8年たって思えること
先週木曜日、6月21日は娘の8回目の昇天祈念日でした。
毎年のように、多くのお花をいただきました。
送ってくださった方々に、いただいたお花と共に、それぞれの方と娘が並んで映っている写真のスライドをカメラで撮ってお礼状として送りました。
その撮影のために、娘が産まれてからの25年間の写真を何度も見返しました。
自死遺族の会で時々聞かれること。
「8年間で、どのようにお気持ちが回復してきたのですか?」
回復、という言葉では語れない8年間だったのでいつも言葉に詰まっていたけど。
ただ、8年目で気づいたこと。
以前は、娘が元気だった頃の写真を見るのがつらかった。「あんなに元気に生きていたのに、かわいそうな最期だった。そんな最期にしたのは私のせいだ」と思ってきた。
でも、今回、写真を見ながら、「最期はつらく悲しい別れだったが、25年間は、その時その時を一生懸命生きた人生だった」と、ふと思える自分がいました。
8年間、欠かさずお花を送って下さるような、よき友人にも恵まれていた人生だったと。
2019年06月26日 19:08