広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも人を動かす

小さな一歩の仲間である、自死遺族の学生、Aさんが「自死遺族支援」をテーマに卒業論文を書く、というので私も総時間4時間くらいのインタビューに協力しました。

Aさんは私の他の自死遺族や行政の窓口担当者にも丁寧に時間をかけてインタビューをし、がんばってまとめていました。
私のパートだけ見せてもらったところ、ほとんど「自死遺族の生の声」をそのまま忠実に論文にまとめてくれていました。
同じインタビューでも、このように息遣いが聞こえるような記録になってみると我ながら自分の言った言葉に驚きましたが、、、

Aさんの卒業論文は大学内で高い評価を受け、
100人を超える同じ学部の学生の中から2人しか
選ばれない「優秀論文賞」に選ばれたそうです!

本人から喜びの連絡をもらって、思い出した言葉があります。

私が「小さな一歩」を始めようと思った原動力になった文章であり、
心が折れそうなときに、心の引き出しから取り出して思いを新たにします。

その一節

「人は死んで完全なものとなる。
なぜなら、死んだ人の命の意味は死んだ人本人によって決められるものではなく、
生き残った人たちによって与えられるものだからである。

生きている人はぼくたちに向かって「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが、
死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人はすべてを生き残っている人に託している。
生きている人は、死んだ人のすべてを受け取るように死んだ人から期待されているのである。

それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようと動く人は多い。
なぜなら、生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は、生き残った人たちのものだからである。」
(「知らされない愛について」岡 知史)

故人への強い想いがAさんを動かし、Aさんに協力した周りの人の心も動かしたのだと思います。
何より私がそれを感じていました。

Aさんの素晴らしい論文の後ろにいる、今は亡きAさんのご親族。
「よくがんばったね、ありがとう」と微笑んでいることでしょう。

2015年03月09日 20:15 |コメント|

当事者目線で考える自殺未遂者事後ケア

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今日は広島県の総合精神保健福祉センターが主催する「自殺未遂者地域支援研修会」があり、
県内の保健師、臨床心理士、精神保健福祉士などの職種の方と一緒に私も研修に参加させてもらいました。

先日、某「自殺未遂者ケア研修」で大いに落胆をしたので、正直、出席の返事をしたものの
行くまでは気が重いところもありましたが
今日の研修は、『同じテーマでもこんなに違うのか』と思わされる、学びの多いものでした。

なぜそう感じることができたのか。
それは、講師である日本医科大学病院精神保健福祉士・社会福祉士の大高康史先生が、
救急搬送された自殺未遂者に、その後1年間の継続経過観察、面接調査というように当事者の生の姿、生の声に触れている方だからでしょう。
講義の中で紹介された当事者の生の声は実感がこもったものであり、新たな気づきを多くいただきました。

言葉の端々にも、クライアントを「症例扱い」せず、一人格として尊重していることが伺われ、気持ちよく聞くことができます。

たとえば、自殺未遂を起点とした事後ケアの図式が、一般的に行政が示す図式(私が今まで大体見てきた簡略図ですが)と違っています。
一言で言うと‘当事者にどのように立ち直っていってもらいたいか’という目線で描かれています。
私はこのフローの中で「危機を生き延びた人」という着眼点が、特に気に入りました(個人的に)

この図式の中にある「安心できるよう組織されたサポートネットワーク」とは医療機関であり、行政窓口であり、地域の支援団体でもありますが相互の関係には川上も川下もなく、どの窓口に辿りついてもネットワークが連携し、必要な人が必要な支援が受けられることが本来の姿だということです。

先生の言葉の中で、しっかりと覚えておきたいことが多くありました。

「自分はだめな人間で(自己否定)、周囲も自分のことを認めてくれず(世界の否定)、
きっと将来はひどいことになる(将来の否定)というように、問題が頭の中でどんどん大きくなっていく状況の中で、「問題に圧倒されてしまい」、『死ぬしか救われる方法がない』と思い詰めて未遂に至る。」

「事後ケアしても本人をとりまく現実の状況はすぐに解決するものではないが、「安心できるよう組織されたサポートネットワーク」の存在を知ることで、『最悪の場合でも救われる方法がある。なんとかなるかもしれない』選択肢があることを知って、「死ななくても救われる」という安心感から、視野が広がり、現実と向き合えるようになる。」

当事者の1年後の声として「色々な困りごとを色々な人に相談しているうちに、いつからかわからないけど、死ぬことを考えなくなった」という話。

「(どこの部署でどんな専門領域でというのではなく)支援者1人1人が、未遂者にとっての社会資源の1つの点である、という意識が必要」


午後は、広島大学の自殺未遂者介入事業の事例から、グループワーク。
現実に合わせて「サポートネットワーク」作りを考えると、地域の保健師さんの負担が大きすぎるような気がしました。

研修の最後に精神保健福祉窓口担当者以外の参加者が自己紹介をする時間をいただいたので、
小さな一歩が「こころのシェルター」事業を開始したときに、
『安心できるサポートネットワーク』の中で、どんな役割を目指すかを少し話しました。
たとえば、公的支援窓口が、当事者に最適な「支援方法(to do list)」を作る役割を担うなら、
「こころのシェルター」は支援方法にたどりつくまでの‘閉ざされた心の整理’や、
様々な支援を、自分の心の中で整理しながら視野を広げていく’ための
敷居の低い「語りの場」でありたい、と話しました。

 

2015年03月06日 20:40 |コメント|

卒業式に亡くなった子どもの遺影で出席すること

卒業式シーズンです。

昨年夏の広島土砂災害で犠牲になった高校生の遺影を抱いて友人が入場し、
母親に卒業証書が手渡されました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150301/k10010000761000.html

東日本大震災や、事件、事故で亡くなった子供さんに対する学校側の配慮は温かい。
子どもが悲しい事件や事故で亡くなった親御さんは、きっと遺影の前で「無事卒業したよ」と報告したことでしょう。子どもさんも天国で喜んでいることでしょう。

でも、自死で亡くなった子どもの場合は事情が違う。
卒業証書は無理でも、せめて代わりに卒業式に出席させてほしい、という親のささやかな
想いさえも断られるケースが少なくありません。

学校側は「級友の気持ちを動揺させないために」という理由で断るそうです。

“動揺”ってなんでしょうね。

亡くなった理由が「悪い」から、卒業証書も卒業式出席も認められないのでしょうか。
他の生徒が自死した友人のことを思い出して“いやな気分”になる、というのでしょうか。

若い命が失われた事実も、友人がそのことに涙を流したことは一緒のはずなのに。

理屈が通っているようで根拠がない「自死」に対する嫌悪感情は、社会の中にたくさんある。


2015年03月03日 17:45 |コメント|

一足早く春の花

娘の写真の横と、墓地の花を、1週間に1度、新しくします。

いまは常春の天国にいるんだろうけど、季節感がないだろうから、せめて花を見てもらおうと。

成長期の頃、三度のごはんを整えるのに一生懸命で、ゆっくり話も聞いてやらなかったな。

いまは、ごはんを食べさせてあげることもできないけど、代わりに花はいつも新鮮なものを見せてあげたい。

先日、早咲きの桜のつぼみの枝が花屋の店先にありました。
数日でつぼみがほころんで、、、

「見える?地上界は、もうすぐ春ですよ♪」
2015年02月26日 18:38 |コメント|

繰り返し何度でも語ることで

先々週から先週まで、自死遺族支援、自殺防止に関わる会議や行事に立て続けに出席し、
自分の中できちんと整理ができないまま、流されてしまいました。

2月13日:広島弁護士会主催「自死遺族支援シンポジウム」に先立つ勉強会に講師として出席
2月14日:「自死遺族の希望の会の分かち合い」開催
2月15日:一般医療者向け自殺未遂者ケア研修に参加
2月17日:「こころのシェルター」サポーター会議開催
2月19日:広島市「わかちあいグループ交流会」にスタッフとして参加
2月21日:「自死遺族ケア全国ネット」スタッフ研修会(東京)にパネラーとして出席
       朝7時に家を出て新幹線に乗り、会議終了後帰広。帰宅11時30分

偶然とはいえ、重なりすぎだろ~(@_@;)

忙しいとは「こころを亡くす」とはまさにその通りで、1つ1つに対する丁寧な心配りが抜けてしまったり、
その場で得た「気づき」を次の出来事に紛れて忘れてしまったり。
ゆっくり準備を整える間もなく参加して、自分の伝えたいことがきちんと表現できなかったり。

何より、疲れると心に余裕や優しさがなくなります。反省です。

そんな中で、よき気づきとなった言葉がありました。
2月19日の「広島市『わかちあいグループ交流会』」の講師である鈴木愛子さんの言葉です。

鈴木さんは自死遺族当事者として、東京、富山、静岡で「自死遺族の分かち合い」のファシリテーターを長く続けている方です。

交流会の後のスタッフミーティングで
新しく来る人と毎回のように来る人との話の調整のことが話題に上りました。

鈴木さん
「何度も来ていて、『毎回来るたびに、同じ話をするたびに悲しい気持ちに立ち戻される』
と言われる人もいるけれど
その方の、自死について語る言葉は、毎回同じではないはずです。
初めは何十分もかけて自己紹介をしていた人の言葉が、10分になり、5分になっていく。
これは、その方にとっての“自死”が、自分自身の言葉として整理されていく過程なのです。
これが「自助」というものです。他人の助言や専門家でなく、自分自身で『喪の作業』をしていくのです。」

自死遺族の自助グループに来る方のうち半数以上は、2回以上来ないとも言われます。
1回吐き出して、心の澱が整理できたから、2回以上は語る必要がない、と思う人もいるでしょう。
1回来てみたら期待していたような場でなく、2回以上行きたくなくなった、という人もいるでしょう。
でも、心の中にある苦しさや悲しさ、後悔の想いは簡単には消せないはず。
「悲しみの場に出かける」のはしんどいことだけど、繰り返し自分自身の言葉で語っていくことで
自分の中にこれらの感情の「居場所」を作ってあげられるのではないでしょうか。

消えないものだからこそ、大事に居場所づくりをしてあげたい。
そのために、自助の分かち合いがあるのだな、と改めて思いました。

19日の夜は鈴木さんと2人で広島料理を食べ、大いに語り、大いに励まされました。
2015年02月23日 14:34 |コメント|

何でも、始めは小さな一歩だよね

先日、うれしいことがありました。

以前から週に1回訪問している、心因性難病を持つAさんとお話しをしていました。

Aさんは一人暮らしで、外出ができず、頼りになる身内もいないため、
いつも孤独と「1人の時に何かあったらどうしよう」という不安を抱えて暮らしています。

特に、祝日で、いつもなら訪問するヘルパーや訪問看護師が来ない日、
誰も自分のそばにいない、という不安と寂しさがとても強くなる、ということです。

でも、心的障害が原因で「車に乗ると恐怖感の発作が起きる」と言われていました。
そのため車を利用した遠出の外出ができない、
だから「人に会うための外出も無理」と言われていました。
私が「車で送迎しますよ、車に乗れる練習につきあいますよ」と言っても、首を縦に振りませんでした。

先日、私は、「こころのシェルター」の計画の話をしました。

「Aさんのように、1人で過ごす孤独や心細さが強い人こそ、この場にお連れしたいのですよ。
そこに来られたら、色々な人と、無理なく自然に話かけたり話しかけられたり。
皆で、温かい食事を囲んだり、疲れたらお昼寝をしたり。
そんな風に、『家庭の茶の間』にいるように自然に人と触れ合うことができるのですよ。
「こころのシェルター」について考えるとき、いつも貴方のことが頭に浮かぶのですよ。
でも、それは車に乗れるようになったらね。
無理ではなくね、少しずつ近距離から。だんだんと距離や時間を増やしていって、平気になったらね。

今は無理でもね、『少しでも練習してみようか』と思ったら、いつでも一緒に練習しますよ」

Aさんが、ふっと言いました。
「今日はどこに車を停めているんですか?」
「え、近くのスーパーの駐車場だけど」
「今から練習してもいいですか?」
「ええ、もちろん!!」

雨の夜でしたが、急きょ、初めての練習になりました。
5分間くらい、Aさんの家を出て近所の道を車で走りました。

「気分はどうですか?」
「今までは、緊張して、乗った途端、動悸が激しくなったり頭が痛くなったけど、
今日は短時間だとわかっているから大丈夫です」
「それはよかった。少しずつ、距離を伸ばしていけるといいね」


Aさんを家に送ってから家路につきながら
「小さな一歩だよね、これも」と1人でうれしくなりました。


 

2015年02月18日 16:39 |コメント|

「自殺未遂者ケア研修」

某日、某「自殺未遂者ケア研修」に出席しました。
主に医療機関従事者を対象としたセミナーだったようです。

昨年広島県が行った「自殺未遂関係者研修」でもそうでしたが、自殺未遂者に直接携わる医療現場の人が少数で、自治体の保健福祉担当者が多い構成でした。

午前中は講義、午後からワークショップ。
3つの事例について各グループで話し合う形式。
1つ目は「仕事に行き詰ってうつ病を発症し、自宅で縊死を図った50代男性。精神科の受診を拒み、退院を迫るケース」
2つ目は「精神的に不安定な20代の女性が恋人と不仲になって過量服用で自殺を図り、病院でも勝手な言動で医者や看護師を困らせるケース」
3つ目は「統合失調症の20代男性。病院に搬送されて暴れているケース」

「手こずる患者への、トラブルにならない対処を学ぶ」学習、と見えました。

事例を見たときからいやな予感がしていたけど、
グループワークをしながらどんどん頭が痛くなってきました。
その事例が娘と一部一致していたからではなく、

そのケースに対して、医療機関側の人たちによって交わされる言葉の端々にある、
「もともと性格や生き方に問題あり」「家族ももてあましている」「アピール行為(注目されたい からしている)」「依存性と操作性(人を自分の思い通りに操作しようとする病的傾向」
などの言葉の一つ一つが、ぐさぐさと胸を刺しました。

怒り、とは違う。「ああ、医療の側の目線はこうなんだ、これが彼らにとっての『正しい知見』というものなんだ」という悲しさや虚しさが胸を覆いました。

娘の死の1年後にカルテの開示を求めに行ったとき、そのときの担当医に言われた
「娘さんは、構ってほしくて狂言自殺をしたんだ、半ば覚醒していたのに意識のないふりをしていて、同情を引こうとしたんだ」
という言葉がこだましました。

私のように、自死遺族がいることをシナリオ上予想していなかったのでしょう。
 

私は精一杯
「この女性は病気ではない。精
神科での投薬やカンファレンスを目的としたカウンセリングより、
ここまで追いつめられた経緯や生きづらさをゆっくり聞いてあげる傾聴が大切だ。」
とグループ内で意見を言いましたが、各グループ発表で同じような意見は出ませんでした。

司会者がこの女性のケースを、「精神疾患というより人格障害」と認めながら
「この人を『精神病院に送るべきか』、論じるまでもないですよね(笑)」。時間が押していたから。

また、50代の男性のケースでは
「わりと男性って、救急には来なくて、直接警察に行くことが多いですけどね」
(つまり未遂が少なく、完遂することが多いということ)と、司会者がさらっと言っていました。

講習会で配られた資料には
「来院した自殺未遂者のケアQ&A」「自殺未遂患者への対応」2つのマニュアルがあり、
立派な建前が書かれていました。

研修の最後に「自死遺族への対応」について15分くらい講義がありました。
急に、敬語を駆使した、丁寧な口調になりました。

そらぞらしいとしか感じられませんでした。

2015年02月15日 17:40 |コメント|

訴えることができない者の悲しさは

3月9日に広島弁護士会主催のシンポジウムが開催されます。
テーマは「自死遺族の直面する問題と考える」。副題は「弁護士やこころの専門家にできること」。

(詳細は⇒「関係団体の開催情報」http://chiisanaippo.com/infomation.html

これに先立ち、今週の金曜日に1時間ほど、自死遺族の立場で弁護士会の勉強会で話をすることになりました。

何を話そうか、と悩みます。

法律の“専門家”やこころの“専門家”、精神科の“専門家”、行政の“専門家”。。。
“専門家”とは「専門の資格や職業的な立場を持つ人」で、専門的な助言や手助けをしてくれる人、と考えます。


私は娘の自死のあとで、専門家の支援をいただいたことがありません。

法的な手続きを求めたこともありません。
娘の死に関して、法的に誰かを訴えたり真実の究明につながることはありませんでした。
個人的には発狂するほどありましたが、それを突き詰めると犯罪を犯しそうでしたから。

精神科医にも行きませんでした。

娘が死の前2ヶ月間に、精神薬の副作用で体が消耗し、ふらふらになりながら
「でもこれは元気になるために必要だから」と薬を続け、
最後には、その薬の多剤服用で未遂を図り、その後、精神的に錯乱し、投身して死んだから。
恐ろしくて向精神薬など飲む気になりませんでした。

「うつ病チェック項目」は全てあてはまっていたけど、
「娘が自死して、うつにならない人なんかいるもんか。チェックもなにもあるもんか」思っていました。

行政の窓口に相談にも行きませんでした。
私の望みは1つだけ、絶対にかなわないものだけ。相談しても解決しないもの。

2011年は自死者が3万人を超えていて、国をあげて自死防止への取り組みが活発化していました。
その中で、失業や借金を苦にした死、過労自死など「自殺は社会的に追い込まれた末の死」というスローガン(?)が上がりました。

また、3月の東日本大震災の爪痕が大きく、テレビや新聞では多くの家族を亡くし、
家や財産も失った方の悲嘆の姿が毎日のように報道されました。

そんな世相の中で、
私は肩身が狭い思いをしていました。

「社会的に追い込まれた末」でない娘の自死は、なんだというのだろう。
東日本大震災の犠牲者の方々の姿を見ると、「娘しか失っていない」自分、
自殺未遂を図った娘を見殺しにした自分は
誰かに訴えたり、助けを求めたりする価値がないのではないか。

「訴える価値のない人間」だという思いの中で、できるのは祈ることだけでした。

でも、娘が多剤服用で救急病院に搬送された夜から次の日の朝に起こったことは
消しても消しても消えない。

結局、自分で贖罪の道を探し、いまもその道を歩いています。

 

2015年02月10日 12:01 |コメント|

心の中に優しい人の存在を持つ

本日1月31日、広島いのちの電話主催の公開講演会
「人はなぜ死にたくなるのか、そして死ぬのか ~私たちはどう支援できるのか~」を聴きに行きました。
講師は、鑪幹八郎先生。日本を代表する心理学者、精神分析家、教育学博士であり、
私が学ぶ「広島カウンセリングスクール」の理事長でもあります。

「いのちの電話」スタッフの方向けに語られたので、電話口の場面を想定されていましたが、全てに通じる話でした。

ここに書く内容は、私自身が今日受けた教えを忘れないようにとどめておくためのものです。

○自分の心の中の支えがなくなる時、人は「死にたい」と思う。
  自分を支える大切な人を失くした時。
  自分の名誉を傷つけられ、屈辱や侮辱を感じた時。この「名誉」「屈辱」とは“外”にあるものでない、
  “内なる自分の中”にある。他人がきめられるものではない。
  不治の病で生きる希望を失ったとき。 
  精神疾患によるもの。特に自分の意思とは無縁に、「死ね」「飛び込め」といった
  内面の声に動かされたとき。

○心の中に「もう死ねと叫ぶ人」がいたらどうしようもなくなる。

○黙って自死する人もいるが、「死にたい」と声に出す人は、「助けて下さい」「生きたい、でもどうしていい
 かわからない」と訴えている。 (Cry for help) そういう人には「何がないのか」?心
 の中に、自分を支え、見守り、認めて「それでいいんだよ」と認めてくれる「やさしい人」がいない。
 「やさしい人」が心の中にいないと、帰る場所がなく、生きていくための「足元が定まらなくなる」。
 家族や友人がいても、心の中は一人ぼっちで空っぽ。雪の中で寒さにふるえ、小さく丸まってしまっている。

○怒りの感情が表に出る人もいる。表面では「怒り」だが、本当は「何で自分が一人ぼっちなんだ」
 「何で誰も助けてくれないんだ」と孤独の叫びをあげている。

○そのような人が求めているのは「やさしい声」だ。
 やさしい声で話を聴いてもらっているうちに、消えていたり、忘れていた「やさしくされた経験」が
 呼び起されてくる。
 元気な時には忘れていた、「大事な人」のことを思いだす。ろうそくの灯がともるように。

○でもまたしばらくたつと、その灯が消えてしまう。消えるとまた電話したくなる。
 たびたびCry for helpがかかるのはそのためだ。

○元々、心の中の「やさしい人」の影が希薄な人もいて、電話口の声を頼りに自分で
 これから作っていかなくてはいけない。
 そういう人に心のやさしさが取り戻されるのには十分な時間をかけることが必要だ。

○神棚や仏壇、位牌の前で亡き人と話すのも心の支えになる。大事な人のイメージが回復し、
 「やさしい声」が聞こえるからだ。

○教会で神様に話すのもよい。心の中の支えになる。自分との会話になっている。

○傾聴に必要なのはテクニックより真心だ。
 バレンタインデーのチョコレートに例えると、値段が高いほど喜ばれるのではない。
 100円のチョコレートでも真心がこもっていればうれしい。
 具体的に言うなら、電話口で「あなたが主役よ、私は脇役よ」という気持ちが伝わる聴き方をすることだ。

自死の原因は、色々な調査や研究の結果が発表されてきました。
「自死とは社会的に追い込まれた末の死」と定義されたこともありました。
が、これほど、私個人にとって“なぜ娘は死んだのか”、“死の淵にある人に必要なことは何か”
「腑に落ちた」話は初めてでした。

 

 

2015年01月31日 16:51 |コメント|

24日は亡娘の誕生日でした

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1月24日は亡娘が生きていたら29歳の誕生日でした。
家族だけで、教会の牧師先生にお願いし、追悼の祈りをささげた後、墓地に行きました。
娘に似合うような、かわいく清楚な、明るい花をささげました。

29歳。あと1年で30代になっていた。
どんな生活をしていたでしょう。

結婚して子どももいたかな。
仕事をしていたかな。
一緒に住んで、買い物に行ったりしていたかな。

私はどんな生活をしていたかな。
その日その日あったことを難しく考えるでもなく過ごして週末には映画やジムに行っていたかな。
娘とは相変わらず、喧嘩したり、心配したり、いらいらしたりして
夫に愚痴をこぼしたりしていたかな。

そんなふつうの生活をしていたかな。

3年前の誕生日に教会墓地に納骨をし、
「これからは天国で、神様に新たな命をもらって生き直すんだよ。」
神様にうんとかわいがってもらうんだよ」と言いました。

だから天国年齢では3歳です。

おだやかな小春日和でした。



2015年01月27日 20:58 |コメント|