永遠の命と再会を信じる
4月5日はイースター。キリスト教会ではクリスマスと並ぶ祝祭日です。
イースターは、イエスキリストが、十字架の死から3日後に蘇り、天に昇ったことを祝う日であり、
キリスト教信仰の中心でもある「復活信仰」を象徴する祝いの日です。
キリスト教徒は、亡くなった人が天国に昇り、永遠の命を与えられていること、
生きる自分もいつか天国の門に入り、そこで先に昇った人との再会を果たせることを信じます。
そのためこの日に教会では墓前礼拝を行います。
昨日は前夜からの雨もやみ、穏やかな薄日が差す中での礼拝になりました。
教会の墓地では、毎年4月のイースターと、11月にこのような墓前礼拝が行われます。
その都度、多くの人が故人をしのび、敬い、祈り、讃美歌を歌います。
きれいな花で埋め尽くされます。
娘の死後、埋葬場所に迷った私ですが、この地に安らげてよかったと思うのです。
納骨のとき、半分はこの墓地に、半分は手元に残し自宅に安置しています。
半分は神様に託しました。半分はいつか自分が埋葬されるとき、横に置きたいと思ったからです。
私が4年前、生きていること自体への罪悪感で押しつぶされそうだった頃、
この復活信仰を信じきれず、牧師に尋ねたときの答えは
「死後に魂が復活して、先に天国に行った人と再会できるかどうかは、生きている間はわからない。
死んでみないと本当はわからない。
でも、「きっとまた会える」と信じることで生きることが楽になるなら、信じましょう。それでいいんです。」
というものでした。
意外なほどサバサバとした答えで、かえって気が楽になり、信じてみようと思いました。
毎日の祈りの中で
「御国で永遠の命を与えられている娘が、いつも私を見下ろし、私の歩みを見守ってくれていますように。
私の活動を応援してくれていますように。時には降りてきて私とともに歩んでくれていますように。
私が御国の門についたとき、必ず忘れずに迎えに来てくれますように」と祈ります。
小さな一歩の活動も、この思いがなければ始まっていないし、続いていないでしょう。