広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう

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3月は出発と別れの季節。
小さな一歩の活動も例外ではありません。

活動で縁があった人たちにも、仕事やご家庭の事情で広島から離れる方々がおられます。

2年以上前に初めて参加し、その縁でいろいろな関わりを続けてくれた方が遠方に引っ越しになりました。

「新しい土地でも元気でがんばってください」というLINEメッセージに

「はい、がんばります」。

そして「この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
「ありがとう」

ご本人は、単純に、今話題の映画のキャラクターがかわいいから、という理由で送られたスタンプかもしれませんが(笑)
私はなんだかこの言葉に、一人でしんみりしてしまいました。

この広い世界の中の、広島という小さな都市の、片隅にある小さな活動に

たまたま、偶然、

それまでなんの縁(ゆかり)もつながりもなかった他人同士が、
お互いが見つけあって、
ふれあって、助け合って、そして別れていく。そんな思いが凝縮されている言葉だと。

私からも同じメッセージをお返ししたい気持ちです。
「この世界の片隅にある、小さな小さな活動を 見つけてくれてありがとう。」

「この世界の片隅に」。
映画を見ました。コミックも読みました。
ほのぼのとした温かさの中に、生きることの厳しさが迫ってくる映画でした。
戦争や原爆の理不尽さ、罪のない命が奪われる残酷さ、突然つきつけられる死という別れ。
そんな 生と死の瀬戸際を、
受け入れられないものを、寡黙に飲み込まざるをえない、市井の人々の生活。
淡々と、能弁すぎず描かれていて、しみじみと心に水がしみこむような、そんな映画でした。

でも、それとは別に、「この世界の片隅に」という一言を、とても身近なものとして感じた出来事でした。

2017年03月03日 18:04

母の急逝

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先週月曜日、静岡に住む母が急逝しました。誤嚥による窒息でした。

86歳で年齢なりに心身に衰えはあったものの、
病気も認知症もなく、父亡き後は淡々と静かに毎日を過ごしていました。
正月に帰省したとき、嚥下の動きが悪くなっていて、時々食べ物が食道内に詰まって苦しいということは知っていましたが、
まさかそれが急な死の直接の原因になるとは予想していませんでした。

近くに住む姉から電話を受けて、大急ぎで支度をして新幹線に飛び乗ったけれど、
病院にかけつけるまでに6時間。着いたときには、全てのことが終わっていて、
母は、生前のお気に入りだったブルーのジャケットを着て、眠るように横たわっていました。

時間距離は残酷だ。
どんなに焦っても、新幹線のダイヤ以上に距離は縮めることはできない。
名古屋で乗り換えて、途中駅をのんびりと停まりながら進む「こだま」を恨めしく思ったのは初めてです。

時間距離は私と母とのこころの距離をそのまま遠いものにしていました。

帰省して声をかけると「パパはいつもやさしかった。いつも幸せだった」とつぶやくばかりだった母を見ても、「仕方ないか」程度にしか考えなかった。
電話しても同じことしか言わない。それが気重で、「電話をかけても話すこともないし」と言ってさけていた。
姉からの時々の電話で母の認知の衰えを相談されてもあまり深刻に受け止めたことがなかった。
東京に出かけることがあっても、面倒くさい気持ちがどこかにあり、静岡に途中立ち寄って顔を見ることもしなかった。

いつも突然やってくる「死」は、遺された者に、重い問いかけを残します。
「なぜなんだろう」「どうしていたらよかったんだろう」「違うことをしていたら違う結果になったのだろうか」いつも答えは返ってこない。


教会での前夜式、告別式までの中途半端な時間を、私は母が最期に座り、
そこで息絶えたお気に入りのリクライニングチェアに座り、
本を読んだり外の景色をぼんやり見ながら1人過ごしました。

そのとき、母がこの椅子で座りながら、父が玄関で呼ぶ姿を見たのでは、とふと思いました。

せっかちだった父が、「おい、まだか、なかなか来ないから呼びに来たんだ」とせかすように呼ぶ姿がふと脳裡をよぎりました。
のんびり屋だった母が「あら、ごめんなさい。いますぐ行きます」と立ち上がって答えたような気がしました。
いまは、大好きだった父や孫娘の歩美と天国でゆっくりと過ごしていることを祈ります。

2017年02月13日 19:44

偏見があっても確信をもって、できることをやる

先週土曜日(1月28日)に渡邊直樹先生を講師として開催した
「SOSに気づいて、支えてつなぐ」勉強会では定員20人を超える参加者があり、
「こころのともしび」は満員の方々で熱気のある勉強会になりました。

1部では渡邊先生が、全国各地の、「自死防止・予防活動」の事例をもとに講義をいただきました。
中でも印象的だったのは「自殺率が全国一低い 徳島県海部町」の事例でした。
海部町の住民の方は、地域に住む人の様々な価値観や考えの多様性を認めるおおらかさがあり、
ほどよい距離感をもった「ゆるやかな」つながりが保たれているとのことです。
これはお湯の温度で例えると41度くらい。ほどよく温かく「自由で安心できる」温度感。
お湯の温度が熱すぎる、つまり熱すぎるかかわりは逆にストレスになると。

この「ほどよく温かい」ゆるやかな関係が、地縁や血縁などの「熱い関係」とは違う、
地域の自由な「たまり場」であると。
その事例として、「こころのともしび」をあげてくださいました。

渡邊先生は、一昨年から「こころのともしび」でご協力くださっている「たまり場での『精神科医の無料相談』」の試みを、
全国に広げようとご尽力下さっています。

誠にありがたいことです。
私も、もっと色々な場所にこのような、民間のNPO法人などが主体となり、
その活動に専門職の方が賛同下さり、ご協力いただく形が増えてほしいと思っています。

また、今回の勉強会には、支える方だけでなく、当事者の方も参加下さっていました。
2部では自由な質疑応答や意見交換をしました。
その中で印象的だったのは、
「傾聴をしていて、自己否定や不安感が強い方のお話しを聞き、励ましても、なかなかその方自身の『考えの形』は簡単に変えられない。そんな中で、無力感を感じることもある」と聞いた私の質問に対して
ご自分の経験から、「どんな声掛けでも、心を込めて励ましてくれる方の声は、シンプルな言葉でも心に染みている。
その時の自分は、自分のことでいっぱいいっぱいで、耳に入っていないように見えるかもしれないが、
『声をかけてくれ続けている』こと自体で本当に励まされた」と語って下さった方の発言でした。

この勇気ある、ご本人からの発言には会場から拍手がわきました。
渡邊先生も「私もよい勉強をさせてもらった」と感謝していました。

改めて思いました。
なまじカウンセリングなどの勉強をかじってしまうと
「どういう声のかけ方が正しい(言葉をきちんと使わないと間違い)のか」
ということを考えたりして頭でっかちになってしまいがちだけど、
私たち、民間のボランティアに何より必要なのは
「言葉は稚拙でも、自分の声で、こころから声をかけ続けよう。」という気持ちなのだと。

小さな一歩の活動に対する専門職や世間の目には、未だ相容れない誤解や先入観、偏見があり、
「怪しい」「危ない」「宗教の勧誘だ」「カルトだ」とささやかれていることも知っています。
でも、やれることを一生懸命やっていこうと思いました。

2017年01月30日 19:23

 死はなぜいつも突然やってくるのだろう

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歩美が可愛がっていた猫のマーブルが17歳を目前に突然天国に行ってしまいました。

高齢になってだいぶ動きも緩慢になり、時々せきやくしゃみをしていたけど、
歯もだいぶなくなってしまっていたけど
1か月前の検査では特に異常もなく、大きな病気をしていたとは思えなかったのに、、、

2~3日前から食欲がなくなり、今朝、うずくまっていたところを抱き上げると失禁したので
あわてて獣医師に連れていきましたが、診察を待っている間の短い時間に息絶えてしまいました。

獣医師の診断では
毛艶も肉付きもいいので、多分これは血栓のような、急性のものだっただろうと言われました。

平均寿命を超えて元気で過ごせていたことやせめて最期を看取ってやれたこと、
長患いをしなかったことなど、自分が受容するために色々なことを考えて、頭では納得するのだけど。。。

「死とは、なんでいつもこんなに突然私におそいかかってくるのだろう。」
久しぶりに、大声で泣いてしまいました。


明後日、だびにふして、骨壺を歩美の横に置いてあげよう。

くしくも、今日は歩美の31回目の誕生日でした。

「天国に行ったら、また、可愛がって遊んであげてね」。


 

2017年01月23日 20:47

気がついたら一緒に泣いていた


以前傾聴に来たことのある人から電話がかかってきて
ひとりぼっちが辛くて辛くて死んでしまいたい、と訴える声は血を流すようだった。
 

かわいそうで、不憫で何を言ったらいいかわからないけど、とにかく必死で言葉をつないだ。

「私は心配しているから」「私が力になるから」「1人じゃないから」と訴えた。

「米山さんみたいなやさしいお母さんがほしかった」
「米山さんがお母さんだったらよかったのに」と
泣きじゃくりながらその人が電話口で言う。

ちがう、ちがうんだよ。

こんなに一生懸命はげましていたら、
こんなに必死な気持ちで話を聴いていたら娘は死ななかったかもしれない。

いいお母さんじゃなかったんだよ。やさしくなかったんだよ。
いま、やさしいお母さんみたいなまねをしていても、
本当に一番必要なときにやさしいお母さんになれなかったんだよ。

だから、いま、ここでこうやってあなたと話す運命になったんだよ。

生きていてほしいと、乗り越えてほしいと思いながら
気が付いたら泣いていた。

いまも電話口の声が耳から離れない。

2017年01月11日 17:34

神様はいつも私に「人生の宿題」というプレゼントをくださる

昨年も押し詰まった12月23日、小さな一歩の活動に突然、新たなミッションが与えられました。
それは、「緊急保護にいかに対応するか」というものでした。
このミッションは目先のことだけでなく、これから長期的に取り組むかもしれない新たな課題に係ることでもあります。

クリスマスの24日から「走りながら考え、行動し、結果を作る」日々が年末年始にかけて続き、
何とか最低限の対応はできました。

「神様はいつも私に素敵なプレゼントをくれる。それは、『人生の宿題』。」

年末年始は、迫ってきた社会福祉士国家試験の勉強が気になりながらも、目の前の緊急事案に取り組んでいるうちに過ぎました。

気が付いたら試験まで1か月を切っている、、、、、

私の人生はいつも宿題に追われている、と思いつつ、何とか緊急事案は一段落したのでこれから試験日までは資格試験の勉強をがんばります。

2017年01月04日 18:23

HNKeテレ「癒えない傷を抱きしめて~自死遺族支える“母ちゃん”弁護士」  

昨日(12月15日)いつも自死遺族支援のために色々お世話になっている佃祐世弁護士がNHKEテレ「ハートネットTV:癒えない傷を抱きしめて~自死遺族支える“母ちゃん”弁護士」で紹介されていました。
この番組は以前、広島局制作の地域番組でも放映されていたので、私が見たのは2度目です。
改めて観て、いつも接している彼女の人となりや誠実な弁護姿勢がそのまま出ていて、
とてもいい番組だと思いました。
彼女のやさしい微笑みや柔らかい口調。遺族のために様々な法的救済手段を練りだす戦略思考。
この両輪が佃弁護士の真髄だと思います。

番組の中の、彼女の言葉
「自死遺族の本当の願いはただ1つ、『もう一度会いたい』。それをかなえてあげることはできない。
でも、できることをすることで、せめて気持ちの整理につながれば、と思ってやっています。
それでどれだけ救われるかどうかはわからないんですけれど、、、、」
亡き旦那様のことについて
「本当にやさしい人で、いつも私のやりたいことを認めてくれていたので、今でも『思い通りにやったらいいよ』と言ってくれていると思う」と言われていました。

社会的貢献度は雲泥の差がありますが、この想いは私にもとてもよくわかります。

そして
(自死の直後の壮絶な苦しみも)「いまはそれさえも愛おしく思えるようになった」とも。

※どれもうろ覚えの言葉なので、正確でなかったらすいません。※


番組視聴の後、「亡き人を想うときの愛おしさ」から、どんどん違う方向に想いが広がってしまいました。

愛おしい、、、亡き人を思う時(自死に限らないと思いますが)「愛追しい」。私の造語です。
「強い愛が後追いする」。いつまでも。終わりはない。

私は娘の生前の元気だった姿を思い出すたび、同時に苦しさも悲しさも蘇ってまう。
楽しい想い出、明るい笑顔を思い出すたび、同時に自死直後の娘の顔が浮かんできて
「どうして、どうして、あんなに元気だったのに」という問いかけが止まらなくなる。

これも愛おしさのひとつでしょうか。

楽しかった出来事を思い出すときは、楽しかった気持ちも一緒に蘇ってきてほしい。
悲しみの色で上から塗りつぶされないで。

だって、私たちはこれからも生きて、新しい想い出を作っていけるけど、娘の思い出はもう増えない。
だから25年分の思い出を大事に、鮮明に、その時の気持ちのままとっておきたい。
家族とも、楽しかったその時の気持ちを封印せず、笑顔で想い出話ができるようになりたい。

まだそれができていないけど。

そんなことまで思い及んでしまいました。

2016年12月14日 11:38

がんばっているつもりでいても気づかないほころびがそれを台無しにする

時々、たまらなく、いたたまれない気持ちになる出来事がある。

分かちあいや、こころのともしびで傾聴をしている中で、
目配り気配りが行き届かず、
複数の人が集まって話をする場で、ある人の言葉や態度(本人には悪意はないのだが)が
知らないうちに他の人を傷つけてしまうことが起きたり、
複数の人に同時に対していると、1人の人への気持ちの傾け方が中途半端になることもある。
運営や進行に気持ちが傾いてしまって、本当はもっと話をしたい人の話を時間切れで聞けないこともある。

自分の目が背中にもあり、手が8本くらいあり、頭も口も4つぐらいついていたらいいのに、と思う。
というより、自分が365日休みなく4人くらい同時に動ければ起きないのかと思う。

それ以前に、注意深さや丁寧さが足りない自分の性格が情けなく悲しくなる。

不満を持った人もその場では言わない。
帰ってから、怒りや悲しさを伝えてくれる人は親切だ。
何も言わずに去っていく人の方が何倍も多いと思うと、いたたまれない。

分かちあいには、不満やトラブルを起こさないことを重視して
色々な制限や禁止事項をはじめから設定し、余計なことをしない、というところもあるけど、
小さな一歩では、自由で、低い垣根の場にしたいと思って、なるべくフリーな状態でやっている。

考えが甘いのかな。

やってもやっても、いや、やればやるほど、出来ていないことに打ちのめされる。

 

2016年12月12日 21:35

辛さや不安は本人の尺度でしか測れない

先週、目が痛いので眼科の診察を受けたのですが、
偶然、目の痛みとは別に、検査結果から緑内障の疑いが指摘され、
今週精密検査を受けた結果、中期の緑内障であることがわかりました。

緑内障とは、中心視力で見える視野の範囲が白濁して失われていき、視界が狭くなる病気です。
私の両目は、視野の上半分がすでに失われている、という結果でした。

緑内障の「視野が失われる」とは光を感じ取れなくなる=暗黒 というのではなく
例えると、今の自分の視野の上半分に白い遮光カーテンがさがっているような状態。
コンタクトレンズに例えると「レンズの上半分の白濁汚れのために、全体的に物の輪郭がぼやけて見えている」状態。

ああ、病状が悪化すると、視界全体に遮光カーテンがかかって真っ白になるのだろうか、、

全く自覚症状がないまま、ここまで進行していたことや
失われた視野の回復はできず、今後はこれ以上の進行を食い止めるための治療が必要だということ
(つまり、治療をしないと、失明までいってしまうこと)など、
予期していなかったことが突然やってきたため、心がとても動揺し、落ち込みました。

「緑内障の9割は自覚症状がないまま進行し、気が付いた時は手遅れの人が多い。
偶然、今の時点で見つかったことはラッキーだったよ。今から治療すれば失明する可能性は低いからね。」
とやさしい眼科医に励まされ、
「ともしび」の人々にも、知り合いの緑内障の人が、ふつうに日常生活を送っていることなどを教えてもらい、
随分力づけられました。

でも、それでも。
1人の時間には気がつくと、今後自分の目がどんなふうに悪くなっていくのか、失明しないのか、失明までいかないにしても、進行したら「あれもこれももうできなくなる」「ほとんど社会生活が不可能」と黒雲のように湧いてくる不安を抑えることができません。

ネガティブスパイラルに入っちゃだめ、前向きに治療に取り組めば大丈夫、と励ます自分の声もあるけど。
この程度の病気でめげてはだめ。もっと苦しい想いを抱えている人はたくさんいるんだから、と自分を戒める気持ちもあるけれど。
全部わかっている、わかっているけれど、すぐにはそのすべてをすんなりとは受け入れられない。

自分の身を振り返って、改めて、困難な気持ちになった人への声掛けの難しさを実感しました。

良かれと思ってかけられる励ましの言葉でかえって傷つくこともある。。。。
他人には「大したことじゃないよ、よくあることよ、気にしない方がいいよ」と思えることもその人にとって、辛いことは辛いし不安は不安。
辛さや不安には客観的な尺度はない。本人にしかわからない。。。。。

カウンセリングで何度も教わったことを自分自身で実感する日々です。


 

2016年12月04日 16:02

高橋まつりさんの過労自死について思うこと

電通社員の高橋まつりさんの過労自死に関する一連の動きを各メディアで見聞きするたび、心が痛くなりましたが、先日、母親の幸美さんがシンポジウムでお話しになっている姿をテレビで見たときは、胸をしめつけられるような、苦しい想いがこみあげました。

まつりさんの遺書に書かれていた最後の言葉
「大好きで大切なお母さん、さようなら、ありがとう。自分を責めないでね。最高のお母さんなんだから。」
を目にしたときは、泣いてしまいました。

死を決意してもなお、遺されるお母さんへの思いやりの言葉を紡いだ、本当にやさしい心の持ち主であったまつりさん。

最後の言葉に対して、幸美さんが何を思い、何を決意したのか。

自死遺族はそれぞれに1人ずつ違うので、私が勝手に想像しているに過ぎませんが、
全ての事柄や自死の原因になった関係者への怒りと、娘の遺恨を晴らしたいという決意は並々ならないものがあったと思います。
記者会見の時の幸美さんの、決意に満ちた強いまなざしと、固く結ばれた口元がそれを物語っていました。

「命より大切な仕事はない。」本当にその通りです。

いまや非難の的になっている電通鬼十則「取り組んだら放すな、殺されても放すな」は
正しくは
「仕事が手に入って会社が儲かれば、お前が殺されようが死のうが会社は全然構わない」です。
そう言えば、誰がこの言葉に従うでしょうか。

我々の社会では「死んでも○○」という言葉が安易に使われています。

「死んでも放さない」「命に代えてがんばる」・・・死んだら何もつかめません、死んだらもう二度とがんばれません。

「死んだ方がまし」・・・死の後には、なにもいいことは起きません。

この、単純なことを、経営者も社会全体も、そして1人1人が刻んでほしいと思います。
やさしい人が心を患い、その患いのために生きる選択をする力が枯れてしまう前に。

2016年11月11日 18:36