広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

ブログバナー

活動の主旨と主な内容 ≫ ブログ ≫

ブログ風 日々のつれづれ

色々な方向から支えられている

0000566313.jpg

還暦を迎える私に、意外な(笑)人から誕生日プレゼントがありました。
会社の社員一同から。

25年、この会社を経営してきましたが、いつもガリガリの仕事をしてきた。
毎月お誕生日会をするような、のどかでアットホームな会社というわけでもなく、
社員の誕生日にお祝いをあげたこともなく。
私自身もほとんど初めてじゃないかな、誕生日のお祝い。

小さな一歩の活動と会社の仕事。2つの行ったり来たりの毎日。
もともと100%の力でやっていた会社の仕事に時間もエネルギーも、半分も使えなくなった私。
バタバタする日々でケアレスミスも増え、営業力も仕事への自信もがた落ちになりました。

ほんと、社員には迷惑かけっぱなしで肩身が狭い思いをしてきました。
「どんな目で、この経営の惨状を見ているのだろう」と不安になりました。

そんな中でもらったプレゼントは胸にしみました。

私は自分の決めた道のために、「小さな一歩」のスタッフに本当に毎日助けられているけれど、
本業を“ほぼ空席”にしている私の後ろでしっかりと業務を守ってくれる会社の社員に助けられていることを忘れてはいけない。
改めてそう思いました。
 

心にとどめておこう、この手の平の感触

その人は泣いていました。
始めはすすり泣きで、やがてしゃくりあげながら。

乗り越えたい、乗り越えなくてはいけない壁がある。
元気ならば、ほとんど意識することなく、ひょい、とまたいで渡れる壁が、どうしても越えられない。

越えられない自分が情けない、悔しい。
越えようと思うと、訳もなく怖くて、うずくまって泣けてしまう。

始めはそっとしておく方がいいのかと、声をかけませんでしたが
あまりにも辛そうなので、「どんなん?」と声をかけました。

細い肩、やせた背中が震えていました。
「がんばれ」とも「無理しなくてもいいんじゃない」とも、何も言葉にすることができない私は背中をさすり、手を握り、胸にトントンと手を当てながら
「子どものときのように声をあげて泣いていいんだよ」と繰り返すだけでした。

不思議な感覚が記憶によみがえりました。

色々なことでつまずいては泣き続ける娘たちをよく、こうして、さすったりなぜたりトントンとしていたこと。
自分自身も昔、泣いていると、母が抱きしめて背中をさすってくれたこと。

どれくらいそのようにしていたでしょうか。
その人は少し気持ちが落ち着いて、「気持ちを切り替えます」としばらく1人でいて、帰りました。

その後、その方からは壁を乗り越えることができた、と報せをもらいました。

「よかったね!」喜びと共に、背中をさすっていた短い時間によみがえった、
懐かしく温かい、私自身にとって大切な記憶を、忘れないでおこう、と思ったのでした。

自死遺族支援は「公人」である前にまず「私人」として

 7月6日の「自死問題シンポジウム」、7月18日には広島県北部保健所で「自死遺族支援のための研修会」と続けて自死遺族支援について話をしました。

 北部保健所の研修会では自死遺族としての自分がなぜ今、自死遺族支援や希死念慮のある人やその危険可能性がある方の支援をしているか、というMyhistoryを話した後、テキストに沿って基本研修をしました。

 今までも何度か自死遺族支援をテーマに話をしてきたけれど、個人的に思うことは、この場に出席している方々が、どの程度現実に「自死遺族」が“わざわざ訪ねてきて支援や相談を求められる機会があるのだろうか”、ということです。
 専門職であれ、民間ボランティアであれ、地域の福祉担当者であれ、日常的に「自死」に直面する機会で一番多いのは、近隣地域や身近な人の周りで起きた「自死」という出来事を間接的に知ることではないでしょうか。

 その時、お仕事などの「公人」である以前に、一個人として、「自死」に対してどういう思いを持つのか。
 直感的にでも、偏見やスピリチュアル的な恐れを抱かないか。

 自死は、事故死や災害死と同様、予期せぬ突然の死の訪れとして悲劇です。
 でも、なぜ「自死遺族支援」だけが独立して論じられるのか。
 それを“個人”としてまず振り返ってほしいと思いました。

 1時間ほどの講義の後、ワークシートを配り、このことを問いかけました。
課題は
「①貴方が住んでいる集合住宅の隣の家の人が自死で亡くなり、日がたってから発見されました。そのことを知った時、あなたは瞬間的にどう感じますか?
②貴方の同僚が上司のパワハラと過労のためうつを発病し、過労自死されました。上司は「あいつは心が弱かったから自死したんだ」とあなたに話かけます。あなたはどう答えますか?
③貴方は借家を探しています。家賃の安い物件が見つかりましたが、不動産屋さんは「ここは数年前に自死があった【心理的瑕疵物件】なので家賃を安くしています」と説明しています。住居内は全てリフォームされ、きれいな状態です。あなたはどう感じますか?
④貴方のお子さんが「結婚したい」と恋人を連れてきました。聞いたところ、親族の複数の方が自死で亡くなっています。あなたはどのように感じ、子どもさんにお返事しますか?」
 グループワークや発表は不要なので、自分自身の心に問いかけて下さい、と話しました。

 どれも、「自死遺族の希望の会」に参加した遺族が、ある時は直接的な言葉で傷つけられ、ある時は「このように思われるのでは」と恐れを抱いて自死を隠す原因になっている出来事です。

 突然の死という悲劇、遺された者の悲しみはは事故死も災害死も同じかもしれない。でも自死遺族を孤立させる「一人一人の個人としての目」。
自死遺族支援を考える人に、まず、自分の心の中を振り返ってほしいと思います。


 

足を踏ん張って嵐から子どもの身を守る母親たち

最近、精神障害で苦しむ若い方々に関わることが多くなりました。
関わりの中で、その方のお母さんと話をする機会も多くなりました。

つくづく、母親とは、大変な役割だと思う。

「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」と背中を小さくして謝るお母さん。
「どうしたら子どもを救えるのでしょうか」とすがるように語るお母さん。
いたたまれない思いを言葉にすることもできず、ため息をつくお母さん。

言葉を失うことが多い。

一方で、その大変さを身に背負い、逃げない母親たち。
大変だからここらで勘弁して、は決して考えない母親たち。

見た目ではわからない、すごい力を内に込めていると感じます。

遺伝子の中に埋め込まれた「母性」の力でしょうか。

一方で、若い母親による幼児虐待死の事件などを見ると、本当にいたたまれない気持ちになります。
一番守ってくれるはずの人間に裏切られ、死に追いやられた子どもの絶望はいかばかりだろうか。

 

私も、もっと娘のために、右往左往して、おろおろしながら、根性で守ってあげたかったな。
もっと時間が欲しかったな。
もっと一緒に苦しみたかったな。

そんな風にも思うのです。

一粒の麦は死んで大きな実を結ぶ

聖書の有名な言葉に
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
という言葉があります。

聖書上の意味はイエス・キリストが、十字架にかかる前夜、自らの十字架の死の意味を弟子に諭した言葉です。
私はこの聖句から「1人の人間が、生きている時より、死によって多くの人の中に大きな意味を残す」というようにも考えます。

また、私の好きなエッセイ集「知らされない愛について」(岡知史 著)の中にはこんな言葉があります。
(何度もブログに載せていますが)
「失われた命の意味について」
 死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようとして動く人は多い。
なぜなら生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は生き残った人たちのものだからである。」

6月21日。
娘が昇天して丸7年。
この日に「小さな一歩」を設立して丸5年。

娘が生きていたら、私は何をしていただろう。
平凡に、平日は仕事をして、週末は映画やスポーツジムに行っていただろう、
何も疑問に思わず。

カウンセリングにも社会福祉士にも無縁の生活だっただろう。

自死遺族にも、死にたい気持ちを抱える人にも、心の病に苦しむ人にも、お金も家もなくさまよう人にも、家族のDVにさらされて命の危険を感じる人にも、虐待された人にも、自分の性癖が治せず苦しむ人にも、

誰一人会うことはなかっただろう。


娘の死は、地上に落ちた麦の一粒のように、新しい麦の穂を育んでいるのだろうか。

娘に「ありがとう」とは、言えないけどね、まだ。いや永遠に。

★ちゃんへの手紙

★ちゃん
たくさんつらいことがあったね。
あなたは何も悪いことをしていないのに。
あなたが、なんでこんな不公平に苦しみを味あわなくてはいけないんだろうね。
本当に怒りがこみあげてくる。

でも、そんな日々の中でも、あなたはがんばって明るく笑って話してくれたね。
「私は負けたくない。」と頑張っているね。(それがちょっと心配だけど)

この前、
「私、福祉の仕事を目指す。そして米山さんの手伝いをする!」と言ってくれたとき、
本当は涙が出るほどうれしかったのに、照れ屋でひねくれ者の私はうまくお礼を言えなかったこと、今も後悔しているよ。

★ちゃん。
聖書にはこんな言葉があるよ。
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。」

ただ「我慢をすればそのうちいいこともある」いう意味ではなく、
「苦難の中にあってこそ自らを強く深く見つめる人には、神様が苦難を乗り越えさせて下さり、
希望を与えてくれる。
そのようにして得られた希望は自分を決して裏切らない」
という意味と私は信じている。

私が一番つらかったとき、この言葉を何度もつぶやいたよ。
そのときは「本当に『希望』なんて手にできるのかな」なんて、半分は疑っていたけどね。

★ちゃん。
あなたが、この苦難の中から、いつか希望の道を見出した時、
私に会いに来てくれて、一緒に道を歩んでくれたら本当にうれしいよ。
でも、あなたが、本当にあなたらしく、希望の道を歩むとき、それが全然別の道でも、いいんだよ。
私たちのことをすっかり忘れてもいいんだよ。
あの時、あの場所なんか、思い出したくない、そう思ってもいいんだよ。

★ちゃんならきっとできると信じている。

あなたのために、私は祈ろう。

孤独な暗闇の中に、ほんのひと時でも差す日差し

小さな一歩には、いろいろな場所から、いろいろな経緯がある方が集まってくる。

つらい経験を沢山した方、今も苦しみの出口がわからない方がいる。

孤独の人生を歩んできた方がいる。
理不尽な暴力や暴力的な行動で一方的に踏みにじられてきた方がいる。
自分のこころや行動を、自分自身でコントロールできないことに苦しむ方がいる。
ずっと不遇の道を歩んできた方がいる。

自分自身の人生が、その人のせいでなく、ままならない方がたくさん訪れる。

そんな人々を見ていると、せつなくてやるせない。
権限も力も資格もない自分たちには、限られたことしかできない。
無力さに悲しくなる。

でも、時々薄日が差すような、ほっとするような、じんとするような想いがある。

ずっと孤独の人生を歩んできた方が、色々な事情を抱える他の人たちとほぼ初対面の食卓を囲むことになった。
おとなしくて、無口な方。
子どもも含めた、どちらかというと騒がしい食卓は大丈夫か、かえって疲れたのではと気になった。
でも、その方は次の日、
「大きな家族みたいに食卓を囲んで、お話をしながらにぎやかに、手作りのご飯を食べて。
こんなことは初めてでした。ご飯もおいしかった。
とても幸せな時間でした。」と明るい笑顔を見せてくれた。

前の日、その方の人生の話を聞いたときに、
「今までの人生で一体、どれほど“喜び”を感じることができていただろう」
と、その方が気の毒で胸が苦しくなった私は、
翌日この方の口から「幸せ」という言葉を聞いて、なんだか泣きそうになった。

そうだよね。よかったよね、そうだよね。
楽しくご飯を食べる幸せを感じることができたんだね。
ささやかなこと。人生の中の短い時間かもしれない。
でもそれを、この場所で味わってもらえてよかったよ。本当にそう思う。
 

我が足弱く、心折れることあれど

広島市からの委託で一時生活支援事業(女性専用シェルター)を始めて1年が過ぎました。
女性専用シェルターの事業はさらに、4年間継続されることになりました。

「NPO法人小さな一歩」を立ち上げ、月1回の分かち合いを始めて丸5年1か月。
「こころのともしび」を開設して2年9か月。
「女性専用シェルター」が丸1年。

活動の幅が広がるにつけて、多くの、そしてひとりひとり異なる壮絶な苦しみの人生に直面しました。

「なぜ、この人がこんなひどい仕打ちを受けなくてはいけないんだろう」
「もつれにもつれた心の糸はどこから解いていったらいいんだろう」
「この人が入り込んだしまった暗い闇に一筋の光が差すことはできるのだろうか」
「どうして、この人は、こんなことをしてしまうんだろう、止めることができないんだろう」

そんな思いで、色々な人と向き合いながらも、他人ができることの限界、というか
その人の代わりにできることは何もなく、苦しみも肩代わりできず、助言は意味をなさない。
自分の無力さに打ちひしがれることの連続だったように思います。

でも、人は、自分で光ある道を見つける力を自分の中に持っていて、一時的にはその力は弱まるけれど、
必ず、他人の力を借りず自分で立ち上がり、歩けるようになる。
それを信じて見守ることしかできません。

私はよく、「いつも忙しいですね」と言われます。
「何かアドバイスが必要な人は米山さん、解決うんぬんでなく、ゆっくりお話しを聞いてもらうだけがいい人は別のカウンセリングスタッフに」と、スタッフが傾聴を“お勧め分け”すると小耳にはさんだときは、心底情けなくなりました。

ああ、また私は、同じことを繰り返そうとしている。

いつも忙しい母親で娘の気持ちにゆっくりと寄り添えなかったから大事な娘を喪った。
そのことに対する強烈な贖罪の気持ちから、分かち合いや傾聴スペースを始めたのに、
結局、自分で自分を忙しくして余裕がなく、周りからも多忙な人間に見られる自分。
あれだけ自分を否定しつくし、新しい自分を始めたかったのに「くせ」を治すことができない自分。。。。

そんな私は、足を引きずりながら、汗をかきながら、疲れながら、無力感に叩きのめされながら、
怒りを抑えながら、日々葛藤しながら、不安に潰されそうになりながら、
新たな春を始めます。

目に見えないものは忌みするものですか

「自死遺族の希望の会」へ、自死遺族の方から「参加したいのですが教会が会場ですよね。宗教活動はないですか?」とのお問合せが頻繁にあります。
ホームページにもチラシにも「宗教活動は一切いたしません」と明記していても、不安?

先日も遺族の方から、宗教を語る団体から除霊だとか、魂の救済だとか、そんな名目ですり寄られ、詐欺まがい商法に引っ掛かりそうになった、との話を聞きました。
そうした、心が弱くなっている人を悪用する霊感商法があるから、自死遺族の分かち合いにも参加を躊躇ったり、家族に反対されるという話を聞くと本当に悲しさと怒りを覚えます。

一方で、日々の会話の中で、多くの困難や障害を抱えて苦しんでいる人を、陰で
「あの人の回りに、すごいマイナスオーラが漂っていて、“もらわない”ように近づかないようにしたよ。
知人に聞いたら除霊の塩をまいたらいい。と言われてすぐにやった」などというもっともらしい話を聞くと、情けなく思います。

たましい。目に見えないもの。
この世に生存している生き物以外に、何かが存在していることは私は否定しません。
むしろ、亡娘や父母の霊的存在を認めるからこそ生きて、活動している自分がいる。

霊の存在を忌みする偏見が、自死遺族を苦しめていることに気づいてほしいと思います。

困っている人は「何を助けてくれるか」ではなく「誰が助けてくれるか」を求めている

一昨日(1月20日)、広島弁護士会館で開催された「伴走型支援とは・・・今後の刑余者支援について」(主催:公益社団法人 広島県社会福祉会 広島県地域生活定着支援センター)の講演会では、北九州市の「認定NPO法人抱樸」代表 奥田知史氏の素晴らしい講演を聴くことができました。

「認定NPO法人抱樸」の活動はとても紹介しきれないのでHP(http://www.houboku.net/

専門職を中心とするチームによる弱者支援の限界をストレートにつき、
市井のボランティアや地域の人々による「伴走型支援」について熱く語られました。

心に残る、というより心に刺さる言葉がたくさんありました。

「抱樸とは、困窮している人を『荒木・原木』のまま抱き止めることだ。
“申請主義”の日本では、とかく困っている人を「なんだもっと早く相談しなかったのか」と自己責任化する。
困っている人は自分から相談できない。勇気がいるし、公的窓口が細分化されすぎて、どこに相談していいかわからない。本人が自分の危機に気づいていないことも多い。
「あなたは何がしたいの?」と聞いても自分のしたいこと、できることがわからない人が多い。
そんな人たちを「原木のまま」抱きしめることだ。原木だから抱く者は時には傷つく。絆は傷を含む。」

「専門家主導の支援を『太い数本のロープ』だとしたら、伴走型支援とは『多くの細い紐』で支えることだ。
“質より量”が大切。なぜなら、たくさんあれば、何本かの紐が切れても、他の紐でつながることができる。その関係性の多さが大切だ。これを『LKPS』(Light key persons)と呼ぶ」

「生活困窮者は2つの困難を抱えている。1つの“経済的困難”は生活保護で助けることができる。しかし、もう一つの“社会的孤立”(人とのつながりがない)は生活保護では解決されない。

「困っている人には『この人には何が必要か』だけでなく『誰が必要か』を考える。
危機が生まれた時、『助けて』といえる誰かがいること。資格とか、専門職とかは関係なく、一緒に動いてくれる人がいること。『この人が助かるなら、何でもいい、と考えられる人がいることが大切だ。すぐに問題が解決できなくても、“困ったときに相談できる関係性”をつなぐことが大切だ。」

「支援する側とされる側が一方通行になるのではなく、『相互多重型支援』が求められる。
支援された人が“されっぱなし”でなく、別の人の支援に参加する。『助けながら助ける』お互いが気持ちのいい想いをする。そこに“居場所”と“出番”がある」

断片的ではありますが。。

圧倒されながら必死に聴きました。
そして、小さな一歩が目指している方向は間違っていない、という想いと、
方向は間違っていなくても、できていないことがたくさんありすぎることに打ちのめされる想いが数倍ありました。

とげのある原木を、自分が傷つくことを覚悟で抱きしめられるか? いや、できていない。
最初から、限界を見定めて、「これ以上は民間NPOでは無理」と線引きしていないか。
民間団体の役割を、専門職や専門機関につなぐための入口、と言い訳して逃げていないか。

全く足りていない、できていない、やろうとしていないことばかり、、、と少し自らに甘くなりかけた自分が恥ずかしくなった帰路でした。