇に、自分から光の方向を探す第一歩になればいい、と感じました。

 

 

2016年02月07日 21:56 |コメント|

30回目の誕生日。生まれた年と同じ、寒い日

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昨日1月24日は、亡き娘の30回目の誕生日でした。
山の中腹にある墓地に行くのに、雪で道が凍結する恐れがあったので、前日にお花を持って墓参に行きました。

寒い1日でした。

改めて、25年間の娘の人生について考えます。
生まれた日の天気や温度、生まれた瞬間の泣き声。
その年は記録的に寒い年で、3月になっても雪が降る中で、布おむつを洗い、干していたこと。

保育園の時に、マイペースで独特の表現で語る性格だったので「あみちゃんワールドを持っていますね」と先生に言われたこと。
小学校の時、中学校の時、高校の時、大学の時。
友人関係にぶつかって泣いたこともあったけど、いつも友達に恵まれていたこと。
就職して、仕事はきつかったけど、会社の人やお客さんに可愛がられていたこと。

25歳の誕生日まで、普通の娘として、よいことも悪いことも経験しながら生きていた。

どうして、半年間で、違う人間のようになってしまったのだろうと

何度も何度も、考えても仕方ないけど、解けない自己問答をまた繰り返してしまいます。

娘が中学校の時、校門の前で拾ってきた猫が16歳になり、腎臓病を患って、「余命3ヶ月」と宣言されながらも、しっかり回復して頑張って生きています。

大学の下宿時代に拾ってきた猫は糖尿病になり、何度も発作で生死の境をさまよい、
体重が3割も落ちてしまったけど、毎日注射と投薬を続けながら頑張って生きています。

小さな動物でも、「生きよう」と一生懸命戦っている姿に励まされるのです。

「このコたちのように、しんどくても痛くても生きるために負けない」と思ってほしかったよ。
でも、あなたが遺した小さな命をママは全力で守るからね」と娘に約束してきました。

2016年01月25日 14:56 |コメント|