広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

7年間支えてくれてありがとう

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4月30日、中区幟町の事務所から西区庚午北の新しい事務所に引っ越しをしてきました。
会社の事務所として7年間、小さな一歩の事務所が間借りしてから2年間。

元々幟町の事務所に来たのは、当時の不況で会社の経営が危なくなり、
閉鎖しようかと思いつめていた時に、その部屋の持ち主の取引先の社長さんが、
「古いマンションだけど、特別家賃で貸してあげるから、越して来たらいい。もう少し頑張れ」と励ましてくれたから。
周辺の家賃相場の半額に近い家賃で借り、その上「小さな一歩」の事務所まで居候させてもらう、
本当に好意に甘えっぱなしの7年間でした。

新しい事務所も、ビルオーナーの特別な好意で、相場よりかなり安い家賃で借りられることになり、
1フロアを2分し、会社の事務所と、小さな一歩の事務局兼「こころのともしび」を半分ずつ使う
私は両方の事務所を自由に行き来できる、という特別仕様の内装に仕上げてくれました。

会社の方は創業23年目を迎えました。
やめたい、と思ったことは数知れず。
特にこの4年間は「何のために会社をするのか」ではなく、
「なぜ会社をやめる決心ができないのか」と、だらだらと仕事を続ける自分を責め続け、
朝、「今日こそはスタッフに『会社を解散します』と言おう」と、それぞれに語り掛ける言葉まで決めたのに
出社直後から対応や処理に追われているうちに言うタイミングを逃して、、、という日々が数知れず。

なぜ会社をやめることができなかったのか、との答えは結局はっきりしなかったけど、
4年前は身体を引きずるように出社し、抜け殻のように仕事を続けていたけど、
でも会社の仕事がなくて、家に閉じこもっていたら、きっと私はアルコール依存症になっていたでしょう。
そこに私の「居場所」があったことは確か。
無言で私を支え続けてくれたスタッフがいたことは確か。

「こころのともしび」事業を本気で支えるためには、
家賃や光熱費などの経費を担う「会社」を続けることが必要だという答えがはっきり出たいま、
弱気や迷いを捨てて、新しい地で、新たな気持ちでスタートします。

 

2015年05月01日 19:30 |コメント|

自死遺族である自分と戦いながら書いた卒業論文

少し以前、小さな一歩のメンバーである大学生の自死遺族が「自死遺族の抱える困難」をテーマ
に卒業論文を書いたお話をブログに取りあげましたが、
先日、ご本人から論文を公表してよいと了承をいただいたので、あえて全文をpdf版でアップします。
全81pのうち、自死遺族2人のロングインタビューを丁寧に再現した3~4章、その結果に本人が考察した5章が40pという力作です。
(3章 米山34~49p、4章 佃祐世弁護士50~66p、5章 考察67~75p)

全文PDFはこちらから
改めて読ませてもらって、自分が語る以上に、自分の想いが生のまま再現されていて、
(雑な言葉づかいまでそのままです)、自分は他人に、こんなふうに語ったのか、と驚くほどです。
(が、確かに言ったことです)

わが娘も2年前に自死をテーマに卒論を書きました。
そのときも、「あとがき」をブログに乗せたので、今回も一部を紹介させてもらいます。

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おわりに

 

 本研究は、自死遺族の現状を明らかにし、死の受容のあり方について整理し、自死遺族支援の在り方や自死遺族会の役割を分析する、といったことが目的であった。しかし、研究動機は、父が自死して自分が自死遺族になったため、という甚だ私的なものである。

 

今振り返ってみると、父の死後、普通の大学生活を送って元気に生活しているつもりでも、当時の私には、大きな負担がかかっていたのだと思う。私は、自死遺族当事者だけれど、この人は自死遺族だ、支援が必要だ、かわいそうな人だ、などと思われたくなかった。弱い自分を見せたくなかったのである。そのため、学校では何事もなかったように振る舞い続けたし、実家や親戚内では、いつでもしっかりしている娘としての役割を果たそうと必死だった。父の葬儀のとき、親族代表挨拶を述べたのは私である。毅然とした自分、動揺を示さない自分を必死に振る舞っていた。当時は、意識してそう振る舞わないと、自分を保てなかったのかもしれない。

この研究をしたいとおぼろげながらにも思い始めたのは、父の死後4か月ほど経過した頃だったように思う。だが、このような私的動機で研究をするのは不純かもしれない、と考えてもいた。ある人に相談した際、私は思ってもみない返答が返ってきた。「不純で構わないと思いますよ。多くの人が不純な動機に秩序を乱されて生きづらいから研究をするのだと思います。その生きづらさがある程度共感を得られる問題で、その解決策に考えさせるところがあれば、それが素晴らしい研究になるのだと思います」と言って、「だから、不純などと言わずに、向き合える限り向き合ってください」と応援していただいた。私は、その言葉に非常に勇気づけられ、このテーマで研究してもいいのかな、と思えるようになっていった。

しかしながら、研究するということは、同時に自分との戦いでもあった。先行文献を読む度に、自分のふがいなさややるせなさを認識したり、自死遺族の手記を読む度に涙を流したりした。自死遺族関係者に会うたびに、父のことを思い出していた時期もあった。私が自死遺族であることを知らない人から、「なんでそんなに重いテーマを選んだの?」、と言われ、答えをはぐらかしたことも1度や2度ではない。

 もちろん研究は、自分が当事者であることを認識しながら、第三者的視線を持つことも大切であった。私は、自分が客観的な視点を持ちながら研究ができるのか、という点は、常に意識していたことであった。自死に関して私は一般人とは異なる感覚を持っている。自死遺族が自死遺族研究をすることに関して、自死遺族からは、「自死遺族しか書けない研究ってあると思うのよ」、「先行文献を読んでいても、当事者だから気づく違和感とか、あると思うんですよ。それを大事にしてもらえたら」、などと温かい言葉をいただいた。こういった言葉は、研究を継続するうえで本当に励みとなった。

このように振り返ってみると、私を支えたのは、自死遺族会で実際の自死遺族と交流するということが大きかったように思う。1人でいると無性に悲しくなったり、やるせなさが沸いてきたりもするが、自死遺族会で遺族に会う度に、自死遺族当事者からの生の声、悲しみの深さ、止まない自責の念などを肌で感じ、それによって研究への意欲を新たにしていた。私にとって自死遺族会は、同じ悲しみを共有できる仲間に会いに行く場所でもあり、勇気をもらう場所でもあった。

(中略)

さて、自死遺族研究をして何か自分の気持ちや父への思いが変わったか、と問うてみると、実はまだはっきりとした答えを持ち合わせていないように思う。ただ1つ言えるとすれば、自死遺族会への参加を通して、父が自死し、自分が自死遺族であることを公表することへの抵抗は、徐々に徐々に薄れてきたということだ。だからと言って、むやみに公表するわけでもないが、「自死を語れる死にしたい」という思いを持つ筆者にとっては、1つの前進だと考えている。

また、新しい生き方を見つけて活躍している自死遺族の方々と知り合えたことで、自分が今後どのようにして生きていくのがよいか、自分の将来を思い描いたときに、その選択肢となりうるようなモデルができたことは、今後の自分に生きてくると思う。


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ご本人、これからも大学院で研究を続けながら「小さな一歩」の分かち合いもお手伝いしてもらえるとのこと。

私と違い、これから、長い将来の人生の道を歩んでいく。
色々な迷いも挫折も経験するかもしれません。
つまづきそうなとき、亡きお父さんが、道先を照らしてくれることを祈ります。

2015年04月22日 19:10 |コメント|

がんばれば何が報われるのか

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70代のお母様を自死で亡くしたAさんのお話を
聞きました。

長い年月、シングルマザーとして頑張って生きてきたお母様。「他人に迷惑をかけない」生き方を信条としてきました。

家庭内の事情がもとで心労が重なる中、お母様はがんを発症します。
Aさんはお母様の体を心配して色々な声掛けをしますが、お母様は黙っていることが多かったといいます。
 

しかし、お母様のがんは、主治医が驚くほど、奇跡的に回復し、
数か月後には「体内にがんの反応がなくなり、ほぼ完治し」(Aさん)退院ができたのです。

「よかったね!」と声をかけるAさんでしたが、やはりお母様から返事はありません。

マンションの4階からお母様が飛び降り、亡くなったのは退院からわずか1週間後でした。


Aさんは1年近くの間「なぜ、病気が治った直後に自死したのか」と毎日のように自問を続けています。

「もしかして、だけど。
長年の苦労や人間関係のもつれで、生きる気力を失っているときに、がんを発症して
『ああやっと、逝ける。自然な形で、人に迷惑をかけず人生の幕を閉じることができる』と思っていたのかもしれない。
なのに、『病気で死ねなくて』、もう自分で幕引きをしたい、と思い詰めたのかもしれない。

母は、人に迷惑をかけないことを何より信条にしてましたから、
『多くの人に迷惑かけて長生きするより、まだ自分で自分の体を動かせるうちに自分で命を絶ちたい』と。
発作的にそう思ったのかもしれない。」

長い時間話し合った後、Aさんはそんな推測の結論を絞り出していました。

もし、Aさんの推測どおりだとしたら「人に迷惑をかけない」人生の結末として、あまりに悲しい。
人は、苦しければ苦しいほど、乗り越えた先に「何かいいことがある」ことを期待してしまう。
Aさんのお母様には「がん」を乗り越えた先に、何が見えていたでしょうか。
「人に迷惑をかける老後」しか見えなかったとしたら、あまりに悲しい。

Aさんの「なぜ?、なんで?」は簡単に終わらないのでしょう。
私は娘の直接の死因を知っているようで、やっぱり「なぜ?なんで?」と思ってしまう。
多くの自死遺族が、そう思っている。そしてその答えを暗闇の中で問いかける。答えてくれない人に向かって。

 

2015年04月14日 15:59 |コメント|

永遠の命と再会を信じる

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4月5日はイースター。キリスト教会ではクリスマスと並ぶ祝祭日です。
イースターは、イエスキリストが、十字架の死から3日後に蘇り、天に昇ったことを祝う日であり、
キリスト教信仰の中心でもある「復活信仰」を象徴する祝いの日です。

キリスト教徒は、亡くなった人が天国に昇り、永遠の命を与えられていること、
生きる自分もいつか天国の門に入り、そこで先に昇った人との再会を果たせることを信じます。

そのためこの日に教会では墓前礼拝を行います。
昨日は前夜からの雨もやみ、穏やかな薄日が差す中での礼拝になりました。

教会の墓地では、毎年4月のイースターと、11月にこのような墓前礼拝が行われます。
その都度、多くの人が故人をしのび、敬い、祈り、讃美歌を歌います。
きれいな花で埋め尽くされます。

娘の死後、埋葬場所に迷った私ですが、この地に安らげてよかったと思うのです。
納骨のとき、半分はこの墓地に、半分は手元に残し自宅に安置しています。
半分は神様に託しました。半分はいつか自分が埋葬されるとき、横に置きたいと思ったからです。

私が4年前、生きていること自体への罪悪感で押しつぶされそうだった頃、
この復活信仰を信じきれず、牧師に尋ねたときの答えは

「死後に魂が復活して、先に天国に行った人と再会できるかどうかは、生きている間はわからない。
死んでみないと本当はわからない。
でも、「きっとまた会える」と信じることで生きることが楽になるなら、信じましょう。それでいいんです。」
というものでした。

意外なほどサバサバとした答えで、かえって気が楽になり、信じてみようと思いました。

毎日の祈りの中で
「御国で永遠の命を与えられている娘が、いつも私を見下ろし、私の歩みを見守ってくれていますように。
私の活動を応援してくれていますように。時には降りてきて私とともに歩んでくれていますように。
私が御国の門についたとき、必ず忘れずに迎えに来てくれますように」と祈ります。

小さな一歩の活動も、この思いがなければ始まっていないし、続いていないでしょう。

 

2015年04月07日 00:37 |コメント|

喜びも悲しみも幾歳月

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昨日は実家の静岡で姉の息子である甥の結婚式がありました。

4年前には私の娘が、2年前には父が亡くなり、
哀しみの気持ちで親戚が集まることが重なりました。

それはそれで、ふだんは日本各地に分かれている親族が心を1つにして、哀しみに寄り添いあいましたが、
久しぶりに慶びの気持ちでみんなが心を1つにしたことは、感慨深いものでした。

多くの家族がそうであるように、この家族にも色々なことがありました。
だからこそ、この場所で、それらの歴史が洗い流され、
若い世代の者たちのための家族の新しい歴史のスタートを分かち合いました。
この日まで姉がたどってきた心の道のりが走馬燈のようによぎり、涙がにじみました。

また、改めて、親にとって、
子供を新しい家族に送り出すことは大きな人生の達成なのだな、
子供の結婚式は親としての卒業式なのだな
と思い、
娘をそのような形で送り出してやりたかった、と思いました。

紺碧の空でした、美しい新郎新婦でした。

2015年03月29日 14:56 |コメント|

ネガティブ思考とのつきあい方体験セミナー

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先週土曜日(3月21日)、金森文雄先生を講師に招いた「ネガティブ思考との付き合い方体験セミナー」では32人の参加者が,みなさんとても熱心に話を聞いていました。

ネガティブ思考とは‘状況'から‘頭の中に自然と浮かんでくる考え'=自動思考。
これを「8匹のユガミン」に例えて説明されました。

「シロクロン」
物事を白か黒か割り切り、完璧さを求めさせるユガミン。
このユガミンが大きくなると完璧でないと納得できないため、自分の行いに少しでも満足できないと、「これは失敗だ」とか「自分はダメだ」などと判断して自身を失ってしまう。
「フィルタン」
物事の悪い面ばかりが目につき、よい点やうまくいったことなど他のことを見えなくさせてしまうユガミン。
このユガミンが大きくなると、悲観的なフィルターを通して自分や世の中を見て、気分が暗くなる。
「ラベラー」
物事や人に「○○である」と否定的なラベルを張り、一度はったらはがさないユガミン。。
このユガミンが大きくなると、あらゆるもの(自分自身)に否定的なラベルを張り、そのラベルから浮かぶイメージに振り回されて冷静な判断ができなくなる。
「マグミニ」
自分の失敗や短所を実際より大げさに考えて、反対に長所や成功を実際より小さくとらえさせるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、些細なミスや失敗を大げさに考えすぎて鬱や不安になったり、自分の成功も「できて当たり前」とポジティブに評価できなくなる。
「ベッキー」
自分や他者に対して「○○すべき」「○○でなければならない」と考えるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、ルールに縛られて生活が窮屈になたり。自分や他者の失敗が許せず怒りや緊張を感じやすくなる
「ジーブン」
よくない出来事が起こると、自分に関係がないに関わらず自分のせいだと考えるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、悪い出来事に対して自分のせいだと自分を責めてしまうため、自分のことが嫌いになってしまう。
「パンカー」
わずかな出来事を根拠にあらゆる出来事が同じような結果になると一般化しすぎるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、厭なことが繰り返し起こっているように感じてしまうため、落ち込みやすくなる。
「ジャンパー」
確かな理由もないのに、意識的な思いつきを信じ込んでしまうユガミン。。
このユガミンが大きくなると物事が確実に悪い結果になると早合点してしまうなど、よくない結果を先読みしてしまい、不安定な気分に苦しむ。

ユガミンについて詳しく知りたい方には「認知療法トレーニングブック」(竹田伸也著)も発売されています。
(→本の紹介はこちらの「アマゾン」サイトにあります)
 

「ユガミンが大きくなるイメージ」として、両掌を目の前に近づけ、「他の景色が目に入らない」ことを実感しました。
「無理にユガミンを排除しようとするイメージ」として、隣の人と手のひらを合わせて力を入れて押し合ってみて、「これを24時間続けていると疲れる」ことを実感しました。

必要なのはユガミンと真っ向勝負を挑んで撲滅しようとするのではなく「ユガミンにとらわれないような『行動』をすること」。
自分の体や心をリラックスさせたり、自分の思考に集中して向き合うこと。

その実践として教えてもらったのが
まず「スマイルエクスサイズ」。「笑い」は、副交感神経の働きを高め、体内の代謝をゆっくりおだやかにし、リラックスさせる効果があります。
また、体は本物の笑いと「つくり笑い」の区別がつかず、健康への効果は同じなので、
おかしくなくても「笑う体操」をするだけで十分な効果が得られるとのこと。

そこで色々な「笑いのポーズ」を実際にやってみました。
不思議なことに、会場全体で「作り笑い」をしていると、本当に心から笑えてくるのでした。
「笑いのポーズ」自体が背伸びの運動などで、とてもいいストレッチになります。

次に「3種類の呼吸法」。片鼻呼吸、ハミング、腹式呼吸。「マインドフルネス」「セルフタッピング」と盛りだくさんでした。

参加者のアンケートでも、心が楽になった、との声が多く見られ、安堵しました。

どれも、DVDを買って自宅で1人でもできるようですが、
やはり仲間がいた方が楽しそう。特にスマイルエクスサイズやタッピングタッチ。

こころのシェルターがオープンしたら、定期的に講座を開きたいなと思いました。

金森先生は三田市を中心に、タッピングタッチや笑ヨガのセミナーをされています
「カウンセリング勉強会」FBページはコチラ
 

2015年03月24日 18:17 |コメント|

答えが見つからない苦しさ

心因性の難病で外出ができない1人ぐらしのAさん。

私も週に1回話に行きますが、日常的な話し相手は週に3回の訪問看護士さん。
それが、1回あたりの訪問時間が3月からほぼ一方的に、1時間半から30分に短縮されてしまったそうです。

「自立を促すため」というのがその理由だそうです。、
地域包括支援センターの「外出支援」で、少しずつでも自力で外出できるように訓練はしていますが
パニック障害、広場恐怖症が重いAさんにとって
「自立しようと‘意志を持ってがんばれば’外出できる」とは簡単にいかない。

「パニック障害」については
http://www.hoshi.tv/cat2/post_4.html

Aさんの症状も生活状況もよく知っているプロが、いきなりの方針転換、なぜでしょうか。
しかも、Aさんの「枠」(本人の言葉による)は1時間半のままで減っていないのに、
看護士が個人的な判断で「その方がいい」と決めた、ということなのです。


Aさんは在宅医療も利用していますが、
月に1回往診する診療内科クリニックの医師に対しても、訪問看護士に対しても、
不信感と不満が噴出します。
それは
「なぜ質問に答えてくれないのか」「なぜ訴えを聞き流すのか」「なぜ一方的に決めるのか」
その答えをくれない、ということです。

そんな不満があるなら、別の機関に変えたら、とは、自分に十分な選択肢がある人間の論理。
「自分から何かを新しく変える」ことに伴う不安の大きさも、Aさんにとって大きなストレスなのです。

医師も看護士も、それなりの方針や考え方があって「そうしている」のかもしれない。
「客観的な目利き」による判断があるのかもしれない。
でもAさんが納得できていないから、私に訴えてこられる。

話を聞いて私がもどかしいのは
他人の私は、本人がいない場で、その「客観的な目利き」について聞くすべがない、ということです。
Aさんの聞き違いや思い違いがあったとしても、それさえわからない。
Aさんの話から覚える‘憤り’さえ、それが正しいのかさえ判断できない。


「自分も、外に出て色々な人と話ができる体になりたいと思っている。
でも、いまは無理なんです。せめてそれができるまで、もう少し続けてもらえないのか」

Aさんの一番の不安は「会話相手がいない」圧倒的に長い時間が、自分を「話ができない人間」にしてしまうのでは、ということ。

「勇気をもって、『自分の持ち枠は1時間半あるのだから、1時間半来てください』と看護士さんにお願いすることはできませんか?」と
絞り出すように言った私の言葉に、Aさんの表情が脳裏から離れません。

2015年03月17日 20:40 |コメント|

敷居の低い「自死遺族のための法律相談」

3月7日、広島弁護士会主催のシンポジウム「自死遺族の直面する問題を考える」に参加しました。

自死遺族支援弁団事務局長の生越照幸弁護士の基調講演に続いて、
生越氏、佃祐世氏(自死遺族であり弁護士)、世良洋子氏(弁護士)、塩山二郎氏(広島県臨床心理士会会長)の4氏による
パネルディスカッション、という進行でした。

生越氏の講演の中で印象に残ったのは
法律相談に来られる自死遺族は、混乱、抑うつ、自責感、不安や焦燥感などで
「頭の中がもつれていたり、ぎゅうぎゅうになっていることが多いので、
まず、問題の整理整頓、仕分けをして、「遠くてもゴールが見えている状態」になるように
一緒に考えるところから相談に乗ってくれる、というお話です。

よくわかるイラストが「ぐりーふサポートハウス」のHPにあります。
http://www.guri-sapo.com/comic?start=5

その言葉だけでも、一般の人間にとっては結構意外かもしれません。
私の先入観かもしれないですが、法律相談、というと、
「法的支援のまな板にも乗らないような相談を持っていくと門前払いでは」
「わけのわからないことを言うと、先生を苛立たせたり、ばかにされるのでは」と緊張感が先だって、
どうしても、敷居の高いイメージがあります。

また、先生は
「できないことはできないと正直に答えられる」「セカンドオピニオンを勧める」ことができる弁護士を選ぶのがコツである、とお話されました。
「とにかく、ぐしゃぐしゃ悩んでしまったら電話をかけてみて下さい」
「仕分けなんて電話一本でできますから」
「むしろ電話したのに仕分けすらしてくれない相手なら『頼まなくていいんです』」と言われます。

この自死遺族支援弁護団の「自死遺族無料法律相談」が3月28日正午~3月29日正午まで行われます。
詳しくは
「関連団体の開催情報」のページにあります →http://chiisanaippo.com/infomation.html


相談は2つに分かれるのだと思います。
1つは、相続や借金、損害賠償金、または家庭内の問題など、自死遺族自身の今後の人生に係る問題。
1つは、過労自死やいじめ、パワハラ、DVなど、故人の人権や名誉回復に係る問題。

シンポジウムの最後にコメントを求められた私は

「自死は病死などの他の死とどう違うか、それは『無念の死』だということではないでしょうか。
特に後者の場合、故人に代わって『悔しさを晴らしてあげたい』「名誉を回復してあげたい』『弱いから死んだのではないと証明したい』というのが遺族の想いなのです。
だから遺族の想いが強すぎて「死んだ人が返ってくるわけでもないのに、
何をここまでこだわるんだろう」と思うこともあるかもしれないが
その人にとって、故人は「いまも生きている」。
一緒に戦おうと思っているのですから、その想いをどうぞ汲んで下さい」と言いました。

一番難しいのは
法的な解決が「できない」とわかった時の遺族の気持ち。
どこに向かえばいいのでしょう。


難しい、本当に難しい。

現実的には何の助けにもならないけど、
「生前も、死後も『何の力にもなれなくてごめなさい』という遺族の忸怩たる想いを
「そうだね、そうだよね」と静かに聞ける人間でありたいと思います。

2015年03月13日 17:26 |コメント|

死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも人を動かす

小さな一歩の仲間である、自死遺族の学生、Aさんが「自死遺族支援」をテーマに卒業論文を書く、というので私も総時間4時間くらいのインタビューに協力しました。

Aさんは私の他の自死遺族や行政の窓口担当者にも丁寧に時間をかけてインタビューをし、がんばってまとめていました。
私のパートだけ見せてもらったところ、ほとんど「自死遺族の生の声」をそのまま忠実に論文にまとめてくれていました。
同じインタビューでも、このように息遣いが聞こえるような記録になってみると我ながら自分の言った言葉に驚きましたが、、、

Aさんの卒業論文は大学内で高い評価を受け、
100人を超える同じ学部の学生の中から2人しか
選ばれない「優秀論文賞」に選ばれたそうです!

本人から喜びの連絡をもらって、思い出した言葉があります。

私が「小さな一歩」を始めようと思った原動力になった文章であり、
心が折れそうなときに、心の引き出しから取り出して思いを新たにします。

その一節

「人は死んで完全なものとなる。
なぜなら、死んだ人の命の意味は死んだ人本人によって決められるものではなく、
生き残った人たちによって与えられるものだからである。

生きている人はぼくたちに向かって「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが、
死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人はすべてを生き残っている人に託している。
生きている人は、死んだ人のすべてを受け取るように死んだ人から期待されているのである。

それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようと動く人は多い。
なぜなら、生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は、生き残った人たちのものだからである。」
(「知らされない愛について」岡 知史)

故人への強い想いがAさんを動かし、Aさんに協力した周りの人の心も動かしたのだと思います。
何より私がそれを感じていました。

Aさんの素晴らしい論文の後ろにいる、今は亡きAさんのご親族。
「よくがんばったね、ありがとう」と微笑んでいることでしょう。

2015年03月09日 20:15 |コメント|

当事者目線で考える自殺未遂者事後ケア

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今日は広島県の総合精神保健福祉センターが主催する「自殺未遂者地域支援研修会」があり、
県内の保健師、臨床心理士、精神保健福祉士などの職種の方と一緒に私も研修に参加させてもらいました。

先日、某「自殺未遂者ケア研修」で大いに落胆をしたので、正直、出席の返事をしたものの
行くまでは気が重いところもありましたが
今日の研修は、『同じテーマでもこんなに違うのか』と思わされる、学びの多いものでした。

なぜそう感じることができたのか。
それは、講師である日本医科大学病院精神保健福祉士・社会福祉士の大高康史先生が、
救急搬送された自殺未遂者に、その後1年間の継続経過観察、面接調査というように当事者の生の姿、生の声に触れている方だからでしょう。
講義の中で紹介された当事者の生の声は実感がこもったものであり、新たな気づきを多くいただきました。

言葉の端々にも、クライアントを「症例扱い」せず、一人格として尊重していることが伺われ、気持ちよく聞くことができます。

たとえば、自殺未遂を起点とした事後ケアの図式が、一般的に行政が示す図式(私が今まで大体見てきた簡略図ですが)と違っています。
一言で言うと‘当事者にどのように立ち直っていってもらいたいか’という目線で描かれています。
私はこのフローの中で「危機を生き延びた人」という着眼点が、特に気に入りました(個人的に)

この図式の中にある「安心できるよう組織されたサポートネットワーク」とは医療機関であり、行政窓口であり、地域の支援団体でもありますが相互の関係には川上も川下もなく、どの窓口に辿りついてもネットワークが連携し、必要な人が必要な支援が受けられることが本来の姿だということです。

先生の言葉の中で、しっかりと覚えておきたいことが多くありました。

「自分はだめな人間で(自己否定)、周囲も自分のことを認めてくれず(世界の否定)、
きっと将来はひどいことになる(将来の否定)というように、問題が頭の中でどんどん大きくなっていく状況の中で、「問題に圧倒されてしまい」、『死ぬしか救われる方法がない』と思い詰めて未遂に至る。」

「事後ケアしても本人をとりまく現実の状況はすぐに解決するものではないが、「安心できるよう組織されたサポートネットワーク」の存在を知ることで、『最悪の場合でも救われる方法がある。なんとかなるかもしれない』選択肢があることを知って、「死ななくても救われる」という安心感から、視野が広がり、現実と向き合えるようになる。」

当事者の1年後の声として「色々な困りごとを色々な人に相談しているうちに、いつからかわからないけど、死ぬことを考えなくなった」という話。

「(どこの部署でどんな専門領域でというのではなく)支援者1人1人が、未遂者にとっての社会資源の1つの点である、という意識が必要」


午後は、広島大学の自殺未遂者介入事業の事例から、グループワーク。
現実に合わせて「サポートネットワーク」作りを考えると、地域の保健師さんの負担が大きすぎるような気がしました。

研修の最後に精神保健福祉窓口担当者以外の参加者が自己紹介をする時間をいただいたので、
小さな一歩が「こころのシェルター」事業を開始したときに、
『安心できるサポートネットワーク』の中で、どんな役割を目指すかを少し話しました。
たとえば、公的支援窓口が、当事者に最適な「支援方法(to do list)」を作る役割を担うなら、
「こころのシェルター」は支援方法にたどりつくまでの‘閉ざされた心の整理’や、
様々な支援を、自分の心の中で整理しながら視野を広げていく’ための
敷居の低い「語りの場」でありたい、と話しました。

 

2015年03月06日 20:40 |コメント|