PTSDという言葉
今日は広島原爆の日で、NHK広島では9時まで原爆死没者慰霊式・平和祈念式典を中継し、
9時5分から、あさイチに変わりました。
全国的には、もっと早い時間から「あさイチ」に切り替わっていたようで、
「親子で考える戦争」という特集の後半が始まっていました。
そこである親子のレポート。
原爆資料館本館の展示(特に入口近くの被爆者を模したマネキン人形)は
子どもが怖がるので見せないようにしている、あるいは十分な気持ちの配慮をしてから見せる、という2組の親の話。
その中で、出演者だったかコメンテーターが
「怖いものを見たことによる、子どものPTSDに配慮して。。。」という言葉が引っ掛かりました。
悲惨な被爆者の姿を見て衝撃を受けることを、心的外傷ストレス障害と考えるのでしょうか。
「そんなことになったらかわいそう」と思うのでしょうか。
私も子どものころ、この展示を見たこともあるし、原爆直後の被爆死体を米軍が撮影したフィルムを偶然見たこともある。
恐ろしく、おぞましいと思いました。すごくショックだった。
それは「原爆は恐ろしい」ということを脳のど真ん中から毛先までにたたきこむ経験でした。
小さなときから平和教育が必要、というが、
子どもに難しい大人の理屈は通用しません。ただ、原爆が怖い、ということを感じることはできる。
私はそれこそが平和教育の原点だと思うのですが。
広島では、高齢の被爆証人がいまも、被爆直後の凄惨な状況を語り継ぐために
がんばっています。
思い出したくないでしょう、辛い記憶を、心に鞭打って次世代に語り次ぐために克明に語られる。
それは、恐ろしい話です。
「子どもが怖い思いをしてPTSDになったらかわいそう」というなら
語りべさんの活動も意味がないものになってしまうのではないでしょうか。
「あさイチ」の放送中、視聴者からの
「原爆死没者慰霊式の中継を中断して、こんな生ぬるい内容をやることが
NHKの“良心”の底の浅さを表している」という投書が読まれていました。
その通り、だと思いました。
2013年08月06日 22:23