広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

ブログバナー

活動の主旨と主な内容ブログ ≫ 一番の願いが叶わない人生だからこそ ≫

ブログ風 日々のつれづれ

一番の願いが叶わない人生だからこそ

新約聖書の中に「使徒言行録」という、初期のキリスト教伝道者の歴史を書き綴った一書があります。
私は、教会説教の中で数年間、この書から「人生という道」について色々な教えを賜りました。

その中に登場するユダヤ人伝道者のパウロは、現在のイスラム地方やアテネ、ローマまで伝道の旅を続け、
(異邦人伝道と言います)今日のキリスト教布教の礎を作った人物と言われます。

彼は同胞のユダヤ人にキリスト教を伝道したいという「一番の望み」を一念に、全ての心血を注いで伝道の旅を続け、布教活動を行います。
長年の投獄、嵐による難破、暴力、命の危険、闘病も彼のこの決意を変えることはありませんでした。
しかし、ローマで当時の皇帝ネロによって処刑される(たと言われる)まで生涯、
神様からそのチャンスは与えらえず、その一念は充分に果たされることはありませんでした。

しかし、その「一番の望み」が叶っていたら、彼の熱心な異邦人伝道活動はなく、キリスト教も今日のような普及はなかったのではないか、と説かれました。

教会でこの「使徒言行録」の最後の章の読み解きとして、、
『パウロのような血のにじむ努力をしても、一番ほしいもの、叶えたいものが叶えられないのが、とかく人生というもの。
でも、だからこそ人は悩み、祈り、努力をする。そこで得られるものこそ、神様が与える人生の果実となる』と教えられました。
(クリスチャンとしては未熟者の文章ですので、聖書の解釈について不正確な点、ご容赦下さい)

私が他の全てを犠牲にしてでも唯一叶えたいこと。それは、どんなに努力しても、知恵を駆使しても、神様に何度お願いしてもかなわないことだ。

どうにもならない。

でも、それが叶っていたら、私は苦しみながら活動を始める決心もしていないし、
色々な人々との出会いの場も作っていないだろう。

それが、私に神が定められた果実となるのでしょうか。

教会ではまた、こう教えます。
「人生という道のゴールは天国にある。天国に行く時に全てがわかる」。

もう一度、天国の入口で娘に出会うまで、道は続く。

2016年01月08日 18:07