広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

高速化する時代の変化が中高年の「ひきこもり」をさらに疎外する

平成の時代をほとんど引きこもり状態で過ごした方がいる。
精神科医療にも、障害者認定や支援サービスにも、何も届いていない。
 
元気な時には、器用な手先を活かして仕事もしていた。
その仕事が好きで生きがいだった。
でも、その仕事はデジタル技術とインターネットにとって代わられ、今はその職種自体が過去のものになっている。
 
70年代~80年代には音楽が好きで、当時のレコードコレクションを宝物にしている。
でもその宝物を聴くための機器が今日にはない。
音楽編集も得意。自宅でかなり高度な「自作のオリジナルミュージック」作りをしていた。

でも、その時得意としていた機材は今は販売されていないので使うことができず、
「オリジナルミュージック」は再生すらむずかしい。

アナログからデジタルへ。
「時代の変化だから仕方ない」というだろうか。
アナログレコードをデジタル方式に変換する方法も、そのツールもあることは知っている。
でもいきなり、聞いたこともないデジタル用語やソフトや機器の名前が矢継ぎ早に出てきて「これを買え」「これを使いこなせ」と言われて器用に乗り換えられる対応力があるなら、きっとこの方は引きこもりになっていなかったのではないだろうか。
 
平成でさえ過去になろうとしているいま、
あまりに早い時代の変化が、また、今後もっと変化の速度が加速するであろういま、
引きこもりの中高年が、デジタル社会に復帰することはさらに難しく、疎外をさらに強くしている。

そう言えないだろうか。

これほど辛い想いで聞いた話はない

「自死遺族の希望の会」を始めて、丸6年になりました。
その間、40回開催し、延べ約400人とお話を続けてきました。
1つ1つが本当に胸の痛む辛い、やり場のない、終わりのない、解決できない想いだった。
 
でも、先日聞いた方ほど、お気の毒で言葉のかけようがないお話はなかった。
 
1年以上前に行方不明になったご家族が、最近山中で発見された。
年月が過ぎたため、遺体は生前の姿が確認できない状態だったが、DNA鑑定や遺品によって警察はご本人と確認し、遺骨もお手元に帰ってきた。
 
でも、その方は「絶対に生きている、これは何かの仕業によって別人とすり替えられたものです」と一生懸命お話される。
その根拠も、一生懸命お話しされる。
残念だけど、その根拠には根拠がない。

でも、否定する気持ちにはとてもなれませんでした。
 
私は言いました。
「ご遺体がご本人である可能性は残念ながらかなり高い。
でも、ご本人の生前の姿を誰も見ていないから、100%と、誰も断定はできない。
もしかしたら、あなたが言われるとおり、生きておられるかもしれません。
でも、もし生きておられても、何かの事情によって、元の名前であなたの前に戻ろうとは思っていないでしょう、これだけの月日、音信不通なんですから。
もう二度と会えないかもしれないけど、この空の下で生きている。そう信じましょう。
そしてあなたも、共に生きましょう」
 
「もう二度と会えないんでしょうか、、、」と肩を落としながらも、
「生きていてくれさえすれば」とつぶやきながら帰られました。
 
本当に、胸が苦しくなる後ろ姿でした。
 
私はうそをついたのだろうか、でも本当に「うそ」だろうか。
遺族は、亡くした後も「天国で命を得て、私たちを見守り、共にいてくれる」と信じている。
地上と天上。
その方が“いまもいる”ことを信じることに違いはない。
そう一人で思いながらも、その方のこれからの人生をかえって重いものにしたのでは、と悔やみます。
 

「正月は家族でのんびりと」が辛い人も多い

今年の正月休みは小さな一歩の活動も9日間お休みをいただきました。
例年より休みが長かった方は多いのではないでしょうか。
「久しぶりに家族でのんびり楽しく過ごし、正月明けはまた仕事、家事、学校と忙しい生活に戻る、ため息。。」
世の中では定型句のように言われます。
 
でも「久しぶりに家族で過ごす」ことが苦痛の人もいます。
子どもの頃から親や家族から一方的な精神的苦痛を受けている人。
色々な諍いが家族の間で絶えず、一緒にいることが苦痛な人。
一人で生きていくことを決めて、家を出て、自分自身の力で色々な人間関係を作ってがんばってきた。
でもなぜか「正月」は“家族で過ごす時”と決められているようで、1人でいると孤独が身に染みる。でも家族と会うと、忘れたい、忘れかけていた精神的苦痛で傷つく。
 
「家族がきらいだから一緒に過ごしたくない。だから正月も1人で過ごした。でも、正月はテレビを見ても街に出ても、仲のいい家族の姿ばかり見せられる。自分だけが孤独で、うつになってこもっていた」
「実家に帰ろうと思っていたのに、家族から一方的に『お前は帰ってくるな』と拒否された」
「親戚の集まりの中で、自分や自分の家族のことを誹謗中傷された」
そんな苦しみを訴える方が今週は続き、そのような方のためにこそあるべき「こころのともしび」がこの期間に閉じていたことを申し訳なく思いました。
 
お話を聞いていて思うのです。
家族は他人の誰より深く長い人間関係だからこそ、お互いに傷つけあうことだって多い。
他人なら、嫌いな人とは縁を切れるけど、家族は切りきることができない。
普段は距離を置いて生活できているのに、「一緒にいなくてはいけない」ときもある。
一方で、「家族は他人より愛情の絆が強い関係で“あるべき”だ」という固定観念。
もちろんそれが理想だけど、この“あるべき”観が苦しみを強くするのでは、と。
 
1人の相談者に私は言いました。
「家族からの色々な虐待に耐えて、家を出て、あなたは自力で努力して温めあえる人間関係の輪を作った。その自分の頑張りを褒めてあげましょうよ。
正月はあなたにとって“愛の関係”がOFFになっていたとき。正月明けの今から、ONにして楽しもう」
簡単な答えとは思いませんが。

自死遺族に「自死を防ぐ方法はなかったのか」と問うならば

2月に、ある機関からのお招きがあり「自死遺族支援と自死未遂者の再発防止」という演題で講演することになりました。
 
講演の演題について悩みました。
遺族の分かち合いで聞くお話の中には、未遂の後に既遂してしまった、それを悔やんで苦しんでいる人が少なくありません。
私もその一人です。

「どうすれば救えたか」「どうしてあの時、止めることができなかったか」その悔いや問いかけに応えてくれる人は唯一一人だけ。
でも、その声を聞くことができない苦しさは一生続きます。
他の方はどのように思っているのだろう。
一昨日の「自死遺族の希望の会」で問いかけてみました。

多くの遺族に共通することは、
「希死念慮は本人の意志や判断力とは関係なく、突然背後から嵐のように襲ってくる」。
抗えないような強い恐怖の力に押され、『逃げるには死ぬしかない』と思いつめられる発作的な瞬間があるということ。
だから、数時間前には笑顔で明日のこと、将来のことを語っていた人が、半日もたたずにに自死してしまった、ということも少なくありません。
「それを防ごうと思ったら、四六時中監視して、瞬時も目を離さないようにしなくてはいけない」。
長い年月、ジェットコースターの乱高下のような発作のたびに右往左往し、家族も疲れ切って、発せられたSOSへの瞬発力が鈍くなることもあります。

長い闘病生活の年月の中で、「やっとよくなった」とほっとしたのもつかの間、症状がまた悪くなり、絶望と不安で、本人と一緒に立ち向かう気力が果ててしまう家族もいます。
 
「長い間精神の病と闘って、生きていることが本当に辛そうだった。何度か未遂もした。そのたびに『死にきれなかった』と言っていた。完遂したとき、悲しさもあったけど、『やっと楽になれたんだね』と声をかけてやりました」
と泣きながら語っていた方の姿は忘れることができません。
 
「自死を防ぐ手段は?」と遺族に問いかけるのであれば
このように、終わりが見えない闘病、予測もつかない生命の危機、突然襲ってくる恐怖、希望の後にくる絶望、、、
これらの本人や家族の長く苦しい闘いに、『薬』という形ではなくて、伴走してくれる存在ではないでしょうか。
ときには、希死念慮が強い人を、家族の代わりに見守ってくれる人かもしれない。
自死遺族になってからではなく。

広島市社会福祉協議会から感謝状をもらいました

表彰状2018

先日、「広島市社会福祉大会」で表彰状をいただいて帰りました。

表彰された方が400人(団体)もいらしたので、そのスケールにびっくりしましたが、

とりあえず、いままでのように「怪しい団体化も」「怪しい宗教やさぎ商法かも」と疑われることが少なくなるかな(笑)、

と「ともしび」の壁にかけておくことにしました。

人は無責任に助言するものだ、とつくづく思う

「過去の自分の過ちが忘れられなくて、自分がどうしても許せない」と話す人に私は「過去は過去。過ちはあったかもしれないが、あなたはもう償っている。今すべきことは、過去を『振り切って』、今とこれからを大事に生きることではないか?」と問う。

でも、私自身が、過去の過ちから逃れることができていない、というより、私は、むしろ、意識して『過去の罪』を忘れず、贖罪の道を選ぼうとしている。

 

「本当はやりたくないことでも、頼まれるといやと言えない。いつも人の顔色を見ている。休みの日は体を休めて自分の好きなことをしたいのに、嫌われたくない、とか、自分がやらないと困るだろうと考えて、頼まれると断れず、体も心もへとへとになるまで動いてしまって疲れ切ってしまう。」と訴える人に私は「他人の目や周りの評価などの『他人視点』より前に、自分が何をしたいか、どう生きたいか、という『自分視点』で物事を見ていますか?大事なのは『自分』を主語とした行動や考え方では?」と聞き返す。

でも、私自身はいつも疲れを感じる。自分の希望や生きやすさを考える『自分目線』より、『他人目線』で行動していることがほとんどだ。その結果、誠意や努力が報われず、時には逆恨みさえされる。そんな中で、ボロボロになるときもある。

 

私がもう一人の「私」から助言を受けたら、『そんなことができたら苦労していないよ、傾聴になんか来るもんか』と逆ギレしているかもしれない。

再会の連絡に感謝します

昨日、とても久しぶりに再会した方がいました。
長年、精神看護学の専門家として国や自治体、NPO法人などで自殺対策の委員として幅広く携われている福山なおみ先生です。
今回は、広島の穴吹医療福祉専門学校に講義に来られることになり、ご連絡をいただいたのです。
 
先生との出会いはほぼ6年前。
そのころ私は、娘を喪って1年、生きる心の道を見失い、暗闇の中をさまよっていました。
自死や自死遺族について知るために、全国各地の講演会や団体にがむしゃらに出向いていきました。時には、「自殺対策」について語る檀上の講師や有識者にむかって、自らのやるせない気持ちをぶつけるように質問をしたり、食ってかかるようなこともあったように思います。
そんな中で、講壇に立っておられたのが福山先生でした。
私はその時どんな顔つきをして、何を言ったのか、よく覚えていませんが、先生と言葉を交わし、自分の想いをとにかく必死に語っていたのでしょう。

その後、小さな一歩の活動を始めたことはメールなどで先生にもお伝えしましたが、5年以上経ったいまも、私のことを覚えていて下さり、多忙な時間を割いてわざわざ会いに来てくださったことに感謝感激でした。
 
「こころのともしび」で5年間の活動のことをたくさんお話をしました。
また、6年前に先生とお会いした時のこともたくさんお話しました。
先生にぜひ見ていただきたかったのは、娘の写真パネルをかけている傾聴用の個室です。
「活動の幅はいろいろ広がったけど、この娘の姿を忘れたことはないし、いつも心の原点にしています」とお話をすると、先生は「本当に。娘さんと共に“一歩”を歩んでいることが伝わりますよ。
ここは暖かい空気が流れている感じがしますね。」と喜んでくださりました。
6年前にお会いしたころはね、米山さんはちょっと痛々しい感じだったけど、今はいきいきとして見えますよ。きっと娘さんが一緒におられるからね」と言ってくださいました。
人と出会うこと、つながりを自分から持ち続けることの大切さと心温まる思いを改めて感じたのでした。

インナーファーザーという呪縛

様々な心の問題や悩みを持って訪れる方々の中で、男性も少なくありません。
 
「思春期以降のこころの問題は、幼児期~成長期の親とのかかわりに大きな原因がある」
母性的な包み込むような愛が特に大事、とはよく言われます。
これに対して父性愛とは、家族という枠組みを守り、決まり事や規範意識を“愛をもって”身につけさせていく愛、と言われます。
子どもの成長に悪影響を与える父親とはDV、虐待、アルコールや薬物依存症、借金、生活力がない、女性問題など、父親である前に“人間失格”“生活破綻者”である姿がよく描かれます。
 
それに対して、私がよく出会う、成人男性の相談者には、別の形での「父親」の“生霊”が心の中に巣くっている人も多いように感じます。
典型的な父親とは
「まじめで、世間的に“羨まれる”ような組織で固い職業についている」
『働かざる者生きるべからず』が身上で、職場でも地域の中でも、人がいやがる仕事も進んで引き受け、労を惜しまず、組織の中の信頼が厚い。
そして『社会的地位の高い自分を家族に認めさせるためにいつも高圧的な態度で家族に対する』ので、家族の言い分は聞かず、一方的に自分の意見を押し付ける。
自分以外の価値観や生き方は『頭ごなし』に否定。
学歴主義、大企業や公務員偏重主義。
昭和の高度成長期に働き盛りで、根性主義。自分の栄光は今も輝かしく、年老いた今も口を開くとその自慢と、その時代の価値観を子ども(特に息子)に押し付ける。
当然、家族は父親を恐れながら、嫌います。
でも「お父さんは正しいから逆らえず」呪縛されたようにいつも顔色を見て生きている。
そんな家族の中で育った、特に男性に「父性恐怖症」(?)を感じます。

職場でも、声の大きい上司や同僚の“顔色”をうかがいながら生きる癖が体に染みついてしまっている。
「嫌われたくない」「怒られたくない」、その裏返しとしての「好かれたい」「ほめられたい」。
「インナーマザー」ならぬ、「インナーファーザー」が彼に巣くっているようです。
このように“恐る恐る生きている”男性は、なぜかこの、暴君のような上司を刺激します。
恫喝され、いじめられ、無理を押し付けられる。同僚も遠巻きにするか、便乗して彼を苦しめる。
家庭には“情けない息子”を恫喝する父親がいる。。。
職場のパワハラ問題は家庭内のパワハラ問題は無縁ではないと思えます。
最近スポーツ界では根性主義で育ってきた監督やコーチ陣と、現役選手との間で『パワハラ』問題が頻発していますが、家庭の中にあるパワハラ問題(DVや虐待とはまた違う)の解決策を誰か解き明かしていただけないかと思うのです。
 

色々な方向から支えられている

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還暦を迎える私に、意外な(笑)人から誕生日プレゼントがありました。
会社の社員一同から。

25年、この会社を経営してきましたが、いつもガリガリの仕事をしてきた。
毎月お誕生日会をするような、のどかでアットホームな会社というわけでもなく、
社員の誕生日にお祝いをあげたこともなく。
私自身もほとんど初めてじゃないかな、誕生日のお祝い。

小さな一歩の活動と会社の仕事。2つの行ったり来たりの毎日。
もともと100%の力でやっていた会社の仕事に時間もエネルギーも、半分も使えなくなった私。
バタバタする日々でケアレスミスも増え、営業力も仕事への自信もがた落ちになりました。

ほんと、社員には迷惑かけっぱなしで肩身が狭い思いをしてきました。
「どんな目で、この経営の惨状を見ているのだろう」と不安になりました。

そんな中でもらったプレゼントは胸にしみました。

私は自分の決めた道のために、「小さな一歩」のスタッフに本当に毎日助けられているけれど、
本業を“ほぼ空席”にしている私の後ろでしっかりと業務を守ってくれる会社の社員に助けられていることを忘れてはいけない。
改めてそう思いました。
 

心にとどめておこう、この手の平の感触

その人は泣いていました。
始めはすすり泣きで、やがてしゃくりあげながら。

乗り越えたい、乗り越えなくてはいけない壁がある。
元気ならば、ほとんど意識することなく、ひょい、とまたいで渡れる壁が、どうしても越えられない。

越えられない自分が情けない、悔しい。
越えようと思うと、訳もなく怖くて、うずくまって泣けてしまう。

始めはそっとしておく方がいいのかと、声をかけませんでしたが
あまりにも辛そうなので、「どんなん?」と声をかけました。

細い肩、やせた背中が震えていました。
「がんばれ」とも「無理しなくてもいいんじゃない」とも、何も言葉にすることができない私は背中をさすり、手を握り、胸にトントンと手を当てながら
「子どものときのように声をあげて泣いていいんだよ」と繰り返すだけでした。

不思議な感覚が記憶によみがえりました。

色々なことでつまずいては泣き続ける娘たちをよく、こうして、さすったりなぜたりトントンとしていたこと。
自分自身も昔、泣いていると、母が抱きしめて背中をさすってくれたこと。

どれくらいそのようにしていたでしょうか。
その人は少し気持ちが落ち着いて、「気持ちを切り替えます」としばらく1人でいて、帰りました。

その後、その方からは壁を乗り越えることができた、と報せをもらいました。

「よかったね!」喜びと共に、背中をさすっていた短い時間によみがえった、
懐かしく温かい、私自身にとって大切な記憶を、忘れないでおこう、と思ったのでした。