30回目の誕生日。生まれた年と同じ、寒い日
昨日1月24日は、亡き娘の30回目の誕生日でした。
山の中腹にある墓地に行くのに、雪で道が凍結する恐れがあったので、前日にお花を持って墓参に行きました。
寒い1日でした。
改めて、25年間の娘の人生について考えます。
生まれた日の天気や温度、生まれた瞬間の泣き声。
その年は記録的に寒い年で、3月になっても雪が降る中で、布おむつを洗い、干していたこと。
保育園の時に、マイペースで独特の表現で語る性格だったので「あみちゃんワールドを持っていますね」と先生に言われたこと。
小学校の時、中学校の時、高校の時、大学の時。
友人関係にぶつかって泣いたこともあったけど、いつも友達に恵まれていたこと。
就職して、仕事はきつかったけど、会社の人やお客さんに可愛がられていたこと。
25歳の誕生日まで、普通の娘として、よいことも悪いことも経験しながら生きていた。
どうして、半年間で、違う人間のようになってしまったのだろうと
何度も何度も、考えても仕方ないけど、解けない自己問答をまた繰り返してしまいます。
娘が中学校の時、校門の前で拾ってきた猫が16歳になり、腎臓病を患って、「余命3ヶ月」と宣言されながらも、しっかり回復して頑張って生きています。
大学の下宿時代に拾ってきた猫は糖尿病になり、何度も発作で生死の境をさまよい、
体重が3割も落ちてしまったけど、毎日注射と投薬を続けながら頑張って生きています。
小さな動物でも、「生きよう」と一生懸命戦っている姿に励まされるのです。
「このコたちのように、しんどくても痛くても生きるために負けない」と思ってほしかったよ。
でも、あなたが遺した小さな命をママは全力で守るからね」と娘に約束してきました。