広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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これほど辛い想いで聞いた話はない

「自死遺族の希望の会」を始めて、丸6年になりました。
その間、40回開催し、延べ約400人とお話を続けてきました。
1つ1つが本当に胸の痛む辛い、やり場のない、終わりのない、解決できない想いだった。
 
でも、先日聞いた方ほど、お気の毒で言葉のかけようがないお話はなかった。
 
1年以上前に行方不明になったご家族が、最近山中で発見された。
年月が過ぎたため、遺体は生前の姿が確認できない状態だったが、DNA鑑定や遺品によって警察はご本人と確認し、遺骨もお手元に帰ってきた。
 
でも、その方は「絶対に生きている、これは何かの仕業によって別人とすり替えられたものです」と一生懸命お話される。
その根拠も、一生懸命お話しされる。
残念だけど、その根拠には根拠がない。

でも、否定する気持ちにはとてもなれませんでした。
 
私は言いました。
「ご遺体がご本人である可能性は残念ながらかなり高い。
でも、ご本人の生前の姿を誰も見ていないから、100%と、誰も断定はできない。
もしかしたら、あなたが言われるとおり、生きておられるかもしれません。
でも、もし生きておられても、何かの事情によって、元の名前であなたの前に戻ろうとは思っていないでしょう、これだけの月日、音信不通なんですから。
もう二度と会えないかもしれないけど、この空の下で生きている。そう信じましょう。
そしてあなたも、共に生きましょう」
 
「もう二度と会えないんでしょうか、、、」と肩を落としながらも、
「生きていてくれさえすれば」とつぶやきながら帰られました。
 
本当に、胸が苦しくなる後ろ姿でした。
 
私はうそをついたのだろうか、でも本当に「うそ」だろうか。
遺族は、亡くした後も「天国で命を得て、私たちを見守り、共にいてくれる」と信じている。
地上と天上。
その方が“いまもいる”ことを信じることに違いはない。
そう一人で思いながらも、その方のこれからの人生をかえって重いものにしたのでは、と悔やみます。
 
2019年02月04日 21:15