広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

6回目の命日(キリスト教では昇天記念日)の昨日は、たくさんのお花に囲まれた静かな1日になりました。
あゆみの幼馴染のお母さん、大学時代の親友、小さな一歩のメンバー、次女の婚家のお義母さん、、
そして東京では次女夫婦も。
長いつながりの方も、新しいつながりの方も、
歩美のためにお花を下さったことに大きな感謝を感じます。
 

最近、ともしびの庭にあるハイビスカスの鉢から「こどもの芽」が芽吹き、すくすくと育っています。

このハイビスカスは、歩美が暮らしたアパートの遺品整理をしていた6年前の今ごろ、
縁側に小さな苗が置きざりになっていたものを私が持ち帰って育ててきました。

毎年、冬になると葉が落ちるのですが、春には葉が出てきれいな花が咲いていました。
今年は春になっても葉もつぼみも出てきません。
「冬越しできずに死んでしまったのか」と心配して、枝の様子を見てみると、幹の中心は緑で水分が通っており、生きていることがわかります。

「どうしたのかな、生きているなら何とか春の息吹を見せてほしいな」と思っていたら
5月ぐらいから鉢の中から、子どもの幹がぐんぐんと成長してきました。
がんばれ、子ども、そして母の幹もがんばれ、と声をかけながら水やりをしています。

こういう植物のたくましさが私は好きです。
厳しい冬にあって、地上で枯れたように見えても地中で根はがんばって、いのちをつないでいる。

歩美もどこかにいて、魂は静かに生きていて、私たちは「歩美」を「根」として絆を育てていくのかな。
そんな風に思えたのでした。

2017年06月22日 19:26

今日、新しい人生を歩みだす娘へ

今日、6月9日は、私たちの結婚記念日であり、
偶然にも次女の婚約者の誕生日であり、また、次女が今日、婚姻届を区役所に出した「0回目の結婚記念日」でもあります。

昨晩、次女と電話で話して、改めて彼女が自分の新しい人生をスタートさせることを実感しました。
(結婚式は秋なので、漠然と「秋に結婚」というイメージを持っていたため、、、)

これからは、6月が、人生の喜びと悲しみが交差する、一層特別な月になります。

次女のことを思う時にはいつも、苦い後悔や不安がつきまとってきました。
親の離婚、母子家庭、再婚、自分をいつも守ってくれた姉の突然の死、、、
20代前半までに、普通の子どもなら経験せずに過ごせる人生の困難や転機に突然直面させられてきた娘。

色々なことが家族の中で起きるたびに私は、次女の表情や行動の変化に敏感になりました。
いつも、何かを我慢しているのではと、気になってきました。
環境の激変や逆風によって、娘が精神的に混乱し、それが原因で心に困難を抱えた大人になったら
それは、親である自分の責任で、そのつぐないを一生していこう、と覚悟した時も多々ありました。

でも、そんな心配を(少なくとも今までは)吹き消すように、いつも元気で笑っていてくれた。
小さな時から親を心配して言葉をかけてきてくれた。
特に、姉である長女の死後、この娘が足を踏ん張って生きている様を見ていなかったら、
私も「生き続けていかなくてはいけない、死んではいけない」と思えなかったでしょう。

娘に心からお礼を言いたいと思います。

「あなたがいてくれたから、私はいま生きている」。

そして、心から願います。
「○○さん、私の、小さなこの愛娘は、たくさんの涙を飲み込んで笑ってきました。
どうぞ、これからは、この娘が涙を飲みこまずにたくさん笑えるように、一生守ってやって下さい。」

2017年06月09日 20:08

1人でもこのことで元気になれるなら

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先週末からこころがほっとするちょっとしたエピソードが続きました。

5月21日、福山の自死遺族の会「つゆ草の会」は、現地世話人のお2人のがんばりがあって、準備もしっかりと、順調に始まりました。

会場の「水呑カフェBoneu」は陽光明るく、店内外の緑に、心が落ち着くとても素敵なカフェ。店内にいるだけで「癒し」の空気に満たされるような気持ちになります。

https://www.cafeboneu.com/

初回は6人で囲みました。ゆったりと、まず1人1人が「こころ」の内を語ってから、フリートークに入ることにしました。
今まで、始めの自己紹介は簡単にすませ、フリートークで「語りたい人は語り、話すことが難しい人は聞くだけでもいい」という形にしてきましたが、中には、話したい気持ちはあるのだけど、語り出すのに口が重い方もいて、語り足りないままで帰路についたのでは、という反省がありました。
始めに“自分なりに”この場で語りたいこと、参加した想いなどを一通りお話ししてもらうと、
お互いも理解しやすく、遠慮が少なくなってフリートークも気軽に話しやすくなることがわかりました。
この方法は、来月以降の「自死遺族の希望の会」「つゆ草の会」でも続けていきたいと思います。

また、先日、希望の会に何度か参加されている方から電話があり、声がはずんでいました。
その方は、心因性の難病のために、生活上で不自由が多い生活をしていたのですが、
分かちあいに何度か参加しているうちに、少しずつ体の調子がよくなり
(実際私が見ていても、参加のたびに、顔色がよくなり、お話しぶりも元気になってきたと思っていました)
先週の分かち合いの後、「したいと思いながら、どうしてもできなかったこと」ができた、という喜びの声でした。
その方のかかりつけ医も、外に出て他人と関わることが、病気の快方にとってとても大事であること、その第一歩として、同じ体験をした人同士が安心で語り合える「自助グループの分かち合い」が一番適している、と喜んで薦めてくれたとのことでした。

これは何よりうれしい便りでした。


分かち合いを始めて4年余り。
悲喜こもごも、心配したり不安になったり、反省したり。
いつも色々なことがあるけれど、
この会によって元気になれる人が1人でもいれば、十分に役割を果たしているのでは、と思えた瞬間でした。

2017年05月25日 19:18

乾いたDNAに沁みこんだ空との青、山の緑

このところ数か月、働きすぎで心を亡くす「忙」の状態でした。

社会福祉士試験が1月末に終わった後も、
2月から3月は、試験のために全く手を付けていなかった助成金事業報告書の作成と
4月からの委託事業のための企画提案書作成。

4月に新しい委託事業が始まり、慣れない上に予期せぬ事態が毎日起きるので「走りながら考える」毎日。

会社(本業)の電話の子機と、「小さな一歩」の電話の子機と、携帯電話に応対する『3丁拳銃』の毎日。

気がついたら、「こころに寄り添う」よりパソコンと格闘する毎日。

時間にも心にも余裕がないから、相談したいと思っている人も声がかけにくいらしく、
「米山さんは忙しくて話を聞いてくれない」という声も聞かれて、
仕方がないのよ、私も人間で、限界もあるのよ、と心の中で叫ぶ一方で、
自分のゆとりのなさ、余力の不足に激しく落ち込みました。(今もだけど)

心がかさかさに乾いて、ささくれて、意地悪くなっていることを実は自分が一番感じていました。

そんな日々がちょっと一段落ついた(?)GW明け、
家人が道楽で買ったドローン飛ばしに何気なくついていき、犬を連れて高原や海岸に行きました。

不思議な気持ちになりました。
なんだろう、目の前にある緑の山の稜線、海岸に寄せる静かなさざなみ、、、、
何もせず、眺めているだけで、何だか泣けてきそうな思い。
心の中に何かが染みこんできて、静かに湿りを与えてくれるような感覚。

特別な景勝地に行ったわけではありません。
広島県の都市近郊にある、ちょっとした緑地だったのだけど。

生物としての「ヒト」のDNAの中に清水がしみこむような感覚でした。

子どもがいないので、つい、自然の中に遊びに行く機会も減っていたけど、
そのきっかけになってくれた「ドローンくん」に感謝(*^_^*)

2017年05月17日 20:02

娘が10年前に好きだったRADWIMPSの曲

今日、亡き娘の大学時代の友人が「ともしび」に遊びに来てくれました。

久しぶりに、大学時代の娘の話をたくさんして、私の知らなかった娘の一面も知って、
楽しい時間を共に過ごしました。

家では、だらだらとして甘えん坊だった娘が
仲間の間では、とてもいい聞き役で、お姉さん役だったこと。
ちょっと面倒くさい友達の話も、辛抱強く、「うまく転がしながら」聞いていたこと。

親友と、一晩中カラオケボックスにいて、歌ったり、歌がつきたら語りつくしたり、また歌ったりして過ごした思い出。

中でも好きだったのが、RADWIMPSで、カラオケに行くと、必ず「me me she」という曲をを歌っていたそうです。

私も名前を知っている、何人かの方々の近況も聞くことが出来て、とてもなつかしく、楽しい時間でした。

気が付いたら、生前の娘の話を、悲しい気持ちになることなく、
「大学時代は本当に充実した4年間だったのだな、楽しいことだけではなかったけど、そういう意味も含めて。」
と素直に受けとめることができるようになった自分がいました。

その後、お墓参りにも一緒に行ってくれました。

「何年たっても、歩美を忘れずに、広島に着いた足で来てくれて、本当にありがとう」。

 

娘が一番のお気に入りだった、「me me she」の歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B20794)。

「空が奇麗だね 人は悲しいね」
また見え透いたほんとで僕を洗ってよ
次がもしあれば 僕の好きな君 その君が好きな僕
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ
この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」

当時は、もちろん、その後の運命など知ることはなかったとは思うけど。

2017年04月12日 17:33

根気強く報せ続けるのに、無駄な方法はない

先日、ふらっと来られて、初めは口が重かったけれど、語り始めたら、重い重い人生を歩んできた方。

色々な事情があって、携帯電話もパソコンも見ることができません。
心や身体に不調があって、助けてくれる機関やこころをやすめる居場所を必死に探しているのだけど、
ネット万能の時代、「どこにいけばそういう居場所の情報があるか、その情報のある場所からしてわからない」と言われました。
「ここをどうやってお知りになったのですか?」と聞くと
「2年前に『こころのともしび』が開業したときに、広島市の公共施設の開架コーナーにチラシがあって、
それをずっと持ちながら、『いつか行こう、いつ行こうか』と悩んでいた」と言われました。

2年間暖め続けてくれて、そして、たどりついてくれたことを感謝しました。
 

いまはなんでもインターネットで情報を探すのが当たり前になっています。

小さな一歩の分かち合いや「こころのともしび」に連絡して来られる方もほとんど
「ホームページを見た」と言われます。

一方で、チラシは手間もお金もかかってたくさん配布するわりには反応がいまいちなので、
「あまり効果がないのかな?」と思っていた矢先にこの方のお話しを聞き、
改めて、このような活動を知っていただくためには、
周知活動も気長に、根気強く続けなければいけないことがよくわかりました。

本当に居場所を探している人ほど、ネット情報から遠いところにいる人なのだ、と気づかされました。

といった、日々の想いを伝えるのが、これがまたインターネットであることに矛盾や疑問を感じつつ。。。。。

 

2017年03月28日 19:13

グラウンドゼロに立てた1本の旗

小さな一歩の「自死遺族の希望の会」は3月の会で5年目に入りました。

6年前の6月21日。
いままでの人生で少しずつ築いてきた自分の人生や価値観がいっぺんに崩壊してしまった
私にとっての「グラウンド・ゼロ」の日。

茫然と、心の中に広がるがれきの荒野に目をやるしかなかった日々から約1年半後。
「グラウンド・ゼロ」に1本の旗を立てるように始めたのが「自死遺族の希望の会」でした。

その後、多くの人との出会いがあり、そこからたくさんの「気づき」があり、それをきっかけに、小さな一歩の活動はずいぶん増えたけど。
それはまるで、荒野に少しずつ建っていく小屋のように。

時々、思うようにいかないときはこの旗の立て方や場所を変えようかと心が揺れたときもあったけど。
いっそ、旗をおろしてしまいたい、と思うほど辛いときもあったけど。

これからも、新たな出会いや気づきがあるたびに、周りに新しい小屋が建つことはあるかもしれないけど。

でも、「グラウンド・ゼロ」に立てた1本の旗は、どんなときも、同じ場所で、同じように、ここに集う人を迎えたいと、
改めて思いました。

私はこの旗に始まり、この旗の元でいつか終わる。

これからも「自死遺族の希望の会」は毎月第3土曜日の午後、広島教会で続けます。

2017年03月22日 15:26

社会福祉士試験に合格しました\(^o^)/

1月末に受験した、社会福祉士国家試験の結果が、今日(3月15日)発表になり、
なんとびっくり!合格でした!!

小さな一歩が4月から
広島市からの委託で新たに取り組むことがほぼ決まっている事業によい追い風になりました。


それにしても疲れました。目もボロボロになりました。
もう一生、試験勉強というものはしたくありません(笑)
2017年03月15日 20:16

この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう

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3月は出発と別れの季節。
小さな一歩の活動も例外ではありません。

活動で縁があった人たちにも、仕事やご家庭の事情で広島から離れる方々がおられます。

2年以上前に初めて参加し、その縁でいろいろな関わりを続けてくれた方が遠方に引っ越しになりました。

「新しい土地でも元気でがんばってください」というLINEメッセージに

「はい、がんばります」。

そして「この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
「ありがとう」

ご本人は、単純に、今話題の映画のキャラクターがかわいいから、という理由で送られたスタンプかもしれませんが(笑)
私はなんだかこの言葉に、一人でしんみりしてしまいました。

この広い世界の中の、広島という小さな都市の、片隅にある小さな活動に

たまたま、偶然、

それまでなんの縁(ゆかり)もつながりもなかった他人同士が、
お互いが見つけあって、
ふれあって、助け合って、そして別れていく。そんな思いが凝縮されている言葉だと。

私からも同じメッセージをお返ししたい気持ちです。
「この世界の片隅にある、小さな小さな活動を 見つけてくれてありがとう。」

「この世界の片隅に」。
映画を見ました。コミックも読みました。
ほのぼのとした温かさの中に、生きることの厳しさが迫ってくる映画でした。
戦争や原爆の理不尽さ、罪のない命が奪われる残酷さ、突然つきつけられる死という別れ。
そんな 生と死の瀬戸際を、
受け入れられないものを、寡黙に飲み込まざるをえない、市井の人々の生活。
淡々と、能弁すぎず描かれていて、しみじみと心に水がしみこむような、そんな映画でした。

でも、それとは別に、「この世界の片隅に」という一言を、とても身近なものとして感じた出来事でした。

2017年03月03日 18:04