広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

どんな「数年後、数十年後の再会」を考えていたんだろう

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娘の大学時代の友人から連絡があった。
来年早々、大学時代の友人が集まる機会に、墓参りに行こうと思う、というものだった。

ありがたさが胸にこみあげた。

他県にいる人がほとんどの仲間たち。
短い時間の中で、わざわざ墓地に足を運んでくれるという。
今も、娘との再会のために時間を作ってくれるという。

かけがえのない友人に恵まれた、と改めて思った。

話しているうちに、娘が大学時代にミクシィをしていた、ということを教えてくれて、
(私は知らなかった)
いくつかの投稿の画面をコピーして画像にして送ってくれた。

その中で大学卒業の時の投稿。2009年。

「またみんなに会えるといいな。
それが来月でも来年でも、何年後でも何十年後でも、実現すれば「またね」は嘘じゃないよね。
みんなの新しい日々が、温かい気持ちに満ちたものですように。
願わくば、人生の新たな舞台で存分に輝きますように」


何年後も年十年後も、そのときの自分でまた、仲間と会うつもりだったんだよね。

そのとき、そのときの仕事や結婚や出産や、子育てや、
もっともっと先に、孫のことやら、そんなことを話すことを考えていたんだよね。

こんな再会を考えていたんではないよね。

他の投稿を見て、改めて
親があきれるほど、ポシティブ思考で、楽天的な性格だったと思い出した。

改めて、
娘の短い人生の中で、短い年月でも、充実したときと人間関係に恵まれた時間があったことを思った。


改めて
何が娘を変えてしまったのか。
うつを患い、わずか3か月で自ら命を絶つような結果になってしまったのか。

あきらめ始めていたけど、やはり、知りたい。と思った。




2015年12月14日 21:57 |コメント|

「あの日を忘れたことはありませんよ」「私もですよ」

広島県自死遺族支援団体連絡会 の会議が1年ぶりに開かれ、
久しぶりに広島県立総合精神保健福祉センターの川村さんとお話しができました。

今は、広島県内に7団体、分かち合いグループがあり、それぞれ、主催団体や運営主旨に特徴があります。
遺族の方も、個性にあった団体の分かち合いに参加することができますが、
川村さんは、広島県内に自死遺族の分かち合いグループがなかった頃に、
手探りで「忘れな草」を立ち上げた際の担当者のお一人です。
その後、2年間別の部署に異動されていましたが、今年度から、元の自死遺族支援担当に戻ってこられました。

今日、久しぶりに川村さんとお話しをして、
私が4年前秋、初めて東広島市の「忘れな草」に参加し、話した内容まで思い出しました。

西条は娘が大学時代に住んでいた街で、娘の想い出がいっぱいつまっている町に降り立ってみて、
今の自分はまだこの街に来られる状態でないと気づかされたこと。
娘の死後、平気なぬ顔をして仕事や日常生活を送っている自分が許せないこと。

そんな話をしてうつむいた顔をあげたとき、目にいっぱい涙をためた川村さんの顔がありました。
多くを語らず、ただうなずいて下さいました。
その目を見て、感動し、「あ、わかってもらっている」と実感しました。

そのことを忘れたことはありません。

今日、会議の後のご挨拶で
「川村さん、私は最初にお会いした日のことを忘れたことはありませんよ。あの日が私の原点でした。」
と一言言ったら
川村さんも「私もあの日を忘れたことはありませんよ。」と返して下さいました。

当事者でも、当事者でなくても、共感しあえる、とはこういうことではないか、と思い、
今日は本当にいい日でした。

 

2015年12月03日 18:30 |コメント|

「突然死」と「余命を知った上での死」

「あなたは「余命を宣告された上での最期と突然死による最期を選べるとしたらどちらを選ぶ?」
という問いかけがカウンセリング教室の死生観に関する講義の中であった、と聞きました。

私は、迷わず「余命を知った上での最期」を選びました。

余命がわかっていれば、人生でやり残したことをして、
残る人に別れを告げ、死後に残すべきものを整理し、
愛する人との残りの日々を悔いなく過ごせると思ったからです。

これは、裏返すと、突然の死によって遺された者の想い。
「もっとこんなことをしてあげたかった」「いろいろな話を聞いておきたかった、話したかった」
そんな悔いと自責感からくるもの。
なんの予告もなく死んでしまった人間の遺したものを手に取って整理する辛さからくるもの。

でも、「余命宣告」は、最期の日を決めるものではない。

ここ数年、親族の死が続きました。ほとんどは高齢か、持病の末の死でしたが、
どんな重病の床にあっても、本人も,周りの者も、最期の日への覚悟より
「もう1日生きよう」「まだがんばれる」と信じ続けていたように思います。

私の父は、死の半年前から急に体のいろいろな器官が悪くなり、
最期は腎不全が見つかり、入院後1か月で亡くなりました。
尿がほとんど出なくなり、意識が混濁し、余命を言われましたが
「いよいよ」と覚悟を決めた直後、一転、きれいな尿が出るようになり、体調も回復。
「よくなるかも」と希望を持って長期療養型病院への転院の手続きをしている矢先に
容体が急変して亡くなりました。

90代で亡くなった義理の祖母は、こん睡状態に陥り、今日明日、と言われた中で目を開け、
水さしを差し出されて、「こんな味のないものは飲みとうない、ワインなら飲みたくなるが」と言い、
枕元の人間が「こんな冗談が言えるなら大丈夫」と笑った次の日、亡くなりました。

その日を静かに迎える、なんてできるだろうか?
人は最後の灯が消えるまで、
本人の意識がなくなっても、体は命の火を燃やそうとするのではないでしょうか。

それほどに、人間の本能の中に埋め込まれている「生きたい」とする力は、本来、強い。

父をずっと献身的に看病していた姉は、死後、「もっとあの時ああしていれば」と悔いていました。
私から見ると、これ以上なく尽くしたと見える姉でした。

どんな最期であっても、遺された者は辛く、自分を責める。
死とはそういうものです。

2015年11月25日 17:43 |コメント|

心地よい「人との距離感」はそれぞれ違う

特定の人、または多くの人に「自分は疎まれているのでは」「攻撃されるのでは」と怖いので
相手の顔色や視線、言葉の端々が気になって仕方ない、
また、ちょっとした一言でとても傷ついたり、原因について悩んだり、自分を責めてしまう。

そんな人のお話しを聞くことが少なくありません。

そんな時、カウンセリングスクールで、「人間関係のストレスの原因は『距離感』につきる」と教わったことを思い出します。

コミュニケーションに困難を抱える人の多くは、他人(または特定の人)が自分の領域にズカズカと遠慮なく入ってくることを恐れます。
でも、お話しを聞いていると、勝手に近づいてくることや、または攻撃されることを恐れて、相手のことをじっと凝視している。

「それは、本来離れた距離でいたい相手に、あなたから近づいていっている結果になっていますよ。」
と言います。

近づいていって、目の前で相手の方を凝視していると、その相手の回りにある色々な状況が目に入らなくなる。

例えば「職場の人にあいさつをしたのに返してくれない、嫌われているに違いない」と思い込んでいる方に
「その方は、同じ日に、他の人にはにこやかに挨拶していましたか?」
「その方は、その日、とても急いで緊張する仕事をしていませんでしたか?」
「その方は、最近、プレッシャーのかかる状況にありませんでしたか?」
と聞いていくと、その方自身が「そうでした、そういえば。。。」と気づいて
「自分のことより、他のことで頭がいっぱいだったり、テンションが高かった」ことが原因だった、と
自分で気づくことができます。

追い詰められるほど近寄っていってしまう、そんな考えのくせがあることを自覚して、
思い込みそうな時ほど、相手から距離を置いて、鳥瞰的に相手の状況を見られるといいですよね、と言います。

「考え方のくせ」は誰にでもあり、なかなか直せるものではないけれど、
「くせがあること」を自覚するだけでも、ちょっとは違うかな、と思います。

2015年11月18日 18:23 |コメント|

「生きていたら」と考える

墓前2
昨日の8日、娘の友達が、兵庫県から初めてお墓参りに来てくれました。
大学時代の親友。一緒に卒業旅行に行った写真が自宅に飾ってあります。

娘の自死の直後、「すぐにでも駆けつけたいのですが、いま妊娠中で出かけられません。
いつか必ず会いに行きますから」と連絡してくれていました。

その後、育児に追われる日々の中、2人目のお子さんも産まれ、本当に忙しい日々を送ってきたと思います。

そんなやりとりの記憶も薄れていた先月、
「大学祭に広島に行くので、その足でお墓参りに行きたいのですが」と連絡があり、最寄りの駅で待ち合わせをしました。

1歳の娘さんをおんぶして待ち合わせ場所に来た彼女は写真の姿と可愛らしくかれんな印象は変わらないけど育児と仕事に一生懸命がんばってるお母さんです。

4年間、忘れずにいてくれて、会いに来てくれて本当にありがとう。

娘も生きていたら来年で30歳です。
どんな生活をしていただろう。
結婚して子どももいただろうか。

妹が来年、26歳になり、歩美の享年を上回ります。
就職して2年半。歩美より長くなりました。

歩美だけがいつまでも25歳のまま。


2015年11月09日 22:35 |コメント|

「人生の実力」というもの

「忙しい」=“こころを亡くす”とよく言われますが、
自分自身の心に向き合う時間もなく、目の前のことに追われていることがよくあります。

そんな中で先週土曜日には久しぶりに休みが取れたので、家の掃除を丁寧にしました。
娘の遺影と遺骨が置いてある棚を丁寧に拭き掃除をしながら、その時の自分の行いがよみがえり、
「いけなかったね、もっと違うことを考えて、行動していたらこうならなかったね」と娘に語りかけ、
久しぶりに1人で泣きました。

日曜日の午前中は毎週教会に行きます。
讃美歌を歌い、牧師先生の説教を聞くひとときは、慌ただしく過ぎる日々の時間から切り離され、
心の振り返りと解き放ちができる大切な時間です。

先週の礼拝説教でこんな話がありました。
「人生には3つの『さか』がある。上り坂、下り坂、そして“まさか”。
“まさか”に遭遇した時に、どのように行動するか、そこで『人生の実力』が試される。

「人生の実力」とは、知力とも財力とも体力とも違う。
困難に真正面から立ち向かい、戦い、解決、克服する力。これが1つ。

そして、もっと大切でもっと難しいのは
どのような困難な状況にあっても、それを受容し“これもわが人生、悪くない”と受容できる力。
どんな状況でも、その中で幸せを見つけていける力。
この力がないと、困難に遭遇した時「思い通りでなかった、もうだめだ、おしまいだ」と投げやりになり、逃げてしまう。

二番目の「受容する力」には経験が必要だというのです。

私にとって3年間の「小さな一歩」の活動は、自分に起きた“まさか”との戦いでした。自分なりに向き合ってきたと思う。

でも、受容することはできていないな、きっとできるとすれば、
人生の最後、もうすぐ天国で娘と会える日が近づいた時かもしれません。

 

2015年10月28日 19:01 |コメント|

抱えてきたものを捨ててみると空いた場所に希望が見える

今日はとてもうれしいことがありました。

何回かお話しを聞いてきた方。
自分に自信がなく、家族との関わり方がわからない。
どうしたらこんな自分をよりよい方向に向けたらいいかがわからず、
色々なことを試してみるが、どれも救いの決め手にならない。
途中で挫折し、そのことでもっと自分を責めてしまうことの繰り返し。

そんな話が繰り返されてきた前回の話で、服の片づけをしてみたら、
自分はどんな服を着てどんな生活をしたいと思っていたか、
ちょっと気付いた、と言われたので、それを大いに励まし、
「自分にとって何が大切か、何はいらないかのか。モノの片づけがきっかけになるかも」と話しました。

そして数日前、
「そのあと、家の中の、他の物も片づけてみたら、目の前がすっきりして、
ごちゃごちゃだった家がすっきりしたら、気持ちも晴れてきたんです!」と元気な声。
さらに、ご本人が片づける姿に家族も一緒に、自分の物を片づけているうちに
家族の方も片づけに協力。それぞれが自分の持ち物を整理したら一体感が生まれ、
会話も生まれ、笑顔が生まれたというのです。

今日、来られた姿を見て驚きました。顔つきも晴れ晴れとして、笑顔がとても明るい。
以前から「にっこり笑うと、とてもチャーミングですよ、ご家族もきっとあなたのその笑顔が見たいのですよ」
「そのためには、周りの目を気にしたり、遠慮せず、自分がやりたいことを楽しむことですよ」と語ってきましたが、本当にその通りになったのです。びっくりしました。

それまで「あれをしたら、これもしたら」とたくさんの選択肢をならべては
「でもできないかも」「家族に迷惑かけるし、、、」とため息をついていたその方から
「これは続ける」「これは続けるけどつきあい方を決めた」と、自己決定の言葉が聞かれました。

「いまの自分にとって大切なもの」と「つい捨てられずにしまいこんでいたもの」。
「いつも目の前においておきたいもの」と「そっととっておきたいもの」
モノを整理することはココロを整理すること。

私もよい学びをさせてもらいました。

2015年10月16日 19:40 |コメント|

想いを吐き出すことの苦しさとふりかえり

以前、電話をかけてきては、長時間自分の辛い想いを語る方がいました。
なるべく、途中で話をさえぎったり、私の考えを差し込んだりせず、思いのたけを聞くことにしていましたが、
あるとき、
「米山さんに心の内面をさらけ出すと、かえって、閉じ込めていたものがいっぱい出てきて
そのあと、すごく苦しい。誰に話を聞いてもらっても、話をすると苦しい。
どうしていいかわからない」とメールで訴えてこられました。
どうしたらいいのかわからず、その後も電話がかかるのですが、出ることができませんでした。

私も月に1回、「こころのともしび」の指導をいただいている塩山先生に個人カウンセリングを受けています。
自分自身も、カウンセリングの後、同じ苦しさを感じることがあります。

話したからといって、解決がつくわけでない課題。
「人に言ったからといって、結局自分自身で何とかするしかないことをなんで言うんだろう」
「どうにもならないことは、心の中に押し込めて、淡々と、解決のために行動した方がいいのに」
と、自分が吐き出した言葉が、目の前の宙で浮いていて、その宙ぶらりんになった自分の心のおさまらなさに落ち込んでしまいます。

でも、少し経つと「そんなことを打ち明けてしまう自分がいること」を意識するようになります。

自分の中にいる、「泣き言をいう自分」や「心の奥にとどめていた『どうしようもない』想い」を
発見して、「ああ、自分って、こんな人間なんだ」と思ったり。

弱い自分、解決つかない想いが目の前にさらけだされることは、きつい。
でも、それは、そんな内側の私自身が
「この存在を無視するな!いい恰好するな!立派な人間になろうなんて思うな!」と主張しているからなんだ。

そんなふうに思うようにしています。

葛藤はなくなりませんが。

2015年10月13日 11:46 |コメント|

同じ傷みを共有するということ

秋の花

こころのともしびが忙しくなった最近は、仕事の残業も増えています。

先週金曜日もそんな残業の最中。正直疲労がたまっていました。
時々、仕事のスケジュールが迫る中で、日中は「ともしび」の活動、夕方以降は明日までに仕上げなければいけない仕事、という生活に体の疲労と共に心の疲労や焦りなどがたまって、深夜の仕事中に心が追い詰められることがあります。

そんな最中、1本の電話が鳴りました。
かけてきたのは、思春期に心身性の病気にかかり、
それが原因でいまも外出がままならない、という若い女性。

「新聞を見て、そちらに伺いたいと思うのですが、外出が困難で。。。」
「誰かとつながりたいと思うんです。外の世界とつながりたいと思うのですが。。。」

聞くと、遠方の人。電車の乗継ぎも難しそう。

こころのともしびでは、基本的に、いきなりかけてきた電話には、電話口での長時間の傾聴はしません。
スタッフも食事の準備や、それぞれの専門的なサポート、傾聴などの最中だから時間が取れないためです。
「ここは電話専門の窓口でないので、かけてその場で長い時間のお話はできないこともあります」と説明しています。
しかし、その方の困難な状態を考慮して、時間を決めてかけてもらった場合は傾聴と同じように時間をとってお話をすることにしました。

こころのともしびのスタッフのほとんどは色々な困難を克服してきた人たち。
電話口の彼女と同じ、思春期の心身性の病気を経験しながらも、
いまも、それが原因で体の不調と戦いながら、仕事をし、結婚もしているスタッフがいることを伝え、
「そのスタッフがお話を聞いたら、きっとあなたのお気持ちをとても理解できて、ゆっくりお話ができると思うのですよ」
と話したら、
その方は「ああ、つながった。やっとつながった」と、何度も何度も電話口でつぶやくように繰り返すのです。

仕事の疲れがすっとひいたように思った瞬間でした。

2015年10月04日 20:19 |コメント|

「死にたい」衝動は「気持ちの持ちよう」で解決するのか

最近、うつ症状がある人で、突然希死念慮や強い孤独感が発作的に高まる人と話をすることが続きました。

以前から、急性的な気分の落ち込みがある人には、精神科の受診について尋ねることもよくあります。
ちょっと前までは「精神科に受診して向精神薬をもらっても、薬害や薬への依存が怖くて、薬を飲まない」という話が多かったのですが、
ここのところ、医師側が患者の「こころの病」を認めず、治療方針も決めず、薬も出さないケースが続いています。

もちろん、「話を聞く」ことの大切さを知るからこそ、今の活動をしているのですが、
発作的な状態で電話をしてくる人に相対すると、
「ここまで重いうつ状態にある人を、本当に『話をすればよくなる』と思っているのか?」と
医師の見立てを疑うことも少なくありません。

向精神薬については、数年前から賛否両論、というより、どちらかというと否定論が強く、
まず、当事者が薬に恐れを抱きました。
お話を聞いていても、向精神薬は処方されても飲まない、とか
以前に行った精神科医の薬でひどい経験をしたので、医者にはかかりたくない、という話を多く聞きました。

でも「死にたい衝動が突然強くなって、自分でもどうにも止められないんです。助けてください!」と電話口で叫ぶ人に
「いつからですか?」
「前から時々そういう衝動にかられてしまうことがありました」
「精神科医はどのように診断したのですか?」
「精神科では『あなたは病気でないので、薬は出しません。誰かと話をするとかして、自分の気持ちを解決しなさい』と言われました」

「誰も助けてくれない」「はしごをはずされた」絶望感。

それでも何度かにわたって電話で話をしているうちに、とりあえず、発作はおさまったようで安心しました。
でも、いつ、自分がこの発作に襲われるかわからない、その恐怖感は未解決です。
 

以前、精神科医が自ら
「薬では精神疾患の『根治』はできない。カウンセリングや傾聴、身近な人への相談などを通じて時間をかけて直していかないといけない。
でもね、
その『話ができる状態』が大きく失われている時に、とにかく、状態を改善するために薬が必要な時もある、と思ってほしい」と話していました。

私は、その話で、ちょっと腑に落ちた気がしたのですが、どうなのでしょうか。

 

 

2015年09月21日 19:03 |コメント|