広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

「こたつでお昼寝」は癒しの原型だね

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10月に広島市東区保健福祉課と東区社会福祉協議会が開催した
「精神障害者を支援するボランティア講座」を受講しました。

4回シリーズの
1回目は「こころの病気の理解について~統合失調症を中心に~」
2回目は「こころに病気を持つ人へのかかわり方について」
3回目は東区内の福祉施設の体験実習
    私は「フリースペーススマイル中山」に行きました。
4回目は全体のまとめ、座談会。

10月後半から仕事が忙しく、平日に半日ずつでも時間を空けるのが相当厳しく、
申し込んだものの、「今日はどうしよう、、、、仕事を取るか、講座をとるか」と
悩みつつ、全部の回に参加することができました。
(その分、夜、残業が続きましたが、、、とほほ)

やはり、無理しても時間を作ってよかったな、と思います。

「うつ症状のある方またはその家族の分かち合い」で会う、精神疾患の方との出会い。
または、「心の語り場」に来る人の話、個人的に寄り添っている人。

「こころの病気」がある人とのおつきあいは少しずつ続けているものの、
「障害者福祉」の立場から見ると、また、違った学びがあるものでした。

特に印象的だったのは、地域生活支援センターⅢ型「フリースペーススマイル中山」。
作業所的な機能と、障害者の「居場所」的機能が共存しています。

障害者の方のお話しを聞くと、
「この施設は、来て、作業をしてもいいし、作業せずにずっとのんびりしていてもいい。
将棋やトランプをするのも楽しいけど、一番楽しいのは、仲間と話しているとき。
語り合えるのが一番うれしい」
とのこと。

場所は古い一戸建てで、2階には、私の子供時代が思い起こされるような
古い畳の間があり、晩秋の日差しがたっぷり入っていました。

「ああ、ここにこたつでもあったら、一日中ごろごろしてだらだらおしゃべりしたり、昼寝していたい」
との衝動がわいてくるような。。。。

「ああいいな、こんな感じがいいな。」

こころのシェルター」の空間イメージがだんだん固まってきました。

2014年11月10日 18:12

脳腫瘍で余命半年の宣告を受けたアメリカ人女性が、自死の予告をし、
11月1日に医師が処方した薬で「安楽死」をとげた、という事実が世界中で論議を呼んでいます。

「NHK NEWS Web」がこのことをまとめています。

賛成する立場の人は
延命の可能性がなく、今後に「耐えられない苦痛」の中で死が訪れる」より
人間らしい死を選ぶ権利が本人にある、と考える。

反対する立場の人は
この女性の心身の状態がまだ「耐えがたい苦痛と延命治療以外に手がなく、死期が迫っているところまではいっていなかった」ことをあげて、
これは尊厳死や安楽死にあたらない「自死」である、と考える。

どちらだろう、、、絶対的な答えはない。

でも、気になることは「人間らしく生きる可能性がなくなった人が死を選ぶのは安楽死」
という考え方。

「人間らしく」の定義は何でしょう。これが拡大解釈されていくことが怖い。

重い認知症や重度の精神疾患で「人間らしい言動がなくなったら」。。。
難病や末期がんで治癒を望むことができなくなったら。。
事故や病気で寝たきりになり、全く動くこともできなくなったら。。。

その人の考えで「もはや人間らしく生きられない」と判断したら「死ぬ権利」が許されるように拡大されていくことが怖い。

なぜならそこに周囲や世間の思惑や事情がからみ、
「人間らしく生きられなくなった自分は、周りに迷惑をかけながら生きていく価値がない」と
本人が思いつめる状況に追いやられることもありえると思うから。

この女性の夫や家族とはどのような話し合いがあり、どのように決断し、看取りをしたのかが気になる。

本当に延命の可能性がゼロで、痛みと苦しみが100%伴う死を迎える、という診断だったのか。

私だったら、いかなるお金と方法を使っても終末期医療で緩和ケアを受け、
命の最後の灯が消えるまで寄り添うと思う。

そうでないと、遺された人々は、必ず後悔すると思うのです。
 

2014年11月04日 19:58

生と死の世界をつなぐ橋

「こころの語り場」には、色々な人が来られる。

話を聞くと「子どもの時からこれだけ苦しい半生を歩んできて、生きること自体がどれだけしんどかっただろう」と思う人も少なくない。
そのことが原因で、精神障害との闘いの歴史、という半生の人も多い。

でも、闘いながら、どうしたら生きていきていけるだろう、と必死で考えている。
「こんな、人に迷惑をかけるばかりの自分は死んだ方がいいのでは」と言いながら
心の中で「迷惑をかけない自分になって生きていきたい」と思う気持ちも持っている。

先日、心の語り場に来た方が
「以前、薬局の薬を大量に飲んで自殺未遂を図ったが死ねなかった。
その時に、自分が青酸カリを持っていたら死んでいたと思う。
今はだいぶ心の整理がついたけど、それでも「こんな最低の自分は死んだ方がいいのかも、という気持ちが常にある」と言われた。

私は
「その時に青酸カリを持っていたら、あなたは私と出会っていない。
自分の生き様や辛さをここで語ることはない。
苦しさの中から自分の答えを見つけることもない。

あなたが青酸カリを入手できなかったのも、あなたの運命がそのように導かれたからだ。
最低の自分でも、どんな形でも『生きていけ』といま、導かれているからだ」
と答えた。

私たちクリスチャンにとっては、「運命」と言わず「神様」なのだけど。

色々な話を聞きながら、どうしても娘のことを考える。

本当の心の中はもちろんわからないけど、
少なくとも20年以上は、普通の娘の人生だったと思う。

精神を病んでからも、本当の心の内は結局わからないけど
見守っていた限りは普通の生活も会話もできていて、一見他人にはわからないくらいだった。

でも、死はあっけなくやってきた。
迷うことなく逝ってしまった。

何がそうさせたのだろう、と、どうしても考えてしまう。

ふと、
「生と死の世界の間には『橋』のようなものがあるのではないか」
「生きることに疲れた人は『生きるか死ぬかの淵』をさまよいながら、その橋を探し歩くのではないか」
「その橋を渡ってしまうことが自死なのではないか」
「辛くても辛くても、その橋に出会わない人や、どうしても渡れない人がいて、その人は『淵』から帰ってきて、生き続けていくのかもしれない」と
そんなことをぼんやりと考えた。

娘がその橋にたどりつくのがあまりにも早く、また、迷うこともなく渡ってしまったのでは、と思う。

今頃、対岸で「ちょっと渡るのを早まったかな」と思っているかもしれない。

でもね。一度渡ったらその橋は引き返せないんだよ。

2014年10月31日 17:39

まばたきの詩人、水野源三さんのこと

水野源三さんは、1937年に生まれ、9歳の時、赤痢の高熱が原因で四肢の自由が奪われ、
その後には言葉を発することもできなくなりました。

その後、父母や兄弟姉妹の献身的な支えのもと、「まばたき」を使って、多くの詩や短歌を作ります。
そして、12歳の時、近くの教会の牧師との運命的な出会いがあり、洗礼を受けます。

水野さんの詩や短歌の中には、神様に呼びかけ、語り合う作品が少なくありません。
代表的な詩として

神様の
大きな御手の中で
かたつむりはかたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる

主よ
洗濯された
カバーをつけた
その座布団に
お座り下さい
扇風機を
まわしましょうか
アイスクリームを
とけぬうちに
召し上がって下さい
それから
母と私の
かわいた心に
いのちの言葉を
語って下さい

代表作の一部がPDFで紹介されています

クリスチャンでない人でも、彼の、いのちをふりしぼる、神様への呼びかけの言葉、
自分の運命を神様にゆだねる想いを読むと、
心の奥がぎゅっと握られたような想いになります。

しかし、彼に不幸が重なります。
お父様を31歳、お母様を38歳、恩師宮尾牧師を42歳で失うのです。

その後、義妹さんの助けを借りながら47歳で亡くなるまで、
亡き両親や恩師のことを綴った詩は、
何度読んでも心が打たれ、深い悲しみが伝わってきます。

逝きし母 身体障害者の我のため 治りたしといくども言いぬ

キリストの愛説き給う師のテープ 母逝きて 我れ一人聞きおり

身障の我に福音を伝えくれし師は 梅雨あけの朝に逝きけり

どこからか
落葉をはく音が
聞こえてくる
落ち葉を焚く
煙りと臭いが
漂ってくる
こんな朝は
消しても
消しても消えない
亡くなった母の姿が
母の涙が
母の祈りが


重い障害を持つ子どもを遺して召される運命にあった、お母様、
どんなに、どんなに心残りだったでしょう。生きていたいと思ったことでしょう。

そのことに想いを馳せるとき、
やはり
「神様は、なぜ、人を、このような順番で、このときに、天国に召されるのか」と
問いかけずにいられません。

 

2014年10月22日 20:44

命ははかなく、でも力強い

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亡き娘が拾った捨て猫、ジョゼが先週に肝臓の重病になり、動物病院のICUに緊急入院した。

小さな体にたくさんのチューブにつながれ、目もうつろで焦点が定まらず、
抱き上げても体がぐったりしている。

病院の獣医先生の説明では、「この病気は食べないとどんどん衰弱して急速に悪化するので
なんとか食べてもらいたいと看護師がいろいろするのだが、全く食べたがらない。
胃に直接チューブを入れて栄養を入れるかどうか、考えている」とのこと。

「最後まであきらめずに、できる治療は続けます」との言葉から、逆に生存の希望の低さを感じた。
つい1週間前まで元気に跳ね回っていた仔の、急な命の危機に、つい娘のことがフラッシュバックする。

近づいて抱き上げるくと、弱々しい声で鳴き、顔を寄せる。
「もしかして」と、病院食ではなく、ペットショップで、とろみスープを買い、
指に少しずつつけては、歯や舌の周りにすりつけてみると、その感じがいやで本能的にべろべろとする。
根気強くそれを続けているうちに、少しずつ胃に入っていったようだ。

看護師さんにそのことを伝えると、見舞いに行けない間もスポイトで少しずつ与えてくれた。

見舞いに行くたびに、半ば無理やりに口の周りに流動食をすりつけていたら
昨日になって、少しずつ血液検査の値がよい方向に向かい、
目に力が出てきた。今朝には、前足で立ち上がるところまで回復した。

病院のスタッフに「おかあさんが、来てごはんをあげて声をかけてあげると全然違いますよ!」
と声をかけられた。

その間、娘に
「天国がさびしいか退屈か知らんが、まだジョゼは若いんだから、呼ぶのは早いよ!
もう少し待ちなさい」と言い聞かせた。

願いは通じたようだ。

5kgの小さな体でも、「生きよう」と懸命に闘う力には変わりない。
全ての愛する者には、命の限り生きてほしい、と改めて思った。


2014年10月20日 17:35

色々なことがあった週末

先週の金曜日に、以前から寄り添いをしているAさんが
以前から迷っていた入院を決意したものの、頭ごなししか物を言わないかかりつけ医に
紹介状をお願いする勇気がわかないと言われたので、同行しました。

予想していた通り、医師はAさんの話を聞かず、「薬を出すから帰れ」と言わんばかり。
沈黙してしまうAさん。
私「あの、症状が悪くなって自宅にいられないと、毎日のように訴えられるのです」
医師「あんた、誰?ケアマネさん?」
私「いえ、知人ですが。Aさんがずっと辛さを訴えてきて。在宅では難しいと、入院を希望していて。。。」
医師「なんで知人が一緒に来るの!? 名前、何?」

詳しくは書けませんが、こんな調子のやりとりの中で、
最近の病状を私がAさんの代わりに説明してお願いすると
何とか某病院の紹介状を書くことに了承はしてくれました。

医療側にも都合や理屈はあるのだと思いますが
家族に事情があってAさんの面倒を見られないことをこの医師は十分承知なのに
Aさんがうまく自分のことを言葉で表現できない人だということも知っているのに
家族以外の人間が付き添っただけで「あんた誰」呼ばわり。気持ちが萎える。


娘の夢を見ました。
たぶん、仕事の関係なんでしょう、私が「ちょっと行って来てくれる?」(笑)と頼むと
「うん、いいよ!」と満面の笑みで元気に応えて出かけていきました。

夢の中では、こんなに元気ではつらつとして姿で出てきてくれるんだな。

いつも娘の夢を見るときはこんな感じです。

日常のひとこまを切り取ったような「普通の」夢。
「普通に」元気な娘。

起きるといつも寂しい。
でも、夢の中でも、何度でも会いたい。
次の日の朝、別れなくてはいけないけど、もう一度別れているから。寂しいのは大丈夫だから。

先週末に予定していた「ミュージックセラピーの会」は台風接近の時刻に重なり、
直前で中止し、11月24日に延期しました。

色々なことがあった週末、連休でした。

 

2014年10月14日 16:45

死んだ人は生きている人の誰よりも人を動かす

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10年前に広島県廿日市市で起きた「女子高校生殺害事件」は今も未解決です。
地元の警察署長や捜査員、聡美さんのお父さんの忠さんなど36人が10月5日、
廿日市市内にある宮島行き渡航船乗り場で
改めて、犯人捜査につながる情報を呼び掛けるチラシ3000枚を配りました。

10月6日の中国新聞に、被害者の父親である北口忠さんを取材し続けている記者が書いた「担当記者の視点」という記事がありました。

この中で
「忠さんは自身を『強くもなく、積極的でもない普通の父親』という。
どれだけ気持ちを奮い立たせ、語ってくれたことだろうか。
遺された家族の心情をすべて理解できるとは思わない。
だが、子を持つ同じ親として忠さんの言葉を一つ一つ受け止め、記事にしてきたつもりだ。」
と記者自身が語っています。

取材記者のこのような想いが紙面に載ることは珍しい。
それほどに、北口さんの強い意志に心動かされたということでしょう。

北口忠さん。
ほんの前日までは、どこにでもある普通の親子で、思春期の娘の扱いに困ったりしながら
平凡でも普通の「父親」としての毎日を過ごしていたのでしょう。

昨日普通にそこにあった毎日が突然、崩壊する。
昨日普通にあったものがいかに大切でかけがえのないものだったを、突然知らされる。

壮絶な苦しみ、犯人への怒り、自分の人生の喪失感。。。
「もっとこうしていたら被害に遭わなかったのでは」という自責感もあるかもしれない。

これらの想いが、「強くもなく、積極的でもない普通の父親」である忠さんをつき動かし、
周囲の支援者もメディアの人も忠さんの強い意志に動かされたのでしょう。

「生きている人はぼくたちに向かって「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが
死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人は全てを生き残っている人に託している。
生きている人は、死んだ人のすべてを受けとるよう、死んだ人から期待されているのである。」(岡知史「知られない愛について」より)

忠さんの闘いは続いています。殺人事件に時効がない今日、
犯人逮捕の日まで終わることはないでしょう。
聡美さんは帰ってこないけれど、天国で一緒に戦ってくれていると信じている、と
テレビのインタビューで話されたいたことも覚えています。

「それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようとして動く人は多い。
なぜなら生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は生き残った人たちのものだからである。」(同上)

どうか忠さんの信念が実を結び、犯人逮捕につながりますようにと願わずにはおれません。

情報提供は 0829(31)0110 廿日市警察署

北口さんのブログは
コチラです。県外の方もぜひこの事件を思い出してください。

2014年10月09日 19:10

素晴らしい人々との出会いがありました

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おとといの9月30日、「こころのシェルターサポーターの集い」の第1回ミーティング
が開かれました。
 
集まったのは2次会から参加の方も含め、全部で11人。
生きづらさを抱え、ひきこもりがちな若者を支援する活動を今もされている人。
長年、会社で「お客様担当窓口」に勤務の後、産業カウンセラーの資格をとり、
今も各所の相談窓口で相談員をされている人。
精神救急の看護士の経験があり、今もホスピスケアの訪問看護の仕事をしている人。
臨床心理士試験を控える大学院生。
社会福祉士資格取得間近、郊外に別荘を持ち、「ぜひシェルターのゲストハウスとして使ってほしい」と
申し出て下さった方。
自死遺族でもある女性弁護士。
家族と自分自身のうつに苦しみながらも、「シェルター構想を自分自身も持っていた」と言って下さる方。
家族が死の際にある人々の「重大な決定」に寄り添う仕事をしている人。
メンバーの中には自死遺族が6人。
 
鉄板の「こころ」を持つメンバーが揃いました。
 
でも、私が一番うれしかったのは、メンバーの履歴のことではなく、
全員が、個人的に、自分自身や深くかかわった人間関係を通じて、
直接的に、真剣に「生死の際」というものを感じた経験を持っている当事者だということ。
 
「心の危機を抱える人に向き合う」ことは、「生きるか死ぬか」のぎりぎりを自分自身が
実感しているからこそ共感し、その人の懐に入っていけるのだと思うのです。
 
会議の後、近くのレストランで行われた2次会も大いに盛り上がり、
制限時間を大きく超えてしまうほどでした。
 
迷いや不安を抱えながら、自分の中で温めてきた「こころのシェルター構想」。
まだ出発地点に立ったばかりですが、なんだか「夢がかなう」ような気になってきました。
 
次回は12月9日に会合があります。
今からでも参加できます。どうぞ、興味のある方は連絡下さい。
ささやかでもできることから、一緒に歩んでいきたいと思います。

「こころのシェルター サポーター募集」のお知らせはコチラにあります。
2014年10月02日 19:49

最愛の人を喪ってわかる、一番大切なもの

放送禁止用語を多用して、政治や社会を痛烈に批判する笑いで人気を博したアメリカのコメディアン、ジョージ・カーリン氏が最愛の奥さんを亡くした際に、彼がボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用して友人に送ったとされるメールの文章。


ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている


忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ


ジョージ・カーリン


英語の原文もふくめ、掲載サイトはこちらにあります。
2014年09月26日 13:46

心に新しい風を入れることの大切さ

寄り添い支援を続けてきた人が心身ともに状態が悪くなり、
毎日のように訴えられて私もどうしていいかわからなくなってしまいました。
そこで、公的機関の相談窓口に本人と一緒に出向き、個別相談をしてもらうことに。
 
以前からよく知っている相談員さんです。
 
始めに私と本人、相談員が三者面談をしました。
その後、本人⇒私 の順で個別に話をし、また三者面談をする、という順番で
1時間半くらい時間をかけて相談しました。
 
電話で相談したときに、
「当センターがその方に対して具体的な解決策を決める、ということは難しいので
どれだけお役にたてるかわかりませんが。。。」と静かに言われていたので
正直(失礼ながら)、あまり大きな期待をせずに行きましたが
ゆっくり時間をかけて傾聴してもらうという体験は本人も、私も、初めてでした。
 
その結果、一番わかった、のは自分自身の未熟さ、冷静でなかったこと。

支援者として冷静にあるべきだった私自身が、日夜続く訴えの声に対して、
決して冷静でなく、視野狭窄になっていたことです。

「こうするしか道はない」と思い込んでいた、ということです。
押しつけた言い方はしないけど、自分の中で1つの結論に固執していた、ということです。

本人の「心のゆれ」が伝わってきて、暗く思いつめた心理になっていました。

相談員の方が「色々ある中で、がんばってこれまで自立して生きてこられた」と言われた時、
自分が全くそのような視点からの声掛けができていなかったことに改めて気づきました。
 
「第三者にゆっくり話を聞いてもらう」ということは、具体的な解決策がそこで得られなくても、
自分自身への振り返りができることで、どれだけ人は新しい角度から物事をみることができるようになるか。実感しました。
本人もそうだったと思います。
面談の後は、表情も口ぶりも落ち着いて、明るくなっていました。

もちろん、私自身の力足らずもあるのですが、
誰でも、密室のような1対1の関係の中で、重い課題に向き合っていると起こることではないでしょうか。

特に家族は、感情的な思い入れもあるから一層そうだと思います。
 
「心の問題」の解決は、、色々な風(多様な立場や考え方、その方に対する関係性)を
持った人からの色々な話)を入れることが大切だな、と改めて実感しました。
2014年09月19日 16:21