広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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一言の言葉がもたらす重い功罪

「ともしび」に、1人の方が訪ねてこられた。

体調がいいときは「こころのともしび」にも遊びに来るが、重いうつ病で体調が安定しない。
死にたい気持ちが高まることもたびたびあり、気持ちが抑えられない夜、よく電話をかけてこられていた。
深夜にかかる電話。その方の名前が携帯電話に表示されるとどきっとする。
電話に出る。
手の届かない距離にいる、その方の「死にたい気持ち」にどう答えたらいいか、緊張する。
その気持ちを抑えながら、まず、「死にたい気持ち」を否定せず受け止める。
そして、
「『ずっと生きなくてはいけない』と考えなくていい、でも生きていたらまた私たちに会える。
次に「ともしび」で私たちと会える日までは、とりあえず生きていることにしよう。
約束も予約もいらない、いつでも私たちはあなたを待っているから、調子が上向いたらここで会おう。
そう思って、その日までは生きていよう」と、言葉を絞り出して呼びかける。
 
必死なので、他に何を言ったのか、正確には記憶していなかったが、
久しぶりに来られたときに、
「この時に、米山さんにかけてもらったこんな言葉を胸に刻んでいたから死ななかった」と、とても、細かい言葉まで覚えていてくれていることに驚いた。
 
人は自分が言った言葉は忘れても、他人が言った言葉はよく覚えている、と聞いてはいたが、
ここまで心に刻んで、死にたい気持ちを抑えて生きていて下さっていたかと思うと感動し、涙が出た。
 
逆もあるだろう。

言葉を発した人が忘れた一言が、言われた人の胸をえぐり、心に回復できない痛みや怒りが無くならない、そんな人の訴えを聞くことも多い。
往々にして、そのような痛みや怒りは、言葉を発した本人に返ることはなく、陰で拡散していく。
 
メールも含め、書き言葉は見直して、修正して伝えることができるが、口から出る言葉は取り戻せない。

言葉がもたらす、感動も喜びも怒りもトラウマも、ほとんど「口から発せられる」もの。

人と人との諍いを両側から聞くと、傷つけた人は「自分は間違ったことは言っていない」と発言の主旨の正当性を主張する。
傷つけられた人は「○○と(いう表現)言われた」と、一言の表現が脳裏に焼き付いていることがほとんどだ。
 
それだけに、いかに聞く相手の立場や心中をおもんばかって、言葉を発することが大切か、それが問われているのだろうと、改めて身に染みて思う。
2019年07月10日 18:42