広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

ブログバナー

活動の主旨と主な内容 ≫ ブログ ≫

ブログ風 日々のつれづれ

自死遺族に「自死を防ぐ方法はなかったのか」と問うならば

2月に、ある機関からのお招きがあり「自死遺族支援と自死未遂者の再発防止」という演題で講演することになりました。
 
講演の演題について悩みました。
遺族の分かち合いで聞くお話の中には、未遂の後に既遂してしまった、それを悔やんで苦しんでいる人が少なくありません。
私もその一人です。

「どうすれば救えたか」「どうしてあの時、止めることができなかったか」その悔いや問いかけに応えてくれる人は唯一一人だけ。
でも、その声を聞くことができない苦しさは一生続きます。
他の方はどのように思っているのだろう。
一昨日の「自死遺族の希望の会」で問いかけてみました。

多くの遺族に共通することは、
「希死念慮は本人の意志や判断力とは関係なく、突然背後から嵐のように襲ってくる」。
抗えないような強い恐怖の力に押され、『逃げるには死ぬしかない』と思いつめられる発作的な瞬間があるということ。
だから、数時間前には笑顔で明日のこと、将来のことを語っていた人が、半日もたたずにに自死してしまった、ということも少なくありません。
「それを防ごうと思ったら、四六時中監視して、瞬時も目を離さないようにしなくてはいけない」。
長い年月、ジェットコースターの乱高下のような発作のたびに右往左往し、家族も疲れ切って、発せられたSOSへの瞬発力が鈍くなることもあります。

長い闘病生活の年月の中で、「やっとよくなった」とほっとしたのもつかの間、症状がまた悪くなり、絶望と不安で、本人と一緒に立ち向かう気力が果ててしまう家族もいます。
 
「長い間精神の病と闘って、生きていることが本当に辛そうだった。何度か未遂もした。そのたびに『死にきれなかった』と言っていた。完遂したとき、悲しさもあったけど、『やっと楽になれたんだね』と声をかけてやりました」
と泣きながら語っていた方の姿は忘れることができません。
 
「自死を防ぐ手段は?」と遺族に問いかけるのであれば
このように、終わりが見えない闘病、予測もつかない生命の危機、突然襲ってくる恐怖、希望の後にくる絶望、、、
これらの本人や家族の長く苦しい闘いに、『薬』という形ではなくて、伴走してくれる存在ではないでしょうか。
ときには、希死念慮が強い人を、家族の代わりに見守ってくれる人かもしれない。
自死遺族になってからではなく。
2018年12月17日 18:21

広島市社会福祉協議会から感謝状をもらいました

表彰状2018

先日、「広島市社会福祉大会」で表彰状をいただいて帰りました。

表彰された方が400人(団体)もいらしたので、そのスケールにびっくりしましたが、

とりあえず、いままでのように「怪しい団体化も」「怪しい宗教やさぎ商法かも」と疑われることが少なくなるかな(笑)、

と「ともしび」の壁にかけておくことにしました。

2018年12月02日 18:42

人は無責任に助言するものだ、とつくづく思う

「過去の自分の過ちが忘れられなくて、自分がどうしても許せない」と話す人に私は「過去は過去。過ちはあったかもしれないが、あなたはもう償っている。今すべきことは、過去を『振り切って』、今とこれからを大事に生きることではないか?」と問う。

でも、私自身が、過去の過ちから逃れることができていない、というより、私は、むしろ、意識して『過去の罪』を忘れず、贖罪の道を選ぼうとしている。

 

「本当はやりたくないことでも、頼まれるといやと言えない。いつも人の顔色を見ている。休みの日は体を休めて自分の好きなことをしたいのに、嫌われたくない、とか、自分がやらないと困るだろうと考えて、頼まれると断れず、体も心もへとへとになるまで動いてしまって疲れ切ってしまう。」と訴える人に私は「他人の目や周りの評価などの『他人視点』より前に、自分が何をしたいか、どう生きたいか、という『自分視点』で物事を見ていますか?大事なのは『自分』を主語とした行動や考え方では?」と聞き返す。

でも、私自身はいつも疲れを感じる。自分の希望や生きやすさを考える『自分目線』より、『他人目線』で行動していることがほとんどだ。その結果、誠意や努力が報われず、時には逆恨みさえされる。そんな中で、ボロボロになるときもある。

 

私がもう一人の「私」から助言を受けたら、『そんなことができたら苦労していないよ、傾聴になんか来るもんか』と逆ギレしているかもしれない。

2018年10月30日 20:11

再会の連絡に感謝します

昨日、とても久しぶりに再会した方がいました。
長年、精神看護学の専門家として国や自治体、NPO法人などで自殺対策の委員として幅広く携われている福山なおみ先生です。
今回は、広島の穴吹医療福祉専門学校に講義に来られることになり、ご連絡をいただいたのです。
 
先生との出会いはほぼ6年前。
そのころ私は、娘を喪って1年、生きる心の道を見失い、暗闇の中をさまよっていました。
自死や自死遺族について知るために、全国各地の講演会や団体にがむしゃらに出向いていきました。時には、「自殺対策」について語る檀上の講師や有識者にむかって、自らのやるせない気持ちをぶつけるように質問をしたり、食ってかかるようなこともあったように思います。
そんな中で、講壇に立っておられたのが福山先生でした。
私はその時どんな顔つきをして、何を言ったのか、よく覚えていませんが、先生と言葉を交わし、自分の想いをとにかく必死に語っていたのでしょう。

その後、小さな一歩の活動を始めたことはメールなどで先生にもお伝えしましたが、5年以上経ったいまも、私のことを覚えていて下さり、多忙な時間を割いてわざわざ会いに来てくださったことに感謝感激でした。
 
「こころのともしび」で5年間の活動のことをたくさんお話をしました。
また、6年前に先生とお会いした時のこともたくさんお話しました。
先生にぜひ見ていただきたかったのは、娘の写真パネルをかけている傾聴用の個室です。
「活動の幅はいろいろ広がったけど、この娘の姿を忘れたことはないし、いつも心の原点にしています」とお話をすると、先生は「本当に。娘さんと共に“一歩”を歩んでいることが伝わりますよ。
ここは暖かい空気が流れている感じがしますね。」と喜んでくださりました。
6年前にお会いしたころはね、米山さんはちょっと痛々しい感じだったけど、今はいきいきとして見えますよ。きっと娘さんが一緒におられるからね」と言ってくださいました。
人と出会うこと、つながりを自分から持ち続けることの大切さと心温まる思いを改めて感じたのでした。
2018年10月18日 19:12

インナーファーザーという呪縛

様々な心の問題や悩みを持って訪れる方々の中で、男性も少なくありません。
 
「思春期以降のこころの問題は、幼児期~成長期の親とのかかわりに大きな原因がある」
母性的な包み込むような愛が特に大事、とはよく言われます。
これに対して父性愛とは、家族という枠組みを守り、決まり事や規範意識を“愛をもって”身につけさせていく愛、と言われます。
子どもの成長に悪影響を与える父親とはDV、虐待、アルコールや薬物依存症、借金、生活力がない、女性問題など、父親である前に“人間失格”“生活破綻者”である姿がよく描かれます。
 
それに対して、私がよく出会う、成人男性の相談者には、別の形での「父親」の“生霊”が心の中に巣くっている人も多いように感じます。
典型的な父親とは
「まじめで、世間的に“羨まれる”ような組織で固い職業についている」
『働かざる者生きるべからず』が身上で、職場でも地域の中でも、人がいやがる仕事も進んで引き受け、労を惜しまず、組織の中の信頼が厚い。
そして『社会的地位の高い自分を家族に認めさせるためにいつも高圧的な態度で家族に対する』ので、家族の言い分は聞かず、一方的に自分の意見を押し付ける。
自分以外の価値観や生き方は『頭ごなし』に否定。
学歴主義、大企業や公務員偏重主義。
昭和の高度成長期に働き盛りで、根性主義。自分の栄光は今も輝かしく、年老いた今も口を開くとその自慢と、その時代の価値観を子ども(特に息子)に押し付ける。
当然、家族は父親を恐れながら、嫌います。
でも「お父さんは正しいから逆らえず」呪縛されたようにいつも顔色を見て生きている。
そんな家族の中で育った、特に男性に「父性恐怖症」(?)を感じます。

職場でも、声の大きい上司や同僚の“顔色”をうかがいながら生きる癖が体に染みついてしまっている。
「嫌われたくない」「怒られたくない」、その裏返しとしての「好かれたい」「ほめられたい」。
「インナーマザー」ならぬ、「インナーファーザー」が彼に巣くっているようです。
このように“恐る恐る生きている”男性は、なぜかこの、暴君のような上司を刺激します。
恫喝され、いじめられ、無理を押し付けられる。同僚も遠巻きにするか、便乗して彼を苦しめる。
家庭には“情けない息子”を恫喝する父親がいる。。。
職場のパワハラ問題は家庭内のパワハラ問題は無縁ではないと思えます。
最近スポーツ界では根性主義で育ってきた監督やコーチ陣と、現役選手との間で『パワハラ』問題が頻発していますが、家庭の中にあるパワハラ問題(DVや虐待とはまた違う)の解決策を誰か解き明かしていただけないかと思うのです。
 
2018年10月05日 21:16

色々な方向から支えられている

0000566313.jpg

還暦を迎える私に、意外な(笑)人から誕生日プレゼントがありました。
会社の社員一同から。

25年、この会社を経営してきましたが、いつもガリガリの仕事をしてきた。
毎月お誕生日会をするような、のどかでアットホームな会社というわけでもなく、
社員の誕生日にお祝いをあげたこともなく。
私自身もほとんど初めてじゃないかな、誕生日のお祝い。

小さな一歩の活動と会社の仕事。2つの行ったり来たりの毎日。
もともと100%の力でやっていた会社の仕事に時間もエネルギーも、半分も使えなくなった私。
バタバタする日々でケアレスミスも増え、営業力も仕事への自信もがた落ちになりました。

ほんと、社員には迷惑かけっぱなしで肩身が狭い思いをしてきました。
「どんな目で、この経営の惨状を見ているのだろう」と不安になりました。

そんな中でもらったプレゼントは胸にしみました。

私は自分の決めた道のために、「小さな一歩」のスタッフに本当に毎日助けられているけれど、
本業を“ほぼ空席”にしている私の後ろでしっかりと業務を守ってくれる会社の社員に助けられていることを忘れてはいけない。
改めてそう思いました。
 

2018年09月07日 21:20

心にとどめておこう、この手の平の感触

その人は泣いていました。
始めはすすり泣きで、やがてしゃくりあげながら。

乗り越えたい、乗り越えなくてはいけない壁がある。
元気ならば、ほとんど意識することなく、ひょい、とまたいで渡れる壁が、どうしても越えられない。

越えられない自分が情けない、悔しい。
越えようと思うと、訳もなく怖くて、うずくまって泣けてしまう。

始めはそっとしておく方がいいのかと、声をかけませんでしたが
あまりにも辛そうなので、「どんなん?」と声をかけました。

細い肩、やせた背中が震えていました。
「がんばれ」とも「無理しなくてもいいんじゃない」とも、何も言葉にすることができない私は背中をさすり、手を握り、胸にトントンと手を当てながら
「子どものときのように声をあげて泣いていいんだよ」と繰り返すだけでした。

不思議な感覚が記憶によみがえりました。

色々なことでつまずいては泣き続ける娘たちをよく、こうして、さすったりなぜたりトントンとしていたこと。
自分自身も昔、泣いていると、母が抱きしめて背中をさすってくれたこと。

どれくらいそのようにしていたでしょうか。
その人は少し気持ちが落ち着いて、「気持ちを切り替えます」としばらく1人でいて、帰りました。

その後、その方からは壁を乗り越えることができた、と報せをもらいました。

「よかったね!」喜びと共に、背中をさすっていた短い時間によみがえった、
懐かしく温かい、私自身にとって大切な記憶を、忘れないでおこう、と思ったのでした。

2018年08月01日 18:27

自死遺族支援は「公人」である前にまず「私人」として

 7月6日の「自死問題シンポジウム」、7月18日には広島県北部保健所で「自死遺族支援のための研修会」と続けて自死遺族支援について話をしました。

 北部保健所の研修会では自死遺族としての自分がなぜ今、自死遺族支援や希死念慮のある人やその危険可能性がある方の支援をしているか、というMyhistoryを話した後、テキストに沿って基本研修をしました。

 今までも何度か自死遺族支援をテーマに話をしてきたけれど、個人的に思うことは、この場に出席している方々が、どの程度現実に「自死遺族」が“わざわざ訪ねてきて支援や相談を求められる機会があるのだろうか”、ということです。
 専門職であれ、民間ボランティアであれ、地域の福祉担当者であれ、日常的に「自死」に直面する機会で一番多いのは、近隣地域や身近な人の周りで起きた「自死」という出来事を間接的に知ることではないでしょうか。

 その時、お仕事などの「公人」である以前に、一個人として、「自死」に対してどういう思いを持つのか。
 直感的にでも、偏見やスピリチュアル的な恐れを抱かないか。

 自死は、事故死や災害死と同様、予期せぬ突然の死の訪れとして悲劇です。
 でも、なぜ「自死遺族支援」だけが独立して論じられるのか。
 それを“個人”としてまず振り返ってほしいと思いました。

 1時間ほどの講義の後、ワークシートを配り、このことを問いかけました。
課題は
「①貴方が住んでいる集合住宅の隣の家の人が自死で亡くなり、日がたってから発見されました。そのことを知った時、あなたは瞬間的にどう感じますか?
②貴方の同僚が上司のパワハラと過労のためうつを発病し、過労自死されました。上司は「あいつは心が弱かったから自死したんだ」とあなたに話かけます。あなたはどう答えますか?
③貴方は借家を探しています。家賃の安い物件が見つかりましたが、不動産屋さんは「ここは数年前に自死があった【心理的瑕疵物件】なので家賃を安くしています」と説明しています。住居内は全てリフォームされ、きれいな状態です。あなたはどう感じますか?
④貴方のお子さんが「結婚したい」と恋人を連れてきました。聞いたところ、親族の複数の方が自死で亡くなっています。あなたはどのように感じ、子どもさんにお返事しますか?」
 グループワークや発表は不要なので、自分自身の心に問いかけて下さい、と話しました。

 どれも、「自死遺族の希望の会」に参加した遺族が、ある時は直接的な言葉で傷つけられ、ある時は「このように思われるのでは」と恐れを抱いて自死を隠す原因になっている出来事です。

 突然の死という悲劇、遺された者の悲しみはは事故死も災害死も同じかもしれない。でも自死遺族を孤立させる「一人一人の個人としての目」。
自死遺族支援を考える人に、まず、自分の心の中を振り返ってほしいと思います。


 

2018年07月24日 20:34

足を踏ん張って嵐から子どもの身を守る母親たち

最近、精神障害で苦しむ若い方々に関わることが多くなりました。
関わりの中で、その方のお母さんと話をする機会も多くなりました。

つくづく、母親とは、大変な役割だと思う。

「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」と背中を小さくして謝るお母さん。
「どうしたら子どもを救えるのでしょうか」とすがるように語るお母さん。
いたたまれない思いを言葉にすることもできず、ため息をつくお母さん。

言葉を失うことが多い。

一方で、その大変さを身に背負い、逃げない母親たち。
大変だからここらで勘弁して、は決して考えない母親たち。

見た目ではわからない、すごい力を内に込めていると感じます。

遺伝子の中に埋め込まれた「母性」の力でしょうか。

一方で、若い母親による幼児虐待死の事件などを見ると、本当にいたたまれない気持ちになります。
一番守ってくれるはずの人間に裏切られ、死に追いやられた子どもの絶望はいかばかりだろうか。

 

私も、もっと娘のために、右往左往して、おろおろしながら、根性で守ってあげたかったな。
もっと時間が欲しかったな。
もっと一緒に苦しみたかったな。

そんな風にも思うのです。

2018年07月02日 19:16

一粒の麦は死んで大きな実を結ぶ

聖書の有名な言葉に
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
という言葉があります。

聖書上の意味はイエス・キリストが、十字架にかかる前夜、自らの十字架の死の意味を弟子に諭した言葉です。
私はこの聖句から「1人の人間が、生きている時より、死によって多くの人の中に大きな意味を残す」というようにも考えます。

また、私の好きなエッセイ集「知らされない愛について」(岡知史 著)の中にはこんな言葉があります。
(何度もブログに載せていますが)
「失われた命の意味について」
 死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようとして動く人は多い。
なぜなら生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は生き残った人たちのものだからである。」

6月21日。
娘が昇天して丸7年。
この日に「小さな一歩」を設立して丸5年。

娘が生きていたら、私は何をしていただろう。
平凡に、平日は仕事をして、週末は映画やスポーツジムに行っていただろう、
何も疑問に思わず。

カウンセリングにも社会福祉士にも無縁の生活だっただろう。

自死遺族にも、死にたい気持ちを抱える人にも、心の病に苦しむ人にも、お金も家もなくさまよう人にも、家族のDVにさらされて命の危険を感じる人にも、虐待された人にも、自分の性癖が治せず苦しむ人にも、

誰一人会うことはなかっただろう。


娘の死は、地上に落ちた麦の一粒のように、新しい麦の穂を育んでいるのだろうか。

娘に「ありがとう」とは、言えないけどね、まだ。いや永遠に。

2018年06月14日 21:46