広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

オンラインや電話傾聴も「小さな一歩」らしく

小さな一歩では、昨年のコロナ禍後、LINEと電話傾聴を強化しました。
大きな組織のリモート傾聴のように、「電話が鳴りやまない」というほどではありませんが、以前に比べると、相談件数は日を追って増えています。
同じ方から定期的な電話やLINEの相談を受けることも少なくありません。

先日、時々行き詰まると電話をくれる方が久々にかけてこられました。

聞くと、新しい精神科医とのよい出会いのおかげで、とても気持ちが楽になったとのこと。
その方が、色々ともがきながら模索している話を以前から聞いてきたので、心から「よかったですね!!」と言いました。

すると、その方は、「こんな風に、色々な変遷を知っている方々と一対一で話せるのがうれしい。『あの時はこうでしたよね』とか『こんなこともあったけどよく乗り越えましたね』と声をかけてくれるのがうれしい」と言われました。

今まで、小さな一歩に限らず、色々な電話相談にかけたけど、いつも違う人が出たり、名前がわからないので、その都度、今に至った履歴や取り巻く背景を説明しなくてはいけない。そんな話をしているうちに制限時間が終わってしまう。
ここは、数名の担当者が継続的に、名乗りながら話を聞いてくれるので、安心して『今のこと、今の気持ち』を話すことができる、と言われたことが心に残りました。

電話相談にも色々な方法があり、一長一短があると思います。
できるだけ多くの人の声を聞くためのシステムも世の中で必要とされています。
また、電話相談は、表情や姿が見えないので、面談と比べて相談者の心情を理解するために一層のスキルと努力が必要とも言われます。

小さな一歩の電話相談は、こじんまりと日々行っていますが、できる限り、声だけのつながりでも、その方の背景や移り変わりも受け取れるような、傾聴でありたいと思います。
 
2021年03月17日 20:19

モノ言わぬ植物の生命力に学ぶことは多い

 「柿酢」の作り方をご存知ですか?
 一言で説明すると、生の柿に何も加えず密封瓶に漬け込み、待つだけ。生では食べられない渋柿でも、形の悪い柿でもOK。皮についている酵母の力でおいしい柿酢が出来上がります。(細かい説明は料理専用サイトをご覧になって下さい。)

 以前、教えていただき、自宅で柿酒・柿酢づくりをしたことがあります。
 密封瓶の中の柿は初め、ドロドロになって異臭(?)を感じ、「腐っているのかも?」と思わせる姿になります。それでも捨てたり、手を加えたりせずに待っていると、本当においしい柿酢になります。

 先日の「こころを休憩する会」の会話の中で、私はこの「柿の発酵力」についてちょっとお話しをしました。一見腐敗しているように思える時でも、備え持つ酵母の力を信じてジタバタしない、見捨てない。手を加えないで静観し、待つ。すると、熟成した、素晴らしいものになる。これは人間にも通じることではないかと。
「自分はもうだめだ」「この人はだめな人だ」と思ってしまいそうなことはある。でもそんな時も、それぞれが内側に秘めるチカラが発酵して"いい味を出す日が来る"を信じて「待つ」ことも必要なのではと。

余談のような流れで話したお話しでしたが、共感してくださった方がいました。
「今の自分は何もできない。他の人と比べて『これもダメ、何もかもダメ』と思ってきたけど、そんな"自分"を丸ごと認めて、熟成する日が来ることを待つのが、自分に与えられた『今という時期』なのでは、と思えるようになって、心がふっきれました」。

うれしい一言でした。

 今まで、色々な形で関わってきた方々の中にも、多くの困難や障がいの中で「無理かも」と思う、冬の季節を耐え、乗り越えて、元気になっていく人たちを沢山見てきました。植物も人間も、内側に秘めたチカラが目覚める時が必ず来ることを信じたいといつも思っています。
 
2021年02月21日 18:19

「数年間誰にも言えなかったことを聞いてくれてありがとう」と自死遺児は言った。

 コロナ禍の中、物心ともに追い詰められる人が増え、特に若い人々の自死が増加していることがいま、大きな社会問題となっています。
 小さな一歩では、昨年4月から、電話やLINE傾聴を強化しました。昨年秋から特に自死遺族からの相談が増加しています。エリアを問わずSOSの声が届きます。

 気になることもあります。「誰にも言えなかった。ネットを必死に調べてやっとここにつながった。この話をしたのは初めてです。」と言われる方が多いことです。
全国各地に自死遺族支援の窓口は活動はあるはず。ネット検索をすれば地元の団体や窓口も見つかるはずなのに、、何かが心の障壁になっているのでしょうか。
 また、中に、特に傷ましいお話しを聞き、いたたまれない思いになることもあります。

 それは未成年の自死遺児からの訴えでした。(仮にAさんとします)
 数年前に、暴力と脅しに耐えられず親御さんが自死された。
 遺された親族は、住んでいる地域で騒ぎになったり噂が広まることを嫌い、関係者や警察に申し出ることもせず、むしろこのことをひた隠しにしている。
 加害者からAさんへのいやがらせは今も間接的ではあるが続いている。
 親を亡くした悲しみ、助けられなかった自責感に加えて今も続く恐怖感で家に引きこもっている。
 親族は、相談に乗ってくれるどころか、自死のことを「なかったこと」にしようとしている。

 電話口のかぼそい声を聞きながら、遠方にいて何も力になれない自分をもどかしく思いました。最小限、今のAさんの身の安全を守り、安心して家から出られるために、何か方法がないか、必死に知恵を絞り、思いつくまでの相談窓口をや相談方法を伝えましたが、電話口の自分では何もできない。忸怩たる思いでした。

 私が聞く限りでも、自死遺児の中には、一番頼りになる親を「自死」によって失うだけでなく、遺児を抱擁するべき、遺された大人が生活力を失うほど消耗してしまうために、「子どもとしての普通の日常生活」が成り立たなくなる。
そんな日々の生活の危機にいきなり直面させられる子どもも少なくありません。

 自死遺児支援は心理的な支援だけでなく、生活を支える社会的支援、ケースワークも一体で行わないといけないと痛感します。
 Aさんのようなケースも、未成年のために、自力では裁判で訴えることができず、泣き寝入りするしかないのが現状です。

 最後にAさんは「数年間、このことを誰にも言えなかった。初めて聞いてくれてありがとう。またかけてもいいですか?」と言われて電話は終わりました。「いいよ、いつでもいいよ」と言いながらなぜか泣いてしまいそうになりました。
 
2021年02月05日 11:39

暗い夜道だからこそ、一抹の灯になれるように

12月に入ってから、広島県,広島市でコロナ感染が急拡大し、それに伴い,広島県・広島市のコロナ感染対策も一段と厳しい基準になりました。
感染は止まらず、対策強化期間がいつまで続くか、目途が立ちません。

「こころのともしび」も12月13日からランチの提供を中止。換気のために2方向の窓を開けながら暖房をフル稼働。それでも足元が冷える。そんな中での活動になりました。
来られる方も、当然ながら少なくなりました。

「ともしび」開場そのものの意味や、コロナ感染拡大下での是非、、、葛藤しながらの毎日でした。

そんな年末のある日、1人の方がふらっと訪ねて来られました。

昔話に例えるとこんな感じ。

1人の旅人がいた。
この旅人は暖かいものを探していた。
ふと立ち寄った広島宿で一つの明かりがともる旅籠を見つけた。
なぜかこの旅籠が気に入った旅人は、しばらく広島宿にいたいと思うようになった。
しかし、広島宿に留まるために必要な「関所札」を持ってきていなかった。
困った旅人。旅籠の主人が調べたところ、「関所札」を運んでくれる伝書鳩がいることを知った。
旅人は伝書鳩を使って「関所札」を手にすることができた。

喜んでいると、年末の押し詰まったある日、旅籠のなじみの客がふらっと立ち寄った。
2人は広島宿を一緒に楽しもう、と意気投合した。
どちらにとっても、偶然の出会いだったが、寒い冬を温かい気持ちで過ごすことができそうと喜んだ。

誰も予想していなかった「一期一会」の出会いが、「ともしび」につながるゲストもスタッフも心温まるものになりました。
何の入場制限も計画も、予約もないこの場所だからできたことだと思います。

何もない、何もしないこの場所を必要とする人がいて、偶然の出会いがある。
そのために、
今後も大きな制限がかかってくるかもしれないけれど、
辛く、やるせなく、不安な日々が当分は続くけど、来年も私たちは心の疲れをいやしにここを訪れる方々のために、その制限の中で可能な限り、ともしびを消さずにいようと思うのです。
2020年12月28日 18:28

「こんな一言をかけてあげたい」と言葉が浮かんだとき、傾聴は終わっている

友達などからの辛い想いの話を傾聴する時、適切な「相づち」はとても大切です。

「そうね、そうね」「うん、うん」といった相づちばかりでは、不親切で真剣に聞いていないように思えて、
共感していることを伝えるつもりが、知らないうちにかえって相手を傷つけたり、話している人の心を閉じてしまう「相づち」があります。
また、聴いているうちに、何か「気の利いた」言葉を返したくなる、、それも、自然な心の動きとしてあります。

例えば
「わかる、わかる」とか、「私(や私の知り合い)もね、、、」。
話している人から見ると、立場も置かれている現状も違うと感じている人から、「わかるよ」「同じ」というような言葉を言われると、「わかるはずないのに」「安易に『同じ』と言ってほしくないと、心を閉じてしまうこともあります。
(ケースワークやカウンセリングの教科書にも書かれていますが、意外にこれらの相づちが「共感」や「同調」を示すのに有効、と言われていることがあります)

また、先日ある方と話していて、
「大丈夫?」という言葉を聞くと心を閉ざしてしまう、ということに気づかされました。
「大丈夫?と言われると、「あなたが『大丈夫よ』という返事を聞いて安心したいのね、それならそう返事しましょう、と思う」。
そして、それから以降は心を開いた話はしなくなる、というのです。

無意識に、また、良かれと思ってかけた一言が、心を閉ざすきっかけになる。本当に難しい。

でも、反省もするのです。
「自分が共感していることを(その好意を)相手にわかってもらいたい」気持ちがどこからか、無意識に生まれていないか?

私は、カウンセリング講座の先生の言葉を「金言」として心がけるようにしています。
「相手にこんな一言をかけてあげたい」という言葉が話を聞きながら頭に浮かんできたら『傾聴は終わっている』。」



 
2020年12月13日 19:24

「若年層,特に若い女性の自死急増」についての取材を受けて

今日、テレビの取材がありました。
若年層と女性の自死が最近急増している現状を受けて,ニュース番組の一部に、自死遺族である米山個人の想いと、現在の小さな一歩の活動について取り上げたい、との依頼によるものでした。

小さな一歩でも、個室傾聴や電話,LINE傾聴を通じて、多くの方からの「死にたい」叫びが届きます。
「死にたい」気持ちを消す「特効薬」のような言葉かけはありません。
ただただ、その辛い想いを否定せずに「聞く」ことしかできないのです。

また、「若年層,(特に若い女性)」が死にたくなる気持ちや傾向に共通点を見出すことはできないし、するべきでないと思っています。
抱えている苦しみや「命を落とすまでの経緯」は1人1人全く違うのです。
それは、自死遺族の方と、亡くなった方のことをお話しして思うことです。
「若い人、女性」をグループ化するようなくくりはしてほしくない。
だから、「若い女性の自死にはこういう傾向があり、このように防ぐべき」という分析は個人的に好きではありません。

なので、今回の取材でも「最近の若年者や女性の自死増加についてどう思うか」というコメントはお断りしました。

小さな一歩として毎日開いている「こころのともしび」は「自死防止活動をしています」と表看板をあげているのではありません。

身近な誰にも話せない「心の重荷」でとても疲れている時、どこかで荷下ろしをしたいと思っている時、そんなときに、予約とか料金とか、そんなことを気にせず、ちょっと休憩をして、荷物を肩から降ろしてみましょうよ。
重荷がマジックのように消えることは難しいけど、凝り固まった肩こりをちょっとほぐしてみましょうよ。
少し休んで、暖かい飲み物でも飲んで、雑談でもしてみませんか?
休憩ついでに、重い荷物の中身をちょっと整理してみませんか?
そんな呼びかけをして5年以上が経ちました。

今回の取材では、そんな「こころのともしび」の日常風景をカメラに収めてもらいました。

2時間以上の取材でしたが、放送で使われるのは5分くらいだそうです。
私たちの想いを5分間の放送に汲み取ってくださることを祈ります。
 
2020年10月19日 19:35

「悲しいきっかけだけど、つながったご縁を大切にしましょう」

9年前の今頃でした。
娘の死を乗り越えられず、仕事が終わって1人になると、手当たり次第、「何かの救い」を求めて、がむしゃらにインターネットを検索をしていました。
その中で見つけたのが仙台の自死遺族の分かち合い「藍の会」のホームページでした。
他のサイトになく珍しかったのは、代表の田中さんの直通携帯電話の番号が載っていたこと。「だめもと」で電話をかけました。
いきなり、全くの他人の電話口での一方的な語りに田中さんは耳を傾けてくださり、最後に「悲しいきっかけだけど、つながったご縁を大切にしましょう」と言ってくださいました。

その一言でどれだけ救われたことでしょうか。
その後、小さな一歩の活動のこころの原点はここにあります。

楽しさや喜びでつながる縁は、春の光の中でスキップするようにやってくる。

悲しいこと、辛いことでつながる縁は、逆風の嵐の中で這うようにやってくる。
でも、だからこそ他になく、強いものがあると今も感じています。

毎日のようにメールやLINE、電話で深刻な相談が寄せられます。
とっさに返す言葉が見つからない相談もたくさんあります。
でも、細い糸をたぐるように、小さな一歩にたどり着き、連絡をしてくる方々の「必死の思い」に、かつての自分が重なることがあります。
だから、その返事は、絆を求めてきた手をしっかり握り返すものでなくてはいけないと感じています。

シェルターでつながった縁。
こころのともしびに「人生の休憩」をしに来られる方との縁。
傾聴や分かち合いでつながった縁。

その方が生活の自立や、心の整理、次の落ち着き場所が決まるなど、「ここ」を卒業されていっても私の心の中で「縁」が終わることはありません。
卒業していく人の旅立ちに「人生に幸あれ」と。
そして「辛い時はいつでも帰ってきていいんだよ」との言葉を贈りたい。
2020年09月02日 17:53

自殺防止センター相談員の方の重い助言

先日来、三浦春馬さんの自死について、色々な報道や発言がネットを中心に散見され、
その都度苦い思いをしていました。

そんな時、「東京自殺防止センター」ベテラン相談員の村明子さんのインタビューを拝見し、とても重みのある発言として読みました。

記事の全文は⇒
「三浦春馬さん急逝に揺れる人たちへ…自殺防止センター相談員のメッセージ

村さんは三浦春馬さんの自死報道のあり方が個人の尊厳をふみにじるものであると、大きな疑問を感じておられます。私も全く同感です。

また、長い自殺防止活動をされている方ならではの、「死にたい」声への答え方に感銘しました。
【一文抜粋】
「死にたいという人や、自死で亡くなった人がいると、なぜなんだろう、とか、生きていてほしかった、とか思ってしまいます。」という問に対して

 

「私たちが、死にたいという人の相談を受けるとき、その理由や原因をこちらから聞くことはありません。『なぜ死にたいの』という問いは必要でしょうか。

自殺防止センターは、電話してきた人の、死にたいという気持ちを受け止める、という考え方でやってきています。その人の、死にたいという気持ちを尊重して聞くことが大事です。死にたいと思う理由や原因は、自分自身で何とかできるようなことではありません。何とかしようとしても、難しいよね、どうにもならないよね、と寄り添う気持ちが大事だと思います。

「悩んでいる人の周りの人は、どうすればいいかというと…。苦しいって言っていいんだよと声をかけて、死にたいって言われたら『そうだよね』と受け止めることです。一番、言ってほしいけれど、一番、言ってもらえない言葉が、『そうだよね』なんです。


身近な方が自死してしまった時、『なぜ、気づかなかったのか』と自分を責め、『何が原因だったんだろう』と答えの出ない問いに苦しみます。実際は実行するまでには、長い苦しみとたくさんの葛藤があります。周りに心配をかけたくないと、何も言わずに旅立つこともあるのです。その気持ちを尊重したいと思います」

私も「死にたい」と電話口で開口一番言われることが結構あります。
その時反射的に「そうだよね」という応答は、わかっていてもとてもむずかしい。
「その気持ちがわかるよ」と共感していいか、一瞬の戸惑いから(本当はその『共感』こそが大切だとわかっていても)なかなかとっさに出てきません。

その言葉を自然体で、暖かく、励ますように電話口で伝えることができる村さんを改めて尊敬し、見習わなくてはと思ったのでした。

2020年07月28日 18:17

どんな仕事も人と人の縁で成り立っている。

私には、小さな一歩とは別の一面、というか本業があります。
小さな一歩とは真逆のデジタルビジネス。数値データ分析解析や統計調査をする会社です。
取引先は100%法人やお役所で、社内外の人間関係もドライでクール。
必死に頑張っても取引先にしてみると「できて当たり前」感謝の言葉をかけられることも少なく淡々と仕事をします。
一見、心のふれあいや、言葉かけ、いやしなど、人の感情とは無縁の仕事で、27年間、この会社を経営してきました。

最近会社で、最大のピンチがありました。
業務の詳しい内容を一般の方にわかりやすく例えて言うと、「重病の方の薬を届ける運送のお仕事」とします。
日々薬が欠かせない人もいる中で、到着に遅れることは一大事です。
その運送用の専用車両がトラブルでどうしても動かなくなりました。他の車両では替えができません。
焦って調べてもその原因がわかりません。刻々と出発日が迫ります。
ふだん社の仕事と小さな一歩の活動は意識的に分けているのですが、そんなことは言っていられない事態です。ともしびのご縁にもすがって、個人的なつながりも含め、その原因を解決してくれる人を必死に探しました。

ともしびでご縁のある人から次の人、さらにその紹介で、、、と次々に話をつなげてもらい、エンジンの特定の場所に問題があるのでは、(でもその人は直し方はわからない)と指摘してくれたのは、それまで会ったことも話したこともない人。仮にAさんとします。

トラブル原因が分かれば、今度はそれを修理できる人をしゃにむに探します。まったくの個人的な偶然から、修理できる人(Bさん)につながったのは、出発日の当日でした。
一刻の猶予も許されない中で、Bさんがすぐに修理をしてくれたのは、その前につながったAさんからの指摘のおかげでした。なんとか大事に至らずに出荷ができました。
出荷が確認できた瞬間には、普段クールな社内で万歳三唱の歓喜の声があがりました。

Aさんにつなげて下さった方が心配して会社まで来てくれました。感謝です。
必死のお願いに、Bさんは他の仕事を後回しでトラブルを解消してくれました。感謝です。
途中、無理やり大量の仕事を押し付けられたテレワーカーの方々やおつきあいのある会社の社員の方々はプロ意識で無理な仕事をきちんと期日まで仕上げてくれました。感謝です。
社員は深夜まで、子どもがいる人はテレワークや子ども連れで休日出勤して仕事を完成させてくれました。
愚痴も泣き言も弱音も口にせず、もくもくと、必死に働いてくれました。
ありがとう、頼りになるスタッフに恵まれた私は幸せです。
この間、こころのともしびにはほとんど顔を出せなかったけど、しっかり守ってくれたともしびスタッフさん。ありがとう。安心して仕事に集中できました。
毎日全く家事をせず、午前様の私に文句を言わず、犬猫の世話もしてくれた夫にも感謝です。

3週間くらい、ほとんど、帰宅したらすぐ日付が変わっていました。栄養ドリンクも飲みました。
でも、気持ちは「できなかったらどうしよう」「失敗したら会社はもうお終いかも」と不安にとらわれ、出口を見失っている時が一番疲れ、消耗していました。
出口が見えた、あとはがむしゃらに走るだけ、というときには体は疲れていても心は一点に集中していました。

やっとトンネルを抜けた今日の朝、いつものように「おはよう」と出社したら、PCから目を離すこともなく、もう次の仕事に忙しくしながら「おはよ~ござ~ま~す」とあいさつする、いつもの社員がいました。
「今回は慣れてなくてえらい苦労をして悔しいから、この教訓を無駄にしないために次回同じ仕事が来たらもう一度受けようか」と言ったら「そうですね、今度は名誉挽回で。次は楽にできるよう、しっかり準備してやりましょう」とたくましい答え。

これはこれで、わが社らしくていいか(笑)
2020年07月13日 16:55

9年目の祈念式と分かち合い

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6月21日。娘が天に召されて9年経ちました。
6月20日には教会で親族で召天祈念式をして、21日は「自死遺族の分かち合い」をしました。

6月21日は小さな一歩の7回目の設立記念日でもあり、
「こころのともしび」5回目の開所記念日でもあります。

この日に一度、人生の全てを否定し、生きる意味がわからなくなった。
その後折々に、少しずつ生き直しをしてきました。

何度も何度も全てが空しく、疲れ、意味を見失い、
「もうだめだ、もう無理だ、全てを閉じよう」と心が倒れたけど。

その都度、周りの人々に励まされて、手をとって起こしてもらってきた。背中を押してもらった。

今年も、娘を偲ぶ人々から、多くの花をいただきました。
娘の同級生は30代半ば、仕事や家事育児に一番忙しい時期。
でも、毎年忘れずお花を送ってくれる。
お花を見るたび、娘が私たちの心の中でずっと生きているのだと感じる。

21日の分かち合いでは、多くの参加者があり、「4月に中止されたので、今日の再開が待ち遠しかった」と言ってくださった。
しおれそうな体をもう一度、立ち上がらせようと思った。

いつまで気力体力が続くかな、と思いながら、また新しい1年を始めます。
「我が足はよわけれど、導き給え、主よ」
2020年06月23日 20:35