先日、新聞の取材を受けました。
テレビや新聞の取材で今までにもよく聞かれるのは「なぜ、自死遺族という当事者である貴方が活動を始めたのか、続けているのか」という質問です。
その都度、何かを答えていると思いますが、なにか自分でもしっくりこない、(本当にそうかな?)という想いがどこかに残っていました。
娘が旅立ってからもうすぐ10年です。小さな一歩の活動も丸8年になります。
私自身がずっとその質問を自分自身に問い続けてきたように思います。
色々な答えがあります。
「娘の自死が過去になっていき、自分にとっても回りにとっても年月と共に薄らいでいくのがいやだった」。
自死遺族と語る会や、希死念慮のある方と語り合うたび、娘の生き様や最期は私の心の中に色褪せず存在する。悲しみを共に生きていく。
それが、私の望む、「これからも娘と共に生きていくこと」。それが、小さな一歩の活動のエネルギーになっていると、ずっと思っていました。
それは「うそ」ではありません。
でも最近、とても自己中心的な想いに気づかされました。
「私は自分を変えたかった」。
子どもの頃から、親に「おまえは冷たい。言葉にやさしさがない。きつい性格だ」と言われ続けていました。
実際、私は生家の家族の中で決してやさしい娘ではなかったと思います。
娘を亡くした時、"そんな自分"が母親だから娘の心をわかろうとしなかった、やさしい言葉をかけてやれなかった、寄り添えなかった、救えなかった、、追い詰めた、と、自分自身がほとほと嫌いになり、責めました。
だから、「他人の気持ちに寄り添い、弱い方を助け、やさしい言葉をかけられる人間に変わりたい。」と思いました。切に思いました。
そのために、カウンセリングを勉強し、社会福祉士の資格をとり、小さな一歩の活動、傾聴を始めました。
でも、最近思います。
「結局、自分は、自分の性格は、変われていない。」と。
「柔らかい、やさしい物言いができない」「ストレートな言葉が出てしまう」自分。
「割り切れない思いを抱えて矛盾に悩む心に、根気よく寄り添い、暖かい言葉をかけることができてない」自分。
本当に優しい人は、言葉を選ぶまでもなく、心の奥底から、人間の本質が優しい。
そういう自分に生まれ、育てられ、そういう大人になりたかった。
2021年05月13日 20:01