我が足弱く、心折れることあれど
広島市からの委託で一時生活支援事業(女性専用シェルター)を始めて1年が過ぎました。
女性専用シェルターの事業はさらに、4年間継続されることになりました。
「NPO法人小さな一歩」を立ち上げ、月1回の分かち合いを始めて丸5年1か月。
「こころのともしび」を開設して2年9か月。
「女性専用シェルター」が丸1年。
活動の幅が広がるにつけて、多くの、そしてひとりひとり異なる壮絶な苦しみの人生に直面しました。
「なぜ、この人がこんなひどい仕打ちを受けなくてはいけないんだろう」
「もつれにもつれた心の糸はどこから解いていったらいいんだろう」
「この人が入り込んだしまった暗い闇に一筋の光が差すことはできるのだろうか」
「どうして、この人は、こんなことをしてしまうんだろう、止めることができないんだろう」
そんな思いで、色々な人と向き合いながらも、他人ができることの限界、というか
その人の代わりにできることは何もなく、苦しみも肩代わりできず、助言は意味をなさない。
自分の無力さに打ちひしがれることの連続だったように思います。
でも、人は、自分で光ある道を見つける力を自分の中に持っていて、一時的にはその力は弱まるけれど、
必ず、他人の力を借りず自分で立ち上がり、歩けるようになる。
それを信じて見守ることしかできません。
私はよく、「いつも忙しいですね」と言われます。
「何かアドバイスが必要な人は米山さん、解決うんぬんでなく、ゆっくりお話しを聞いてもらうだけがいい人は別のカウンセリングスタッフに」と、スタッフが傾聴を“お勧め分け”すると小耳にはさんだときは、心底情けなくなりました。
ああ、また私は、同じことを繰り返そうとしている。
いつも忙しい母親で娘の気持ちにゆっくりと寄り添えなかったから大事な娘を喪った。
そのことに対する強烈な贖罪の気持ちから、分かち合いや傾聴スペースを始めたのに、
結局、自分で自分を忙しくして余裕がなく、周りからも多忙な人間に見られる自分。
あれだけ自分を否定しつくし、新しい自分を始めたかったのに「くせ」を治すことができない自分。。。。
そんな私は、足を引きずりながら、汗をかきながら、疲れながら、無力感に叩きのめされながら、
怒りを抑えながら、日々葛藤しながら、不安に潰されそうになりながら、
新たな春を始めます。