安楽死の是非について語る危険を知りながら、、その資格もないが
スイスで自ら安楽死を選んだ女性についてのドキュメンタリーが出版され、また、NHKドキュメンタリーでも番組化されたことで、「安楽死」という死についての賛否が問われています。
不治の病に苦しんでいた女性が、安楽死を決断し、親族に見守られながら自分で「死のスイッチ」(薬)を押して亡くなりました。
不治の病に苦しんでいた女性が、安楽死を決断し、親族に見守られながら自分で「死のスイッチ」(薬)を押して亡くなりました。
「NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586161/index.html
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586161/index.html
治療の見込みがない終末期医療にある人が自らの死を決断するのか、緩和ケア医療によって、苦しまない最期を迎えるのか も論議されています。
私は自死遺族として、自死遺族の分かち合いを6年間続け、多くの遺族の悲嘆の声を聞いてきた身として、
どんな最期であっても、遺された人々が
「もっとしてあげることができたのに」
「別の方法があったのでは」
「自分の対し方がいけなかったから自死したのでは」
と悔やみ、自分を責め続ける姿を多く見てきました。
どんな最期であっても、遺された人々が
「もっとしてあげることができたのに」
「別の方法があったのでは」
「自分の対し方がいけなかったから自死したのでは」
と悔やみ、自分を責め続ける姿を多く見てきました。
ですから、仮に安らかな最期であっても、それがいかに本人が納得して選択した結果であっても、遺された人が『これでよかった』と思うことは決してないと思っています。
ただ、一番辛く、苦しく、悲しく聞いた話として
余命が短い病の床にあったり、生き続けることが拷問のような痛みや苦しみにありながら
色々な事情によって、終末期医療や緩和ケアにつながることができず、
独りで自ら死を決断した人が、日にちが経った後に傷ましい姿で発見され、
遺族がそのショックと激しい後悔でもがき苦しんでいる様を聞くときです。
余命が短い病の床にあったり、生き続けることが拷問のような痛みや苦しみにありながら
色々な事情によって、終末期医療や緩和ケアにつながることができず、
独りで自ら死を決断した人が、日にちが経った後に傷ましい姿で発見され、
遺族がそのショックと激しい後悔でもがき苦しんでいる様を聞くときです。
安楽死についての是非を語る資格はありません。
ただ、自死遺族にとって最期の姿は一生脳裏から離れることがないのです。
せめて、おだやかな姿で天国に見送ってあげられていれば、、と、
励ましもなぐさめもできない「その方」について思うだけです。
せめて、おだやかな姿で天国に見送ってあげられていれば、、と、
励ましもなぐさめもできない「その方」について思うだけです。
2019年06月17日 19:48