広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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娘の友人から届いた1通の手紙

「はじめまして、私はしのちゃんの友人でNと申します。
こんなに時間が経ってからのお便りで驚かせたらごめんなさい。この度はどうしてもお伝えしたいことがあったのでお便りさせていただきました。


しのちゃんとは高校3年の時、サークルで一緒になってから仲良くなりました。当時彼とケンカして泣いているところを見られ、話を聞いてくれたのがきっかけでそれから恋愛の話もたくさんしました。
しのちゃんが言ってくれた言葉で救われたことがありました。
高校の卒業旅行にも一緒に行きました。夜、ホテルで2人で話していたら盛り上がってしまい、結局そのまま朝を迎えました。恋愛の話がかりで。。。


いつも自分のことよりもまず人のことを心配してくれる人でした。

高校を卒業して年に1,2回、サークルのメンバーで集まることがありました。しのちゃんに最後に会ったのは、彼女が就職が決まったときでした。
私はちょうどその時、彼と別れてしまっていたので、みんな一緒だったのに、しのちゃんにまた、たくさん話を聞いてもらったんです。
最後に話をしたのは電話で、、、2011年の4月でした。サークルで連絡をすることがあり、電話をしたときに彼とよりを戻したことを報告すると、とても喜んでくれました。
「やっぱりそうなると思っていたよ!よかったね!」と。。


私と彼のことは高校の友人のほとんどが知っていましたが、私が多く語らなかったこともあり、反対する子の方が多かったんです。復縁を喜んでくれたのは、しのちゃんともう1人だけでした。
だから、しのちゃんの一言がうれしくて、「やぱりしのちゃんは分かってくれる」と思いました。
実はこの時、彼から結婚したいと言われたことを報告したかったのですが、やっぱり直接会って話をしたいと思ったので「今度ご飯に行こう!また色々聞いてね!」と電話を切りました。


訃報を聞いたのはその2か月後のことでした。

あの時、早めに都合をつけてごはんに行っていたら、何か変わったかなって思うこともありました。
確かにあの時の電話の声はとても疲れた声でした。今でも耳に残っています。
大丈夫、と言っていたけど、あの時はすでに大丈夫じゃなかったんだろうと、、、
私と会ったところでどうにかなったなんてわかりませんが、それだけが今もずっとひっかかっています。


きっと喜んでくれただろうと思うと、報告できなかったことがとても残念でした。
最期のお別れのとき、棺に向かって、婚約したよ、て声をかけたかったのに、声が出ませんでした。
高校生の時からずっと応援してくれていたしのちゃんにはちゃんと報告したかったな、と後悔しています。


私と彼は2013年3月に無事に結婚式をあげました。
 
私が彼のことを思い続けられたのは、しのちゃんが応援してくれたからでした。
私が自分を好きになれたのもしのちゃんのおかげでした。
今、私たち2人が毎日仲良く幸せでいられるのも、しのちゃんがいてくれたからです。
私はこの先一生、彼女のことは絶対に忘れません。ずっと大好きな、大切な友達です。


結局、お墓詣りに行く勇気もないまま、時間が過ぎました。
お墓に行かなければ、現実味がなく、またいつかどこかで会えるんじゃないかって気もしていました。


小さな一歩の存在を知ったのは、今年の9月のことでした。かなりショックでした。自死だったなんて、、、

彼とケンカして、話を聞いてくれているとき、泣いている私に
「ねえ、今、ほんまに幸せ?ごめんけど、私にはそうは見えんのよ。自分のこと、もっと大事にしてあげて。
前向いて前向いて前向いて、自分が相手のことを想うのと同じくらい、想いを返してくれる人を探そう!
それでも、あの人がいいって言うなら、応援するけど、まず自分が自分を好きにならんと。
自分が自分を幸せにしてあげよう!がんばろうね!」
と言ってくれたしのちゃん。この言葉は当時の私の日記に書いてあって、
この言葉のおかげで私は自分のことが好きになれた。
彼との関係も変わっていったし、今も自分のことを好きでいられるように生きています。


そんな彼女が自ら死を選ぶほど辛い思いをしていた、、とてもショックでした。

 
色々書きましたが、どうしても、しのちゃんのお母さんに伝えたいことがあります。

 
ブログに「世の中の人の前にさらしてしまうこと、天国でどう思っているだろうか、母を許してくれるだろうか」
とあったのがとても気になったのです。


大学生の時のことで印象に残っていることがあります。

確か寒い時期でした。

しのちゃんが「私、うちのママに手紙をもらったんよ」と見せてくれたのです。
嬉しそうに話すしのちゃんの顔を今でも覚えています。


それは、20歳の記念に、しのちゃんあてに書かれたお手紙でした。
手紙には、20歳の誕生日まで大切に育ててきたこと、これからは大人として、どういう風に成長してほしいという願いが書いてあったとぼんやり記憶に残っています。


私が「感動した!」というと、
「でしょ~!私、ママのこと、大好きなんよ。私もいつか子どもができたら、ママみたいな子育てをしたいと思って。手紙も、絶対同じことをしてあげるんじゃ~」
と満面の笑みを返してくれました。
「めっちゃステキ!うちもいつか子どもができたらしのちゃんママみたいに手紙書いてあげたい~」と。。。もう8年前のことですがそのやりとりははっきり覚えています。


お別れの日、しのちゃんは「ママ、いつか子どもができたら面倒見てね」と言っていたと、ホールでのお話しで聞きました。
きっとその時も、「いつかママみたいな子育てがしたい」と思っていたはずです。


しのちゃんがお母さんのことが大好きだったこと、大好きなお母さんがしてくれたことをいつか自分の子供にもしてあげたいと思っていたこと
そして、それは、お母さんの子どもに生まれてきてよかった、育ててもらって幸せだったと思っていることを、おそらく天国から伝えたいんじゃないのかな、と思って。。。
私が代わりに伝えなければと思って、お便りしました。


しのちゃんが自分のことを世間に公にされてどう思っているかはわかりません。
私にも正解だったのか、わかりません。


だけど、小さな一歩の存在で、1人でも命が救われるのであれば、1人でも多くの人の心の支えになるのであれば、
しのちゃんなら、きっと、「お母さんのすることだから、まちがいないよ」って思ってくれてるんじゃないかと思います。
しのちゃんならきっと応援してくれているんじゃないかと思います。

でも、自分のことより、まず人のことを心配する彼女のことだから、
お母さんが忙しくても辛くてもがんばりすぎている時には、体調を崩したりしないかとハラハラしているんじゃないかと思いますので、、
どうか、お体は大切になさって下さいね。私も応援します。


1月中には、しのちゃんに会いに行こうと思います。
最後に、しのちゃんの安らかなお眠りをお祈り申し上げます。」


お手紙の最後に、娘と一緒によくカラオケで歌った
ダニエルパウターの
「Bad Song ~ ついていない日の応援歌」
の歌詞が添えられていました。

お手紙に書かれていた「ママからもらった手紙」は8年目の成人式に
私が娘にあてて「育児日記最終章:20歳の育児日記」として贈ったものです。
 

娘が生前、励まし続けた友人が幸せな結婚生活を送られることを心からお祈りします。
「歩美の分も合わせて2人分の幸せを持っているんだから、きっと大丈夫だよ!自信を持って!」

友人の言うとおり、自分のことより人のことばかり心配する子だった。
きっと私のことも、今、心配しながら見守ってくれていると信じている。


でも、でも、その何分の1でもいいから、自分自身を愛して、励まして、自信を持って
生き続けていってほしかった。

2014年01月13日 14:34