広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

安楽死の是非について語る危険を知りながら、、その資格もないが

スイスで自ら安楽死を選んだ女性についてのドキュメンタリーが出版され、また、NHKドキュメンタリーでも番組化されたことで、「安楽死」という死についての賛否が問われています。
不治の病に苦しんでいた女性が、安楽死を決断し、親族に見守られながら自分で「死のスイッチ」(薬)を押して亡くなりました。
【参考までに】
「安楽死」は日本人に希望をもたらしてくれるのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712
「NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586161/index.html
「これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる」
https://ironna.jp/article/8622?p=4
 
治療の見込みがない終末期医療にある人が自らの死を決断するのか、緩和ケア医療によって、苦しまない最期を迎えるのか も論議されています。
 
私は自死遺族として、自死遺族の分かち合いを6年間続け、多くの遺族の悲嘆の声を聞いてきた身として、
どんな最期であっても、遺された人々が
「もっとしてあげることができたのに」
「別の方法があったのでは」
「自分の対し方がいけなかったから自死したのでは」
と悔やみ、自分を責め続ける姿を多く見てきました。
 
ですから、仮に安らかな最期であっても、それがいかに本人が納得して選択した結果であっても、遺された人が『これでよかった』と思うことは決してないと思っています。
 
ただ、一番辛く、苦しく、悲しく聞いた話として
余命が短い病の床にあったり、生き続けることが拷問のような痛みや苦しみにありながら
色々な事情によって、終末期医療や緩和ケアにつながることができず、
独りで自ら死を決断した人が、日にちが経った後に傷ましい姿で発見され、
遺族がそのショックと激しい後悔でもがき苦しんでいる様を聞くときです。
 
安楽死についての是非を語る資格はありません。
 
ただ、自死遺族にとって最期の姿は一生脳裏から離れることがないのです。
せめて、おだやかな姿で天国に見送ってあげられていれば、、と、
励ましもなぐさめもできない「その方」について思うだけです。
2019年06月17日 19:48

当事者のホンネだからこそ説得力がある

先日の「こころを休憩する会」では、自助の分かち合いならではの言葉かけが印象に残るものでした。
「街や電車などで、見知らぬ人が憎悪の言葉や攻撃的な悪態を大きな声でつぶやいている姿を見ると、恐怖を感じる。
自分に向けられているのではないか、襲われるのではないかという不安が大きくて、怖くて外出ができない」という方から「そういう不安の克服の仕方を教えてほしい」という問いかけに、
「自分は実は、そのような独り言を言ってしまうくせがあって。。。」と、当事者から勇気のある発言がありました。
その方の、当事者本人ならではの本音とそこからの助言は、相談者も回りの出席者も、「目からうろこが落ちるような驚き」をもって聞きました。
内容はここでは公表できませんが、そのような独り言を言わざるをえないこころの苦しみがとてもよく理解できたこと、そして相談した方がとても安堵して喜んで帰られたことは間違いありません。
また、子どもの時からの母子関係が元で精神障害に苦しむ方と、障害のある子どもへの向き合い方で悩んでいる母親の立場の方が、それぞれの想いを交換しあいました。
「母親自身が自分の人生を満喫すること。その姿を見せることが“一番の子育て”。
という話で、両方の立場の人たちが納得しました。
色々な立場や悩みを抱える人たちが、同じ立場や目線で語り合うことは、一方通行の知識の何倍、何十倍も説得力があることを改めて知った会でした。
2019年06月11日 18:46

生活困窮者支援はお金の問題が解決されればOKですか?

女性専用シェルター事業を始めて2年と少し経ちます。
小さな一歩の女性シェルターでは、単純な生活困窮者だけでなく、精神障害等を一因として家族や社会から孤立し、行き場を失くしている人や、家族による様々な暴力や虐待によって、精神障害の状態にある女性も保護対象としています。
 
2年余りの間、数十人の方がこの場所を通り過ぎていきました。
無事に職と住居を得て、今は安定した生活を送っている人も多い。
職につかないまでも、公的支援を受けながら、自分なりの生き方を見つけた人も多い。
その中には、今も「こころのともしび」のフレンドさんとして顔を出してくれる人も少なくありません。
今の生活もいいことばかりではなく、つまづいたり、心が不安定になってしまうこともあるけれど、そんなときも、ここに来て一緒にご飯を食べたり、笑ったり、時には傾聴で思いを吐露することで、根本の解決にはならなくても、多少は気持ちを楽にすることができる。
 
でも、反対に、何らかの経済的な保証は得たものの、心身の健康の回復がないままシェルターを“卒業”する人を見送る時には胸が痛みます。
特に、恐らく幼少期から何らかの障害があったのに、生育環境が原因か、必要な公的認定や支援が受けられずに中高年の今まで過ごしてきたであろう人。
精神的な特性も一因してか、親族からも孤立し、社会に受け入れられず、挫折を繰り返している人。
その繰り返しで、心がかたくなになり、誰の助言も受け入れず、支援の手を拒否している人。
残念ながら、そのような“卒業者”に対して民間のNPO法人ができることには限界があります。
“伴走者の自主的な好意”以上のことができません。
それを拒否されることも多く、無力感がつのります。
 
その方に必要なのは「生活保護」というお金での最低保証に終わるのではなく、
孤立の悪循環を断ち切るために、時には専門的な権限と実行力をもって病気の回復や障害者支援につなげる「力」が必要だと思うのです。
 
いまの「生活困窮者支援」制度でそれは十分と言えるのでしょうか。
私には、そのようには思えません。
 
 
2019年05月12日 19:16

失われた10年の後遺症は、これから40年続く

世の中は改元ブームですか(失笑)
先日、テレビで「平成を『よい時代だった』と思う人が7割」、とのアンケート結果が出ていました。
「失われた10年」辛く暗かった時代をのんきに忘れられる幸せな人が多いのだな、と苦笑しています。

小さな一歩には、40代~50代で、生活の問題や心の問題に苦しむ人がたくさん来られます。
いま、世の中で言われる「8050問題」、まさにその最中にある人も多く来られます。
今日のyahooニュースにも取り上げられていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190411-00010002-binsiderl-soci

私は以前、このブログで「ひきこもり若者支援や調査の対象が30代まではおかしい」と書いたことがありました。『今更騒ぐか』と言いたい気分です。

ただ、この問題で大きく言われる「後期高齢者の親と無職ひきこもりの子どもの今後の生活不安」は氷山の一角ではないでしょうか。
いま、職を得ている人や結婚している人でも「こころの問題」を掘り下げて聞いてみると、就職氷河期に何とか職を得たものの、雇用環境が劣悪だったり、自尊心を崩壊されるような仕事内容やパワハラによって心が折れてしまったことがきっかけで、心身のバランスを崩してしまった人。生きていくために何とか仕事にしがみついているが、転職を繰り返して安定した仕事につけていない人が多くいます。
また、この時代に、経済困窮が一因となって崩壊した家庭で育てられた年代の人の中に、親の言動によって深く傷つけられ、PTSDから対人不安障害や神経症を抱え、大人になって進学や就職をしても人間関係が築けない、という話も多く聞きます。家族は離散し、本人は苦しみながら1人で生計を立てています。

皮肉にも「50代の無職の子どもが80代の親の持ち家に住み、年金で生活できている」今を羨んでいる人も少なくないのです。

「今は求人難だから、今から正社員になればいい」、そんな簡単なことではありません。
20年間で急速に進んだビジネスのデジタル化、IT、ロボット化。十分なIT職業訓練も受けられなかった人々ができる仕事はやはり限られているのです。

令和は平成の「失われた10年」の“ツケ”を40年間でどう償うかの時代。
「無職」「ひきこもり」だけに焦点を当てるのではなく、広い意味での社会的支援が必要ではないでしょうか。


 
2019年04月11日 20:31

親はいつでも子どもが弱音を吐いてくれるのを待っているんだよ

最近嬉しい便りがありました。
重い「うつ状態」で引きこもり、一人で闘病に苦しんでいる方から、「やっと故郷に帰り、元々お世話になっていた病院で治療を受けようと決心がついた」とのお知らせです。
「何が嬉しいか」と言われそうですが、この決心にあたって一番のハードルが「郷里の親に病気のことを打ち明けなくてはいけない」ことだったのです。
 
親御さんを心配させまい、として自分の病気や闘病の苦しみを“知らせまい”とする人は少なくありません。
というより、遠方に住む子どもが、こころの病で闘病している親の多くが、子どもから病気について打ち明けてもらえず、様子がわからず、相談に乗ることもできないことを悶々と悩んでいます。
自死で子どもを亡くした親は「どうしてもっと寄り添い、話を聞いてあげられなかったのか」と悩み、「どうして話してくれなかったのか」と亡き子に問いかけます。
私もその一人です。
 
だから、この方から相談を受けた私は言いました。
「親を心配させまい、と秘密にしていても、親の勘でわかるんだよ、何か起きているって。
胸騒ぎがしているのに、本人から何も教えてもらえない、聞いても答えてくれない。
それほど心配で辛いことはないんだよ。
重い症状であっても、『言ってくれた』ことだけでまず安心するんだよ」
 
数日して、その方は勇気を出して病院に連絡し、親御さんに病気のことを打ち明け、郷里に帰る決心をしたそうです。
親御さんの言葉はとてもやさしく温かかったそうです。
 
「余寒の候」。立春を過ぎ、寒が明けてもまだ寒さが続く、今頃の気候のことを言います。
でも、春は必ず来る。近づいているよ。
 
「元気になったら、いや、ならなくても。また会おうね。
いつでも、いつまでも待っているよ」とその方に伝えました。
2019年03月07日 11:20

うつがひどいときは「崖の途中にしがみついて身動きとれない」状態

うつの症状がひどくて、しばらくお会いできなかった方が久しぶりに「ともしび」に遊びに来られました。
冬場、しばらく体もこころも動きがとれないような状態だったけど、
やっと身を起こせるようになって、お話に来てくれたのです。

その方が、症状が重いときのご自分を
「崖の途中で手足を動かすことができず、昇ることも落ちることもできないで崖にしがみついている状態」と話していました。
また、そんなときは「自分は頑張れば崖の上にもう一度上がれるんだ、上がれないのは自分が弱いからだ」と思いこんでしまうそうです。

「うつ」がひどい時、、、崖に例えると「崖下の深い谷に落ちてはいあがれない状態」と思いがちでしたが、
『落ちることさえ、怖くてできない状態』と聞いて、今までお話を聞いてきた色々な方の姿ととても重なるものがあり、腑に落ちました。

いっそ、一回落ちて(仕事や学業、家事などの役割や社会的責任から一旦離れて)しまえれば楽だとわかっていても、手を離すことができない状態、、、

どんなに恐ろしく、不安でしょうか。

その方はようやく、崖を横に移動する程度には手足が動かせるようになったそう。(決してはいあがったのではないけど)
それは「他人と会って、話すことができるようになった」ことだと言います。

当事者の言葉は重い。教えられることが多いと改めて思います。

以前、自殺防止団体の研修で、死にたい気持ちの人を「崖下に落ちておぼそうな状態」の人に例え、
その人に寄り添う姿勢として「一緒に飛び込むのではなく、命綱を持ちながら崖下まで降りていき、手を差し伸べること」と教えられました。
でも、手足を硬直させ、崖にしがみついている人に「命綱につかまれ」と降りていくことは、崖下の人以上にむずかしい、、、

今、小さな一歩でつながっている人の中にも、「何かできないか、どうにかできないか」と思いながら、手の差し伸べようがない人がたくさんいます。

そのジレンマを抱える私たちもつらい、、、
2019年02月26日 19:29

高速化する時代の変化が中高年の「ひきこもり」をさらに疎外する

平成の時代をほとんど引きこもり状態で過ごした方がいる。
精神科医療にも、障害者認定や支援サービスにも、何も届いていない。
 
元気な時には、器用な手先を活かして仕事もしていた。
その仕事が好きで生きがいだった。
でも、その仕事はデジタル技術とインターネットにとって代わられ、今はその職種自体が過去のものになっている。
 
70年代~80年代には音楽が好きで、当時のレコードコレクションを宝物にしている。
でもその宝物を聴くための機器が今日にはない。
音楽編集も得意。自宅でかなり高度な「自作のオリジナルミュージック」作りをしていた。

でも、その時得意としていた機材は今は販売されていないので使うことができず、
「オリジナルミュージック」は再生すらむずかしい。

アナログからデジタルへ。
「時代の変化だから仕方ない」というだろうか。
アナログレコードをデジタル方式に変換する方法も、そのツールもあることは知っている。
でもいきなり、聞いたこともないデジタル用語やソフトや機器の名前が矢継ぎ早に出てきて「これを買え」「これを使いこなせ」と言われて器用に乗り換えられる対応力があるなら、きっとこの方は引きこもりになっていなかったのではないだろうか。
 
平成でさえ過去になろうとしているいま、
あまりに早い時代の変化が、また、今後もっと変化の速度が加速するであろういま、
引きこもりの中高年が、デジタル社会に復帰することはさらに難しく、疎外をさらに強くしている。

そう言えないだろうか。
2019年02月12日 19:00

これほど辛い想いで聞いた話はない

「自死遺族の希望の会」を始めて、丸6年になりました。
その間、40回開催し、延べ約400人とお話を続けてきました。
1つ1つが本当に胸の痛む辛い、やり場のない、終わりのない、解決できない想いだった。
 
でも、先日聞いた方ほど、お気の毒で言葉のかけようがないお話はなかった。
 
1年以上前に行方不明になったご家族が、最近山中で発見された。
年月が過ぎたため、遺体は生前の姿が確認できない状態だったが、DNA鑑定や遺品によって警察はご本人と確認し、遺骨もお手元に帰ってきた。
 
でも、その方は「絶対に生きている、これは何かの仕業によって別人とすり替えられたものです」と一生懸命お話される。
その根拠も、一生懸命お話しされる。
残念だけど、その根拠には根拠がない。

でも、否定する気持ちにはとてもなれませんでした。
 
私は言いました。
「ご遺体がご本人である可能性は残念ながらかなり高い。
でも、ご本人の生前の姿を誰も見ていないから、100%と、誰も断定はできない。
もしかしたら、あなたが言われるとおり、生きておられるかもしれません。
でも、もし生きておられても、何かの事情によって、元の名前であなたの前に戻ろうとは思っていないでしょう、これだけの月日、音信不通なんですから。
もう二度と会えないかもしれないけど、この空の下で生きている。そう信じましょう。
そしてあなたも、共に生きましょう」
 
「もう二度と会えないんでしょうか、、、」と肩を落としながらも、
「生きていてくれさえすれば」とつぶやきながら帰られました。
 
本当に、胸が苦しくなる後ろ姿でした。
 
私はうそをついたのだろうか、でも本当に「うそ」だろうか。
遺族は、亡くした後も「天国で命を得て、私たちを見守り、共にいてくれる」と信じている。
地上と天上。
その方が“いまもいる”ことを信じることに違いはない。
そう一人で思いながらも、その方のこれからの人生をかえって重いものにしたのでは、と悔やみます。
 
2019年02月04日 21:15

「正月は家族でのんびりと」が辛い人も多い

今年の正月休みは小さな一歩の活動も9日間お休みをいただきました。
例年より休みが長かった方は多いのではないでしょうか。
「久しぶりに家族でのんびり楽しく過ごし、正月明けはまた仕事、家事、学校と忙しい生活に戻る、ため息。。」
世の中では定型句のように言われます。
 
でも「久しぶりに家族で過ごす」ことが苦痛の人もいます。
子どもの頃から親や家族から一方的な精神的苦痛を受けている人。
色々な諍いが家族の間で絶えず、一緒にいることが苦痛な人。
一人で生きていくことを決めて、家を出て、自分自身の力で色々な人間関係を作ってがんばってきた。
でもなぜか「正月」は“家族で過ごす時”と決められているようで、1人でいると孤独が身に染みる。でも家族と会うと、忘れたい、忘れかけていた精神的苦痛で傷つく。
 
「家族がきらいだから一緒に過ごしたくない。だから正月も1人で過ごした。でも、正月はテレビを見ても街に出ても、仲のいい家族の姿ばかり見せられる。自分だけが孤独で、うつになってこもっていた」
「実家に帰ろうと思っていたのに、家族から一方的に『お前は帰ってくるな』と拒否された」
「親戚の集まりの中で、自分や自分の家族のことを誹謗中傷された」
そんな苦しみを訴える方が今週は続き、そのような方のためにこそあるべき「こころのともしび」がこの期間に閉じていたことを申し訳なく思いました。
 
お話を聞いていて思うのです。
家族は他人の誰より深く長い人間関係だからこそ、お互いに傷つけあうことだって多い。
他人なら、嫌いな人とは縁を切れるけど、家族は切りきることができない。
普段は距離を置いて生活できているのに、「一緒にいなくてはいけない」ときもある。
一方で、「家族は他人より愛情の絆が強い関係で“あるべき”だ」という固定観念。
もちろんそれが理想だけど、この“あるべき”観が苦しみを強くするのでは、と。
 
1人の相談者に私は言いました。
「家族からの色々な虐待に耐えて、家を出て、あなたは自力で努力して温めあえる人間関係の輪を作った。その自分の頑張りを褒めてあげましょうよ。
正月はあなたにとって“愛の関係”がOFFになっていたとき。正月明けの今から、ONにして楽しもう」
簡単な答えとは思いませんが。
2019年01月10日 19:57

自死遺族に「自死を防ぐ方法はなかったのか」と問うならば

2月に、ある機関からのお招きがあり「自死遺族支援と自死未遂者の再発防止」という演題で講演することになりました。
 
講演の演題について悩みました。
遺族の分かち合いで聞くお話の中には、未遂の後に既遂してしまった、それを悔やんで苦しんでいる人が少なくありません。
私もその一人です。

「どうすれば救えたか」「どうしてあの時、止めることができなかったか」その悔いや問いかけに応えてくれる人は唯一一人だけ。
でも、その声を聞くことができない苦しさは一生続きます。
他の方はどのように思っているのだろう。
一昨日の「自死遺族の希望の会」で問いかけてみました。

多くの遺族に共通することは、
「希死念慮は本人の意志や判断力とは関係なく、突然背後から嵐のように襲ってくる」。
抗えないような強い恐怖の力に押され、『逃げるには死ぬしかない』と思いつめられる発作的な瞬間があるということ。
だから、数時間前には笑顔で明日のこと、将来のことを語っていた人が、半日もたたずにに自死してしまった、ということも少なくありません。
「それを防ごうと思ったら、四六時中監視して、瞬時も目を離さないようにしなくてはいけない」。
長い年月、ジェットコースターの乱高下のような発作のたびに右往左往し、家族も疲れ切って、発せられたSOSへの瞬発力が鈍くなることもあります。

長い闘病生活の年月の中で、「やっとよくなった」とほっとしたのもつかの間、症状がまた悪くなり、絶望と不安で、本人と一緒に立ち向かう気力が果ててしまう家族もいます。
 
「長い間精神の病と闘って、生きていることが本当に辛そうだった。何度か未遂もした。そのたびに『死にきれなかった』と言っていた。完遂したとき、悲しさもあったけど、『やっと楽になれたんだね』と声をかけてやりました」
と泣きながら語っていた方の姿は忘れることができません。
 
「自死を防ぐ手段は?」と遺族に問いかけるのであれば
このように、終わりが見えない闘病、予測もつかない生命の危機、突然襲ってくる恐怖、希望の後にくる絶望、、、
これらの本人や家族の長く苦しい闘いに、『薬』という形ではなくて、伴走してくれる存在ではないでしょうか。
ときには、希死念慮が強い人を、家族の代わりに見守ってくれる人かもしれない。
自死遺族になってからではなく。
2018年12月17日 18:21