孤独な暗闇の中に、ほんのひと時でも差す日差し
小さな一歩には、いろいろな場所から、いろいろな経緯がある方が集まってくる。
つらい経験を沢山した方、今も苦しみの出口がわからない方がいる。
孤独の人生を歩んできた方がいる。
理不尽な暴力や暴力的な行動で一方的に踏みにじられてきた方がいる。
自分のこころや行動を、自分自身でコントロールできないことに苦しむ方がいる。
ずっと不遇の道を歩んできた方がいる。
自分自身の人生が、その人のせいでなく、ままならない方がたくさん訪れる。
そんな人々を見ていると、せつなくてやるせない。
権限も力も資格もない自分たちには、限られたことしかできない。
無力さに悲しくなる。
でも、時々薄日が差すような、ほっとするような、じんとするような想いがある。
ずっと孤独の人生を歩んできた方が、色々な事情を抱える他の人たちとほぼ初対面の食卓を囲むことになった。
おとなしくて、無口な方。
子どもも含めた、どちらかというと騒がしい食卓は大丈夫か、かえって疲れたのではと気になった。
でも、その方は次の日、
「大きな家族みたいに食卓を囲んで、お話をしながらにぎやかに、手作りのご飯を食べて。
こんなことは初めてでした。ご飯もおいしかった。
とても幸せな時間でした。」と明るい笑顔を見せてくれた。
前の日、その方の人生の話を聞いたときに、
「今までの人生で一体、どれほど“喜び”を感じることができていただろう」
と、その方が気の毒で胸が苦しくなった私は、
翌日この方の口から「幸せ」という言葉を聞いて、なんだか泣きそうになった。
そうだよね。よかったよね、そうだよね。
楽しくご飯を食べる幸せを感じることができたんだね。
ささやかなこと。人生の中の短い時間かもしれない。
でもそれを、この場所で味わってもらえてよかったよ。本当にそう思う。