自死遺族に「自死を防ぐ方法はなかったのか」と問うならば
遺族の分かち合いで聞くお話の中には、未遂の後に既遂してしまった、それを悔やんで苦しんでいる人が少なくありません。
私もその一人です。
「どうすれば救えたか」「どうしてあの時、止めることができなかったか」その悔いや問いかけに応えてくれる人は唯一一人だけ。
でも、その声を聞くことができない苦しさは一生続きます。
一昨日の「自死遺族の希望の会」で問いかけてみました。
多くの遺族に共通することは、
「希死念慮は本人の意志や判断力とは関係なく、突然背後から嵐のように襲ってくる」。
抗えないような強い恐怖の力に押され、『逃げるには死ぬしかない』と思いつめられる発作的な瞬間があるということ。
「それを防ごうと思ったら、四六時中監視して、瞬時も目を離さないようにしなくてはいけない」。
長い闘病生活の年月の中で、「やっとよくなった」とほっとしたのもつかの間、症状がまた悪くなり、絶望と不安で、本人と一緒に立ち向かう気力が果ててしまう家族もいます。
と泣きながら語っていた方の姿は忘れることができません。
このように、終わりが見えない闘病、予測もつかない生命の危機、突然襲ってくる恐怖、希望の後にくる絶望、、、
これらの本人や家族の長く苦しい闘いに、『薬』という形ではなくて、伴走してくれる存在ではないでしょうか。