広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

6回目の昇天祈念式に想いの変遷を振り返る

昨日(6月24日)、歩美、私の両親、歩美の父方の祖父の合同祈念式を教会で行いました。
祈念式に寄せて、懐かしい写真や動画を編集した動画を作りました。
祈念式に動画を作るのは4回目です。
初めは歩美の昇天1年祈念式。
「歩美が一生懸命生きた軌跡を忘れないで」と訴える想いと涙でいっぱいでした。
2回目は歩美の昇天2年と父の昇天祈念式。
父が生きた87年や家族の歴史を懐かしみ、歩美と亡き父が映っている写真を集め、母の想いを重ねました。
3回目は3年前。歩美の3回目の昇天祈念式。
「こころのともしび」を開業した決意を歩美への想いに重ねました。

今年は、2月に昇天した母のこと、私が生まれ育った家族の歴史に想いを重ねました。

動画を作りながら過去の動画を見直すとその時その時の自分の心境が映し出されて、
自分のためのアルバムを作るようです。

BGMには、亡き母がファンだった さだまさしの「主人公」を重ねました。

「或いは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
時をさかのぼるチケットがあれば ほしくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって。。。
もちろん今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても恥ずかしいから
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公

時折思い出の中で あなたは支えてください
私の人生の中では私は主人公だと

こんな歌詞を「今の自分の想いに重ねることができるようになったんだね、私。」
としみじみと感じた昨日でした。

2017年06月25日 20:04

6回目の命日に花を見て考えること

6回目の命日(キリスト教では昇天記念日)の昨日は、たくさんのお花に囲まれた静かな1日になりました。
あゆみの幼馴染のお母さん、大学時代の親友、小さな一歩のメンバー、次女の婚家のお義母さん、、
そして東京では次女夫婦も。
長いつながりの方も、新しいつながりの方も、
歩美のためにお花を下さったことに大きな感謝を感じます。
 

最近、ともしびの庭にあるハイビスカスの鉢から「こどもの芽」が芽吹き、すくすくと育っています。

このハイビスカスは、歩美が暮らしたアパートの遺品整理をしていた6年前の今ごろ、
縁側に小さな苗が置きざりになっていたものを私が持ち帰って育ててきました。

毎年、冬になると葉が落ちるのですが、春には葉が出てきれいな花が咲いていました。
今年は春になっても葉もつぼみも出てきません。
「冬越しできずに死んでしまったのか」と心配して、枝の様子を見てみると、幹の中心は緑で水分が通っており、生きていることがわかります。

「どうしたのかな、生きているなら何とか春の息吹を見せてほしいな」と思っていたら
5月ぐらいから鉢の中から、子どもの幹がぐんぐんと成長してきました。
がんばれ、子ども、そして母の幹もがんばれ、と声をかけながら水やりをしています。

こういう植物のたくましさが私は好きです。
厳しい冬にあって、地上で枯れたように見えても地中で根はがんばって、いのちをつないでいる。

歩美もどこかにいて、魂は静かに生きていて、私たちは「歩美」を「根」として絆を育てていくのかな。
そんな風に思えたのでした。

2017年06月22日 19:26

今日、新しい人生を歩みだす娘へ

今日、6月9日は、私たちの結婚記念日であり、
偶然にも次女の婚約者の誕生日であり、また、次女が今日、婚姻届を区役所に出した「0回目の結婚記念日」でもあります。

昨晩、次女と電話で話して、改めて彼女が自分の新しい人生をスタートさせることを実感しました。
(結婚式は秋なので、漠然と「秋に結婚」というイメージを持っていたため、、、)

これからは、6月が、人生の喜びと悲しみが交差する、一層特別な月になります。

次女のことを思う時にはいつも、苦い後悔や不安がつきまとってきました。
親の離婚、母子家庭、再婚、自分をいつも守ってくれた姉の突然の死、、、
20代前半までに、普通の子どもなら経験せずに過ごせる人生の困難や転機に突然直面させられてきた娘。

色々なことが家族の中で起きるたびに私は、次女の表情や行動の変化に敏感になりました。
いつも、何かを我慢しているのではと、気になってきました。
環境の激変や逆風によって、娘が精神的に混乱し、それが原因で心に困難を抱えた大人になったら
それは、親である自分の責任で、そのつぐないを一生していこう、と覚悟した時も多々ありました。

でも、そんな心配を(少なくとも今までは)吹き消すように、いつも元気で笑っていてくれた。
小さな時から親を心配して言葉をかけてきてくれた。
特に、姉である長女の死後、この娘が足を踏ん張って生きている様を見ていなかったら、
私も「生き続けていかなくてはいけない、死んではいけない」と思えなかったでしょう。

娘に心からお礼を言いたいと思います。

「あなたがいてくれたから、私はいま生きている」。

そして、心から願います。
「○○さん、私の、小さなこの愛娘は、たくさんの涙を飲み込んで笑ってきました。
どうぞ、これからは、この娘が涙を飲みこまずにたくさん笑えるように、一生守ってやって下さい。」

2017年06月09日 20:08

1人でもこのことで元気になれるなら

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先週末からこころがほっとするちょっとしたエピソードが続きました。

5月21日、福山の自死遺族の会「つゆ草の会」は、現地世話人のお2人のがんばりがあって、準備もしっかりと、順調に始まりました。

会場の「水呑カフェBoneu」は陽光明るく、店内外の緑に、心が落ち着くとても素敵なカフェ。店内にいるだけで「癒し」の空気に満たされるような気持ちになります。

https://www.cafeboneu.com/

初回は6人で囲みました。ゆったりと、まず1人1人が「こころ」の内を語ってから、フリートークに入ることにしました。
今まで、始めの自己紹介は簡単にすませ、フリートークで「語りたい人は語り、話すことが難しい人は聞くだけでもいい」という形にしてきましたが、中には、話したい気持ちはあるのだけど、語り出すのに口が重い方もいて、語り足りないままで帰路についたのでは、という反省がありました。
始めに“自分なりに”この場で語りたいこと、参加した想いなどを一通りお話ししてもらうと、
お互いも理解しやすく、遠慮が少なくなってフリートークも気軽に話しやすくなることがわかりました。
この方法は、来月以降の「自死遺族の希望の会」「つゆ草の会」でも続けていきたいと思います。

また、先日、希望の会に何度か参加されている方から電話があり、声がはずんでいました。
その方は、心因性の難病のために、生活上で不自由が多い生活をしていたのですが、
分かちあいに何度か参加しているうちに、少しずつ体の調子がよくなり
(実際私が見ていても、参加のたびに、顔色がよくなり、お話しぶりも元気になってきたと思っていました)
先週の分かち合いの後、「したいと思いながら、どうしてもできなかったこと」ができた、という喜びの声でした。
その方のかかりつけ医も、外に出て他人と関わることが、病気の快方にとってとても大事であること、その第一歩として、同じ体験をした人同士が安心で語り合える「自助グループの分かち合い」が一番適している、と喜んで薦めてくれたとのことでした。

これは何よりうれしい便りでした。


分かち合いを始めて4年余り。
悲喜こもごも、心配したり不安になったり、反省したり。
いつも色々なことがあるけれど、
この会によって元気になれる人が1人でもいれば、十分に役割を果たしているのでは、と思えた瞬間でした。

2017年05月25日 19:18

乾いたDNAに沁みこんだ空との青、山の緑

このところ数か月、働きすぎで心を亡くす「忙」の状態でした。

社会福祉士試験が1月末に終わった後も、
2月から3月は、試験のために全く手を付けていなかった助成金事業報告書の作成と
4月からの委託事業のための企画提案書作成。

4月に新しい委託事業が始まり、慣れない上に予期せぬ事態が毎日起きるので「走りながら考える」毎日。

会社(本業)の電話の子機と、「小さな一歩」の電話の子機と、携帯電話に応対する『3丁拳銃』の毎日。

気がついたら、「こころに寄り添う」よりパソコンと格闘する毎日。

時間にも心にも余裕がないから、相談したいと思っている人も声がかけにくいらしく、
「米山さんは忙しくて話を聞いてくれない」という声も聞かれて、
仕方がないのよ、私も人間で、限界もあるのよ、と心の中で叫ぶ一方で、
自分のゆとりのなさ、余力の不足に激しく落ち込みました。(今もだけど)

心がかさかさに乾いて、ささくれて、意地悪くなっていることを実は自分が一番感じていました。

そんな日々がちょっと一段落ついた(?)GW明け、
家人が道楽で買ったドローン飛ばしに何気なくついていき、犬を連れて高原や海岸に行きました。

不思議な気持ちになりました。
なんだろう、目の前にある緑の山の稜線、海岸に寄せる静かなさざなみ、、、、
何もせず、眺めているだけで、何だか泣けてきそうな思い。
心の中に何かが染みこんできて、静かに湿りを与えてくれるような感覚。

特別な景勝地に行ったわけではありません。
広島県の都市近郊にある、ちょっとした緑地だったのだけど。

生物としての「ヒト」のDNAの中に清水がしみこむような感覚でした。

子どもがいないので、つい、自然の中に遊びに行く機会も減っていたけど、
そのきっかけになってくれた「ドローンくん」に感謝(*^_^*)

2017年05月17日 20:02

娘が10年前に好きだったRADWIMPSの曲

今日、亡き娘の大学時代の友人が「ともしび」に遊びに来てくれました。

久しぶりに、大学時代の娘の話をたくさんして、私の知らなかった娘の一面も知って、
楽しい時間を共に過ごしました。

家では、だらだらとして甘えん坊だった娘が
仲間の間では、とてもいい聞き役で、お姉さん役だったこと。
ちょっと面倒くさい友達の話も、辛抱強く、「うまく転がしながら」聞いていたこと。

親友と、一晩中カラオケボックスにいて、歌ったり、歌がつきたら語りつくしたり、また歌ったりして過ごした思い出。

中でも好きだったのが、RADWIMPSで、カラオケに行くと、必ず「me me she」という曲をを歌っていたそうです。

私も名前を知っている、何人かの方々の近況も聞くことが出来て、とてもなつかしく、楽しい時間でした。

気が付いたら、生前の娘の話を、悲しい気持ちになることなく、
「大学時代は本当に充実した4年間だったのだな、楽しいことだけではなかったけど、そういう意味も含めて。」
と素直に受けとめることができるようになった自分がいました。

その後、お墓参りにも一緒に行ってくれました。

「何年たっても、歩美を忘れずに、広島に着いた足で来てくれて、本当にありがとう」。

 

娘が一番のお気に入りだった、「me me she」の歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B20794)。

「空が奇麗だね 人は悲しいね」
また見え透いたほんとで僕を洗ってよ
次がもしあれば 僕の好きな君 その君が好きな僕
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ
この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」

当時は、もちろん、その後の運命など知ることはなかったとは思うけど。

2017年04月12日 17:33

根気強く報せ続けるのに、無駄な方法はない

先日、ふらっと来られて、初めは口が重かったけれど、語り始めたら、重い重い人生を歩んできた方。

色々な事情があって、携帯電話もパソコンも見ることができません。
心や身体に不調があって、助けてくれる機関やこころをやすめる居場所を必死に探しているのだけど、
ネット万能の時代、「どこにいけばそういう居場所の情報があるか、その情報のある場所からしてわからない」と言われました。
「ここをどうやってお知りになったのですか?」と聞くと
「2年前に『こころのともしび』が開業したときに、広島市の公共施設の開架コーナーにチラシがあって、
それをずっと持ちながら、『いつか行こう、いつ行こうか』と悩んでいた」と言われました。

2年間暖め続けてくれて、そして、たどりついてくれたことを感謝しました。
 

いまはなんでもインターネットで情報を探すのが当たり前になっています。

小さな一歩の分かち合いや「こころのともしび」に連絡して来られる方もほとんど
「ホームページを見た」と言われます。

一方で、チラシは手間もお金もかかってたくさん配布するわりには反応がいまいちなので、
「あまり効果がないのかな?」と思っていた矢先にこの方のお話しを聞き、
改めて、このような活動を知っていただくためには、
周知活動も気長に、根気強く続けなければいけないことがよくわかりました。

本当に居場所を探している人ほど、ネット情報から遠いところにいる人なのだ、と気づかされました。

といった、日々の想いを伝えるのが、これがまたインターネットであることに矛盾や疑問を感じつつ。。。。。

 

2017年03月28日 19:13