広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

「死にたい」と訴えられたら

思春期の子どもの「死にたい」気持ちが強く、何度も自殺の手段を入手しては未遂(の未遂)を繰り返す、と
訴えの電話が同じ人から何度かかかった。

様子を聞いてみると、「死にたい」という気持ちは、
今自分が置かれている状況が、二者択一しかなく、左に行くのが「正しい道」、でもしんどくて歩く力がない。
右に行くと「楽かもしれない」、でもその道を選ぶ自分が情けなくて許せない。
どちらの道もつらい。だから「もう死んだ方がいい」。そういう気持ちだという。

心療内科では「病名」はつかなかった。また、希死念慮が強いクライアントに対して、心療内科は「腰が引けている」とのこと。


客観的な大人は言うだろう。
「そんなに思いつめなくてもいいじゃないの、左の道がつらいなら無理せず、気を楽にすれば。
人生、いろいろな選択肢があるんだから。左の道で成功しなくても、立派に生きて幸せになっている大人はいくらでもいるんだから」

その声は、本人には理屈でわかっていたとしても、心には届かないだろう。

暗闇で三叉路を見つめるように、二者択一しか見えなくなり、他の選択肢にまったく目がいかなくなる。
「ダメなら生きていても仕方ない」と思い込んでしまう。
周りがどんなに「こっちの道があるよ!」と声をからしても耳に届かない。
 

そんな時、近親者ができることは、とにかく耐え忍ぶしかない。

まず、自宅が高層階にないこと、縄を結べそうな鴨居や梁がないことを確認した。
刃物や火の元はすべて目の前から隠すことを言った。
「とにかく目の前に自殺の手段を入手しないように細心の注意を払ってください。
お子さんなんと言われようと、手段を入手しているようだったらすぐ捨ててください。」まずそのことを話した。

「死にたい気持ちは否定したり責めたりしないで、でも断固として実行させない覚悟を見せてください。
『あなたが死んだら、どれだけ私がつらいか』、本人の心に届かないとあきらめずに語り続けてください。
時として、寄り添う人間の方が気力がなくなって、キレそうになるけど、辛抱です。
歯を食いしばっても感情にまかせた言葉を言ってはいけません。
本人の心の中には、暗い暗い穴があり、その中に吸い込まれそうになる。嵐のような衝動が襲ってきて、
その嵐に身をゆだねた方がいっそ楽だと思っているのです。
その嵐を本人以外の人間が説得して失くすことはできません。
でも、その嵐が去るときが必ず来ることを信じて、辛抱して、備えをして、時を待つしか、横にいる人間にはできないのです。」

そう言うのが精いっぱいだった。
これはすべて、私が娘にすべきだったこと、そしてできずに死なせてしまった後悔からくる思い。
本人の年齢を聞いて、青少年のメンタルケアをしている(はず)自治体の精神保健福祉窓口に相談することを勧めた。

「すぐ来て!私が子供さんの話を聞くから!」と言えない自分の自信のなさを悔しく思った。

どうか、必死の親の思いを「専門機関」がきちんと受け止めて、必要な支援の手を差し伸べてほしいと思う。

2015年05月20日 18:23 |コメント|

自然のチカラに包まれる

おととい(5月9日)、「こころのシェルター」改め「こころのともしび」のスタッフミーティングを
豊栄の「もりのおうち」で開きました。
まさに季節は新緑、新芽の季節。
むせるような若葉の香りと、垂涎ものの山菜の芽、初夏の陽光、山を渡る薫風に囲まれた「もりのおうち」は
人知を超えた、自然が持つ「癒し」の力にあふれていました。

 

ああ、自然は大きい。
人間は自然のほんの一部で、
大きな自然の一部である人間の、その一部である「こころ」や「ことば」は
大きなものに包まれると安心感が体に満ちてきて、乾きが潤ってくることを感じる。

「もりのおうち」よ。いろいろな人の心をいやしておくれ、と呼びかけました。

午前中雨だったので、庭のバーベキューは屋内の鉄板焼きに変更になりましたが
スタッフの手作りの調味料やお料理が絶妙で、いい大人が競って食べてしまいました。

「やっぱりワイワイ言って食べる食事はおいしいね、「こころのともしび」でも大切にしたいね」と話し合いました。

ミーティングで
正式名を「こころのともしび」と決めました。(ラジオ番組に同じ名前がありますが、商標上は問題ないそうです)
パンフレットデザインの原案をスタッフのご主人であるデザイナーさんが制作してくれましたので
みんなで話し合い、ロゴマークとデザインについてリクエストしました。

オープン後のスタッフ間のシフトを具体的に詰めました。

「こころのともしび」、スタートまじかです。

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2015年05月11日 19:43 |コメント|

父が遺した「生き様」という遺産

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今日は父の2回目の命日でした。

父は1984年に、会社に在職中からクリスチャンパートナーズという、発展途上国の貧しい児童や学生の学費援助を行う国際ボランティア団体http://partnersinternationaljapan.blogspot.jp/
の日本支部を設立し、20年間近く理事長を務めました。
その間、自費を活動に投じてアフリカやアジアの各地を回り、現地の宣教師や子供たちとの交流を続けていました。

マザーテレサにお会いしたこともあります。

2012年に、全ての役職を後進に譲り、86歳で本当の隠居生活を始めた途端、足が不自由になり、その後、身体のあちこちの機能が急激に悪くなっていきました。

父は不自由な体になってからも、私が始めようとする「小さな一歩」のNPO法人化を気にかけてくれ、
1つの通帳分のお金をそのまま寄付してくれました。
しかし残念ながらNPO設立の直前の2013年5月5日、87歳で腎不全で天国に召されました。

死後に遺産を整理してみて、新入社員の年収程度のその貯金は唯一にも近いものであり、
他にまとまった金額の現金は貯金も保険金も株券も、何もありませんでした。

定年時にはある程度まとまった金額だったお金はほとんどすべて、
クリスチャンパートナーズの活動に費やしたのです。

父が残したものは、貧しさから教育機会に恵まれない子供のためにお金や労を惜しまず投じる
生き様だったと思います。

そんな父の生き方を、今になって私は誇りに思うようになりました。

父の死は娘の死から2年後で、今よりずっと娘の死が肩にずっしりとあった私には
「やりたいことをし尽して寿命で天に召された」父の死は、むしろ幸せな最期だったと思われました。

でも、今、小さな一歩の活動を進める毎日の中で、父のことを思うことが少なくありません。
もっといろいろ教えてほしかったし、見守ってほしかったと思います。

厳格で生真面目な一方で、お菓子が大好きだった父。
遺影の前に飾られた「どうぶつビスケットに囲まれて、なんだか可愛らしく見えます。

 

2015年05月05日 19:54 |コメント|

7年間支えてくれてありがとう

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4月30日、中区幟町の事務所から西区庚午北の新しい事務所に引っ越しをしてきました。
会社の事務所として7年間、小さな一歩の事務所が間借りしてから2年間。

元々幟町の事務所に来たのは、当時の不況で会社の経営が危なくなり、
閉鎖しようかと思いつめていた時に、その部屋の持ち主の取引先の社長さんが、
「古いマンションだけど、特別家賃で貸してあげるから、越して来たらいい。もう少し頑張れ」と励ましてくれたから。
周辺の家賃相場の半額に近い家賃で借り、その上「小さな一歩」の事務所まで居候させてもらう、
本当に好意に甘えっぱなしの7年間でした。

新しい事務所も、ビルオーナーの特別な好意で、相場よりかなり安い家賃で借りられることになり、
1フロアを2分し、会社の事務所と、小さな一歩の事務局兼「こころのともしび」を半分ずつ使う
私は両方の事務所を自由に行き来できる、という特別仕様の内装に仕上げてくれました。

会社の方は創業23年目を迎えました。
やめたい、と思ったことは数知れず。
特にこの4年間は「何のために会社をするのか」ではなく、
「なぜ会社をやめる決心ができないのか」と、だらだらと仕事を続ける自分を責め続け、
朝、「今日こそはスタッフに『会社を解散します』と言おう」と、それぞれに語り掛ける言葉まで決めたのに
出社直後から対応や処理に追われているうちに言うタイミングを逃して、、、という日々が数知れず。

なぜ会社をやめることができなかったのか、との答えは結局はっきりしなかったけど、
4年前は身体を引きずるように出社し、抜け殻のように仕事を続けていたけど、
でも会社の仕事がなくて、家に閉じこもっていたら、きっと私はアルコール依存症になっていたでしょう。
そこに私の「居場所」があったことは確か。
無言で私を支え続けてくれたスタッフがいたことは確か。

「こころのともしび」事業を本気で支えるためには、
家賃や光熱費などの経費を担う「会社」を続けることが必要だという答えがはっきり出たいま、
弱気や迷いを捨てて、新しい地で、新たな気持ちでスタートします。

 

2015年05月01日 19:30 |コメント|

自死遺族である自分と戦いながら書いた卒業論文

少し以前、小さな一歩のメンバーである大学生の自死遺族が「自死遺族の抱える困難」をテーマ
に卒業論文を書いたお話をブログに取りあげましたが、
先日、ご本人から論文を公表してよいと了承をいただいたので、あえて全文をpdf版でアップします。
全81pのうち、自死遺族2人のロングインタビューを丁寧に再現した3~4章、その結果に本人が考察した5章が40pという力作です。
(3章 米山34~49p、4章 佃祐世弁護士50~66p、5章 考察67~75p)

全文PDFはこちらから
改めて読ませてもらって、自分が語る以上に、自分の想いが生のまま再現されていて、
(雑な言葉づかいまでそのままです)、自分は他人に、こんなふうに語ったのか、と驚くほどです。
(が、確かに言ったことです)

わが娘も2年前に自死をテーマに卒論を書きました。
そのときも、「あとがき」をブログに乗せたので、今回も一部を紹介させてもらいます。

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おわりに

 

 本研究は、自死遺族の現状を明らかにし、死の受容のあり方について整理し、自死遺族支援の在り方や自死遺族会の役割を分析する、といったことが目的であった。しかし、研究動機は、父が自死して自分が自死遺族になったため、という甚だ私的なものである。

 

今振り返ってみると、父の死後、普通の大学生活を送って元気に生活しているつもりでも、当時の私には、大きな負担がかかっていたのだと思う。私は、自死遺族当事者だけれど、この人は自死遺族だ、支援が必要だ、かわいそうな人だ、などと思われたくなかった。弱い自分を見せたくなかったのである。そのため、学校では何事もなかったように振る舞い続けたし、実家や親戚内では、いつでもしっかりしている娘としての役割を果たそうと必死だった。父の葬儀のとき、親族代表挨拶を述べたのは私である。毅然とした自分、動揺を示さない自分を必死に振る舞っていた。当時は、意識してそう振る舞わないと、自分を保てなかったのかもしれない。

この研究をしたいとおぼろげながらにも思い始めたのは、父の死後4か月ほど経過した頃だったように思う。だが、このような私的動機で研究をするのは不純かもしれない、と考えてもいた。ある人に相談した際、私は思ってもみない返答が返ってきた。「不純で構わないと思いますよ。多くの人が不純な動機に秩序を乱されて生きづらいから研究をするのだと思います。その生きづらさがある程度共感を得られる問題で、その解決策に考えさせるところがあれば、それが素晴らしい研究になるのだと思います」と言って、「だから、不純などと言わずに、向き合える限り向き合ってください」と応援していただいた。私は、その言葉に非常に勇気づけられ、このテーマで研究してもいいのかな、と思えるようになっていった。

しかしながら、研究するということは、同時に自分との戦いでもあった。先行文献を読む度に、自分のふがいなさややるせなさを認識したり、自死遺族の手記を読む度に涙を流したりした。自死遺族関係者に会うたびに、父のことを思い出していた時期もあった。私が自死遺族であることを知らない人から、「なんでそんなに重いテーマを選んだの?」、と言われ、答えをはぐらかしたことも1度や2度ではない。

 もちろん研究は、自分が当事者であることを認識しながら、第三者的視線を持つことも大切であった。私は、自分が客観的な視点を持ちながら研究ができるのか、という点は、常に意識していたことであった。自死に関して私は一般人とは異なる感覚を持っている。自死遺族が自死遺族研究をすることに関して、自死遺族からは、「自死遺族しか書けない研究ってあると思うのよ」、「先行文献を読んでいても、当事者だから気づく違和感とか、あると思うんですよ。それを大事にしてもらえたら」、などと温かい言葉をいただいた。こういった言葉は、研究を継続するうえで本当に励みとなった。

このように振り返ってみると、私を支えたのは、自死遺族会で実際の自死遺族と交流するということが大きかったように思う。1人でいると無性に悲しくなったり、やるせなさが沸いてきたりもするが、自死遺族会で遺族に会う度に、自死遺族当事者からの生の声、悲しみの深さ、止まない自責の念などを肌で感じ、それによって研究への意欲を新たにしていた。私にとって自死遺族会は、同じ悲しみを共有できる仲間に会いに行く場所でもあり、勇気をもらう場所でもあった。

(中略)

さて、自死遺族研究をして何か自分の気持ちや父への思いが変わったか、と問うてみると、実はまだはっきりとした答えを持ち合わせていないように思う。ただ1つ言えるとすれば、自死遺族会への参加を通して、父が自死し、自分が自死遺族であることを公表することへの抵抗は、徐々に徐々に薄れてきたということだ。だからと言って、むやみに公表するわけでもないが、「自死を語れる死にしたい」という思いを持つ筆者にとっては、1つの前進だと考えている。

また、新しい生き方を見つけて活躍している自死遺族の方々と知り合えたことで、自分が今後どのようにして生きていくのがよいか、自分の将来を思い描いたときに、その選択肢となりうるようなモデルができたことは、今後の自分に生きてくると思う。


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ご本人、これからも大学院で研究を続けながら「小さな一歩」の分かち合いもお手伝いしてもらえるとのこと。

私と違い、これから、長い将来の人生の道を歩んでいく。
色々な迷いも挫折も経験するかもしれません。
つまづきそうなとき、亡きお父さんが、道先を照らしてくれることを祈ります。

2015年04月22日 19:10 |コメント|

がんばれば何が報われるのか

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70代のお母様を自死で亡くしたAさんのお話を
聞きました。

長い年月、シングルマザーとして頑張って生きてきたお母様。「他人に迷惑をかけない」生き方を信条としてきました。

家庭内の事情がもとで心労が重なる中、お母様はがんを発症します。
Aさんはお母様の体を心配して色々な声掛けをしますが、お母様は黙っていることが多かったといいます。
 

しかし、お母様のがんは、主治医が驚くほど、奇跡的に回復し、
数か月後には「体内にがんの反応がなくなり、ほぼ完治し」(Aさん)退院ができたのです。

「よかったね!」と声をかけるAさんでしたが、やはりお母様から返事はありません。

マンションの4階からお母様が飛び降り、亡くなったのは退院からわずか1週間後でした。


Aさんは1年近くの間「なぜ、病気が治った直後に自死したのか」と毎日のように自問を続けています。

「もしかして、だけど。
長年の苦労や人間関係のもつれで、生きる気力を失っているときに、がんを発症して
『ああやっと、逝ける。自然な形で、人に迷惑をかけず人生の幕を閉じることができる』と思っていたのかもしれない。
なのに、『病気で死ねなくて』、もう自分で幕引きをしたい、と思い詰めたのかもしれない。

母は、人に迷惑をかけないことを何より信条にしてましたから、
『多くの人に迷惑かけて長生きするより、まだ自分で自分の体を動かせるうちに自分で命を絶ちたい』と。
発作的にそう思ったのかもしれない。」

長い時間話し合った後、Aさんはそんな推測の結論を絞り出していました。

もし、Aさんの推測どおりだとしたら「人に迷惑をかけない」人生の結末として、あまりに悲しい。
人は、苦しければ苦しいほど、乗り越えた先に「何かいいことがある」ことを期待してしまう。
Aさんのお母様には「がん」を乗り越えた先に、何が見えていたでしょうか。
「人に迷惑をかける老後」しか見えなかったとしたら、あまりに悲しい。

Aさんの「なぜ?、なんで?」は簡単に終わらないのでしょう。
私は娘の直接の死因を知っているようで、やっぱり「なぜ?なんで?」と思ってしまう。
多くの自死遺族が、そう思っている。そしてその答えを暗闇の中で問いかける。答えてくれない人に向かって。

 

2015年04月14日 15:59 |コメント|

永遠の命と再会を信じる

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4月5日はイースター。キリスト教会ではクリスマスと並ぶ祝祭日です。
イースターは、イエスキリストが、十字架の死から3日後に蘇り、天に昇ったことを祝う日であり、
キリスト教信仰の中心でもある「復活信仰」を象徴する祝いの日です。

キリスト教徒は、亡くなった人が天国に昇り、永遠の命を与えられていること、
生きる自分もいつか天国の門に入り、そこで先に昇った人との再会を果たせることを信じます。

そのためこの日に教会では墓前礼拝を行います。
昨日は前夜からの雨もやみ、穏やかな薄日が差す中での礼拝になりました。

教会の墓地では、毎年4月のイースターと、11月にこのような墓前礼拝が行われます。
その都度、多くの人が故人をしのび、敬い、祈り、讃美歌を歌います。
きれいな花で埋め尽くされます。

娘の死後、埋葬場所に迷った私ですが、この地に安らげてよかったと思うのです。
納骨のとき、半分はこの墓地に、半分は手元に残し自宅に安置しています。
半分は神様に託しました。半分はいつか自分が埋葬されるとき、横に置きたいと思ったからです。

私が4年前、生きていること自体への罪悪感で押しつぶされそうだった頃、
この復活信仰を信じきれず、牧師に尋ねたときの答えは

「死後に魂が復活して、先に天国に行った人と再会できるかどうかは、生きている間はわからない。
死んでみないと本当はわからない。
でも、「きっとまた会える」と信じることで生きることが楽になるなら、信じましょう。それでいいんです。」
というものでした。

意外なほどサバサバとした答えで、かえって気が楽になり、信じてみようと思いました。

毎日の祈りの中で
「御国で永遠の命を与えられている娘が、いつも私を見下ろし、私の歩みを見守ってくれていますように。
私の活動を応援してくれていますように。時には降りてきて私とともに歩んでくれていますように。
私が御国の門についたとき、必ず忘れずに迎えに来てくれますように」と祈ります。

小さな一歩の活動も、この思いがなければ始まっていないし、続いていないでしょう。

 

2015年04月07日 00:37 |コメント|

喜びも悲しみも幾歳月

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昨日は実家の静岡で姉の息子である甥の結婚式がありました。

4年前には私の娘が、2年前には父が亡くなり、
哀しみの気持ちで親戚が集まることが重なりました。

それはそれで、ふだんは日本各地に分かれている親族が心を1つにして、哀しみに寄り添いあいましたが、
久しぶりに慶びの気持ちでみんなが心を1つにしたことは、感慨深いものでした。

多くの家族がそうであるように、この家族にも色々なことがありました。
だからこそ、この場所で、それらの歴史が洗い流され、
若い世代の者たちのための家族の新しい歴史のスタートを分かち合いました。
この日まで姉がたどってきた心の道のりが走馬燈のようによぎり、涙がにじみました。

また、改めて、親にとって、
子供を新しい家族に送り出すことは大きな人生の達成なのだな、
子供の結婚式は親としての卒業式なのだな
と思い、
娘をそのような形で送り出してやりたかった、と思いました。

紺碧の空でした、美しい新郎新婦でした。

2015年03月29日 14:56 |コメント|

ネガティブ思考とのつきあい方体験セミナー

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先週土曜日(3月21日)、金森文雄先生を講師に招いた「ネガティブ思考との付き合い方体験セミナー」では32人の参加者が,みなさんとても熱心に話を聞いていました。

ネガティブ思考とは‘状況'から‘頭の中に自然と浮かんでくる考え'=自動思考。
これを「8匹のユガミン」に例えて説明されました。

「シロクロン」
物事を白か黒か割り切り、完璧さを求めさせるユガミン。
このユガミンが大きくなると完璧でないと納得できないため、自分の行いに少しでも満足できないと、「これは失敗だ」とか「自分はダメだ」などと判断して自身を失ってしまう。
「フィルタン」
物事の悪い面ばかりが目につき、よい点やうまくいったことなど他のことを見えなくさせてしまうユガミン。
このユガミンが大きくなると、悲観的なフィルターを通して自分や世の中を見て、気分が暗くなる。
「ラベラー」
物事や人に「○○である」と否定的なラベルを張り、一度はったらはがさないユガミン。。
このユガミンが大きくなると、あらゆるもの(自分自身)に否定的なラベルを張り、そのラベルから浮かぶイメージに振り回されて冷静な判断ができなくなる。
「マグミニ」
自分の失敗や短所を実際より大げさに考えて、反対に長所や成功を実際より小さくとらえさせるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、些細なミスや失敗を大げさに考えすぎて鬱や不安になったり、自分の成功も「できて当たり前」とポジティブに評価できなくなる。
「ベッキー」
自分や他者に対して「○○すべき」「○○でなければならない」と考えるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、ルールに縛られて生活が窮屈になたり。自分や他者の失敗が許せず怒りや緊張を感じやすくなる
「ジーブン」
よくない出来事が起こると、自分に関係がないに関わらず自分のせいだと考えるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、悪い出来事に対して自分のせいだと自分を責めてしまうため、自分のことが嫌いになってしまう。
「パンカー」
わずかな出来事を根拠にあらゆる出来事が同じような結果になると一般化しすぎるユガミン。。
このユガミンが大きくなると、厭なことが繰り返し起こっているように感じてしまうため、落ち込みやすくなる。
「ジャンパー」
確かな理由もないのに、意識的な思いつきを信じ込んでしまうユガミン。。
このユガミンが大きくなると物事が確実に悪い結果になると早合点してしまうなど、よくない結果を先読みしてしまい、不安定な気分に苦しむ。

ユガミンについて詳しく知りたい方には「認知療法トレーニングブック」(竹田伸也著)も発売されています。
(→本の紹介はこちらの「アマゾン」サイトにあります)
 

「ユガミンが大きくなるイメージ」として、両掌を目の前に近づけ、「他の景色が目に入らない」ことを実感しました。
「無理にユガミンを排除しようとするイメージ」として、隣の人と手のひらを合わせて力を入れて押し合ってみて、「これを24時間続けていると疲れる」ことを実感しました。

必要なのはユガミンと真っ向勝負を挑んで撲滅しようとするのではなく「ユガミンにとらわれないような『行動』をすること」。
自分の体や心をリラックスさせたり、自分の思考に集中して向き合うこと。

その実践として教えてもらったのが
まず「スマイルエクスサイズ」。「笑い」は、副交感神経の働きを高め、体内の代謝をゆっくりおだやかにし、リラックスさせる効果があります。
また、体は本物の笑いと「つくり笑い」の区別がつかず、健康への効果は同じなので、
おかしくなくても「笑う体操」をするだけで十分な効果が得られるとのこと。

そこで色々な「笑いのポーズ」を実際にやってみました。
不思議なことに、会場全体で「作り笑い」をしていると、本当に心から笑えてくるのでした。
「笑いのポーズ」自体が背伸びの運動などで、とてもいいストレッチになります。

次に「3種類の呼吸法」。片鼻呼吸、ハミング、腹式呼吸。「マインドフルネス」「セルフタッピング」と盛りだくさんでした。

参加者のアンケートでも、心が楽になった、との声が多く見られ、安堵しました。

どれも、DVDを買って自宅で1人でもできるようですが、
やはり仲間がいた方が楽しそう。特にスマイルエクスサイズやタッピングタッチ。

こころのシェルターがオープンしたら、定期的に講座を開きたいなと思いました。

金森先生は三田市を中心に、タッピングタッチや笑ヨガのセミナーをされています
「カウンセリング勉強会」FBページはコチラ
 

2015年03月24日 18:17 |コメント|

答えが見つからない苦しさ

心因性の難病で外出ができない1人ぐらしのAさん。

私も週に1回話に行きますが、日常的な話し相手は週に3回の訪問看護士さん。
それが、1回あたりの訪問時間が3月からほぼ一方的に、1時間半から30分に短縮されてしまったそうです。

「自立を促すため」というのがその理由だそうです。、
地域包括支援センターの「外出支援」で、少しずつでも自力で外出できるように訓練はしていますが
パニック障害、広場恐怖症が重いAさんにとって
「自立しようと‘意志を持ってがんばれば’外出できる」とは簡単にいかない。

「パニック障害」については
http://www.hoshi.tv/cat2/post_4.html

Aさんの症状も生活状況もよく知っているプロが、いきなりの方針転換、なぜでしょうか。
しかも、Aさんの「枠」(本人の言葉による)は1時間半のままで減っていないのに、
看護士が個人的な判断で「その方がいい」と決めた、ということなのです。


Aさんは在宅医療も利用していますが、
月に1回往診する診療内科クリニックの医師に対しても、訪問看護士に対しても、
不信感と不満が噴出します。
それは
「なぜ質問に答えてくれないのか」「なぜ訴えを聞き流すのか」「なぜ一方的に決めるのか」
その答えをくれない、ということです。

そんな不満があるなら、別の機関に変えたら、とは、自分に十分な選択肢がある人間の論理。
「自分から何かを新しく変える」ことに伴う不安の大きさも、Aさんにとって大きなストレスなのです。

医師も看護士も、それなりの方針や考え方があって「そうしている」のかもしれない。
「客観的な目利き」による判断があるのかもしれない。
でもAさんが納得できていないから、私に訴えてこられる。

話を聞いて私がもどかしいのは
他人の私は、本人がいない場で、その「客観的な目利き」について聞くすべがない、ということです。
Aさんの聞き違いや思い違いがあったとしても、それさえわからない。
Aさんの話から覚える‘憤り’さえ、それが正しいのかさえ判断できない。


「自分も、外に出て色々な人と話ができる体になりたいと思っている。
でも、いまは無理なんです。せめてそれができるまで、もう少し続けてもらえないのか」

Aさんの一番の不安は「会話相手がいない」圧倒的に長い時間が、自分を「話ができない人間」にしてしまうのでは、ということ。

「勇気をもって、『自分の持ち枠は1時間半あるのだから、1時間半来てください』と看護士さんにお願いすることはできませんか?」と
絞り出すように言った私の言葉に、Aさんの表情が脳裏から離れません。

2015年03月17日 20:40 |コメント|