広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

当事者はやっかい者か


先週末の分かち合いに参加された学生さんからショックな話を聞きました。

その方は、思春期に身近な方のうつや自死に直面し、その経験を糧に精神保健福祉の道に進もうと、とてもがんばっているのです。

現在も能動的にいろいろな方の援助や自死遺族支援に参加したいと申し出をするのですが
全て、軽く却下されてしまうそうです。
その方の指導者も「当事者が精神保健福祉に携わることに反対」とはっきり言われるそうです。

なぜでしょうか。若いからでしょうか。
当事者が支援することは「視野狭窄で偏った、感情的な行動になりやすい」ということでしょうか。
先日のシンポジウムでは十分話しきれなかったのですが
当事者(自死遺族やうつを克服した人、自死未遂経験者など)が、
その経験を糧に、支援したいと思うことは、稀有なことではないと思うのですが、
門戸は開かれていません。

その方のように、「一から精神保健福祉の道を目指す」のであれば何のハンディもないはずなのに上のようにむしろ逆差別的な扱い、というのはあまりに悲しすぎます。

カウンセラーの仕事をしている自死遺族が、「家族を自死で亡くすような人がしていると知られると、クライアント側が拒否したり、クレームを言ってくることがあるから隠しておいた方がいい」と助言(?)された話を聞いたこともあります。

一方で、自死遺族は被害者意識や排他意識が強い、という声も聞く。

では、どうしたらいいのでしょうか。

怒り、というより悲しくなります。



2013年07月30日 19:56

科学的根拠に基づく自殺予防総合対策推進コンソーシアム準備会 第1回シンポジウム


科学的根拠に基づく自殺予防総合対策推進コンソーシアム準備会 第1回シンポジウム

昨日7月24日に東京で開催されたシンポジウムに参加してみました。

14:15-15:15 記念講演『WHOの自殺予防に向けての世界的な取組-日本への示唆-』
“WHO global efforts on suicide prevention – implications for Japan” 
●WHO Scientist  Dr. Alexandra Fleischmann

         座長:国立精神・神経医療研究センター総長 樋口輝彦

15:30-17:30 シンポジウム『自殺予防~若者の生きづらさを支援する~』
●川崎医科大学 精神科学教室          教授 青木省三

●筑波大学大学院 人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻
 社会精神保健学分野               教授 斎藤 環

●特定非営利法人BONDプロジェクト        代表 橘ジュン

実質3時間弱という時間の中で、学術研究に基づくスライドが大量に提供され、
話の内容が高度でスピードが速く、研究者向け。私はついていくのがアップアップでしたが、

要点として、「自死念慮」→「自死企図」→「自死未遂」といったように自死危険が
高まっていく“行動”そのものをフォーカスし、もっと科学的研究を進め、
対策を強化すべきだ、という主旨が一貫して語られていました。

先日のシンポジウムにあたって私が一番訴えたことがWHOによってグローバルに進められているということに、はげしく納得して帰ってきました。

「科学的根拠に基づく~」というと、無味乾燥で心がこもっていないような印象になるけど、
WHO⇒厚生労働省⇒地方自治体⇒市区町や民間団体 と、
川上から自死対策をおろしていくためには「科学的根拠」が必要なのかな。

それをもとに、市井のレベルでは、きめ細やかな個別対応ができればいいのですから。

それはそうと、青木氏、斉藤氏の事例発表の中で、
実際に、自死未遂をした若い人たちの中に、全く前触れもなく、救助後に心理的ショックもない
例がある、というのはショックでした。
このような若年層には「援助希求心理」を自覚までこぎつけるのがまず第一段階だとか。

私の理解力、表現力のとぼしい説明より、きちんと要約してくれているブログ(和光大学の方)
がありましたので
シンポジウム内容を正確に理解したい方にはコチラをおすすめします。

2013年07月25日 19:04

怒涛の1週間が終わりました

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先週は15日の広島テレビさんが自宅に取材で来られた日から始まった。

17日から「自死遺族の想いを伝えるパネル展」が始まり、

現場のお手伝いをしたり、取材のために待機していたりで、昼は事務局と会場を行ったり来たり。
夜は、事務局でシンポジウムで配布する資料を印刷し、名簿を整理し、スタッフの役割表を作る。

未成年殺人事件の報道や参議院選挙前で、取材はないかな、思っていた広島テレビさんが
19日には約束通り会場に取材で来てくれました。

19日の18時25分から地方ニュースの枠内でとても丁寧に5分の番組に仕上げてくれていて、感動しつつ、「え、これ、自分(@_@)」となんだか驚いたな~。

一緒に見ていた 基調講演講師の田中幸子さんも、「いいね、すごく誠意があるし、まじめにとりあげてくれている。こういうものは、記者の良心がでるのよ」と絶賛。

その後、田中さんや他の関係者と「前夜祭」(?)

20日はいよいよ、本番。講演の内容もそうですが、裏方の準備や受付、会場の管理など、
事務的なことで粗相があっても、来てくれた方に失礼と、緊張します。

そんなこんなで、あっという間に本番。始まってみたらあっという間でした。

前日のテレビの効果もあり、シンポジウムにもパネル展にも多くの方が来てくださいました。

打ち上げ会もにぎやかに終了。11時ごろ帰宅。

日曜日の朝は、支援してくださった広島教会にお礼を兼ねて礼拝に行き、

その後、誘われていた「うつと躁うつ病を考えるフォーラム」(NHK厚生文化財団主催)を見に行く。

夕方、東京から来てくれた娘と彼氏を広島で見送る。


怒涛のような1週間でした。

普通なら新聞やテレビに一生出ないような一般市民。とてもよい経験をしました。

準備を初めてから3か月間、

多くの人との新たな出会い、応援、再会もあり、感謝、感謝、感謝です。


でも、改めて思ったな。

「少数でも、ゆっくり向き合うのがが自分らしいな」って。

パネル展で娘の写真をずっと眺めている方がいたので声をかけたら、その方も心に辛いものをもっている方で、「声をかけてくれてありがとう、ありがとう」と涙を流されました。私も泣きました。(写真の後ろ姿は記事とは別人です)

九州から来られていた方にあいさつをしたら、「いつもブログを見ていますよ!」と言っていただきました。

時々、というか結構ひんぱんに、自分が考えていること、やろうとしていることが、とてつもない「空振り」なのでは、と思うことがある。

でも、こういう出会いがあると、よかったな~(#^.^#) って強く思って元気が出る。

そういう出会いを地道に続けていきたい。
2013年07月22日 20:21

取材は中止かな


連日、新しい事実が明らかになる「呉の死体遺棄事件」。

今日予定されていた取材は「明日に」との連絡がありましたが

この様子では明日もキャンセルかな。

それはそうと、不可解な少年少女の行動が明らかになるにつれ深い心の闇を感じます。

「少女が以前から精神的に不安定で、急に凶暴な行動を起こすことがあった」という報道があったり。。。。

スキャンダラスな報道でなく、本当に心の中に病があるのだとしたら慎重に取り上げてほしいと思います。





2013年07月18日 13:14

広島テレビの取材を受けました

先日、広島テレビの人が家に取材に来られました。

17日から始まる「自死遺族の想いを伝えるパネル展」に出展した広島の遺族として
出展した気持ちや娘の自死のこと、「小さな一歩」の活動についてなど、
2時間近くカメラの前でお話をしました。

娘の写真や祭壇などもたくさんカメラに収めて帰られました。

放映は18日の5時45分くらいから始まる地方のニュース枠の中の4~5分だそうです。

それにしても、4~5分の「パネル展」ニュースのうちの一部
(おそらく1~2分くらい)のために、こんなに長い取材をするのだな~
どう編集するんだろう、テレビ局の人もたいへんだな~

など、客観的におどろいてしまいました。

緊急報道などがあれば、放映されないかもしれませんが。
一応、録画しておこうかな。
2013年07月16日 08:48

支援者であることのむずかしさ


先日、友人が心の調子が急に悪くなり、立ち上がることもできない状態になりました。

SOSの電話がかかってきます。

心配でいてもたってもいられず、何回か家に行き、
食料や飲料を補給し、身体をさすったり、話を聞いたりしました。

その間、仕事の約束や他の予約をキャンセルせざるをえません。

友人は、もともと心の調子をくずす原因となっていた事柄が
偶然解決したので回復したようです。


自死防止のためには周囲の人間が「気づくこと」「見守ること」が大切。

でも、本気で見守り、支援しようと決心したら、
それによって自分自身の生活に影響がおよぶ覚悟がいるんだな。

私には「同じような危機のとき、万難を排してかけつけていたら、
自分の生活より、何より優先してそれをしていたら、
娘も助かっていたかもしれない」という思いがこのような時によぎるので
ためらいはありませんでした。
だって「あのとき、小さな自分のスケジュールにこだわってさえいなかったら」と
後悔することだけは二度としたくないと思っているから。

でも、これは経験した人間にしかわからないかもしれない。

「見守る」って、言葉どおり“見守って”いるだけじゃだめなんだよ。


2013年07月09日 19:40

いろいろな「つながり」を実感します

先日、「けいじばんに誰かこないかな」と書いたら訪問者があり、
こういう形でもつながりがあること、じんわりとうれしく感じました。

土曜日には東京に行き、全国自死遺族連絡会の交流会で他県の分かち合い運営者の方とお話をしました。
田中さんのお話も聞けました。
必ずしも同じ意見ばかりではありませんが、違った見方、自分の考え違いなども意見を戦わせることで、自分の独りよがりを反省することもあり、
こういう同士の方とつながることも大事だな、と改めて思います。

東京の帰路、日曜日には今度のシンポジウムでゲストスピーカーとしてお話をしてくださる方と神戸で打ち合わせ。
打ち合わせ、といっても、それぞれの想いを語りながら3時間もいろいろな話になりました。

色々な方といろいろな形のつながりを実感した週末でした。

今日はシンポジウムの下見で広島県民文化センターに音楽療法士の久保さんと一緒に行き、久保さんの歌をちらっと聞かせてもらいましたが、胸にこみあげるものがあり、泣きそうでした。

多くの言葉で語るより、音楽は人の胸を打つことがある。。。ぜひ多くの方に聞いてもらいたいと思います。

2013年07月01日 18:36

泣いた赤鬼のお話

子どものとき「ないたあかおに」の話が好きでした。

でも、子ども心に悲しすぎるお話でした。

心が優しい鬼が、人間とやさしくなりたいと、茶屋をはじめ、「おいしいお茶とお菓子があります」と看板を一生懸命作ります。
いつ来るか、いつ来るかと心待ちにしているのになかなか来てくれない。
やっと恐る恐る覗いた村人も、鬼の姿を見て逃げ帰ってしまう。。。
落胆し、やけになった赤鬼に、青鬼が狂言芝居の演技をして、人間の赤鬼に対する誤解を解いてくれ、人間と仲良しになる。
しかしその芝居の際に、青鬼にけがをさせてしまった赤鬼が気になって訪れてみると
青鬼は旅に出てしまっていた。
「自分がいると、せっかく人間と友達になれたのに、また疑いの目で見られるかもしれないから」
と黙って去っていったのです。

最後に『きみのともだち、あおおに』と結んだ手紙。

これ以上せつなく、美しいお話があるでしょうか。

小さな一歩の活動をしていると、
ときどき、あかおにさんの気持ちがとてもわかるときがある。

看板を立てて、お茶やお菓子を用意して、なかなかお客さんがこないと
「看板が地味なのだろうか」「自分が何かまずいことをしたのだろうか」
と、悶々としながら待ち続けていることがある。


掲示板を作ってみました。

だれか、来てくれないかな、なんて思っています。
2013年06月26日 18:38

花に囲まれて

ひまわり

21日は2度目の命日、22日は5月5日に亡くなった父と一緒に教会で慰霊式をしました。
慰霊式では、家族が元気だった、20余年にわたる集合写真をスライドにして、集まった家族で見ました。

「ああ、この中で2人がもういないんだね」。。姉がつぶやいた。

自死で子どもを亡くすというのは、グリーフサポートの専門書にも「最も強い悲嘆」とある。

確かに、2年たった今でも、哀しみがいつも隣り合わせにある。
いまも、娘が最後に住んでいた場所には行く勇気がわかない。
同じ方面に用事で行かなくてはいけないとわかると
近づくにつれて、鼓動が激しくなり、口の中が乾き、ハンドルをぎゅっと握ってしまい、
いやだいやだ、と頭の中で声がこだまする。
娘のことを思い出させるシーンや物事に会うと、泣かないようにしっかりと足を踏みしめる自分がいる。

では、それ以外の喪失はこれに比べて軽いのでしょうか。比較があるのでしょうか。
父は生涯をまっとうして87歳まで生き、長患いをせず逝ったけど、
そういう理屈ではなく、別れは悲しい。命がなくなることは、単純に悲しい。


命日の前日に、広島女学院大学にシンポジウムの広報のご協力にお伺いし、
長尾学長に快くうけていただいた後に、
昼の礼拝が始まるところだったので参加しました。
23日の沖縄戦終結の日を前に、沖縄への慰霊式が行われていました。
民族楽器の三線の伴奏で歌う「いつくしみ深い」。娘の臨終の枕元で歌った同じ讃美歌です。

これも何かの偶然の出会いでしょうか。

私たちは、自死遺族の悲嘆が、経験したことのない人に理解されないと訴えるが
では、
沖縄の遺族、広島や長崎原爆の遺族、神戸や東日本の震災や災害の遺族、事故死の遺族。。。。。
私たちは、お気の毒だ、悲劇だと思うが
遺族の方々の気持ちはとてもではないが、理解しきれていないと思う。
自死遺族の気持ちが、当事者以外の人間に理解しにくいように。

「わかる」ことは、できないのです。

ただ、「わからないから無理」とは言わない。
「ごめん、正直、きっと同じようにわかることはできない私だけど、よりそっていていいかな?」
これくらいしか、役に立たない、と思う。

自死遺族も含め、お互いがそうであってほしいと思う。



2013年06月24日 17:54

不思議な、そして運命的な再開があった

先日の「自死遺族の希望の会」では驚くべき再会がありました。

娘がビルから飛び降り、総合病院のICUに運ばれたのが、2年前の6月15日。
手術後、助かる可能性は数%もない、と宣告され、
絶望の底で、待合室に張られている「脳死臓器移植」のポスターが目につきました。
娘の命は途絶えても、せめて臓器だけでも他人様の体の一部となって
生き続けられるなら。。。。

何かすがるような思いでした。

面会した「移植コーディネーター」の方は、冷静に丁寧に
脳死臓器移植のデメリットも説明されました。
それは、主には、臓器摘出のために、脳死後も献体として身体を維持していくことによる
身体の変化、ということでした。

家族で意見が分かれ、結論が出ないまま、娘は脳死から心停止まで1日と
わずかだったため、結局、移植を承諾していても間に合いませんでした。

結果、角膜移植だけはさせていただきました。
それだけでも、いま、娘の目が誰かに光を与えている、と思えます。

その時の「移植コーディネーター」が、前回から分かち合いに参加している遺族だったことを
話しあっているうちに知りました。

2年前、ていねいな説明の後に「私も自死遺族なんですよ」と最後に言われたときの
顔がよみがえりました。

なんと不思議な再会でしょう、しかも、運命の日に!

これも何かの啓示なのでは、と思えたほどでした。

2013年06月17日 16:17