広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

再会の喜びが胸にしみたミニライブ

先日、以前にともしびに来られていた方からミニコンサートのお招きをいただきました。
こころの状態が悪い時、夫婦で来られた方。
ご本人と、寄り添う朴訥なご主人の姿勢も印象に残っている方でした。
ミニコンサートとはいえ、15曲もの演奏リスト。
体調もいつも良いわけでもなかったでしよう。
そんな中で2人で練習を重ねる努力、気力に思いを馳せながら聴いていると、
お2人が歩んできた、平坦でない道のりに目頭が熱くなりました。
共演ゲストは、病気で半身が不自由になられた片腕のピアニストの弾き語り。
長年付き添った夫婦の、こころの琴線を歌う自作の曲は心を打ちました。
コンサートはコスプレあり、楽しいMCあり。楽しみながら、
よくここまで準備したと感動しました。
最後に、小さな一歩についてわざわざご紹介くださいました。
「行く時にはいつもすごくエネルギーが必要だった。身体も重かった。
でも、行かなくてはいけない気持ちと、行けば何かがある、という期待から、
重い体にムチ打って行っていた。
黙ってたくさん話を聞いてもらって救われた」と言われました。
そのとき、当時の姿をまた思いだし、涙が滲みました。
 
しばらくご無沙汰だった方がともしびを忘れずにいてくれて、呼んで下さったことで、
私たちがすごく勇気と励ましをいただきました。
 
日々傾聴を続けているとうまく話が噛み合わないこともある、
「しっかり寄り添えなかった」と自分を責めて後悔することもたくさんある。
連絡もなく、突然来られなくなって、どうしているのだどうと気がかりな方も多い。
そんな時は、心配もするし、我々に落度があったのかと悶々とします。
それでも、続けることで、誰かが少し元気になるのかもしれない。
そんなことをしみじみおもいながら、過ごした2時間でした。
(ご本人の了承をいただき、写真も紹介しています)
2019年09月30日 18:18

死への恐怖がゼロになるとき

先週末の「こころを休憩する会」にお子さんのこころの病に悩む親ごさんが多く来られました。
死にたい、、自分には生きる価値がない、、死んだ方がましだ、、、生きていてもいいことはない、、、
このような子どものこころの叫びを受け止める辛さを聞いているうちに、8年前の娘と私のことが脳裏に蘇ってきました。
 
娘も腕に沢山の自傷の傷を作り、「死ぬ」と言って家を飛び出したり、自分を痛みつけたり、
そんな行為を繰り返していました。
 
心が浮かび上がったり、落ち込んだりを繰り返していた頃、
娘が生きていくために唯一すがっていた希望が断ち切られる出来事があった。
彼女にとっての“心の命綱”がぷつんと切られてしまった。
 
私が最後に娘と言葉を交わしたとき、その顔は笑顔でした。
横にいた私に“ちょっとした頼み事”をしました。
私は娘の落ち着いた話しぶり、すっきりした笑顔にすっかり安心しました。
“その頼み事”を果たすためにいそいそと娘のそばを離れました。
娘がビルから飛び降りたのはその、わずか10分ちょっとの時間でした。
 
完全に死ぬことを決めて、迷いが0%になった、その表情が私が最後に見た笑顔だったのでしょうか。
人間として一番重い「こころの病の症状」とは心の中が「死」に完全に支配されてしまい、恐怖を感じることができなくなることではないでしょうか。

分かち合いの場で私は言いました。
「死にたい」と訴えて続けてきた人が、状態が好転しないのに急にそれを口にしなくなった時が、一番警戒する時かもしれない。
なぜなら「死」を決心したら、止めてほしくないから、回りを安心させるためにむしろ元気を装うのです。
 
「死にたい」という言葉に対して「死んではいけない」「すべきでない」ではなく、
「死」とはどういうことか、必死に語って下さい。
死んだら楽になるかもしれない。でも「楽になった」と感じることはもうできない。
死んだらあなたを苦しめてきた人に少しの仕返しができるかもしれない。でも、仕返しができたことを確認することはもうできない。
死んだら沢山の人が泣くだろう。でも、その泣いた姿を見ることはできない。
死んで、自分の正義を証明できるかもしれない。でもその証明できたことを知ることはできない。
 
そして「あなたが死んだら私がどんなにか苦しく悲しいか」その気持ちを必死に語り続けてくださいと。
2019年08月14日 11:39

一言の言葉がもたらす重い功罪

「ともしび」に、1人の方が訪ねてこられた。

体調がいいときは「こころのともしび」にも遊びに来るが、重いうつ病で体調が安定しない。
死にたい気持ちが高まることもたびたびあり、気持ちが抑えられない夜、よく電話をかけてこられていた。
深夜にかかる電話。その方の名前が携帯電話に表示されるとどきっとする。
電話に出る。
手の届かない距離にいる、その方の「死にたい気持ち」にどう答えたらいいか、緊張する。
その気持ちを抑えながら、まず、「死にたい気持ち」を否定せず受け止める。
そして、
「『ずっと生きなくてはいけない』と考えなくていい、でも生きていたらまた私たちに会える。
次に「ともしび」で私たちと会える日までは、とりあえず生きていることにしよう。
約束も予約もいらない、いつでも私たちはあなたを待っているから、調子が上向いたらここで会おう。
そう思って、その日までは生きていよう」と、言葉を絞り出して呼びかける。
 
必死なので、他に何を言ったのか、正確には記憶していなかったが、
久しぶりに来られたときに、
「この時に、米山さんにかけてもらったこんな言葉を胸に刻んでいたから死ななかった」と、とても、細かい言葉まで覚えていてくれていることに驚いた。
 
人は自分が言った言葉は忘れても、他人が言った言葉はよく覚えている、と聞いてはいたが、
ここまで心に刻んで、死にたい気持ちを抑えて生きていて下さっていたかと思うと感動し、涙が出た。
 
逆もあるだろう。

言葉を発した人が忘れた一言が、言われた人の胸をえぐり、心に回復できない痛みや怒りが無くならない、そんな人の訴えを聞くことも多い。
往々にして、そのような痛みや怒りは、言葉を発した本人に返ることはなく、陰で拡散していく。
 
メールも含め、書き言葉は見直して、修正して伝えることができるが、口から出る言葉は取り戻せない。

言葉がもたらす、感動も喜びも怒りもトラウマも、ほとんど「口から発せられる」もの。

人と人との諍いを両側から聞くと、傷つけた人は「自分は間違ったことは言っていない」と発言の主旨の正当性を主張する。
傷つけられた人は「○○と(いう表現)言われた」と、一言の表現が脳裏に焼き付いていることがほとんどだ。
 
それだけに、いかに聞く相手の立場や心中をおもんばかって、言葉を発することが大切か、それが問われているのだろうと、改めて身に染みて思う。
2019年07月10日 18:42

8年たって思えること

201906212

先週木曜日、6月21日は娘の8回目の昇天祈念日でした。

毎年のように、多くのお花をいただきました。

送ってくださった方々に、いただいたお花と共に、それぞれの方と娘が並んで映っている写真のスライドをカメラで撮ってお礼状として送りました。

その撮影のために、娘が産まれてからの25年間の写真を何度も見返しました。

 

自死遺族の会で時々聞かれること。

「8年間で、どのようにお気持ちが回復してきたのですか?」

 

回復、という言葉では語れない8年間だったのでいつも言葉に詰まっていたけど。

 

ただ、8年目で気づいたこと。

以前は、娘が元気だった頃の写真を見るのがつらかった。「あんなに元気に生きていたのに、かわいそうな最期だった。そんな最期にしたのは私のせいだ」と思ってきた。

でも、今回、写真を見ながら、「最期はつらく悲しい別れだったが、25年間は、その時その時を一生懸命生きた人生だった」と、ふと思える自分がいました。

 

8年間、欠かさずお花を送って下さるような、よき友人にも恵まれていた人生だったと。

2019年06月26日 19:08

安楽死の是非について語る危険を知りながら、、その資格もないが

スイスで自ら安楽死を選んだ女性についてのドキュメンタリーが出版され、また、NHKドキュメンタリーでも番組化されたことで、「安楽死」という死についての賛否が問われています。
不治の病に苦しんでいた女性が、安楽死を決断し、親族に見守られながら自分で「死のスイッチ」(薬)を押して亡くなりました。
【参考までに】
「安楽死」は日本人に希望をもたらしてくれるのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712
「NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586161/index.html
「これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる」
https://ironna.jp/article/8622?p=4
 
治療の見込みがない終末期医療にある人が自らの死を決断するのか、緩和ケア医療によって、苦しまない最期を迎えるのか も論議されています。
 
私は自死遺族として、自死遺族の分かち合いを6年間続け、多くの遺族の悲嘆の声を聞いてきた身として、
どんな最期であっても、遺された人々が
「もっとしてあげることができたのに」
「別の方法があったのでは」
「自分の対し方がいけなかったから自死したのでは」
と悔やみ、自分を責め続ける姿を多く見てきました。
 
ですから、仮に安らかな最期であっても、それがいかに本人が納得して選択した結果であっても、遺された人が『これでよかった』と思うことは決してないと思っています。
 
ただ、一番辛く、苦しく、悲しく聞いた話として
余命が短い病の床にあったり、生き続けることが拷問のような痛みや苦しみにありながら
色々な事情によって、終末期医療や緩和ケアにつながることができず、
独りで自ら死を決断した人が、日にちが経った後に傷ましい姿で発見され、
遺族がそのショックと激しい後悔でもがき苦しんでいる様を聞くときです。
 
安楽死についての是非を語る資格はありません。
 
ただ、自死遺族にとって最期の姿は一生脳裏から離れることがないのです。
せめて、おだやかな姿で天国に見送ってあげられていれば、、と、
励ましもなぐさめもできない「その方」について思うだけです。
2019年06月17日 19:48

当事者のホンネだからこそ説得力がある

先日の「こころを休憩する会」では、自助の分かち合いならではの言葉かけが印象に残るものでした。
「街や電車などで、見知らぬ人が憎悪の言葉や攻撃的な悪態を大きな声でつぶやいている姿を見ると、恐怖を感じる。
自分に向けられているのではないか、襲われるのではないかという不安が大きくて、怖くて外出ができない」という方から「そういう不安の克服の仕方を教えてほしい」という問いかけに、
「自分は実は、そのような独り言を言ってしまうくせがあって。。。」と、当事者から勇気のある発言がありました。
その方の、当事者本人ならではの本音とそこからの助言は、相談者も回りの出席者も、「目からうろこが落ちるような驚き」をもって聞きました。
内容はここでは公表できませんが、そのような独り言を言わざるをえないこころの苦しみがとてもよく理解できたこと、そして相談した方がとても安堵して喜んで帰られたことは間違いありません。
また、子どもの時からの母子関係が元で精神障害に苦しむ方と、障害のある子どもへの向き合い方で悩んでいる母親の立場の方が、それぞれの想いを交換しあいました。
「母親自身が自分の人生を満喫すること。その姿を見せることが“一番の子育て”。
という話で、両方の立場の人たちが納得しました。
色々な立場や悩みを抱える人たちが、同じ立場や目線で語り合うことは、一方通行の知識の何倍、何十倍も説得力があることを改めて知った会でした。
2019年06月11日 18:46

生活困窮者支援はお金の問題が解決されればOKですか?

女性専用シェルター事業を始めて2年と少し経ちます。
小さな一歩の女性シェルターでは、単純な生活困窮者だけでなく、精神障害等を一因として家族や社会から孤立し、行き場を失くしている人や、家族による様々な暴力や虐待によって、精神障害の状態にある女性も保護対象としています。
 
2年余りの間、数十人の方がこの場所を通り過ぎていきました。
無事に職と住居を得て、今は安定した生活を送っている人も多い。
職につかないまでも、公的支援を受けながら、自分なりの生き方を見つけた人も多い。
その中には、今も「こころのともしび」のフレンドさんとして顔を出してくれる人も少なくありません。
今の生活もいいことばかりではなく、つまづいたり、心が不安定になってしまうこともあるけれど、そんなときも、ここに来て一緒にご飯を食べたり、笑ったり、時には傾聴で思いを吐露することで、根本の解決にはならなくても、多少は気持ちを楽にすることができる。
 
でも、反対に、何らかの経済的な保証は得たものの、心身の健康の回復がないままシェルターを“卒業”する人を見送る時には胸が痛みます。
特に、恐らく幼少期から何らかの障害があったのに、生育環境が原因か、必要な公的認定や支援が受けられずに中高年の今まで過ごしてきたであろう人。
精神的な特性も一因してか、親族からも孤立し、社会に受け入れられず、挫折を繰り返している人。
その繰り返しで、心がかたくなになり、誰の助言も受け入れず、支援の手を拒否している人。
残念ながら、そのような“卒業者”に対して民間のNPO法人ができることには限界があります。
“伴走者の自主的な好意”以上のことができません。
それを拒否されることも多く、無力感がつのります。
 
その方に必要なのは「生活保護」というお金での最低保証に終わるのではなく、
孤立の悪循環を断ち切るために、時には専門的な権限と実行力をもって病気の回復や障害者支援につなげる「力」が必要だと思うのです。
 
いまの「生活困窮者支援」制度でそれは十分と言えるのでしょうか。
私には、そのようには思えません。
 
 
2019年05月12日 19:16

失われた10年の後遺症は、これから40年続く

世の中は改元ブームですか(失笑)
先日、テレビで「平成を『よい時代だった』と思う人が7割」、とのアンケート結果が出ていました。
「失われた10年」辛く暗かった時代をのんきに忘れられる幸せな人が多いのだな、と苦笑しています。

小さな一歩には、40代~50代で、生活の問題や心の問題に苦しむ人がたくさん来られます。
いま、世の中で言われる「8050問題」、まさにその最中にある人も多く来られます。
今日のyahooニュースにも取り上げられていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190411-00010002-binsiderl-soci

私は以前、このブログで「ひきこもり若者支援や調査の対象が30代まではおかしい」と書いたことがありました。『今更騒ぐか』と言いたい気分です。

ただ、この問題で大きく言われる「後期高齢者の親と無職ひきこもりの子どもの今後の生活不安」は氷山の一角ではないでしょうか。
いま、職を得ている人や結婚している人でも「こころの問題」を掘り下げて聞いてみると、就職氷河期に何とか職を得たものの、雇用環境が劣悪だったり、自尊心を崩壊されるような仕事内容やパワハラによって心が折れてしまったことがきっかけで、心身のバランスを崩してしまった人。生きていくために何とか仕事にしがみついているが、転職を繰り返して安定した仕事につけていない人が多くいます。
また、この時代に、経済困窮が一因となって崩壊した家庭で育てられた年代の人の中に、親の言動によって深く傷つけられ、PTSDから対人不安障害や神経症を抱え、大人になって進学や就職をしても人間関係が築けない、という話も多く聞きます。家族は離散し、本人は苦しみながら1人で生計を立てています。

皮肉にも「50代の無職の子どもが80代の親の持ち家に住み、年金で生活できている」今を羨んでいる人も少なくないのです。

「今は求人難だから、今から正社員になればいい」、そんな簡単なことではありません。
20年間で急速に進んだビジネスのデジタル化、IT、ロボット化。十分なIT職業訓練も受けられなかった人々ができる仕事はやはり限られているのです。

令和は平成の「失われた10年」の“ツケ”を40年間でどう償うかの時代。
「無職」「ひきこもり」だけに焦点を当てるのではなく、広い意味での社会的支援が必要ではないでしょうか。


 
2019年04月11日 20:31

親はいつでも子どもが弱音を吐いてくれるのを待っているんだよ

最近嬉しい便りがありました。
重い「うつ状態」で引きこもり、一人で闘病に苦しんでいる方から、「やっと故郷に帰り、元々お世話になっていた病院で治療を受けようと決心がついた」とのお知らせです。
「何が嬉しいか」と言われそうですが、この決心にあたって一番のハードルが「郷里の親に病気のことを打ち明けなくてはいけない」ことだったのです。
 
親御さんを心配させまい、として自分の病気や闘病の苦しみを“知らせまい”とする人は少なくありません。
というより、遠方に住む子どもが、こころの病で闘病している親の多くが、子どもから病気について打ち明けてもらえず、様子がわからず、相談に乗ることもできないことを悶々と悩んでいます。
自死で子どもを亡くした親は「どうしてもっと寄り添い、話を聞いてあげられなかったのか」と悩み、「どうして話してくれなかったのか」と亡き子に問いかけます。
私もその一人です。
 
だから、この方から相談を受けた私は言いました。
「親を心配させまい、と秘密にしていても、親の勘でわかるんだよ、何か起きているって。
胸騒ぎがしているのに、本人から何も教えてもらえない、聞いても答えてくれない。
それほど心配で辛いことはないんだよ。
重い症状であっても、『言ってくれた』ことだけでまず安心するんだよ」
 
数日して、その方は勇気を出して病院に連絡し、親御さんに病気のことを打ち明け、郷里に帰る決心をしたそうです。
親御さんの言葉はとてもやさしく温かかったそうです。
 
「余寒の候」。立春を過ぎ、寒が明けてもまだ寒さが続く、今頃の気候のことを言います。
でも、春は必ず来る。近づいているよ。
 
「元気になったら、いや、ならなくても。また会おうね。
いつでも、いつまでも待っているよ」とその方に伝えました。
2019年03月07日 11:20