広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

「食べて語ろう会」のこと

「食べて語ろう会」は、広島市内で30年間、【お腹をすかせた子供たち】への支援をしています。
保護観察処分を受けている未成年少年が多いそうです。

以前にもテレビでその活動が紹介されていたことを記憶していますが
2月26日に広島市ボランティア情報センター主催の「広島市・居場所づくり連絡会」の会合でメンバーの方の話に心をうたれました。
(お名前の記録がなく残念。聞き書きなので多少事実と異なることもあるかもしれません)

元保護司である中本さんが、ある少年の言葉をきっかけに始められた。

「シンナーを吸っているときだけ、空腹を忘れられる」。

不況とはいえ飽食の日本で、空腹に耐えられず、万引きをしてしまったり、グループで非行に走ってしまう少年が少なからずいる。

その多くは保護者の経済状態が原因で
(もちろん、もっと複雑で深刻な問題も併せ持っている家庭がほとんどだそうですが)、
"本当に食べ物がなく、空腹を抱えている"。

特に、学校の給食がない長期休暇中が「地獄」なんだそうです。

「この子らは、食べられてさえいれば、非行の道に行かない」。
「3食は無理だけど、せめて夕食だけでも」。


中本さんは自宅を開放し、少年たちにひたすら夕食を提供し続けています。
よけいなことは聞かない。ただ、ひたすら、自宅の炬燵に招きいれ、「ごはん」を食べさせる。

はじめはとんがった目をしていた子が、暖かいこたつでごはんを食べると、みるみる目が丸くなり、
ホロホロと自分の話をし始めるそうです。


「ばっちゃん、こいつ、本当に食えてなくてかわいそうじゃけぇ、なんか食わせたって」
自分の空腹をよそに、仲間を連れてくる少年たち。

中本さんの自宅の茶の間はいつも子供たちに開放されている。
中本さんは自分が自宅で足を伸ばす時間もない。

それでも、1年中、ひたすら「この子らに食べさせる米を切らさないように」と頑張っている。

会に出席した方は、同じ市営住宅に住み、中本さんの孤軍奮闘を見かねて手伝い始めたそうです。
「中本さんに少しでも休んでもらいたい」その思いから、週2回は公民館を借りて活動ができているとのこと。

長い活動期間中、一番の危機は、資金難から「米が底をつきそうになった」時だそうです。

今も民間の助成金や現物支援などはあるが、行政からの支援はありません。

衝撃でした。
「この人は、なんでこんなに身を挺してできるんだろう」と思いました。
自分がひどくちっぽけで小さな人間に思えてしまいました。


会員の中にも高齢の人が増えた中で、活動の将来に不安があるとのこと。

ぜひ行政をはじめとする、カネ・モノの支援の手が届いてほしいと思います。
ヒトは簡単に代わりができるものではありません。
ばっちゃんじゃないとだめ、だから継承がむずかしい。

暖かく守られた部屋。
手作りのごはんを「みんなで囲んで食べること」。
よけいな言葉はなく、自分の言葉を受け入れてくれる人が「いつも同じ場所にいること」。

人が人として安らげる最少にして最大のものがここにある。


「自分たちは、インターネットとかわからないから、こつこつとやるしかなくて。」
インターネットなんて、そんなもの、どうでもいいですよ!!

ということをネットで配信する自分がまた、はずかしいです。

「食べて語ろう会」の活動を紹介する「マツダ財団」の記事




2014年03月05日 16:04

自殺防止的視点は、ときに自死遺族を苦しめる

今週火曜日の20時から、NHKEテレで「増加する20代若者の自殺」特集が放映されました。

周囲から見ると些細とも言えるきっかけで希死念慮が高まってしまう若者の姿が描かれ、
その背景として、成長期に家庭の愛に恵まれず、親に存在を否定されたことが原因で
自己否定感や、強い孤独感を潜在意識の中に強く巣食っている。
だから、グラス一杯になっている水が目薬一滴であふれるように「死にたい」「生きていたくない」につながりやすい。

そんな主旨だったと観ました。

「自殺防止」の観点では、『確かにあり得る』。分かち合いに来る人にも見られるとのことです。

でも、私は、娘を死なせてしまった親のこころで見てしまった。

娘の死因は借金でも失業でも病気でもない。
人から見たら「そんなことで死ぬなんて」と思うことかもしれなかった。
番組の主旨をそのまま解釈すると、その心の背景に、親の育て方が悪かったということが潜在的にあったのかもしれない。


「愛していたつもりだったのに。何が間違ったのだろう」そこから離れられなくなってしまいました。

傷つけることをして、それが心の傷を作ったのかもしれない。
何がいけなかったのだろう。
どこで、傷つけたんだろう。

聞けるものなら聞きたい。
生きていたらそこからやり直せるかもしれないけど、
死んだ娘は何も教えてくれない。

子どもを亡くした自死遺族として、これほど辛い責め苦はないのです。

このようなギャップがある限り、「自殺防止」と「自死遺族支援」は矛盾する。

自殺防止対策=死にたい原因の調査研究=防げなかった遺族の心の自責

とつながる限り。

「自殺」か「自死」か。言葉の論争がまさにそれを象徴しています。

 

2014年02月28日 23:04

「死にたいほどつらい」と言葉にできることの意味

先週22日、23日に広島では初めての「東京自殺防止センター ワークショップ」で勉強しました。
2日の日程のほとんどの時間がグループに分かれた「電話相談のロールプレイ」実習に費やされました。

7人程度のグループに1人ずつ指導役のリーダーがつき、
callerと言われる、電話をかけてくる人の役、befrienderと言われる電話相談員の役を交互に実習します。
1日目は指導リーダーがcaller役をし、2日目はグループメンバーがcaller役もしました。
他の人はオブザーバーで、ロールプレイについての感想や評価をする役です。

東京自殺防止センターに実際に寄せられる相談を下敷きにしているため、実習で出される
callerの相談が切迫した、現実感のある内容でした。
それだけに、befrienderも時々行き詰ったり、答えに窮してしまったり、
また、callerを演じる人が、感情移入のあまり、感極まってしまったりと
息詰まる実習で、とても頭が疲れてしまいましたが、中身の深い深い勉強になりました。

東京自殺防止センターをはじめ、全国にある自殺防止センターの電話相談では
callerに対して、「死の意思があるか」の確認をするのがルールです。

つまり、「あなたに『死にたい』気持ちがあるか」を電話口で問う。

はじめは戸惑いました。
明らかに自死したい、という気持ちがある人ばかりでないのでは、
そんな人に「死にたいのか」と問うたら、かえって潜在意識を掘り起して危険なのでは、とも思いました。

でも、実習をしてみて、この「究極」ともいえる、“辛さ”を吐き出せることの大きさを知りました。

普段、身の回りの人に対しては、悩みや愚痴は言うかもしれなくても
「死にたくなるほどつらい」という言葉を口に出すことはできない。
それを「言っていいんだ」と思わせてくれる。

心の中によどんでいる澱を吐き出して、素直な、サラサラとして心になれる。

実習するまでは気づかないものでした。

実習が終わったあと、一緒に研修に参加した家人に
自分も「死にたいという気持ちを抱えている」と、素直に打ち明けることができました。
そして、そのことで、「言えずに言えないままだった」こと、
かさぶたのように心の中にこびりついていたものが解放されたように思いました。

東京防止センターは「国際ビフレンターズ憲章」
にのっとって活動をしています。

ビフレンターズ=be-frienders」死にたいほどつらい人の『友』として『心』に寄り添う人

辛い人を、崖から落ちておぼれそうな危機にある人に例えるなら、
自分の安全も確保せずに水に飛び込んで一緒におぼれるのではなく、
自分はおぼれないように命綱をつけ、足場を確保したうえで、おぼれる人に手を伸ばす人です。

いままで、「同調してこそ心がわかりあえるのでは」とどこかで思っていた自分を恥ずかしく思いました。
2014年02月25日 19:52
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2014年02月25日 19:50

心が折れそうな時の自分のために

自分の気持ちが通じないとき

世の中のつまらないルールの中で前に進めないとき

空しさと限界に押しつぶされそうなとき

誰にも何も届いていないと思えてしまうとき

不安の中で道に迷うとき

そんな時、自分が思い出せるようにここに残しておこう

マザーテレサの言葉

マザーテレサの教え「あなたの最良のものを」

心がおれそうなとき、いつもこの言葉に帰ってこよう。

私自身のために。
2014年02月21日 20:03

分かち合いで学ぶことが多い

先週土曜日に行った「自死遺族の希望の会」は
その後の軽食会を含め、13人の参加となりました。(うち2人はお子さん)

分かち合いの話の中で、親御さんを亡くされた方と子どもを亡くされた方では
ずいぶんその受け止め方や、その後の人生についての考え方が違うのだな、と改めて胸に突き刺さることがありました。

子どもを亡くした親、として私は
「人生でこれ以上はない絶望や苦しみを経験すると、もう怖いものはなくなってしまう」
と言いました。

この先、どんなことがあっても、あの出来事に比べて大きい苦しみは何もない。
また、もうそこそこの年月を自分なりに生きてきたから欲もないし、手に入れたいものもない。
怖いものも、欲もない自分は、次に子どもに会うことを楽しみに残りの日々を消化するだけ。

この言葉に、子どもさんを亡くした方の中で、うなずく方が多くありました。

一方で、親御さんを亡くされた方で、
人生の手本とすべき人が自ら死を選ぶと
何を生きるための教科書にしていいかわからなくなる、
一から「生き方」を自分で探すために、毎日が模索なのだ、と話された言葉が胸に突き刺さりました。

同じ立場の方が「自分もそうだ」と言われました。

子どもを亡くすと、それまでの人生が否定され、
親を亡くすと、これからの人生を見失う。

自死遺族の中でも、立場や関係によって、こんなにもその後の人生への向かい方が違うことに改めて、グリーフのむずかしさを感じました。




2014年02月17日 19:59

大雪の中、自死遺族支援者スタッフ研修会

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2月8日(土)、大雪の東京で「自死遺族ケア団体全国ネット」主催の
「自死遺族「分かち合い」コミュニティのあり方 第8回スタッフ研修会」が行われました。

研修会の内容はコチラ

交通機関の混乱から、かなりのキャンセルが出るのではと心配されましたがほぼ出席。
沖縄から来られた方もいました。

帰りの交通機関の心配があるので、全体にスケジュールを早めて進行されました。
午前は藤井代表の基調講演。

「遺族が語ることは、死者から預かった言葉。
「生き残っている者を通して、死者が訴えているのです」と、
遺族が訴える、体験に基づく声を、「悲嘆の吐き出す」ことにとどまらず、
自死防止対策の場に積極的に活かしていくときが来ている、とお話しになりました。

午後からパネルディスカッション。
岐阜の自助グループ「千の風の会」代表であり、岐阜県総合自殺対策協議会の委員でもある木下さんからは、
自死遺族の分かち合いの立ち上げから、自死遺族支援活動にとどまらず、
自殺防止対策会議でも、遺族である小林さんと岐阜県は、お互いに協力しあいながら
対策を推進しているとのこと。

うらやましいような二人三脚ぶりです。

また、グリーフサポートプラザ理事のS.Y氏からは、
充実したスタッフ研修体制、研修を通して多くのスタッフがグリーフサポートに携わっているお話をお伺いし、
もちろん比較するのもおこがましいのですが、つい「うらやましい。。。」と思ってしまいました。


色々な方の話を聞くと、改めて、
「小さな一歩はまだ、ほんとに「小さな一歩」を踏み出したに過ぎない、
この先、どこまで歩き続けられるのだろう、道はどこまで行き着くのだろう」
と、これから歩いていく道のりに想いをはせ、ため息が出るような思いがしました。

でも、いつも大切なことは「小さくても一歩を踏み出すこと」だ。

まとめをされた奈良女子大学の清水新二名誉教授は
自死遺族の分かち合いについて
「分かち合いは自死遺族の心の灯台のような存在。
人が集まらない時があっても、灯りをともし続けることが大切。
存在していること自体が意味がある」
とスタッフにかけられた励ましを、胸に抱いて帰りました。

今年の夏に、第2回の講演会を開催することに決めました。
藤井代表にお願いしたら、快く引き受けてくださりました。

テーマは「自死当事者の声を自殺防止につなげる」
にします。

2014年02月11日 13:20

他人と境界線を引くこと

先週の土曜日、広島県東広島市の安芸津教会で
「広島アディクション勉強会」という、さまざまな依存症を抱える方の「家族」のための会を見学に行きました。

「依存症」は、アルコールや薬物など『物質的なもの』が代表的ですが、ギャンブル、買い物、ネット、携帯電話、ゲームなど、「行為」への依存も含まれるとのこと。

「軽い気持ちで始めたことが、最初の動機。ところが、いつしかそれがないと落ち着かなくなり、やめると苛立ちや不安、絶望感が訪れたり、ケースによっては、つらい離脱症状が現れる場合もあります。対象に支配され、自分の意志で欲求をコントロールできなくなるのが、依存症なのです。」
にわか知識の私の言葉より一応の解説はコチラ(all About より

アディクション勉強会で実践しているプログラムはとても、数時間そこにいただけで語れるものではありませんが、
そこで聞いた、「4つのルール」というものが、とても心に残りました。

「支配しない」頭ごなしに批判したり、言うことに従わせるようなことをしない
「世話をやかない」 尻拭いをしたり、肩代わりや身代わりにならない
「先取り心配をしない」 この先どうなっていくんだろう、と想像の未来に対して過剰に心配しない
「当事者と自分の間に『境界線』をひく」彼はカレの人生、と考えて共依存をしない


理屈では「わかっている」この4つの原則を本当に実行できるまでに
身体が引きちぎられるような、血のにじむような苦痛があるそうです。

この4つのルール、いろいろな人間関係に共通しているように思えます。

特に「他人と境界線を引く」ことはむずかしい。

「他人が見たらどう思うだろう、なんて言われるだろう」
「自分の行為が周りから評価されなかったら、、、」
「●●が言うからその通り従ってきたのに」
「私の気持ちを●●がわかってくれないから、、、」
「(自分自身ではなく)●●がダメになったらどうしよう」
「●●に迷惑をかけるからがまんしよう」

自覚していなくても、気が付くと、このような思いにとらわれてしまいます。

「他人と境界線を引く」。
これは、全ての迷いや悩みに自分で解決をつけるためにとても大事なこと。

誰でも、自分1人で生きているのではないけれど、
「他人と支え合って生きていく」ことと
「他人と自分の境界線が引けず、共依存してしまう」こととは全く違う。

でも、むずかしい、本当にむずかしい。

「自分は自分!他人に何を言われようと、好きなようにする!」

本当の意味で実践できたら、肩の荷はどんなに楽になることでしょう。


2014年02月04日 19:44

つまるところは、ただの贖罪なのかもしれない と思いながら

2月8日に「自死遺族ケア団体全国ネット」が主催するスタッフ研修会
「自死遺族『分かち合いコミュニティ』のあり方」でパネリストをすることになりました。

自死遺族ケア団体全国ネットのHP

研修会案内
http://www.jishicare.org/20140208annai.pdf
(募集は締め切られています)

先日東京でパネリストの打ち合わせがあり、私が今後、小さな一歩の活動としてやっていきたい
ことなどをお話しました。

私がやりたいこと。自殺未遂者の救済と再発防止。

ちょっと熱く語りすぎましたが、藤井代表が力強く支持してくださり、とても心強く思いました。

帰りの羽田空港は夕焼けがきれいで、ぼんやりとベンチに座り、娘と語りあいました。

なぜだろう、
「あのとき、あなたが命をかけて伝えていた本当のメッセージ『生きたい!助けて!』」。
くみ取ってあげられなくてごめんね」

そう話しかけていました。

2014年01月29日 19:59

あの日が最後の別れの日だから私は忘れない

24日は娘の28回目の誕生日であり、
納骨して2周年、天国で生まれ変わって2回目の誕生日でした。

夫と娘の妹である次女、私の3人で広島教会の武田牧師にお願いし、墓前礼拝をしました。

その後、近くのワインバーで3人で食事。
この店は、歩美が私たちと最後に食事をした店。
その時は私たちの結婚記念日のお祝いだった。
亡くなる10日ほど前のことでした。

シャンパングラスを4人分注文したときは、お店の人がちょっと不思議そうな顔をしたけど、
食事中、ずっとそこに歩美のグラスがあると、本当にそこにいるような気がして。
いや、そこにいたと思います。

一昨年はこの時、納骨式で落ちつかなかった。
昨年は、小さな一歩の設立前で慌ただしかった。
考えてみたらやっと落ち着いて向き合えたような気がする。

お待たせしたね、歩美。

私が好きな加藤登紀子の「テネシーワルツ」。

「2人であの時聴いたテネシーワルツ
古いレコードの
ザラザラ聴こえる針の音まで私は忘れない。
あの小さな酒場の匂いさえ
あなたのシャツの色も。
あの日が最後の別れの日だから
私は忘れない。

真夏の昼下がり 人けのない街 私は歩いていた。
どこかで誰かが あのテネシーワルツ 口笛吹いていた。
知らないまま 通り過ぎる 乾いた日差しの中。
あのとき 聴こえた あのテネシーワルツ
私は忘れない。」


あの日、目の前で乾杯した娘の姿を思い浮べるとき、
いつもこのメロディが頭の中を流れています。

2014年01月27日 11:18