生きざまを貫くことのむずかしさ
87歳の父が病と闘っています。
サラリーマンとして定年後も1社に40年以上勤めた後、クリスチャンである父は国際ボランティア団体の代表として、
86歳まで理事長を務めました。
昨年、一切の責任職を辞し、引き継ぎを行った後、ほどなく、転倒して足が不自由に。
その後内臓機能も低下し、体に色々な器具や管をつけながら、歩行練習をする毎日でした。
つい先日、再び転倒して今はベッドから出られない状態。血液にばい菌が入る敗血症も同時に発症し、
闘病を始めてから、譫妄(妄想)がひどくなりました。
症状が重いときには、大声で独り言を言うこともあるようです。
時には、譫妄状態から長年仲良く連れ添ってきた母を恫喝したり、居丈高に叫んだりするそうです。
それでいて、母がいないと、いつも母を呼んでいるそうです。
半同居の生活で、老親を支えてきた姉は、当初、体調が回復したらリハビリ病院へ転院し、
その後自宅で介護することを考えていましたが、
譫妄が改善しない限り、リハビリ病院での受け入れは拒否され、
母への攻撃的な態度を見て、自宅介護を断念。老人病院への転院を決めました。
「自分の思うように生の道を歩めても、自分の思うような幕引きはできない」。
「珍しいことではない」と言えば一言でしょうが、現役時代の、温厚かつ怜悧な父の、人生の最終ステージを
目の当たりにしていると、つくづく「長く生きることの意味」を考えさせられます。
先日、90歳で亡くなった三国廉太郎さんは、「最後まで俳優を貫いた」と聞きましたが、
人生のゴールまで生きざまを貫くこと、なんと難しいのでしょう。
2013年04月26日 16:48