広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

誰が「怒り」を受け止められるのか

いままで、色々な心の叫びを聞いてきましたが、一番、傾聴が難しいと思うのは「怒り」です。
特に、どこに向けていいかわからない怒り、どこに行っても聞いてくれなかった「怒りの塊」が
「どんなことでもお話ししていいですよ」と言った途端に火のように噴出してくる人がいます。

少し前に相談に来られた方は、とても多くのことを1人で抱えている人でした。

金銭感覚がほとんどなく「浪費」を超えるお金を勝手に使ってしまう配偶者とのトラブル、
「人格破たん者」(本人の弁)の親との関係、
その親が大好きな祖母を「介護放棄」に近い扱いで放置していること、
生まれて間もなく親と共に入信したある宗教から離れたいが離れられないこと。
それらのトラブルが原因となって悪化する自分自身の「こころの病気」のこと。

全てを抱えていて、どうしていいかもわからない。必死に助かる方法を探し、相談窓口に行ったそう。

その方が望むことはただ1つ、「誰か自分を助けてほしい、地獄から救い出してほしい」!
でも、問題を扱う役所や部署はばらばら。
担当者は言います、「○○についてはこういう方法をとったら?」
本人「でも△△の事情があるからそれはできません」
「△△については、ここでは対応できません、××に相談してください」
その繰り返しだったようです。

長い時間話した後、「こんなに自分の心を開けっ放しにしたあげく、何の解決策も与えられずに帰れません!」
「聞きっぱなしですか!?どうしてくれるんです!」
いくつか、公的な相談窓口も提案しましたが、
「そんなところは自分で調べてもう行きました!門前払いでした!」
「結局誰も助けてくれないんですね、もう『死ね』ということですね!」
おそらく、二度と来られないと思います。

傾聴のあと、これほど無力感に打ちひしがれ、後味が悪いことはありません。
少し時間がたって思うのは、「怒り」のパワーは他のどんな感情より強く、すべてを凌駕してしまう。
聴く私たちが、そのパワーに翻弄され、引きずられてしまったのでは、と。

他者への「怒り」を表す人は少なくありません。どうそれを受け止めるか。
火を消すために水をかけるのは逆効果だとわかっていますが、、答えは出ません。

 

 

2016年05月23日 19:04