広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

5年ぶり?いいえ、何十年ぶりに「何もしない日」だった

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昨日(6月21日)は、何もしなかった。

仕事もしなかった。
小さな一歩の活動に関係することもしなかった。
資格の勉強もしなかった。

前向きなこと、明日につながるようなことはあえて封印した。

今年は「何もしない日」にしようと決めていたから。

過去4回の命日は、
「今日の悲しさに負けまい」「この日こそ始められることをしよう」とがんばっていたのかもしれない。

こんな1日が過ごしたい、とずっと思っていたのかもしれない。

家でぼうっと過ごしていたら、娘の友達や、お世話になった人から次々にお花が届いたので、
すぐに封を開けて、水をやり、飾ってやることができた。
「いい一日だったね。」と語りかけた。

 

2016年06月22日 08:52

同じ曜日の同じ日

5年前と今年は同じ日が同じ曜日。
そのためか、今年は特に、日曜日から始まった5年前の出来事が頭に浮かんできて、
いったん思い出すと消えていかないのです。

12日日曜日、私たち夫婦の結婚記念日のお祝いで娘と3人でレストランで食事をした。
13日月曜日、娘に誘われてライブに行った。
14日火曜日、薬を大量に飲んだ娘が救急病院に運ばれた
15日水曜日、午前10時すぎ、ビルから飛び降りた

この日の天候は今日と全く同じ、薄曇りで蒸し暑かった。
この日を境に、娘は目を開けることも口を開くこともなく、21日に昇天しました。

今日のこの日は、娘と会話を交わした最後の6月15日の水曜日。

たまたまでしょうか、日曜日から、5年前を思い起こすような行事や出来事が続きました。

人間の記憶は不思議なものだと、他人事のように思います。
同じ日と曜日は、心の奥底にしまってあった風景や言葉を動画のように目の前に映し出す。

「ひさかたの 光のどけき春の日に しずこころなく 花の散るらん」
百人一首の句をなぜか最近よく思い出します。
「こんなにのごかな春の日なのに、花びらはどうしてこんなにあわただしく散っていくのか、静める心はないのか、という歌です。

25歳、まだ、何度でも花を咲かせることができたはずなのに、
なぜ、あわただしく いのちを散らしてしまったのだろう。と。

2016年06月15日 09:29

優しいものにふれ、心の中の「優しい想い出」がよみがえる

昨日(6月4日)広島市西区古江のGallery Cafe「月」~yue~で、
開催中の「光の写真家今村久仁夫写真展『光のシンフォニー2016』」に併せ、
篠笛奏者「KOTO」によるソロコンサートがありました。
http://blog.goo.ne.jp/g-yue/e/86b8ac69030b8c38cdc3d99aa03f83c8

KOTOさんのプロフィールや活動については http://fuekoto.com/
今村久仁夫さんのプロフィールや活動については http://twitpic.com/photos/Kunio_IMAMURA

実は今村久仁夫さん、「こころのともしび」で調理ボランティアをしてくれている料理研究家の
今村ちえこさんhttps://www.facebook.com/syarichan/about
のご主人です。

ちえこさんに教えてもらって伺った「ギャラリー写真展&篠笛コンサート」ではとても心がいやされる時空間をいただきました。

KOTOさんは、広島県北部 北広島町の地元神楽団で、物心ついた時から神楽笛の演奏をされている、天才的奏楽者。
約1時間半のコンサートは、幻想的な「光の写真」をバックに現代音楽、外国曲、オリジナルナンバーなど、
幅広いジャンルの曲が披露され、これも幻想的な音色に、ひとときの非日常に浸る時空間でした。

色々な曲の中で特に私の心をひたひたと温かく満たしたのは、日本の童謡でした。

目を閉じて曲の世界に浸っていると、まぶたの裏に、自分の幼い頃の風景が浮かんできました。

車もなく、コンビニもショッピングセンターもなかった昭和の時代に、母が作った弁当を持ち、
ローカル線を乗り継いで、週末に出かけて行った山や海。
冬の寒空、手をつないで、またたく星々を数え、星座を探しながら歩いた家までの道。
夏休みに母の故郷で祖父に連れていってもらった、岡山県高梁市の山の稜線や川の流れ。

「優しいものにふれると、子どもの頃の優しかった時間や人々の思いで満たされる。その想いが人をいやす」
以前、カウンセリングの勉強で学んだことが、そのとおりでした。

今になって、幼い自分を一生懸命の愛で育ててくれた両親に感謝しました。


 

2016年06月05日 18:42

誰が「怒り」を受け止められるのか

いままで、色々な心の叫びを聞いてきましたが、一番、傾聴が難しいと思うのは「怒り」です。
特に、どこに向けていいかわからない怒り、どこに行っても聞いてくれなかった「怒りの塊」が
「どんなことでもお話ししていいですよ」と言った途端に火のように噴出してくる人がいます。

少し前に相談に来られた方は、とても多くのことを1人で抱えている人でした。

金銭感覚がほとんどなく「浪費」を超えるお金を勝手に使ってしまう配偶者とのトラブル、
「人格破たん者」(本人の弁)の親との関係、
その親が大好きな祖母を「介護放棄」に近い扱いで放置していること、
生まれて間もなく親と共に入信したある宗教から離れたいが離れられないこと。
それらのトラブルが原因となって悪化する自分自身の「こころの病気」のこと。

全てを抱えていて、どうしていいかもわからない。必死に助かる方法を探し、相談窓口に行ったそう。

その方が望むことはただ1つ、「誰か自分を助けてほしい、地獄から救い出してほしい」!
でも、問題を扱う役所や部署はばらばら。
担当者は言います、「○○についてはこういう方法をとったら?」
本人「でも△△の事情があるからそれはできません」
「△△については、ここでは対応できません、××に相談してください」
その繰り返しだったようです。

長い時間話した後、「こんなに自分の心を開けっ放しにしたあげく、何の解決策も与えられずに帰れません!」
「聞きっぱなしですか!?どうしてくれるんです!」
いくつか、公的な相談窓口も提案しましたが、
「そんなところは自分で調べてもう行きました!門前払いでした!」
「結局誰も助けてくれないんですね、もう『死ね』ということですね!」
おそらく、二度と来られないと思います。

傾聴のあと、これほど無力感に打ちひしがれ、後味が悪いことはありません。
少し時間がたって思うのは、「怒り」のパワーは他のどんな感情より強く、すべてを凌駕してしまう。
聴く私たちが、そのパワーに翻弄され、引きずられてしまったのでは、と。

他者への「怒り」を表す人は少なくありません。どうそれを受け止めるか。
火を消すために水をかけるのは逆効果だとわかっていますが、、答えは出ません。

 

 

2016年05月23日 19:04

人として生きること

一昨日まで約2週間、社会福祉士受験のために研修でお世話になったのは
重症心身障害者医療福祉施設でした。
障害区分(1~6)5以上の人がほぼ全員で、障害者福祉と同時に、医療面での毎日の見守りが欠かせない人々が長期入所しています。

先天性障害の方ばかりでなく、ある年齢までは普通に学校に通っていた子どもが事故や
急な心停止によって脳に重大な損傷を受け、
最重度の障害者になっていることも少なくありません。
自力では呼吸も栄養摂取もできず、反応することもなくベッドに横たわり、
多くの管がベッドにつながれている人も多くいました。

研修の間、ずっとある言葉が耳の中でこだましていました。

娘がビルの3階から飛び降り、脳の前頭葉挫傷で、病院の救命救急治療室に運ばれたときの医師の言葉です。

「挫傷した前頭葉が腫れて脳全体の血管を圧迫していき、数日のうちに脳死状態になる可能性が高い。
 助かる見込みは数%程度です。命をとりとめても、重度の障害が残るでしょう。」

「前頭葉の一部を切り取って、脳全体への圧迫を抑えれば一命をとりとめることはできるかもしれない。
 しかし、それをしたら、もう『人間』ではない。そこまでする勇気を僕は持てない。」

「生き延びることと、『人間』でなくなることを選択しなくてはいけない」事実。
突然のあまりの衝撃に、私たち家族は言葉を失いました。

そして、私たちもその勇気を持てなかった。

もしかしたら、このままできる限りの治療にかけて、奇跡的に助かるかもしれない、
その希望にかけるしかありませんでした。

でも奇跡は起きなかった。

その言葉が脳裏を横切るたびに「生き延びても人間でない」とはどういうことか、
と何度も何度も考えてきました。
あのとき、「『人間』でなくなっても、命を救ってください」とお願いしたらいま、どうしていただろう。
そんなことも考えました。

今回の研修で出会った最重度心身障害者の方々の生きる姿は、それを新たに考えさせられるものでした。
どんな状態の方にも、「○○さん。おはよう。今日の調子はどう?」と話しかけながら介護をする人の姿や
五月晴れの庭を、話しかけ、微笑み、笑いながら一緒に散歩する家族の姿でした。

「人として生きること」。深く考えました。でも、結論は出ない、きっと一生。

2016年05月09日 08:54

明日から2週間 現場実習です

社会福祉士の国家試験が来年1月、とひたひたと追いつめられる中、全く勉強が進まず、
かなり心理的に追い詰められている私ですが、
資格取得のために必要な現場実習を受けるために、明日23日から5月7日までは
「こころのともしび」も仕事も放りだして、某重度障害者施設に現場実習に行ってきます。

国家試験のために始めた勉強ですが、福祉全般について理論的なこと、法律制度的なこと、
ソーシャルワークの基礎から学んでいることは、小さな一歩の活動にとって、とてもプラスになっています。

色々な方の相談の中には、現在関わっている福祉や医療の施設やサービスについての悩みも多く、
それらの方の話を、きちんと知識をもって受け止められることで、より深い理解になると気づきました。

合格しなくても(いまから予防線をはるわけではないですが)無駄にはならない。
特に今回の実習は、得難い学習の機会として、強くそう思います。

ということで、2週間、仕事と活動から離れて、1人の実習生としてがんばってきます(*^_^*)
2016年04月22日 18:00

朝日新聞で紹介されました。

3月末に、小さな一歩の活動について朝日新聞 広島総局の取材をいただきました。
その記事が昨日、掲載されました。

2016年04月15日 14:24

勇気づけの言葉は人のためならず

タイトルの言葉、「人のためにならない」という意味ではありません、「他人のためでなく、自分のためになる」という意味です、あしからず。

昨日(4月10日)の「うつ症状のある方またはその家族の分かち合い」では今までと
ちょっとやり方を変えて、
「こころのともしび」の個室傾聴で相談を受けた話で、私自身が答えが出せなかった事例を
具体的に個人や関係先が限定されないような話にして、
出席者の方に「あなたならどうしますか」と問いかける時間を設けてみました。

相談事例と似たような立場で悩みを抱えている方が多かったためか、
意外なほど、具体的で力づけられる助言が活発に出て、勇気づけられました。これはうれしい誤算でした。

「分かち合い」は、基本、「自分自身の気持ちや悩み」を話す場所ですが、なかなかうまく語りだせない人も少なくありません。
しかし、客観的な立ち位置にたつと、物事を冷静にとらえて考えることができるようになります。
今回もまさにそのようでした。

話してみて、自分自身が個室傾聴の時に、相談者のあきらめ、「無理、できない」という
気分に知らないうちに引き込まれて、
一緒に無力感を共有してしまっていたことに気づかされました。
相談者の代弁者として、分かち合いの出席者から激励されたような気持ちになりました。

これは推測ですが、発言してくれた出席者それぞれも、架空の他人のために一生懸命「よい方向」を考えて
発言したことが回り回って、自分自身への励ましとして持ち帰れたのではないかと思います。

大きな手ごたえを感じた1日でした。

この方法を、これからも試してみようかと思います。


 

2016年04月11日 17:50

他会の分かち合いに参加して心新たにしました

 3月は、小さな一歩以外の「自死遺族の分かち合い」に招かれることが多く、
 3か所で、小さな講演をし、分かち合いに参加しました。
右の写真は3月12日に「岡山市こころの健康センター」に招かれた時の山陽新聞の記事です。

 分かち合いも主催者が違うとそれぞれに違う空気があり、また、初対面の遺族との分かち合いは、いつもの「小さな一歩 自死遺族の希望の会」とは違う緊張感がありました。

 でも、どの会でも、その場を必要としている方の深い想いにふれることができました。
 いつも新たな気持ちでしているつもりでも、自分の会だと、知らず知らずのうちに「慣れ」が生じていたことも改めて感じました。

 2月、3月は他会への参加が続きましたが、自分の気持ちを改めて引き締めるためにとてもよい機会をいただいた、と思っています。
2016年03月28日 18:35