支援者であることのむずかしさ
先日、友人が心の調子が急に悪くなり、立ち上がることもできない状態になりました。
SOSの電話がかかってきます。
心配でいてもたってもいられず、何回か家に行き、
食料や飲料を補給し、身体をさすったり、話を聞いたりしました。
その間、仕事の約束や他の予約をキャンセルせざるをえません。
友人は、もともと心の調子をくずす原因となっていた事柄が
偶然解決したので回復したようです。
自死防止のためには周囲の人間が「気づくこと」「見守ること」が大切。
でも、本気で見守り、支援しようと決心したら、
それによって自分自身の生活に影響がおよぶ覚悟がいるんだな。
私には「同じような危機のとき、万難を排してかけつけていたら、
自分の生活より、何より優先してそれをしていたら、
娘も助かっていたかもしれない」という思いがこのような時によぎるので
ためらいはありませんでした。
だって「あのとき、小さな自分のスケジュールにこだわってさえいなかったら」と
後悔することだけは二度としたくないと思っているから。
でも、これは経験した人間にしかわからないかもしれない。
「見守る」って、言葉どおり“見守って”いるだけじゃだめなんだよ。
2013年07月09日 19:40