「こんな一言をかけてあげたい」と言葉が浮かんだとき、傾聴は終わっている
友達などからの辛い想いの話を傾聴する時、適切な「相づち」はとても大切です。「そうね、そうね」「うん、うん」といった相づちばかりでは、不親切で真剣に聞いていないように思えて、
共感していることを伝えるつもりが、知らないうちにかえって相手を傷つけたり、話している人の心を閉じてしまう「相づち」があります。
また、聴いているうちに、何か「気の利いた」言葉を返したくなる、、それも、自然な心の動きとしてあります。
例えば
「わかる、わかる」とか、「私(や私の知り合い)もね、、、」。
話している人から見ると、立場も置かれている現状も違うと感じている人から、「わかるよ」「同じ」というような言葉を言われると、「わかるはずないのに」「安易に『同じ』と言ってほしくないと、心を閉じてしまうこともあります。
(ケースワークやカウンセリングの教科書にも書かれていますが、意外にこれらの相づちが「共感」や「同調」を示すのに有効、と言われていることがあります)
また、先日ある方と話していて、
「大丈夫?」という言葉を聞くと心を閉ざしてしまう、ということに気づかされました。
「大丈夫?と言われると、「あなたが『大丈夫よ』という返事を聞いて安心したいのね、それならそう返事しましょう、と思う」。
そして、それから以降は心を開いた話はしなくなる、というのです。
無意識に、また、良かれと思ってかけた一言が、心を閉ざすきっかけになる。本当に難しい。
でも、反省もするのです。
「自分が共感していることを(その好意を)相手にわかってもらいたい」気持ちがどこからか、無意識に生まれていないか?
私は、カウンセリング講座の先生の言葉を「金言」として心がけるようにしています。
「相手にこんな一言をかけてあげたい」という言葉が話を聞きながら頭に浮かんできたら『傾聴は終わっている』。」