広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

世の中の仕組みがこれでは、特殊詐欺は減らない

知人が「出会い系サイト」の振り込め詐欺の被害に遭った。

訳あって外出ができず、ひきこもりの生活。頼れる身内もいない人。
そんな人に出会い系サイトのサクラが巧みに近づき、信頼させ、出会いの喜びを感じさせた後に
「このままでは連絡が取れなくなる」「お金は後から返金されるらしい」と言って大金を巻き上げた。

その金額に驚いたが「何でそんな金額を疑いもなく支払ってしまったの?」とは聞かなかった。
その時は、その人にとって「それが必要」だったのだ。大金を迷わず払うほどに。

許せない行為だ。

何とかお金が取り戻せないかと、消費者生活センターや警察、弁護士と相談したが、
被害から日数が半月くらい経っていると、かなり難しいらしい。
それ以前に、警察は「被害届」は受理してくれるが、お金を取り戻すための協力は警察の仕事ではない、というのが世の中の正解。
(そんな当たり前のこと知らないの。と馬鹿にされたような返事だった)

本当は、警察か弁護士だけができる「唯一のお金を取り戻すための法的拘束手段」(それも時間が勝負)を弁護士に教えてもらったが、
警察に、自分からそれをお願いすると「民事不介入」と門前払いになるので、
目端の利く、かつ、親切な警察官が「運よく担当してくれて」「刑法上の手続きの『ついでに』自発的にしてくれたら」ラッキー
、らしい。

弁護士から警察に直言できないの?と聞くと、
そのためには、まず正式な弁護依頼をしなくてはいけない。そうでないと何だか、手続き的にまずいらしい(忘れた)

消費者生活センターに相談したら、全てを説明するまでもなく最近頻発している詐欺の手口らしく、話はすぐ理解された。
でも、解決にはつながらない。

全ては「手続き」のための時間。手続きしているうちに、犯人はさっさと金を引出し、口座を解約してしまうだろう。

もっと早く通報すればいいのに、と言うかもしれないが、だまされたことに気づき、
それを他人に言う恥ずかしさとためらいが生じ、それでも勇気を出して被害を告白する。
普通の人間、いや、心が弱く、細くなっている人ほど、そこまで心を整理するのに一定の時間が必要なのだ。

というか、このことを全てお見通しで犯行を重ねるのだろう。

そんなに、手続きやら、権限の範疇やら、越権行為やらって、重要なことなんだろうか。

2016年01月18日 16:16

「きらりの集い in 広島」に参加しました。

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連休中(1月9日、10日)に「ピアサポートの集い広島/きらりの集い実行委員」主催で
行われた「きらりの集いin広島」に、昨日行ってきました。
ブログで情報も公開されています。
http://ameblo.jp/peer-sporttudoihiroshima/entry-12107004453.html
全国から精神障害のある当事者や支援者が集まるイベントで、全国各地で何回も開催されています。
両日で200人以上の参加があったと思います。その活気に感動しました。

全体を見て回る時間はありませんでしたが、
来月2月6日に「ピアサポート勉強会」を共催する「Con generation~世代間交流~」の分科会に参加させてもらいました。

分科会のテーマは“夢に生きる”。20~30人くらい、当事者や支援者の方々が参加していたように思います。

精神障害のある方が1人ずつ、ご自分のたどってきた、障害者としての道のりを語り、自分の夢を発表していました。

色々な夢がありました。
ささやかな人生の安定を望む人も、もっとピアサポートの輪を広げていきたい、と語る人も。
障害を乗り越えて、仕事や家庭を手にした人も。

堅苦しい言葉で表現するなら「ソーシャルインクルージョン(社会的包括)」。
かつて、国の福祉政策は、障害のある方は「特定の場所や状況の中で」「助けてもらう」人という考え方でした。
でも、いまは、障害のある人もそうでない人も、同じように社会の中で自立し、主張し、同じ幸せを手に入れることを目指す。

堅苦しい定義より、精神障害の当事者の方々の語る「夢」は力強く、感動しました。

同時に、小さな一歩の今後の活動にも大きな影響を与えるものでした。

今回参加した「Con generation~世代間交流~」が、明後日14日にこの志を受け継ぐ
「夢広場」を開催するそうです。私も参加することにしました。
時間のある方、障害がある方もそうでない方も、間に合うようでしたらご参加ください。

http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/event/archives/post-6506.html

 

2016年01月11日 11:44

一番の願いが叶わない人生だからこそ

新約聖書の中に「使徒言行録」という、初期のキリスト教伝道者の歴史を書き綴った一書があります。
私は、教会説教の中で数年間、この書から「人生という道」について色々な教えを賜りました。

その中に登場するユダヤ人伝道者のパウロは、現在のイスラム地方やアテネ、ローマまで伝道の旅を続け、
(異邦人伝道と言います)今日のキリスト教布教の礎を作った人物と言われます。

彼は同胞のユダヤ人にキリスト教を伝道したいという「一番の望み」を一念に、全ての心血を注いで伝道の旅を続け、布教活動を行います。
長年の投獄、嵐による難破、暴力、命の危険、闘病も彼のこの決意を変えることはありませんでした。
しかし、ローマで当時の皇帝ネロによって処刑される(たと言われる)まで生涯、
神様からそのチャンスは与えらえず、その一念は充分に果たされることはありませんでした。

しかし、その「一番の望み」が叶っていたら、彼の熱心な異邦人伝道活動はなく、キリスト教も今日のような普及はなかったのではないか、と説かれました。

教会でこの「使徒言行録」の最後の章の読み解きとして、、
『パウロのような血のにじむ努力をしても、一番ほしいもの、叶えたいものが叶えられないのが、とかく人生というもの。
でも、だからこそ人は悩み、祈り、努力をする。そこで得られるものこそ、神様が与える人生の果実となる』と教えられました。
(クリスチャンとしては未熟者の文章ですので、聖書の解釈について不正確な点、ご容赦下さい)

私が他の全てを犠牲にしてでも唯一叶えたいこと。それは、どんなに努力しても、知恵を駆使しても、神様に何度お願いしてもかなわないことだ。

どうにもならない。

でも、それが叶っていたら、私は苦しみながら活動を始める決心もしていないし、
色々な人々との出会いの場も作っていないだろう。

それが、私に神が定められた果実となるのでしょうか。

教会ではまた、こう教えます。
「人生という道のゴールは天国にある。天国に行く時に全てがわかる」。

もう一度、天国の入口で娘に出会うまで、道は続く。

2016年01月08日 18:07

会えた方にも、会えなかった方にもありがとう

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メリークリスマスが聞こえる頃、今年も終わりに近づこうとしています。

今年は本当に「変動の年」でした。

昨年の夏に「こころのともしび」(当時は仮称「こころのシェルタ―」)の開設の決意表明をし、サポーターを募集。
想像以上に希望者が集まり、設立準備委員会を始めたのが昨年の秋でした。
何回かのミーティングを経て、
現在の名前「こころのともしび」と、運営の基本方針が決まったのが、今年の始めの頃。

その頃、私は悩んでいました。
常設型の傾聴スペースにするためには、限りなく無休で開設したい。
新しいことを始めるにあたり、自分も責任もって携わるためには、限りなくその場に常駐していたい。

しかし、現在の会社経営も、簡単にやめたり手を抜くこともできない。

1つには、現在の仕事そのものに社会的責任があるから。
1つには、小さな一歩の活動を有形無形に下支えをしているのはいまの会社だから。

悩んだ結果が、会社の事務所と「こころのともしび」を同じフロアでシェアすることでした。
色々探した結果、さまざまなわがままな条件を認めてくれたのが、「庚午ビル」オーナーでした。
庚午ビルの1階部分の「丸ごとリノベーション」が終了したのが4月末。
5月には会社の引っ越しをし、6月21日に「こころのともしび」を始めました。

途中、自分が骨折して引っ越し準備ができなかったり、想像以上に設備の準備に手間がかかったりと難航しましたが、6月21日は“はずせない日”。この日に始めたかったのです。

この半年間はとても密度の濃い時間となりました。

予想をはるかに上回り、20人ものスタッフが名乗りをあげてくれたこと、
その多くの方が何らかの当事者経験を持ち、「自分が求めていた場所」と言って参加してくれました。

それぞれの協力の仕方も、日々馴染んできて、自然体でそれぞれの役割分担が進むようになりました。

色々な、重い荷物を抱えておられる方々が訪ねてきて下さいました。
語らいや食事、体のいやしを経て、ほんの少し荷物が軽くなったならうれしいと思います。

他の活動団体や、個人で活動している方からも声がかかり、訪ねてきて下さいました。
自分たちと違った目標や設立の想いをもってがんばっている方の姿を知ることができ、
まだまだ自分は浅いし、狭いな。と学ぶことがたくさんありました。

今年、小さな一歩に、また「こころのともしび」に係って下さった方々の顔や言葉をいま反芻しています。

来年の今頃も、同じ活動をなるべく多くの人たちと共に、心穏やかに続けていられますようにと祈ります。

いま、このブログを読んで下さっている方に感謝します。
不安や迷い、自己嫌悪などで消耗しているときに、
直接お話ししていない方のアクセスやコメントが、「大丈夫、ちゃんと見ているから」と
後ろから支えてくれるように感じた日もあります。

来年もよろしくお願いいたします。

2015年12月24日 14:35

どんな「数年後、数十年後の再会」を考えていたんだろう

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娘の大学時代の友人から連絡があった。
来年早々、大学時代の友人が集まる機会に、墓参りに行こうと思う、というものだった。

ありがたさが胸にこみあげた。

他県にいる人がほとんどの仲間たち。
短い時間の中で、わざわざ墓地に足を運んでくれるという。
今も、娘との再会のために時間を作ってくれるという。

かけがえのない友人に恵まれた、と改めて思った。

話しているうちに、娘が大学時代にミクシィをしていた、ということを教えてくれて、
(私は知らなかった)
いくつかの投稿の画面をコピーして画像にして送ってくれた。

その中で大学卒業の時の投稿。2009年。

「またみんなに会えるといいな。
それが来月でも来年でも、何年後でも何十年後でも、実現すれば「またね」は嘘じゃないよね。
みんなの新しい日々が、温かい気持ちに満ちたものですように。
願わくば、人生の新たな舞台で存分に輝きますように」


何年後も年十年後も、そのときの自分でまた、仲間と会うつもりだったんだよね。

そのとき、そのときの仕事や結婚や出産や、子育てや、
もっともっと先に、孫のことやら、そんなことを話すことを考えていたんだよね。

こんな再会を考えていたんではないよね。

他の投稿を見て、改めて
親があきれるほど、ポシティブ思考で、楽天的な性格だったと思い出した。

改めて、
娘の短い人生の中で、短い年月でも、充実したときと人間関係に恵まれた時間があったことを思った。


改めて
何が娘を変えてしまったのか。
うつを患い、わずか3か月で自ら命を絶つような結果になってしまったのか。

あきらめ始めていたけど、やはり、知りたい。と思った。




2015年12月14日 21:57

「あの日を忘れたことはありませんよ」「私もですよ」

広島県自死遺族支援団体連絡会 の会議が1年ぶりに開かれ、
久しぶりに広島県立総合精神保健福祉センターの川村さんとお話しができました。

今は、広島県内に7団体、分かち合いグループがあり、それぞれ、主催団体や運営主旨に特徴があります。
遺族の方も、個性にあった団体の分かち合いに参加することができますが、
川村さんは、広島県内に自死遺族の分かち合いグループがなかった頃に、
手探りで「忘れな草」を立ち上げた際の担当者のお一人です。
その後、2年間別の部署に異動されていましたが、今年度から、元の自死遺族支援担当に戻ってこられました。

今日、久しぶりに川村さんとお話しをして、
私が4年前秋、初めて東広島市の「忘れな草」に参加し、話した内容まで思い出しました。

西条は娘が大学時代に住んでいた街で、娘の想い出がいっぱいつまっている町に降り立ってみて、
今の自分はまだこの街に来られる状態でないと気づかされたこと。
娘の死後、平気なぬ顔をして仕事や日常生活を送っている自分が許せないこと。

そんな話をしてうつむいた顔をあげたとき、目にいっぱい涙をためた川村さんの顔がありました。
多くを語らず、ただうなずいて下さいました。
その目を見て、感動し、「あ、わかってもらっている」と実感しました。

そのことを忘れたことはありません。

今日、会議の後のご挨拶で
「川村さん、私は最初にお会いした日のことを忘れたことはありませんよ。あの日が私の原点でした。」
と一言言ったら
川村さんも「私もあの日を忘れたことはありませんよ。」と返して下さいました。

当事者でも、当事者でなくても、共感しあえる、とはこういうことではないか、と思い、
今日は本当にいい日でした。

 

2015年12月03日 18:30

「突然死」と「余命を知った上での死」

「あなたは「余命を宣告された上での最期と突然死による最期を選べるとしたらどちらを選ぶ?」
という問いかけがカウンセリング教室の死生観に関する講義の中であった、と聞きました。

私は、迷わず「余命を知った上での最期」を選びました。

余命がわかっていれば、人生でやり残したことをして、
残る人に別れを告げ、死後に残すべきものを整理し、
愛する人との残りの日々を悔いなく過ごせると思ったからです。

これは、裏返すと、突然の死によって遺された者の想い。
「もっとこんなことをしてあげたかった」「いろいろな話を聞いておきたかった、話したかった」
そんな悔いと自責感からくるもの。
なんの予告もなく死んでしまった人間の遺したものを手に取って整理する辛さからくるもの。

でも、「余命宣告」は、最期の日を決めるものではない。

ここ数年、親族の死が続きました。ほとんどは高齢か、持病の末の死でしたが、
どんな重病の床にあっても、本人も,周りの者も、最期の日への覚悟より
「もう1日生きよう」「まだがんばれる」と信じ続けていたように思います。

私の父は、死の半年前から急に体のいろいろな器官が悪くなり、
最期は腎不全が見つかり、入院後1か月で亡くなりました。
尿がほとんど出なくなり、意識が混濁し、余命を言われましたが
「いよいよ」と覚悟を決めた直後、一転、きれいな尿が出るようになり、体調も回復。
「よくなるかも」と希望を持って長期療養型病院への転院の手続きをしている矢先に
容体が急変して亡くなりました。

90代で亡くなった義理の祖母は、こん睡状態に陥り、今日明日、と言われた中で目を開け、
水さしを差し出されて、「こんな味のないものは飲みとうない、ワインなら飲みたくなるが」と言い、
枕元の人間が「こんな冗談が言えるなら大丈夫」と笑った次の日、亡くなりました。

その日を静かに迎える、なんてできるだろうか?
人は最後の灯が消えるまで、
本人の意識がなくなっても、体は命の火を燃やそうとするのではないでしょうか。

それほどに、人間の本能の中に埋め込まれている「生きたい」とする力は、本来、強い。

父をずっと献身的に看病していた姉は、死後、「もっとあの時ああしていれば」と悔いていました。
私から見ると、これ以上なく尽くしたと見える姉でした。

どんな最期であっても、遺された者は辛く、自分を責める。
死とはそういうものです。

2015年11月25日 17:43

心地よい「人との距離感」はそれぞれ違う

特定の人、または多くの人に「自分は疎まれているのでは」「攻撃されるのでは」と怖いので
相手の顔色や視線、言葉の端々が気になって仕方ない、
また、ちょっとした一言でとても傷ついたり、原因について悩んだり、自分を責めてしまう。

そんな人のお話しを聞くことが少なくありません。

そんな時、カウンセリングスクールで、「人間関係のストレスの原因は『距離感』につきる」と教わったことを思い出します。

コミュニケーションに困難を抱える人の多くは、他人(または特定の人)が自分の領域にズカズカと遠慮なく入ってくることを恐れます。
でも、お話しを聞いていると、勝手に近づいてくることや、または攻撃されることを恐れて、相手のことをじっと凝視している。

「それは、本来離れた距離でいたい相手に、あなたから近づいていっている結果になっていますよ。」
と言います。

近づいていって、目の前で相手の方を凝視していると、その相手の回りにある色々な状況が目に入らなくなる。

例えば「職場の人にあいさつをしたのに返してくれない、嫌われているに違いない」と思い込んでいる方に
「その方は、同じ日に、他の人にはにこやかに挨拶していましたか?」
「その方は、その日、とても急いで緊張する仕事をしていませんでしたか?」
「その方は、最近、プレッシャーのかかる状況にありませんでしたか?」
と聞いていくと、その方自身が「そうでした、そういえば。。。」と気づいて
「自分のことより、他のことで頭がいっぱいだったり、テンションが高かった」ことが原因だった、と
自分で気づくことができます。

追い詰められるほど近寄っていってしまう、そんな考えのくせがあることを自覚して、
思い込みそうな時ほど、相手から距離を置いて、鳥瞰的に相手の状況を見られるといいですよね、と言います。

「考え方のくせ」は誰にでもあり、なかなか直せるものではないけれど、
「くせがあること」を自覚するだけでも、ちょっとは違うかな、と思います。

2015年11月18日 18:23

「生きていたら」と考える

墓前2
昨日の8日、娘の友達が、兵庫県から初めてお墓参りに来てくれました。
大学時代の親友。一緒に卒業旅行に行った写真が自宅に飾ってあります。

娘の自死の直後、「すぐにでも駆けつけたいのですが、いま妊娠中で出かけられません。
いつか必ず会いに行きますから」と連絡してくれていました。

その後、育児に追われる日々の中、2人目のお子さんも産まれ、本当に忙しい日々を送ってきたと思います。

そんなやりとりの記憶も薄れていた先月、
「大学祭に広島に行くので、その足でお墓参りに行きたいのですが」と連絡があり、最寄りの駅で待ち合わせをしました。

1歳の娘さんをおんぶして待ち合わせ場所に来た彼女は写真の姿と可愛らしくかれんな印象は変わらないけど育児と仕事に一生懸命がんばってるお母さんです。

4年間、忘れずにいてくれて、会いに来てくれて本当にありがとう。

娘も生きていたら来年で30歳です。
どんな生活をしていただろう。
結婚して子どももいただろうか。

妹が来年、26歳になり、歩美の享年を上回ります。
就職して2年半。歩美より長くなりました。

歩美だけがいつまでも25歳のまま。


2015年11月09日 22:35

「人生の実力」というもの

「忙しい」=“こころを亡くす”とよく言われますが、
自分自身の心に向き合う時間もなく、目の前のことに追われていることがよくあります。

そんな中で先週土曜日には久しぶりに休みが取れたので、家の掃除を丁寧にしました。
娘の遺影と遺骨が置いてある棚を丁寧に拭き掃除をしながら、その時の自分の行いがよみがえり、
「いけなかったね、もっと違うことを考えて、行動していたらこうならなかったね」と娘に語りかけ、
久しぶりに1人で泣きました。

日曜日の午前中は毎週教会に行きます。
讃美歌を歌い、牧師先生の説教を聞くひとときは、慌ただしく過ぎる日々の時間から切り離され、
心の振り返りと解き放ちができる大切な時間です。

先週の礼拝説教でこんな話がありました。
「人生には3つの『さか』がある。上り坂、下り坂、そして“まさか”。
“まさか”に遭遇した時に、どのように行動するか、そこで『人生の実力』が試される。

「人生の実力」とは、知力とも財力とも体力とも違う。
困難に真正面から立ち向かい、戦い、解決、克服する力。これが1つ。

そして、もっと大切でもっと難しいのは
どのような困難な状況にあっても、それを受容し“これもわが人生、悪くない”と受容できる力。
どんな状況でも、その中で幸せを見つけていける力。
この力がないと、困難に遭遇した時「思い通りでなかった、もうだめだ、おしまいだ」と投げやりになり、逃げてしまう。

二番目の「受容する力」には経験が必要だというのです。

私にとって3年間の「小さな一歩」の活動は、自分に起きた“まさか”との戦いでした。自分なりに向き合ってきたと思う。

でも、受容することはできていないな、きっとできるとすれば、
人生の最後、もうすぐ天国で娘と会える日が近づいた時かもしれません。

 

2015年10月28日 19:01