白浜レスキューネットワーク 藤藪先生との思い出
私が、和歌山県白浜町にある「白浜レスキューネットワーク」の藤藪先生を知ったのは、4年前の夏でした。
その時の私は、1月に広島教会の墓地に納骨をし、6月に娘の昇天記念日(一般的に言う1周忌)を終え、
自分が娘にしてあげられることが終わってしまったような空虚感の中にありました。
そんなときに、フェイスブックで活動を知ったのです。
ちょうどその直後に、NHK「プロフェッショナル」で活動が紹介されました。
南紀白浜町にある断崖「千畳敷」にたどり着く、「死にたい」と思う人たちのために電話ボックスを設置し、そこに10円玉を置く。
電話をかけてきた人だけでなく、千畳敷周辺パトロールで救出された人や、町
の警察や救急病院に保護された人など、もう生きていけない、と思いつめてそこにたどり着いた人たちを
保護し、話を聴き、元の生活に戻れる可能性がある方にはそのために連絡や調整をする。
事情があって、元の生活に戻れない人のためにシェルターでの共同生活を提供し、
白浜町で生活を自立していけるように、職場を探したり、社会生活復帰のための訓練をしておられました。
「白浜レスキューネットワーク」では、自死予防活動の一環として、
地域の子どもの居場所づくり活動「コペルくん」も行っていて、
夏休みの活動の応援ボランティアを募集していました。
「ここに行けば何かが自分に得られるかもしれない」と、心の準備も何もなく、
身一つで参加したのが4年前の8月。
3日ほどの短い滞在でしたが、そこで見聞きしたものは、生きることに行き詰まった人を
保護し、支える活動の、日々の現実の「きびしさ」でした。
自分は自死遺族で、、、と応募したときにお伝えしていました。
私の甘い考えは、藤藪先生から何かやさしいねぎらいやなぐさめの言葉を、無意識に期待していました。
そんな考えは、早朝から深夜まで保護された人々への向き合う、先生の「闘う」姿によって吹き飛びました。
先生は、ある時には、保護された方と全身全霊で語り合っていました。
ある時には、共同生活のルール(社会生活の基本)が守れない方に、厳しい指導をしていました。
保護された人が自立した生活に戻るための場として弁当屋さんを運営していた先生は、
毎朝、弁当の献立を考え、買い出しをし、被保護者の人に役割を与え、指揮をしていました。
同時に、白浜教会の牧師であり、「コペル君」に集まる子どもたちの先生でもありました。
それだけ全身全霊を込めて、保護された方に向かい合っていても、裏切りや逃亡、
「恩を仇で返す」ようなことをされることもある。
それは、その後、協賛会員になった私のもとにとどく「白浜通信」で知ったことです。
毎年、夏になると、子供たちを連れて先生と行った、白浜の美しい海水浴場の風景がよみがえります。
浜辺で先生の横で、
自分はこれからどうやって生きていったらいいのだろう、とつぶやくように口にした私に
先生は何もお返事を返されなかった。
黙って立っておられた。その姿を忘れることはありませんでした。
この春、全国自死遺族支援弁護団の佃弁護士から、
「小さな一歩で、何かしませんか?弁護団として全面バックアップしますよ」と持ちかけられたとき、
まず頭に浮かんだのは、今まで私がお会いした方々に、「地域や周りの人に理解されにくい」苦しみを
生の声で訴えていただく場を提供したいという想いでした。
そして、基調講演の講師として真っ先に頭に浮かんだのは、藤藪先生でした。
4年前の短い出会いを先生は覚えていて下さっているだろうか?
小さな一歩の活動についてお話しして、理解して協力してくださるだろうか?
びくびくしながら、勇気をもってお願いしたところ、「ぜひ!行きたいです!」とお返事してくださった先生。
4年越しの私の想い。
9月17日に行う「自死問題フォーラム」は、私にとっての5年間を振り返る区切りであり、
「小さな一歩」の、今後の活動に対して、ある決意をはっきりさせるものでもあります。
多くの方のご来場、ご参加をお待ちしています。
フォーラムの詳細は
http://chiisanaippo.com/seminor.html