2013年5月28日
私は、「小さな一歩」ネットワークひろしま という任意団体を今年の2月に立ち上げ、現在主催しております米山と申します。現在、広島市に特定非営利活動法人の申請を出しており、6月前半には認可が下りる予定になっています。小さな一歩・ネットワークひろしま の主な活動内容は、自助グループによる「分かち合い」の運営です。といいましても「自助グループによる分かち合い」という言葉になじみがない方も多いのではないかと思いますので、簡単に説明させていただきますと、「同じ悩みを持った、気持ちのわかる者どうしが、お互いを支えあう会を「自助グループ」(語源は『セルフサポート』)と言います。カウンセリングと違うのは、専門家の教えや指導を借りるのではなく、「本人による本人のため会」であることです。
自助グループの起こりは「アルコール中毒患者」の自助グループから始まっていると言われますが、10年前くらいから、急激な自殺者の増加にともなって、2006年に「自殺対策基本法」が成立し、その中で自殺防止対策の一環として、「後追い自殺」防止のために、「自死遺族の分かち合い」の設立を支援したことによって、自死遺族のセルフサポートグループが多くできました。また、2011年の東日本大震災後は、震災遺族の「分かち合い」も東北地方で多く生まれています。
すでにご存じのように、日本で1年間に自殺で亡くなる方は、昨年やや減少しているとはいえ、3万人近くいて、死亡者に占める割合は、諸外国をはるかに上回っています。1人の自殺が平均5人の自死遺族を生んでいる、という統計がありますが、その計算でいいますと、年間10万人以上の人が、愛する人の自殺によって、いきなり絶望に叩き落されるのです。そして、その後も、自責感や喪失感、孤独感などから脱け出すことができず、自分がうつ病になる人が多くいます。
私自身も、2年前に25歳で娘を自殺で亡くしています。今お話ししたような悲嘆感情は私自身のものでもあります。
悲嘆感情の回復は、それを必要とする時間、また、その道筋にも個人差が非常に大きいのですが、「何が正解」というものはありません。
私の場合は、娘の命を救えなかった自分への憤りや、娘を死に追い詰めた人間関係、すがっていった精神医療機関での、無責任でおざなりな診療、などもろもろの社会的要因に対する、理不尽な怒り、そして娘本人に対する叫びなどが渦巻き、暗闇でもがくような日々が続きました。絶望の中から自分を回復させるためには、いつまでも負の感情にとらえられていてはいけない、と気づいたのが死後半年をすぎたころでした。「自分と同じような辛い思いを味わう人を少しでも減らす」行動によって、この理不尽な怒りを前向きに変えていこう、と考え、自死遺族支援と気分障害で苦しむ人やその家族のための分かち合いを運営する「小さな一歩」ネットワークひろしま の設立を決めたのは昨年の秋でした。
「小さな一歩」という名前は、苦しく辛い思いから、いっぺんに脱け出すことはできないし、無理にがんばろうとすることはよくない。でも、昨日より今日、今日より明日、というように小さな一歩をふみだす勇気を持ちましょう、という意味です。また、ネットワークひろしま、とつけたのは、1人で歩むのではなく、仲間と一緒につながって歩んでいきましょう、という思いがこめられています。また、歩という字は娘の名前の一文字でもあります。
私が最近座右の銘にしている言葉に『ペイ・フォワード』という言葉がありまして、これはアメリカ映画から生まれた言葉なのですが、「人は他人から厚意(親切)を受けた場合、その相手にお返しをしようとしますね。そうすると、その厚意は当事者間のみで完結して終わってしまいます。しかし、この“厚意”(親切)を受けた相手に返すのではなくて、次の人に別な形で『渡して』みたら、どうなるでしょう?それを、1人の人が別の新たな3人に『渡して』いったとしたら・・・」という考え方、つまり、「親切のネットワークビジネス」ですね。私が絶望のどん底にいたときに、すがるように訪ねていった各地の「自死遺族の分かち合い」でいただいた、多くの方からの温かい言葉で救われた想いを、このペイ・フォワードという形で、広島の遺族の方に広げていこうと思ったことが、この活動の原動力になっています。
特に、「心に病を持つ方と家族の会」は、あまり例がないものです。
近年、「ゲートキーパー」という言葉が流行りのように言われ、全国各地で養成講座も開かれていますが、地域福祉や保健医療関係者、カウンセリング的なお仕事を職場でされている方以外の、一般市民の方は、どうでしょうか。近親者が心の病になったときの備えとして、日頃からそのような知識と心構えを学んでいるでしょうか。みなさんはどうでしょうか。
その多くが突然近親者の心の病や、それが原因で自傷行為や自殺未遂などの行動に遭遇するのです。心構えも知識もないまま、混乱してうろたえたり、突発な行動、時には周囲に迷惑をかける行為をする彼や彼女に対してやさしくなれない、これが生身の人間の実態でもあるのです。
また、家族にも生活があります。何の知識も訓練もなく、突然、今日から優秀なゲートキーパーになれ、といわれても無理があります。本人だけでなく、家族も大きな心の負担を抱えます。
本当は、自治体や精神保健相談窓口が、このような家族も含めた支援を強化してもらいたい、というのが私の願いですが、まだ仕組みとして確立していません。そこでそのような人々に、「想いを遠慮なく語りあう」場を提供することで、医療関係者でも心理職でもない自分が、小さくても貢献できることをと思って始めたのが、この分かち合いです。単純に感情を吐露するだけの場ではなく、実際に有益となる情報、たとえば、精神科医の口コミ情報や、薬とのつきあい方、自治体の支援窓口の上手な活用、なども交換することによって、心の病の方の回復の一助になっていきたいと考えています。
ここで、皆様にお願いが2つあります。
1つは、単純なことです。「自殺事件」について、ゴシップのように話すことは避けていただきたい。自分はそんなことはしない、と思われるかもしれませんが、実際には、よく耳にします。自殺があった場所を心霊スポットのように語ったり、自殺者や精神疾患者がいる家族についてよもやま話の話題にする、ということです。私自身、私を自死遺族と知りながら、目の前で「そういや、自分の近所でも知り合いが首つりで自殺して、遺体をおろすのに警察が来て大騒ぎになって、道が通行止めになって往生したわ」といった軽口をたたかれて、耳を疑ったことがあります。近親者が自殺したことを隠している人は今でも少なくないのです。不用意な軽口が知らない間に遺族を深く傷つけていることがある、ということをご理解いただきたい。
また、これは自死遺族に限りませんが、近親者が事故や自殺、急病など予期せぬことから亡くなった遺族に対して「もう」「まだ」という、時間で区切った話をしないでください。「もう元気になった?」「まだくよくよしているの?あなたがそんなでは、死んだ人が浮かばれないよ」といった、勇気づけるつもりで言われた言葉で傷つく人は多くいます。また、「心配していたけど、元気そうじゃない。早く回復してよかったね」といった声掛けも実はその方を傷つけます。多くの人が心の中には言えない傷を持ちながら、それを表に出せず、無理に笑ったり、元気にしているからです。では、どうしたらいいの?と思われるかもしれません。黙って微笑んであげて下さい。
もう1つが具体的なお願いになりますが、来月7月20日に「小さな一歩・ネットワークひろしま」がシンポジウムを開催します。テーマは「自死遺族が自らの言葉で自死予防について語る、自死問題シンポジウム」です。このシンポジウムでは、自死遺族の全国連絡会の長であり、遺族の立場から自殺防止対策について国や自治体に多くの提言をされている田中幸子氏が講演されるほか、私やその他の遺族も、自殺防止に向けての想いや取組みを語ります。
「自殺」と聞くと、多くの方は「お気の毒に」という感想を持たれます。その裏には、「でも自分には関係ない」という思いがあります。私をはじめ、多くの自死遺族が過去はそうでした。倒産、リストラ、借金、重い病、いじめなど、社会的に追い詰められ、「死しか選ぶ道がなくなった人」がするものだと、思っていました。
しかし、そうではなく、ちょっとしたつまづきから入り込んでしまった小さな心の穴がどんどん深く大きくなって、気がついたときには、出口が見つからなくなり、精神的に孤立して死を選ぶ自殺も、特に若い人に多くなってきました。穴の入り口で、彼や彼女を大きな声で呼び続けてもその声が届かず、一人で死を選んでしまう「孤立孤独死」が増えています。最近言われる就活自殺もその一例です。
つまり、自殺は、特殊な経済社会環境に置かれた特殊な人にだけ起きるのではなく、誰の近くにもしのびより、いきなり暗黒に陥れられる、そのようなものです。
よく「若いときに挫折を経験した人の方が、それを乗り越えて強くなり、成長する」といった成長神話が世の中で語られますが、こと「自殺」についてはそれがありません。死んでしまった本人は絶対立ち直って成長したりしないし、自死遺族が、「あのときはつらかったけど、それを乗り越えて強くなって、いまは生前より幸せになりました」などと思うこともありません。「自殺」は永遠に失敗のままです。だからこそ、この激烈な自分の失敗経験を、あえて、自分以外の方のために語ろうとする自死遺族の声に耳を傾けていただきたのです。
その声がすぐに、行政の自殺防止対策につながるかどうかはわかりませんが、これも「一歩一歩」の歩みにあるものと考えています。
このたびは、広島西南ロータリークラブのご好意で、後援をつけていただきました。ぜひお持ち帰りいただき、このテーマに関心を持っていただける方がいらしたら、シンポジウムに足をお運びいただきたく、よろしくお願いいたします。