広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

体験的知識というもの

 
  土曜日は全国自死遺族連絡会のフォーラムが東京であり、日帰りで参加してきました。

  セルフヘルプグループ(SHG)の権威者であるボーグマン博士の講演があり、
  SHGならではの存在価値、そこで語られる「体験的知識」の有用性について、講演されました。

  また、SHGについての国内の(国際的かもしれない、勉強不足ですいません)
  第一人者である上智大学の岡知史先生が
  「自死遺族「本人の会」の事例を用いた理論的考察」論文をもとに講義されました。

  同じ苦しみを持った人たちでも、「個人の体験」は、それぞれが独自の体験であって知識とは言わない。
  しかし、個人は、同じ体験や苦しみを持つ人が
  「上下関係なく」「自発的に」「自分たちが主役としてかかわる」
  SHGを通じて
  一般社会コミュニティでは語れない想いを「分かち合い」、「解き放ちに向かう」ことができる。

  そこで多くの体験が積み上げられたとき、それはグループとしての『知識』となり、『力』となる。

 
 その「体験的知識」は専門職(医師や専門カウンセラーではない)による支援グループでは作りえない、
 非常に貴重で尊重すべきものになる。

 (簡単に要約しようと思ったのですが、かえってむずかしくなりましたが(-_-メ)

 という論旨だったと「私は」理解しました。

 他にもとても励まされる講演内容で、いろいろな迷いがふっきれる想いがしました。

 また、SHGにも発展段階があり、
 はじまって初期のSHGは、経験や自信がないので、
 専門家の権威に頼りたがったり、
 外部支援グループのやり方をうのみにしがちである、

 つまり、「自分流が確立していない」。

 会が成長し、成熟するにつれて「体験的知識に自信が生まれ」、「さらに学ぶ姿勢を持つグループになる」とのこと。

 小さな一歩はまだ初期段階です。でも、これからメンバーの体験的知識を重ねていくことで成長する(未来もある)
 ということを知ったのは、私にとって励みと希望をになりました。
2013年09月09日 18:57

10月10日にNHK地方ニュースで取り上げられます


  夕方6時20分からの地方ニュース枠の中で4~5分だそうです。  

  昨日、このことを一度ブログに書いたのですが
  一度消してしまいました。

  というのは、テレビにどういう形で「小さな一歩」や私自身が取り上げられるのか
  不安があったので。。。。
  

  でも、どうこう迷っても、もう取材を受けてしまい、テレビで流れるのですから
  開き直るしかありません。

  迷っている間に、ある方から助言をいただき、
  とりあげてほしくないことや、してほしくない演出があれば
  勇気をもって事前によくお話をすることにしました。

  毎日、娘の遺影の前でお祈りをしますが
  今回も、娘の死についてたくさん話をしたし、写真なども提供しましたので
  「こんな風に、あなたのことを世の中の人の前にさらしてしまってごめんね」と
  娘に語りかけました。
  

  娘は天国でどう思っているだろうか。

  自分の死後、静かにひっそりと過ごしていればいいのに
  そうせずにいる、この母を許してくれるだろうか。   
  
2013年09月05日 19:32

沈黙の大切さ

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  玄関先のハイビスカスが
 今年も可憐なピンクの花を咲かせました。
 娘がアパートで育てていた苗を持ち帰ったときは
 10センチくらいだったのが
 1メートルくらいに育って、
 3年目の夏も元気に咲いてくれました。
 花もちゃんと育って元気だよ、見てる?
 と娘に声をかけました。

  昨日は、大阪府豊中市で行われたあゆみあいネット主催
 「自死について語る場を支えるための講座」
 に出席してきました。

 「分かち合い」のロールプレイを2時間ずつ、3回行いました。
 
  ファシリテーター役の講師の人は、「何でも話したいことを話してください」と言われた後、
 全く誘導をしません。自己紹介もありません。

 はじめは、沈黙の時間の長さにとまどいましたが、何度かやっているうちに、
 「これが本当の分かち合いだ」とわかってきました。

 自己紹介をしたり、順番に話したり、沈黙があると発言を促すようなことをしたりすると
 話し合いの場が活発になるのですが、場の流れに合わせて話題を選んだり、
 その場の空気に流されたり。

 結局は心の解き放ちになっていない。

 
 
 私も久しぶりに、1人の遺族として、いろいろなことを話しました。
 今まで話したことがなかった、奥底にある想いも湧き出てきて、
 帰りの新幹線でもしばらく、その想いが深く重く沈殿していました。

 今までの自分のやり方に反省、反省です。いい勉強になりました。

 でも、ファシリテーターにとって、「沈黙」は結構勇気がいります、なんでだろう。 
 
 
 
 

2013年08月26日 18:31

有名人の自殺報道

 
 
 昨日は帰宅が夜遅かったので、NHKニュースを見たときにもこの話題はなく、
全く知らずに、朝の民放ニュースを見て知った。
 
現場が延々と映され、目撃者のインタビューがあり、
その人が発見したときの、その方の身体の様子まで
ノーカットで、言葉のまま放映された。

そこで心臓が苦しくなってテレビを消した。
あのとき、自分の目の前にあったものが怒涛のようにフラッシュバックした。
半日経ったけど、今も頭から離れられない。

日本のメディアの有名人自殺に関する報道がWHOの国際規定を明らかに違反していること、
それをメディア関係者が知らないで、このような報道方法が
朝の8時から、どのチャンネルでも同時に、同じ内容で、競うようにされている。

番組に携わる人は、もし、自分の愛する人がたまたま「有名人」で、
「有名人」だから、という理由で、
尊厳を土足で踏みにじられるような扱いで日本中にばらまかれたらどう思うのだろう。

「有名人」の身内は、こんな暴露報道を「がまんしなくてはいけない」義務でもあるのだろうか。

[Yahoo!」にも書かれていたが、有名人だからこそ、「●●さんがビルから飛び降りてなくなりました」。。。これ以上の報道は一切不要だと思う。




2013年08月23日 14:34

会の名称を一部変更しました


「うつなど、心に病を持つ方と家族の会」の名称を「うつ症状がある方と家族の会」に変更しました。

これには、ある方からご指摘があり、

「自分はいま、自身のうつに向き合う生活をしていて、会に興味があるのですが
病院の診察や投薬を極力せず、このような分かち合いに参加して
自分自身で向き合っていきたいと思っていますが、この会は『医者の治療を受けている』というのが条件なのですか」

というものでした。

言葉の表現がちょっと違うだけで、このように思う方もいるのだ、とはっとさせられました。

もちろん、そのような窮屈な定義などありません。

ただ、こころに全く悩みがない方が軽い気持ちで「様子見」で来られるのを避けたい、という
想いで名づけたものです。

誤解を生んで申し訳なかった、と思いました。

2013年08月20日 18:35

自分には2つの目と2本の手しかない


先日の分かち合いにも多くの方が来られて、
先月のシンポジウムやテレビを観て初めて参加した方も複数いて、
とてもうれしかったのだけど、

せっかく来た方に、気持ちよく、「来てよかった」と少しでも思ってもらいたいと
思っていたのに
なんだか十分にできなかった後悔がある。

シンポジウムの時もそうだった。
せっかく多くの方に来てもらったのだから、「わざわざ来たかいがあった」と思えるものにしたかったのに
どうだったのだろう。
もちろん、話の内容は、人それぞれ感じ方も違うし、価値観も違うから
全員に同じように共感してもらえるなんて、そんな不遜なことを目指しているわけではない。
自分のパート話なんて、未熟なもんだ、とわかっている。

でも、そういうことではなく、

自分の目は前を向くために2つあるだけで、
自分の手を広げて把握できる幅は160センチくらいしかない。
複数の人が同じ時間に同じ場所でそれぞれの重荷を抱えて集っているその場で、
自分の後ろには目が行き届かないし、160センチの幅に余るものには手が届かない。

決められた時間の中で神経が行き届かない限界が、くやしいような、申し訳ないような気がする。

結局、人間である自分ができることは無力で限りがある、と。

自分の限界を認め、祈るしかない。
「ここに集う人々が、ほんの小さなものでも、1ミリでも、心に持ち帰ることができていますように」と。
それができるのは神様しかいなんだな、と改めて思った。
2013年08月18日 18:57

お友達ができました

-

今日の分かち合いでとてもうれしいプレゼントをもらいました。

亡くなったのが同年代の娘さんで、いきさつも同じ遺族の方が、
その方のお友達から娘さんに贈られたぬいぐるみのお人形。
お友達が私の娘にも同じようなお人形を作ってくださったとのこと。

お友達のように、よく似たお人形です。

仲良く寄り添っています。

メッセージには
「空の上で2人はどんな話をしているのかな、
寂しがりやさんの娘さんと仲良くしてね。
いつか2人と会って話ができる日を楽しみにしています」、
と、贈ってくださいました。

きっと、そのとおりになっているよね。
どんな話かな?
「お互い、母親を泣かせて、親不孝しちゃったね」って反省しているかな。
そうだ、そうだ反省しなさい(゚Д゚)ノ

辛かったことを告白しあっているかな?
「わかるよ、わかるよ」って泣きながら話をしているかな?
地上で親同士がそうしているように。

そして、仲良く私たちを見守っているのかな?

次に会うときは、2人とも、ちゃんと迎えに来るんだよ。
おしゃべりに夢中になって、忘れちゃだめだよ。


2013年08月17日 22:38

お墓詣りに行きました

私はクリスチャンなので
家庭内に「お盆」の習慣はありませんが
日本のお盆、ていいなと思います。

13日は娘が家に帰ってくる。2日間は家で過ごして、15日に今の居場所である天国に帰る。

そのように決まっていたら、準備を整えたり、いつもより高級なお菓子を用意したり、
夕飯に娘の好きなものを並べたり。
一緒に食べられるのですね。

キリスト教でこれに代わる行事というと
イースター(魂がよみがえる日)、それから11月第1日曜日には「合同慰霊式」があるけれど、「家に帰る日」と決まった日はありません。

家では、時々パズーが、何もないのに、ある方向を向いて急に吠えだすことがあり
そんなときに、ちょっと家に立ち寄ったのかな、なんて思っている。

今日は、週に1回、いつもしているように、
墓地のお花をかえてお墓に水をあげてきました。
いつもと違って、墓地がとてもにぎやかでした。

歩美はにぎやかなことが好きでした。お客さんが多いお盆の時期を
お祭りのようにわくわくしてみているかな。



2013年08月14日 14:00

PTSDという言葉


今日は広島原爆の日で、NHK広島では9時まで原爆死没者慰霊式・平和祈念式典を中継し、
9時5分から、あさイチに変わりました。

全国的には、もっと早い時間から「あさイチ」に切り替わっていたようで、
「親子で考える戦争」という特集の後半が始まっていました。

そこである親子のレポート。
原爆資料館本館の展示(特に入口近くの被爆者を模したマネキン人形)は
子どもが怖がるので見せないようにしている、あるいは十分な気持ちの配慮をしてから見せる、という2組の親の話。

その中で、出演者だったかコメンテーターが
「怖いものを見たことによる、子どものPTSDに配慮して。。。」という言葉が引っ掛かりました。

悲惨な被爆者の姿を見て衝撃を受けることを、心的外傷ストレス障害と考えるのでしょうか。
「そんなことになったらかわいそう」と思うのでしょうか。

私も子どものころ、この展示を見たこともあるし、原爆直後の被爆死体を米軍が撮影したフィルムを偶然見たこともある。
恐ろしく、おぞましいと思いました。すごくショックだった。
それは「原爆は恐ろしい」ということを脳のど真ん中から毛先までにたたきこむ経験でした。

小さなときから平和教育が必要、というが、
子どもに難しい大人の理屈は通用しません。ただ、原爆が怖い、ということを感じることはできる。
私はそれこそが平和教育の原点だと思うのですが。

広島では、高齢の被爆証人がいまも、被爆直後の凄惨な状況を語り継ぐために
がんばっています。
思い出したくないでしょう、辛い記憶を、心に鞭打って次世代に語り次ぐために克明に語られる。
それは、恐ろしい話です。
「子どもが怖い思いをしてPTSDになったらかわいそう」というなら
語りべさんの活動も意味がないものになってしまうのではないでしょうか。


「あさイチ」の放送中、視聴者からの
「原爆死没者慰霊式の中継を中断して、こんな生ぬるい内容をやることが
NHKの“良心”の底の浅さを表している」という投書が読まれていました。

その通り、だと思いました。
2013年08月06日 22:23

シータとパズー

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今日は今の家の契約をして3年目の記念日です。

3年前、娘の遺した子犬を「何としても飼ってやりたい」と心に決めたものの、当時住んでいたマンションはペット禁止。
猫(これも娘が中学生のときに拾ってきた子)をこっそり飼っていた。

犬ぎらいだった夫と大もめした結果、「じゃ、引っ越せばいいじゃないの!」と家探しをし、とにかく犬を早く迎え入れたい一心で、すぐ住める今の家にしました。

暑い夏だった。

引っ越しのために荷物を片づけながら、娘の写真や大切にしていた本、服などを1つ1つ整理し、箱に入れながら汗と涙が同じくらい流れた。

娘は2匹飼っていて、大好きなジプリの映画の中でも一番好きな「天空の城ラピュタ」の主人公、シータとパズーの名前をつけていた。
2匹飼いたかったけど、犬を飼ったことがないし、猫も2匹いるから、シータ(チワワ)は同じ犬種を飼っていて、チワワがほしい、と思っていた方がたまたま見つかり、お譲りした。

シータをお渡ししに行く前、お別れの前に「一緒のお散歩はこれが最後だよ」と、
シータとパズーをお散歩させた、炎天下の宇品海浜公園の風景を思い出す。

でも、いま、シータはご主人にとてもかわいがってもらい、写真館の看板犬として活躍している。
パズーは、私たち夫婦の子どもとしてかけがえのない存在になり、夫はすっかり「親ばか」の溺愛ぶり。

1年に1回、パズーのお誕生日に写真を撮りに行って、そこでシータと再会し、一緒にお散歩することもできる。

今日、たまたまでしょうか、「天空の城ラピュタ」がテレビで放映されます。

娘と一緒に見ようと思います。

元気で一生懸命でけなげなパズー。作品のパズーと同じ性格に成長したよ、歩美。



2013年08月02日 18:52