広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

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シンポジウムのチラシを制作中です。

チラシに使うフリー素材を探していたら、とてもぴったりする写真がありました。

どんよりと曇った空と寒々とした風景。
目の前にある冬の水辺。

それを見つめながら、寄り添う2人。

自死を考えるほどの辛さを抱える人と、その心によりそう人の心象風景はこれに似ているように思います。

春うららの季節のときも、クリスマスの華やかな町並みにあっても、
こころの風景はいつも寒々とした孤独や、行きどころのない不安の中にある。

でも、1人でいるより、2人で寄り添っていれば、温もりがあるだけ、ちょっとは暖かいよね。

シンポジウムのテーマは「自死の淵に立つ心に向き合う」。

チラシに以下のような主旨分を書きました。



「自死者は直前まで、「生きるのが辛い!誰か助けて!」という壮絶な心の苦しみと戦い、
なんらかの形でSOSメッセージを発しています。
私たちは、「死にたい」という訴えや自殺未遂行為に対してうろたえ、立ち往生し、
正面から向き合えず、「まさか死ぬことはない」という思いこみに逃げ込みたくなります。
自死遺族の多くはその経験をしています。そしてそのことで、終生自分を責め続けるのです。
このシンポジウムは、自死遺族が自責の体験をもとに、「自死の淵に立つ心」に対して、
どのように向き合い、寄り添うべきかを多くの方と共に考えたいという思いから、
自殺防止対策の第一人者を講師に迎え、お話しを聞くために企画しました。
広島県も「自殺未遂者の事後ケア」に今後、重点的に取り組むことを発表しています。
このシンポジウムが、医療・福祉・地域の支援者が連携のもとでの自死者減少に
ささやかでもつながることを祈念します。」


少しでも多くの人の心にとまり、自死防止に向けた思いを共有することができますように。
2014年04月09日 10:46

「広島県の本気度がうかがえる自殺防止対策」

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自殺未遂者の再発防止に向けた広島大学病院の調査結果発表と、事後支援対策モデルの発表。

広島県の担当課の話では、
広島大学病院での支援モデルはできてきたが、
広島大学のように院内連携体制ができない地域の救命救急機関から地域へ連携する
ことがこれからの大きな課題、とのこと。

数年前に「本気でとりかかって」いて、娘がこの支援を受けることができていたら
「小さな一歩」は世の中になく、
私は、今の家に住むこともなく、教会で毎週祈りの日々を送ることもなかった。

どんな生活をしていたのかな、、、、

そう思いはするけれど。。。

いまからでも、同じ苦しみ、哀しみにさらされる人が少しでも減ることを祈ります。

2014年04月03日 19:20

自分のくせや苦手なことは、人に会うとわかる

3月は色々な会合、打ち合わせ、セミナーなどが集中し、
月~金は仕事、(年度末のため、いつもよりとても忙しかった)
土日は東京や大阪など、他県に行く毎日が続きました。

3月1日(土):島根の自死遺族自助グループ「虹」が大田市で開催した「しまね自死遺族フォーラム」

3月15日(土):小さな一歩「うつ症状がある方と家族の分かち合い」

3月21日(祝):お友達の自死遺族が運営する「LifePewer」主催の
「うつリハビリ期のストレスマネジメント」研修会(大阪府豊中市)

3月22日(土):東京コムケアセンター主催
「家族関係や人間関係から自殺の問題を考えるラウンドミーティング」に参加
(ここで茂さんとお話したことは前回のブログに書いたこと)

3月27日(水)広島FM「ヒロシマ ウィメンズハーモニー」収録
         5月30日10時15分~30分 放送予定だそうです

3月29日(土)今回のシンポジウムにご登壇いただく斉藤友紀雄先生にご挨拶に東京へ
         その後、自死防止活動をしている東京の団体と打ち合わせ

並べてみると「なんでこんなに詰め込んだんだろう」と思うような日程でしたが
どれも、自分にとって有意義な出会いや気づきがあり、1つとして無駄なことはありませんでした。

「有意義」と感じられることは、前向きで右肩上がりのことより、むしろ「自省」することの方が多い。

自分の視野の狭さや、考えの安易さ。

自死遺族以外の立場から見る「自死」というもの。ギャップを知ることも大切だと思いました。

そして、何をするにしても大切なことは「仲間」「協力者」を作ること。

私は自分1人ですることはわりとどんどんできるが、
周りに同志を募ったり、協力をお願いする、ということが苦手だ。

なんだか遠慮してしまう。迷惑なんじゃないか、とか負担なんじゃないか、とか。
「自分でやれることは自分でやった方が気楽」となってしまう。

でも、それは結局、いいことにならないんだな。

それと、人に協力してもらうためには、
独りよがりで走らないこと。
自分でしっかりと行く先を見つめてから歩き出すこと。

遠い先に待つものを見失わないように。

でも、少し自分を休めないとね。(笑)
2014年04月01日 19:25

東尋坊の「ちょっと待ておじさん」

福井県の東尋坊は飛び込み自殺の名所(いやな言葉だ)。
その東尋坊の入口で、「こころに響く おろしもち」という店を構えながら
東尋坊で自殺未遂者のパトロールをしている茂 幸雄さん。
体を張った自殺防止活動家として、国内外で有名な方です。

茂さんの活動ブログ

先日、東京で「自死・自殺を考えるラウンドミーティング」という小会合があり、
茂さんと近い場所でお話できる機会だったので出かけていきました。

茂さんは、元警察官らしいがっしりとした体躯の方でした。

「彼らは日没を待って、じっと座って一人シクシク泣いている。みんな、『死んだらいかんよ』と声を掛けてほしいんですよ」「わしが何とかしてやると、強い気持ちで声を掛けるんです。すると、こんな変なおじさんに任せていいのか、と彼らは調子が狂っちゃう。調子を狂わせることが必要。死のうと集中している人は、ハッと我に返るんです。そういう方は何人もおられました」

と言われるように、ざっくばらんな、頼りがいのあるおやじさん、という印象の方でした。

私「広島でも、自殺未遂者の再発防止のためのシェルターをしたいのですが、心理、精神保健、医療の専門スタッフをそろえないといけないのでは、、、、」

茂さん「いらん、いらん。かえってじゃまよ。とにかく話を聞くの。それさえすれば。」

私「自殺未遂した直後の人を見守るには、再発防止のための『ゆるやかな監視』が必要なのでは。。。」

茂さん「いらんいらん。とにかく、『どうしたいか』を徹底的に聞くこと。借金が苦なのか、生活ができないのか、家族とうまくいかないのか、職場でいじめられているのか。
聞いて、必要な場所に一緒に行って、話し合いの間に立ってあげて。
それさえすれば、ぐっすり寝る。」


「それさえすれば」。一にして十なり。

今度、現場を見学に行き、体験もさせてもらうことになりました。

百聞は一見にしかず、ですから。


2014年03月26日 15:31

「小さな風の会」のこと

けいじばん「想いの投げ入れ箱」に投稿くださった遺族の方が教えてくださった
「ちいさな風の会」。自死に限らず、病気や事故で子を亡くした親が集う会です。

世話人は、現在は立教女学院短期大学の学長をされている若林一美先生。

平成元年から、子を亡くした親の会(分かち合い)を続けて来られています。

平成18年に講演された「遺族の悲嘆とグリーフケア」(当時は山梨英和大学教授)
の原稿を読みました。

原稿の全文(PDF)はコチラ

長文ですが、自死を経験された方にも、身近に遺族がいて、どのように接したらいいかわからない方にもぜひ読んでいただきたいと思います。

「親の死 あなたの過去を失うこと」
「配偶者の死 あなたの現在を失うこと」
「子どもの死 あなたの未来を失うこと」
「友人の死 あなたの人生の一部を失うこと」
(E.グロールマン)

この講演録の中で、こんな文章があります。

「時間の経過について『悲しみにも2種類あるような気がする』とおっしゃった方がいらっしゃいます。(病気で子どもをなくした親が)「2つの悲しみ」というのは、身体的な痛みに対する訴えに対して、答えてあげられなかったことに対する悲しみ。そしてもうひとつの悲しみとは、言葉ではないけど、何か訴えたいような目をして自分に向けた思いの部分で、お互いの間の中でうまく関わりきれなかった、悔いから生じている悲しみであり、前者はどちらかというと少しずつだけれども時間の経過の中で薄くなっていくのに対して、後者はむしろ時間が経ってゆくなかで、「なんであのときあんな風にできなかったのか」「こういう思いだったのか」というような公開の思いも含めて、深く悲しくなっていく。」

自死は病死とは異なることもあるけれど、
「うつ」という病気に自分がうまくかかわれなかった、という点では同じ。

何度も時計を巻き直して、どの日からやり直せば違っていたのか。
どの言葉を言わなければよかったのか
どの言葉や行動を上手に拾ってあげていたらよかったのか。

その思いは時がすぎても小さくなることはありません。

講演録にも書かれていましたが
「もう○年も経つんだね、早いもんだね」と言われることが辛い。
他人からしたら「早いもんでもう○年」と言われる日々が、自分にとって、どんなに砂地を這うような長い道のりだったか。

そして、その砂地を這うような時の流れが、いつまでも続く、荒涼とした思い。

論文を読んで、私自身の心の奥にあるウロが開いたような気持ちになりました。

若林先生の著書「死別の悲しみを超えて」








2014年03月17日 20:46

愚痴と弱音

私は小さな会社を経営していて、娘の死後も、簡単に会社を閉じることができない事情があり、
今まで二足のわらじを何とか持ちこたえてきた。

会社に出て、1日の中で小さな一歩の活動についての事務処理や連絡をしながら
同じ机上のパソコンで、分刻みで仕事もしてきた。

なんとか綱渡りの日々を生きてきたけど、もう限界かな。

年度末の忙しい3月、仕上げなければいけない仕事と
小さな一歩の活動も実は大きなことを控えている。

さらに4月からはじまる年度に向けて新しい仕事も獲得のピークだった。

そんな中で、大きな仕事が獲得できそうだったのに、契約手続きの締め切りをうっかり過ぎてしまい、
その契約が破棄になった。

いま猛烈に落ち込んでいる。

悪いのは自分だ、やることが短期間に集中しすぎて、注意力がおちた。

でも、もう、人間として限界かな、と思っている。

部下には「小さな一歩」の活動のことはほとんど話していない。

活動はじめのときに、「私は体半分を『小さな一歩』の活動に使いますから
給料を半分にしますから、その分、みなさんが自立してがんばってほしい」とは言ったが。

そんなに簡単じゃなかった。期待していた自分がばかだった。

ぐちです、ただの。

明日からまた気をとりなおしてがんばります。



2014年03月10日 20:43

「食べて語ろう会」のこと

「食べて語ろう会」は、広島市内で30年間、【お腹をすかせた子供たち】への支援をしています。
保護観察処分を受けている未成年少年が多いそうです。

以前にもテレビでその活動が紹介されていたことを記憶していますが
2月26日に広島市ボランティア情報センター主催の「広島市・居場所づくり連絡会」の会合でメンバーの方の話に心をうたれました。
(お名前の記録がなく残念。聞き書きなので多少事実と異なることもあるかもしれません)

元保護司である中本さんが、ある少年の言葉をきっかけに始められた。

「シンナーを吸っているときだけ、空腹を忘れられる」。

不況とはいえ飽食の日本で、空腹に耐えられず、万引きをしてしまったり、グループで非行に走ってしまう少年が少なからずいる。

その多くは保護者の経済状態が原因で
(もちろん、もっと複雑で深刻な問題も併せ持っている家庭がほとんどだそうですが)、
"本当に食べ物がなく、空腹を抱えている"。

特に、学校の給食がない長期休暇中が「地獄」なんだそうです。

「この子らは、食べられてさえいれば、非行の道に行かない」。
「3食は無理だけど、せめて夕食だけでも」。


中本さんは自宅を開放し、少年たちにひたすら夕食を提供し続けています。
よけいなことは聞かない。ただ、ひたすら、自宅の炬燵に招きいれ、「ごはん」を食べさせる。

はじめはとんがった目をしていた子が、暖かいこたつでごはんを食べると、みるみる目が丸くなり、
ホロホロと自分の話をし始めるそうです。


「ばっちゃん、こいつ、本当に食えてなくてかわいそうじゃけぇ、なんか食わせたって」
自分の空腹をよそに、仲間を連れてくる少年たち。

中本さんの自宅の茶の間はいつも子供たちに開放されている。
中本さんは自分が自宅で足を伸ばす時間もない。

それでも、1年中、ひたすら「この子らに食べさせる米を切らさないように」と頑張っている。

会に出席した方は、同じ市営住宅に住み、中本さんの孤軍奮闘を見かねて手伝い始めたそうです。
「中本さんに少しでも休んでもらいたい」その思いから、週2回は公民館を借りて活動ができているとのこと。

長い活動期間中、一番の危機は、資金難から「米が底をつきそうになった」時だそうです。

今も民間の助成金や現物支援などはあるが、行政からの支援はありません。

衝撃でした。
「この人は、なんでこんなに身を挺してできるんだろう」と思いました。
自分がひどくちっぽけで小さな人間に思えてしまいました。


会員の中にも高齢の人が増えた中で、活動の将来に不安があるとのこと。

ぜひ行政をはじめとする、カネ・モノの支援の手が届いてほしいと思います。
ヒトは簡単に代わりができるものではありません。
ばっちゃんじゃないとだめ、だから継承がむずかしい。

暖かく守られた部屋。
手作りのごはんを「みんなで囲んで食べること」。
よけいな言葉はなく、自分の言葉を受け入れてくれる人が「いつも同じ場所にいること」。

人が人として安らげる最少にして最大のものがここにある。


「自分たちは、インターネットとかわからないから、こつこつとやるしかなくて。」
インターネットなんて、そんなもの、どうでもいいですよ!!

ということをネットで配信する自分がまた、はずかしいです。

「食べて語ろう会」の活動を紹介する「マツダ財団」の記事




2014年03月05日 16:04

自殺防止的視点は、ときに自死遺族を苦しめる

今週火曜日の20時から、NHKEテレで「増加する20代若者の自殺」特集が放映されました。

周囲から見ると些細とも言えるきっかけで希死念慮が高まってしまう若者の姿が描かれ、
その背景として、成長期に家庭の愛に恵まれず、親に存在を否定されたことが原因で
自己否定感や、強い孤独感を潜在意識の中に強く巣食っている。
だから、グラス一杯になっている水が目薬一滴であふれるように「死にたい」「生きていたくない」につながりやすい。

そんな主旨だったと観ました。

「自殺防止」の観点では、『確かにあり得る』。分かち合いに来る人にも見られるとのことです。

でも、私は、娘を死なせてしまった親のこころで見てしまった。

娘の死因は借金でも失業でも病気でもない。
人から見たら「そんなことで死ぬなんて」と思うことかもしれなかった。
番組の主旨をそのまま解釈すると、その心の背景に、親の育て方が悪かったということが潜在的にあったのかもしれない。


「愛していたつもりだったのに。何が間違ったのだろう」そこから離れられなくなってしまいました。

傷つけることをして、それが心の傷を作ったのかもしれない。
何がいけなかったのだろう。
どこで、傷つけたんだろう。

聞けるものなら聞きたい。
生きていたらそこからやり直せるかもしれないけど、
死んだ娘は何も教えてくれない。

子どもを亡くした自死遺族として、これほど辛い責め苦はないのです。

このようなギャップがある限り、「自殺防止」と「自死遺族支援」は矛盾する。

自殺防止対策=死にたい原因の調査研究=防げなかった遺族の心の自責

とつながる限り。

「自殺」か「自死」か。言葉の論争がまさにそれを象徴しています。

 

2014年02月28日 23:04

「死にたいほどつらい」と言葉にできることの意味

先週22日、23日に広島では初めての「東京自殺防止センター ワークショップ」で勉強しました。
2日の日程のほとんどの時間がグループに分かれた「電話相談のロールプレイ」実習に費やされました。

7人程度のグループに1人ずつ指導役のリーダーがつき、
callerと言われる、電話をかけてくる人の役、befrienderと言われる電話相談員の役を交互に実習します。
1日目は指導リーダーがcaller役をし、2日目はグループメンバーがcaller役もしました。
他の人はオブザーバーで、ロールプレイについての感想や評価をする役です。

東京自殺防止センターに実際に寄せられる相談を下敷きにしているため、実習で出される
callerの相談が切迫した、現実感のある内容でした。
それだけに、befrienderも時々行き詰ったり、答えに窮してしまったり、
また、callerを演じる人が、感情移入のあまり、感極まってしまったりと
息詰まる実習で、とても頭が疲れてしまいましたが、中身の深い深い勉強になりました。

東京自殺防止センターをはじめ、全国にある自殺防止センターの電話相談では
callerに対して、「死の意思があるか」の確認をするのがルールです。

つまり、「あなたに『死にたい』気持ちがあるか」を電話口で問う。

はじめは戸惑いました。
明らかに自死したい、という気持ちがある人ばかりでないのでは、
そんな人に「死にたいのか」と問うたら、かえって潜在意識を掘り起して危険なのでは、とも思いました。

でも、実習をしてみて、この「究極」ともいえる、“辛さ”を吐き出せることの大きさを知りました。

普段、身の回りの人に対しては、悩みや愚痴は言うかもしれなくても
「死にたくなるほどつらい」という言葉を口に出すことはできない。
それを「言っていいんだ」と思わせてくれる。

心の中によどんでいる澱を吐き出して、素直な、サラサラとして心になれる。

実習するまでは気づかないものでした。

実習が終わったあと、一緒に研修に参加した家人に
自分も「死にたいという気持ちを抱えている」と、素直に打ち明けることができました。
そして、そのことで、「言えずに言えないままだった」こと、
かさぶたのように心の中にこびりついていたものが解放されたように思いました。

東京防止センターは「国際ビフレンターズ憲章」
にのっとって活動をしています。

ビフレンターズ=be-frienders」死にたいほどつらい人の『友』として『心』に寄り添う人

辛い人を、崖から落ちておぼれそうな危機にある人に例えるなら、
自分の安全も確保せずに水に飛び込んで一緒におぼれるのではなく、
自分はおぼれないように命綱をつけ、足場を確保したうえで、おぼれる人に手を伸ばす人です。

いままで、「同調してこそ心がわかりあえるのでは」とどこかで思っていた自分を恥ずかしく思いました。
2014年02月25日 19:52
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2014年02月25日 19:50