広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

花に囲まれて

ひまわり

21日は2度目の命日、22日は5月5日に亡くなった父と一緒に教会で慰霊式をしました。
慰霊式では、家族が元気だった、20余年にわたる集合写真をスライドにして、集まった家族で見ました。

「ああ、この中で2人がもういないんだね」。。姉がつぶやいた。

自死で子どもを亡くすというのは、グリーフサポートの専門書にも「最も強い悲嘆」とある。

確かに、2年たった今でも、哀しみがいつも隣り合わせにある。
いまも、娘が最後に住んでいた場所には行く勇気がわかない。
同じ方面に用事で行かなくてはいけないとわかると
近づくにつれて、鼓動が激しくなり、口の中が乾き、ハンドルをぎゅっと握ってしまい、
いやだいやだ、と頭の中で声がこだまする。
娘のことを思い出させるシーンや物事に会うと、泣かないようにしっかりと足を踏みしめる自分がいる。

では、それ以外の喪失はこれに比べて軽いのでしょうか。比較があるのでしょうか。
父は生涯をまっとうして87歳まで生き、長患いをせず逝ったけど、
そういう理屈ではなく、別れは悲しい。命がなくなることは、単純に悲しい。


命日の前日に、広島女学院大学にシンポジウムの広報のご協力にお伺いし、
長尾学長に快くうけていただいた後に、
昼の礼拝が始まるところだったので参加しました。
23日の沖縄戦終結の日を前に、沖縄への慰霊式が行われていました。
民族楽器の三線の伴奏で歌う「いつくしみ深い」。娘の臨終の枕元で歌った同じ讃美歌です。

これも何かの偶然の出会いでしょうか。

私たちは、自死遺族の悲嘆が、経験したことのない人に理解されないと訴えるが
では、
沖縄の遺族、広島や長崎原爆の遺族、神戸や東日本の震災や災害の遺族、事故死の遺族。。。。。
私たちは、お気の毒だ、悲劇だと思うが
遺族の方々の気持ちはとてもではないが、理解しきれていないと思う。
自死遺族の気持ちが、当事者以外の人間に理解しにくいように。

「わかる」ことは、できないのです。

ただ、「わからないから無理」とは言わない。
「ごめん、正直、きっと同じようにわかることはできない私だけど、よりそっていていいかな?」
これくらいしか、役に立たない、と思う。

自死遺族も含め、お互いがそうであってほしいと思う。



2013年06月24日 17:54

不思議な、そして運命的な再開があった

先日の「自死遺族の希望の会」では驚くべき再会がありました。

娘がビルから飛び降り、総合病院のICUに運ばれたのが、2年前の6月15日。
手術後、助かる可能性は数%もない、と宣告され、
絶望の底で、待合室に張られている「脳死臓器移植」のポスターが目につきました。
娘の命は途絶えても、せめて臓器だけでも他人様の体の一部となって
生き続けられるなら。。。。

何かすがるような思いでした。

面会した「移植コーディネーター」の方は、冷静に丁寧に
脳死臓器移植のデメリットも説明されました。
それは、主には、臓器摘出のために、脳死後も献体として身体を維持していくことによる
身体の変化、ということでした。

家族で意見が分かれ、結論が出ないまま、娘は脳死から心停止まで1日と
わずかだったため、結局、移植を承諾していても間に合いませんでした。

結果、角膜移植だけはさせていただきました。
それだけでも、いま、娘の目が誰かに光を与えている、と思えます。

その時の「移植コーディネーター」が、前回から分かち合いに参加している遺族だったことを
話しあっているうちに知りました。

2年前、ていねいな説明の後に「私も自死遺族なんですよ」と最後に言われたときの
顔がよみがえりました。

なんと不思議な再会でしょう、しかも、運命の日に!

これも何かの啓示なのでは、と思えたほどでした。

2013年06月17日 16:17

動くとわかる温度差


シンポジウムのチラシ3,000枚、ポスター100枚の印刷が火曜日に出そろい、
事前にお願いしていたところも含め、昨日と今日は発送とお届けに奔走しました。
暑かったので汗だくになりました。

チラシは2,700枚以上が行先が決まりました。多少増刷することになるかな?
どれだけその中から自死の問題に関心をもって来てくれるのかな~
まあ、初めてですから、これもいい経験と、断られても気にせずにいくつもり。

この中から実際に来場する人はわずかかもしれせんが、
「小さな一歩」の周知につながることは間違いない、うんうんと自分と対話しつつ。

「自死」がテーマなので、軽いノリで誘えるものではありません。
私も慎重に声掛けをします。
その中で、力になってくれると思っていた人から「はしごをはずされる」感じの対応を受けることも
一方で
メールではそっけない返事だったのに、持参したら、期待以上に受け入れてくれる人もあり、
こちらも中途半端な気持ちでないだけに、人の本質がわかるわ~。

先日フェイスブックで

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

... 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく助け続けなさい  


マザー・テレサ


という文章を見て、「助ける」などはおこがましくて言えないけど、

見返りを期待してはいけないんだね、ととても感銘しました。

「きっと最後は神様がよき道に導いて下さる」

2013年06月06日 20:35

ロータリークラブで講演をしました


仕事の関係で古くからご縁がある社会保険労務士の佐藤さんから紹介していただき、広島西南ロータリークラブで
講演の機会をいただくことができました。
50人弱の方の前で30分、お話をしました。
普段の生活やお仕事の中では自死とは縁がない方々。どんな反応か、不安がありましたが、
みなさん真剣なお顔で聞いてくださり、とてもうれしく思いました。

「『自殺』というと、多くの方は「お気の毒に」と言われる。
その一面で『自分には関係がない』と思っている。
私たち自死遺族が過去はそうだった。
でも、今、自殺は特殊な環境や事情がない人にもふつうに訪れる危機。
ちょっとしたつまづきから入り込んでしまった小さな心の穴がどんどん深くおおきくなって、
気がついたときには出口が見つからなくなり、
精神的に孤立して死を選ぶ自殺も特に若い人に多くなってきました。
つまり、自殺は、誰の近くにも忍び寄り、いきなり暗黒に陥られる、そのようなものです」

と語ってきました。(わかりやすいように「自殺」という言葉を選びました)

シンポジウムへの来場を強くお願いしてきました。

講演原稿全文
 
2013年05月28日 18:50

広島で「自死遺族の想いを伝えるパネル展」が行われます

 

7月17日~20日に広島市中心部で

 「自死遺族の想いを伝えるパネル展」(働く者のメンタルヘルス相談室主催)
 が開催されます。

 <会場>広島県民文化センター 展示室 (広島市中区大手町1丁目5-3)
         会場アクセス
         
 
 これは、自死された方の写真や遺品、人生の履歴などを写真などで紹介する催し。

 2007年に始まり、予定も含めてすでに37回、全国で開催されてきました。

 写真やボードを通じて、自死遺族の想い、社会的に追い込まれた死の無念さを訴えてきました。

 案内チラシ

 全国各地での過去のパネル展

 「小さな一歩」ネットワークひろしま もできる限りの参加をするつもりです。

 米山は個人的に亡娘のパネルを展示してもらう予定です。

 また、会場で「小さな一歩」ネットワークひろしま のPRパンフレットを配布し、

 活動について来場者の方にPRするつもりです。

 それ以上のことができるか、(例えば同時開催という形でシンポジウムを開くとか)は
 
 現在水面下で計画進行中。(遅すぎるか!!)

 近日、正式発表する予定です。
2013年05月13日 20:20

最期に父らしい姿が見られた

 
 昨日5月5日21時、父が永眠しました。

 敗血症で入院していた父は 
 1週間前から腎臓の動脈硬化によって尿が排出できなくなり、尿毒症で余命1週間と宣告。
 ゴールデンウィーク中に2度、静岡と広島を往復しましたが、
 5月3日、「1日を争う状態」と言われてかけつけた時、奇跡的に一時的に尿毒症が解消し、
 譫妄がなくなり、言葉は発しないものの、呼びかけにしっかりとした目線で返すことが
 できるようになっていました。

 奇跡的回復に望みをかけて家に帰った次の日に訃報がとどきました。

 入院してから半月。最後まで生きるために努力し、

 妻や子ども3人の声を聞き届け、それぞれが自宅に帰った後の夜、誰の手も煩わせず
 1人で逝きました。

 やはり、父らしく最期を迎えたと思います。

 監査役を長く勤め、「経営監査のアカウンタビリティ」という本を書いていた父は、
 この本の英訳を英会話教室の講師の先生を通じて進めていました。

 私が聞けた最期の言葉は「本の英訳原稿はあれでよい」と言ったように聞こえました。

 父は最後まで、家族を気遣う父であり、経営監査役の仕事を全うしました。

 


 
2013年05月06日 17:10

生きざまを貫くことのむずかしさ

 
 87歳の父が病と闘っています。

 サラリーマンとして定年後も1社に40年以上勤めた後、クリスチャンである父は国際ボランティア団体の代表として、
86歳まで理事長を務めました。

 昨年、一切の責任職を辞し、引き継ぎを行った後、ほどなく、転倒して足が不自由に。
 その後内臓機能も低下し、体に色々な器具や管をつけながら、歩行練習をする毎日でした。

 つい先日、再び転倒して今はベッドから出られない状態。血液にばい菌が入る敗血症も同時に発症し、
闘病を始めてから、譫妄(妄想)がひどくなりました。
 症状が重いときには、大声で独り言を言うこともあるようです。
 時には、譫妄状態から長年仲良く連れ添ってきた母を恫喝したり、居丈高に叫んだりするそうです。
 それでいて、母がいないと、いつも母を呼んでいるそうです。

 半同居の生活で、老親を支えてきた姉は、当初、体調が回復したらリハビリ病院へ転院し、
その後自宅で介護することを考えていましたが、
 譫妄が改善しない限り、リハビリ病院での受け入れは拒否され、
母への攻撃的な態度を見て、自宅介護を断念。老人病院への転院を決めました。

 「自分の思うように生の道を歩めても、自分の思うような幕引きはできない」。

 「珍しいことではない」と言えば一言でしょうが、現役時代の、温厚かつ怜悧な父の、人生の最終ステージを
目の当たりにしていると、つくづく「長く生きることの意味」を考えさせられます。

先日、90歳で亡くなった三国廉太郎さんは、「最後まで俳優を貫いた」と聞きましたが、
人生のゴールまで生きざまを貫くこと、なんと難しいのでしょう。


2013年04月26日 16:48

第2回の「自死遺族の希望の会」

今回は11人の遺族の参加があり、スタッフの遺族も含めて14人での分かち合いになりました。

まだ慣れていないので、開始前はどきどきとくよくよ、おろおろが混在した気持ちなのですが、始まると変なアドレナリンが分泌されるのか、元気になります。

前回は、他県からのファシリテーター応援もあったので亡くなった方との関係別にグループ分けしましたが、あえて、異なる履歴、苦しみ、関係の方と分かち合うことも必要かなと思ったので、今回は、全員で囲みました。

私自身は、全員の方の顔とお気持ちに接することができるのでいいのですが、やはり「話したりなかった」という思いの方もどうしても出てきてしまいます。。。。

むずかしいな、どっちがいいのかな、と反省と自問自答。。。(-_-;)

詳細は「開催予定、新情報、報告など」のページに掲載しました。
2013年04月22日 18:41

姉を亡くした次女は、「死」について卒論を書いた

大学3年のときに突然の姉の自死。娘しか書けないテーマであり、娘は他のテーマでは書けなかったと思う。

<都市社会が生み出した死への閉ざされた目>
表象文化論的アプローチ


第八章 終わりに
 
 私は決して、自殺や尊厳死や安楽死に賛成というわけではない。自死遺族としての苦しみを知っているから、むしろ反対派といっていいかもしれない。
しかし、遺族が生きていくことが難しいほど死への差別が存在している社会は否定するべきではないか。
確かに生物である以上、長く生き、健康で、穏やかに死んでいきたいと願うのは当たり前のことだ。しかし誰もが順風満帆に生きて静かに死ぬことなどできない。人間関係が希薄で、かつ凝縮した二面的社会では、生きていればつらく苦しいことが多い。そしてそれを正面から受け止めて生きる人は少ない。
死ぬことはつらいことだ。それは生きている人間しか知らない。なぜなら死んだ後のことは誰にも知り得ないからだ。私たちは想像するだけである。死んだら極楽、天国かもしれない。反対に地獄かもしれない。人によって違うかも知れない。先立たれた人に会えるかもしれない。真っ暗闇かもしれない。ただ一つわかるのは、死んだ人には会えなくなるということだ。
この世でなにもできなくなるということだ。我々はそれを恐れる。我々は常に未来を知りたい。自らが行く道がどのようになっているか、不安なのだ。先の見えないゴールに向かって走ることほど不安でつらいことなどないのだ。その究極が「死」であると思う。「死」を知る人はいない。この世でいろいろな経験をしている人はいるが、死んだ人はいない。
世界的宗教の神は一度死ぬ。この世で誰も成し遂げたことのない超人間的存在として君臨するために。
死に対する現代社会の問題の根本は個人個人の中にあるのではなく、社会全体がそういった風潮であることだと思う。
私は自死遺族になるまで自死に対して悪いイメージしか持ってなかった。これはおそらく多くの人が同じであろう。
すべてを社会のせいにするわけではない。しかし現実に死への差別は存在する。
われわれは、自らの小ささを知り、謙虚に生きていくべきではないだろうか。

最後に、こんな論文でもちゃんと見てくださり指導してくださった教授、相談に乗ってくれた母、父、親族、そして自らの心の過ちに気付かせてくれた姉に、感謝の意を込めて。
同時に、本論文をスタートとして、自殺防止と自死遺族支援、精神障害を持つ方たちへの支援を自分の人生をかけて行なっていきたいと思う。
本論文は卒業のための一論文ではない。私の心の中を整理するものであり、私の人生をかけた活動のはじまりである。

 
「クオリティに全く自信なし」(本人の弁)だそうですが、

全文はPDF版
2013年04月15日 10:53

自死未遂者に対する救急対応の改善、と言うけれど

 先日発表された政府の「自殺総合対策大綱改正案」には、「自殺未遂者に対する救急対応の改善」が盛り込まれました。
「救命救急センター等に精神保健医療従事者等を配置するなどして、必要に応じて精神科医による診療や精神保健医療従事者によるケアが受けられる救急医療体制の整備を図る」と書かれています。
これが本当に実現するのであれば、最近急増している若年女性自死者のうち、67%が未遂経験者である、という実態(ライフリンク調査)の改善につながると思います。
そんな折、埼玉県でまた(!)起きた、救急搬送患者の受け入れ拒否問題についてのNHKのニュースレポートがありました。

詳細は
http://news.nicovideo.jp/watch/nw563900
手が足りない、救急専門医以外の医師が対応しなくてはいけない、何かあって責任を追及されて医療訴訟にでもなるくらいなら、受け入れを拒否する・・・おそらく埼玉県以外でも同じような内情があるのでしょう。
ニュースのインタビューに答えた、当事者である医師は「まじめに不眠不休で対応しようとする医師ほど、訴訟にまきこまれる。一度でも訴訟があったら医師免許がはく奪される。僕らだって生活がかかっている。そう思うと、リスクを避けてしまう」。
世の中に蔓延する「クレーム体質」がこんなところでも、救える命を見捨てる結果になっているとしたら、そんな救急現場で、自死未遂者に対する細やかな対応など、本当に期待できるのでしょうか。
娘は自死の前日、睡眠薬を大量に飲み、精神科にもカルテがある総合病院に救急搬送されましたが、「血液検査では緊急を要する身体ではないので」と言われ、その夜のうちに半強制的に自宅に帰されました。
何の指導もなく、カルテがあるその病院の精神科医師への連絡もありませんでした。
死後、カルテ開示を求め、「なぜ希死念慮があるとわかっている患者を入院させて次の日、精神科の診察をさせてくれなかったのですか」と聞いた私に、救急医が手が取れなかったので当夜診察した病院の内科医は、当然、とばかりに言いました。
「わずかでも意識反応が見られたので、こん睡状態ではないと判断しました。
夜間救急は手一杯です。『自殺するかもしれない、そんな危ない患者』を一晩見張っておくような人手などとれない」。
政府が本気で自死未遂者への診療体制を改善するなら、若い医師がこんなことを言うような救命救急のあり方からまず変えていただきたい。
さらに、世の中全体にある「人のあらさがしをして、追いつめる」いじめの風潮。
これが、精神的に人を追いつめ、自死の原因につながるだけでなく、命の際にある救急現場でも、助かる命を見捨てている。。。。いったい、どこから変えていくべきなのか、と暗澹たる気持ちになります。
2013年04月03日 19:07