広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

心のこもったバレンタインプレゼント

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先日、バレンタインにともしびのご利用者から手作りチョコレートをいただきました。
半日かけて一から作ってくださったとのこと。
味はもちろん、見た目もキュート、それよりなにより、一生懸命心をこめて作ってくださったお気持ちに感謝、感謝です。

コロナ感染の爆発的拡大、蔓延防止対策の影響でランチもデザートもドリンクもお出しできない。
葛藤とくやしさの中で、温かい気持ちのこもったプレゼントにほっこり(#^.^#)

いまは本当にほそぼそと灯をともしている私たちですが、
早くまた、にぎやかな場所になりますように!
元気をもらった気持ちです。
 
2022年02月18日 14:30

「ノマノランド」には「さようなら」はなく、「また会おう」がある
 

「ノマノランド」。2020年のアメリカ映画で、2021年の第93回アカデミー賞で最優秀賞である作品賞・監督賞・主演女優賞の3部門を受賞した作品です。
1回目に観たときは、映画館の大画面で、アメリカの広大な大平原の圧倒的な美しさ、
それに重なる「ノマド」の生き様、同時に、語る言葉がないほどの深い寂寥感に胸が締め付けられるほど感動しました。
最近、配信版のレンタルが始まったので、再度観て、改めて、一つ一つのシーンや言葉が、胸に重く深く残りました(いい意味で)。
 
長年、企業城下町で夫と過ごしてきた主人公ファーンは、夫の死後も閉鎖された町に住み続けますが、ある日、家財を残したまま町を出て、定住地を持たない「車上生活者ノマド」の生き方を選び、各地を働きながら旅します。
ノマド生活の中で色々な人たちとの出会いや別れがあります。

映画紹介やあらすじは→ 
映画『ノマドランド』ネタバレあらすじ結末と感想|映画ウォッチ (eiga-watch.com)

私の心に重く美しく残ったのは、映画のラストシーンです。
ファーンは、ノマドの集いのリーダー、ボブに、夫の死後も閉ざされた町に住み続けたこと、家財を残して町を出た理由を語ります。
「彼には親も兄弟もなく、子どもも残さなかった。私がこの地に住み続けないと、彼が『生きていた事実』がなくなってしまうと思ったの」。
ボブは、5年前に息子を自死で亡くしたことを打ち明け、また、このように語ります。
「多くの人にとって『グッドバイ』は『さようなら』という意味だが、ノマド生活者にとっては最後の別れの言葉ではない。ノマド生活者にとって『グッドバイ』は『またどこかの土地で会おう』という意味だ。私はこの道を歩み続けることで、息子とまた会えるのでは、と思うんだよ」。
ファーンも、「夫にこの道の先で、いつかまた会える」という思いを胸に、町に戻り、家財を全て整理し、再び旅に出るのでした。
 
「さようならと言わない、『また会おう』がある」。この思いは「こころのともしび」の想いに重なるものがある、そんな風に思います。「いつが始まりでもなく、いつが終わりでもない」。「こころのともしび」には利用資格も利用者登録も期間の定めも、初めも終わりも決まりがありません。
いつも、誰にでも「こんにちは」でお迎えし「じゃ、またね」でお見送りします。
そこで、色々な出会いが交叉する中に、「娘もいる。きっと、いつもいるのだ。」
「ノマノランド」のラストは、私の心に深く、美しく刻まれたのでした。
 
2021年08月25日 14:41

佼成出版社の会報誌「佼成」にエッセイが掲載されました。

佼成出版社から数か月前に「会報誌『佼成』にエッセイを寄稿してもらえませんか」とご連絡がありました。
「私はクリスチャンですが構いませんか?」と恐る恐る尋ねると、問題ないとのお返事。
ありがたく、見開きページ分のエッセイを寄稿させていただきました。

エッセイが掲載された「佼成」9月号を読ませていただくと、「いのち」「縁(えにし)」「様々な生き様」など、人の"こころ"のありようについて、様々な寄稿があり、宗教は違っても、「人が求める救い」は不変だな、、、、と思わされました。

これもご縁というものですね。。。

 
2021年08月19日 11:15

広島女学院大学で講演をしました

6月29日、広島女学院大学の「宗教の時間」で、学生の方々に向けて30分ほどのお話しをしました。
広島女学院大学は、キリスト教系の女子大学で、私が教会員になっている「日本キリスト教団 広島教会」とも深いつながりがあります。

クリスチャンホームに生まれ、子どもの頃は両親と共に礼拝に行っていたのに、反抗期から教会に背を向けていた私。
 その私が、娘の自死をきっかけに、信仰に戻るきっかけになったのは娘の臨終の枕元。
当時一面識もなかった、広島教会に突然電話をかけ、弔いのお願いをしたことでした。
すぐに牧師先生が駆け付けてくださり、ICUの看護師の制止を振り切って、祈りを捧げ、弔いの讃美歌を泣きながら歌いました。

その日から10年の経緯や決心。

「自分は娘に信仰を強要せず、自らの想いから再び教会に足を向ける日が来ることを願ってきた。その日が訪れたことを神様に感謝する。
でも、そのきっかけが、愛する孫娘の死だったとは。神様が与えた運命はなんと厳しいことか、、、」と、私の洗礼式で泣き崩れた亡き老父の姿を思い出します。

また、色々な迷いや紆余曲折を経ながら、現在までの8年間の活動に至る想い。
娘に語りかけたいこと。
そんな話をしました。
講演原稿をPDFにまとめました。

講演原稿(pdf)
 
2021年07月08日 19:07

10年の日々を振り返りました

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昨日、6月21日は、娘 歩美の10回目の召天記念日でした。
この10年間にたどってきた様々な想い。
絶望、悲嘆、自責、もがき、生き続けることの重さ、
その中から手探りで暗闇の中を歩いてきた日々を想い、
いまの自分が娘に伝えたい言葉を動画に記しました。
主催者の想い (chiisanaippo.com)
今年も忘れず、花を贈ってくださった方に感謝します。

今でもときどき、突然暗い穴に落とされて、這い上がれないときもあるけれど
その時間でさえ、亡き娘が与えてくれたものかもしれない。

これからも娘と共に生きていく。
2021年06月22日 19:48

やさしい人に生まれ変わりたかった

 先日、新聞の取材を受けました。
 テレビや新聞の取材で今までにもよく聞かれるのは「なぜ、自死遺族という当事者である貴方が活動を始めたのか、続けているのか」という質問です。
 その都度、何かを答えていると思いますが、なにか自分でもしっくりこない、(本当にそうかな?)という想いがどこかに残っていました。
 娘が旅立ってからもうすぐ10年です。小さな一歩の活動も丸8年になります。
 私自身がずっとその質問を自分自身に問い続けてきたように思います。

 色々な答えがあります。

 「娘の自死が過去になっていき、自分にとっても回りにとっても年月と共に薄らいでいくのがいやだった」。
 自死遺族と語る会や、希死念慮のある方と語り合うたび、娘の生き様や最期は私の心の中に色褪せず存在する。悲しみを共に生きていく。
それが、私の望む、「これからも娘と共に生きていくこと」。それが、小さな一歩の活動のエネルギーになっていると、ずっと思っていました。
 それは「うそ」ではありません。

 でも最近、とても自己中心的な想いに気づかされました。

 「私は自分を変えたかった」。

 子どもの頃から、親に「おまえは冷たい。言葉にやさしさがない。きつい性格だ」と言われ続けていました。
 実際、私は生家の家族の中で決してやさしい娘ではなかったと思います。
 娘を亡くした時、"そんな自分"が母親だから娘の心をわかろうとしなかった、やさしい言葉をかけてやれなかった、寄り添えなかった、救えなかった、、追い詰めた、と、自分自身がほとほと嫌いになり、責めました。
だから、「他人の気持ちに寄り添い、弱い方を助け、やさしい言葉をかけられる人間に変わりたい。」と思いました。切に思いました。

 そのために、カウンセリングを勉強し、社会福祉士の資格をとり、小さな一歩の活動、傾聴を始めました。

でも、最近思います。

「結局、自分は、自分の性格は、変われていない。」と。
「柔らかい、やさしい物言いができない」「ストレートな言葉が出てしまう」自分。
「割り切れない思いを抱えて矛盾に悩む心に、根気よく寄り添い、暖かい言葉をかけることができてない」自分。

本当に優しい人は、言葉を選ぶまでもなく、心の奥底から、人間の本質が優しい。

そういう自分に生まれ、育てられ、そういう大人になりたかった。
 
2021年05月13日 20:01

オンラインや電話傾聴も「小さな一歩」らしく

小さな一歩では、昨年のコロナ禍後、LINEと電話傾聴を強化しました。
大きな組織のリモート傾聴のように、「電話が鳴りやまない」というほどではありませんが、以前に比べると、相談件数は日を追って増えています。
同じ方から定期的な電話やLINEの相談を受けることも少なくありません。

先日、時々行き詰まると電話をくれる方が久々にかけてこられました。

聞くと、新しい精神科医とのよい出会いのおかげで、とても気持ちが楽になったとのこと。
その方が、色々ともがきながら模索している話を以前から聞いてきたので、心から「よかったですね!!」と言いました。

すると、その方は、「こんな風に、色々な変遷を知っている方々と一対一で話せるのがうれしい。『あの時はこうでしたよね』とか『こんなこともあったけどよく乗り越えましたね』と声をかけてくれるのがうれしい」と言われました。

今まで、小さな一歩に限らず、色々な電話相談にかけたけど、いつも違う人が出たり、名前がわからないので、その都度、今に至った履歴や取り巻く背景を説明しなくてはいけない。そんな話をしているうちに制限時間が終わってしまう。
ここは、数名の担当者が継続的に、名乗りながら話を聞いてくれるので、安心して『今のこと、今の気持ち』を話すことができる、と言われたことが心に残りました。

電話相談にも色々な方法があり、一長一短があると思います。
できるだけ多くの人の声を聞くためのシステムも世の中で必要とされています。
また、電話相談は、表情や姿が見えないので、面談と比べて相談者の心情を理解するために一層のスキルと努力が必要とも言われます。

小さな一歩の電話相談は、こじんまりと日々行っていますが、できる限り、声だけのつながりでも、その方の背景や移り変わりも受け取れるような、傾聴でありたいと思います。
 
2021年03月17日 20:19

モノ言わぬ植物の生命力に学ぶことは多い

 「柿酢」の作り方をご存知ですか?
 一言で説明すると、生の柿に何も加えず密封瓶に漬け込み、待つだけ。生では食べられない渋柿でも、形の悪い柿でもOK。皮についている酵母の力でおいしい柿酢が出来上がります。(細かい説明は料理専用サイトをご覧になって下さい。)

 以前、教えていただき、自宅で柿酒・柿酢づくりをしたことがあります。
 密封瓶の中の柿は初め、ドロドロになって異臭(?)を感じ、「腐っているのかも?」と思わせる姿になります。それでも捨てたり、手を加えたりせずに待っていると、本当においしい柿酢になります。

 先日の「こころを休憩する会」の会話の中で、私はこの「柿の発酵力」についてちょっとお話しをしました。一見腐敗しているように思える時でも、備え持つ酵母の力を信じてジタバタしない、見捨てない。手を加えないで静観し、待つ。すると、熟成した、素晴らしいものになる。これは人間にも通じることではないかと。
「自分はもうだめだ」「この人はだめな人だ」と思ってしまいそうなことはある。でもそんな時も、それぞれが内側に秘めるチカラが発酵して"いい味を出す日が来る"を信じて「待つ」ことも必要なのではと。

余談のような流れで話したお話しでしたが、共感してくださった方がいました。
「今の自分は何もできない。他の人と比べて『これもダメ、何もかもダメ』と思ってきたけど、そんな"自分"を丸ごと認めて、熟成する日が来ることを待つのが、自分に与えられた『今という時期』なのでは、と思えるようになって、心がふっきれました」。

うれしい一言でした。

 今まで、色々な形で関わってきた方々の中にも、多くの困難や障がいの中で「無理かも」と思う、冬の季節を耐え、乗り越えて、元気になっていく人たちを沢山見てきました。植物も人間も、内側に秘めたチカラが目覚める時が必ず来ることを信じたいといつも思っています。
 
2021年02月21日 18:19

「数年間誰にも言えなかったことを聞いてくれてありがとう」と自死遺児は言った。

 コロナ禍の中、物心ともに追い詰められる人が増え、特に若い人々の自死が増加していることがいま、大きな社会問題となっています。
 小さな一歩では、昨年4月から、電話やLINE傾聴を強化しました。昨年秋から特に自死遺族からの相談が増加しています。エリアを問わずSOSの声が届きます。

 気になることもあります。「誰にも言えなかった。ネットを必死に調べてやっとここにつながった。この話をしたのは初めてです。」と言われる方が多いことです。
全国各地に自死遺族支援の窓口は活動はあるはず。ネット検索をすれば地元の団体や窓口も見つかるはずなのに、、何かが心の障壁になっているのでしょうか。
 また、中に、特に傷ましいお話しを聞き、いたたまれない思いになることもあります。

 それは未成年の自死遺児からの訴えでした。(仮にAさんとします)
 数年前に、暴力と脅しに耐えられず親御さんが自死された。
 遺された親族は、住んでいる地域で騒ぎになったり噂が広まることを嫌い、関係者や警察に申し出ることもせず、むしろこのことをひた隠しにしている。
 加害者からAさんへのいやがらせは今も間接的ではあるが続いている。
 親を亡くした悲しみ、助けられなかった自責感に加えて今も続く恐怖感で家に引きこもっている。
 親族は、相談に乗ってくれるどころか、自死のことを「なかったこと」にしようとしている。

 電話口のかぼそい声を聞きながら、遠方にいて何も力になれない自分をもどかしく思いました。最小限、今のAさんの身の安全を守り、安心して家から出られるために、何か方法がないか、必死に知恵を絞り、思いつくまでの相談窓口をや相談方法を伝えましたが、電話口の自分では何もできない。忸怩たる思いでした。

 私が聞く限りでも、自死遺児の中には、一番頼りになる親を「自死」によって失うだけでなく、遺児を抱擁するべき、遺された大人が生活力を失うほど消耗してしまうために、「子どもとしての普通の日常生活」が成り立たなくなる。
そんな日々の生活の危機にいきなり直面させられる子どもも少なくありません。

 自死遺児支援は心理的な支援だけでなく、生活を支える社会的支援、ケースワークも一体で行わないといけないと痛感します。
 Aさんのようなケースも、未成年のために、自力では裁判で訴えることができず、泣き寝入りするしかないのが現状です。

 最後にAさんは「数年間、このことを誰にも言えなかった。初めて聞いてくれてありがとう。またかけてもいいですか?」と言われて電話は終わりました。「いいよ、いつでもいいよ」と言いながらなぜか泣いてしまいそうになりました。
 
2021年02月05日 11:39

暗い夜道だからこそ、一抹の灯になれるように

12月に入ってから、広島県,広島市でコロナ感染が急拡大し、それに伴い,広島県・広島市のコロナ感染対策も一段と厳しい基準になりました。
感染は止まらず、対策強化期間がいつまで続くか、目途が立ちません。

「こころのともしび」も12月13日からランチの提供を中止。換気のために2方向の窓を開けながら暖房をフル稼働。それでも足元が冷える。そんな中での活動になりました。
来られる方も、当然ながら少なくなりました。

「ともしび」開場そのものの意味や、コロナ感染拡大下での是非、、、葛藤しながらの毎日でした。

そんな年末のある日、1人の方がふらっと訪ねて来られました。

昔話に例えるとこんな感じ。

1人の旅人がいた。
この旅人は暖かいものを探していた。
ふと立ち寄った広島宿で一つの明かりがともる旅籠を見つけた。
なぜかこの旅籠が気に入った旅人は、しばらく広島宿にいたいと思うようになった。
しかし、広島宿に留まるために必要な「関所札」を持ってきていなかった。
困った旅人。旅籠の主人が調べたところ、「関所札」を運んでくれる伝書鳩がいることを知った。
旅人は伝書鳩を使って「関所札」を手にすることができた。

喜んでいると、年末の押し詰まったある日、旅籠のなじみの客がふらっと立ち寄った。
2人は広島宿を一緒に楽しもう、と意気投合した。
どちらにとっても、偶然の出会いだったが、寒い冬を温かい気持ちで過ごすことができそうと喜んだ。

誰も予想していなかった「一期一会」の出会いが、「ともしび」につながるゲストもスタッフも心温まるものになりました。
何の入場制限も計画も、予約もないこの場所だからできたことだと思います。

何もない、何もしないこの場所を必要とする人がいて、偶然の出会いがある。
そのために、
今後も大きな制限がかかってくるかもしれないけれど、
辛く、やるせなく、不安な日々が当分は続くけど、来年も私たちは心の疲れをいやしにここを訪れる方々のために、その制限の中で可能な限り、ともしびを消さずにいようと思うのです。
2020年12月28日 18:28