自死遺族である自分と戦いながら書いた卒業論文
少し以前、小さな一歩のメンバーである大学生の自死遺族が「自死遺族の抱える困難」をテーマに卒業論文を書いたお話をブログに取りあげましたが、
先日、ご本人から論文を公表してよいと了承をいただいたので、あえて全文をpdf版でアップします。
全81pのうち、自死遺族2人のロングインタビューを丁寧に再現した3~4章、その結果に本人が考察した5章が40pという力作です。
(3章 米山34~49p、4章 佃祐世弁護士50~66p、5章 考察67~75p)
全文PDFはこちらから
改めて読ませてもらって、自分が語る以上に、自分の想いが生のまま再現されていて、
(雑な言葉づかいまでそのままです)、自分は他人に、こんなふうに語ったのか、と驚くほどです。
(が、確かに言ったことです)
わが娘も2年前に自死をテーマに卒論を書きました。
そのときも、「あとがき」をブログに乗せたので、今回も一部を紹介させてもらいます。
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おわりに
本研究は、自死遺族の現状を明らかにし、死の受容のあり方について整理し、自死遺族支援の在り方や自死遺族会の役割を分析する、といったことが目的であった。しかし、研究動機は、父が自死して自分が自死遺族になったため、という甚だ私的なものである。
今振り返ってみると、父の死後、普通の大学生活を送って元気に生活しているつもりでも、当時の私には、大きな負担がかかっていたのだと思う。私は、自死遺族当事者だけれど、この人は自死遺族だ、支援が必要だ、かわいそうな人だ、などと思われたくなかった。弱い自分を見せたくなかったのである。そのため、学校では何事もなかったように振る舞い続けたし、実家や親戚内では、いつでもしっかりしている娘としての役割を果たそうと必死だった。父の葬儀のとき、親族代表挨拶を述べたのは私である。毅然とした自分、動揺を示さない自分を必死に振る舞っていた。当時は、意識してそう振る舞わないと、自分を保てなかったのかもしれない。
この研究をしたいとおぼろげながらにも思い始めたのは、父の死後4か月ほど経過した頃だったように思う。だが、このような私的動機で研究をするのは不純かもしれない、と考えてもいた。ある人に相談した際、私は思ってもみない返答が返ってきた。「不純で構わないと思いますよ。多くの人が不純な動機に秩序を乱されて生きづらいから研究をするのだと思います。その生きづらさがある程度共感を得られる問題で、その解決策に考えさせるところがあれば、それが素晴らしい研究になるのだと思います」と言って、「だから、不純などと言わずに、向き合える限り向き合ってください」と応援していただいた。私は、その言葉に非常に勇気づけられ、このテーマで研究してもいいのかな、と思えるようになっていった。
しかしながら、研究するということは、同時に自分との戦いでもあった。先行文献を読む度に、自分のふがいなさややるせなさを認識したり、自死遺族の手記を読む度に涙を流したりした。自死遺族関係者に会うたびに、父のことを思い出していた時期もあった。私が自死遺族であることを知らない人から、「なんでそんなに重いテーマを選んだの?」、と言われ、答えをはぐらかしたことも1度や2度ではない。
もちろん研究は、自分が当事者であることを認識しながら、第三者的視線を持つことも大切であった。私は、自分が客観的な視点を持ちながら研究ができるのか、という点は、常に意識していたことであった。自死に関して私は一般人とは異なる感覚を持っている。自死遺族が自死遺族研究をすることに関して、自死遺族からは、「自死遺族しか書けない研究ってあると思うのよ」、「先行文献を読んでいても、当事者だから気づく違和感とか、あると思うんですよ。それを大事にしてもらえたら」、などと温かい言葉をいただいた。こういった言葉は、研究を継続するうえで本当に励みとなった。
このように振り返ってみると、私を支えたのは、自死遺族会で実際の自死遺族と交流するということが大きかったように思う。1人でいると無性に悲しくなったり、やるせなさが沸いてきたりもするが、自死遺族会で遺族に会う度に、自死遺族当事者からの生の声、悲しみの深さ、止まない自責の念などを肌で感じ、それによって研究への意欲を新たにしていた。私にとって自死遺族会は、同じ悲しみを共有できる仲間に会いに行く場所でもあり、勇気をもらう場所でもあった。
(中略)
さて、自死遺族研究をして何か自分の気持ちや父への思いが変わったか、と問うてみると、実はまだはっきりとした答えを持ち合わせていないように思う。ただ1つ言えるとすれば、自死遺族会への参加を通して、父が自死し、自分が自死遺族であることを公表することへの抵抗は、徐々に徐々に薄れてきたということだ。だからと言って、むやみに公表するわけでもないが、「自死を語れる死にしたい」という思いを持つ筆者にとっては、1つの前進だと考えている。
また、新しい生き方を見つけて活躍している自死遺族の方々と知り合えたことで、自分が今後どのようにして生きていくのがよいか、自分の将来を思い描いたときに、その選択肢となりうるようなモデルができたことは、今後の自分に生きてくると思う。
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ご本人、これからも大学院で研究を続けながら「小さな一歩」の分かち合いもお手伝いしてもらえるとのこと。
私と違い、これから、長い将来の人生の道を歩んでいく。
色々な迷いも挫折も経験するかもしれません。
つまづきそうなとき、亡きお父さんが、道先を照らしてくれることを祈ります。