沈黙の大切さ
玄関先のハイビスカスが
今年も可憐なピンクの花を咲かせました。
娘がアパートで育てていた苗を持ち帰ったときは
10センチくらいだったのが
1メートルくらいに育って、
3年目の夏も元気に咲いてくれました。
花もちゃんと育って元気だよ、見てる?
と娘に声をかけました。
昨日は、大阪府豊中市で行われたあゆみあいネット主催
「自死について語る場を支えるための講座」
に出席してきました。
「分かち合い」のロールプレイを2時間ずつ、3回行いました。
ファシリテーター役の講師の人は、「何でも話したいことを話してください」と言われた後、
全く誘導をしません。自己紹介もありません。
はじめは、沈黙の時間の長さにとまどいましたが、何度かやっているうちに、
「これが本当の分かち合いだ」とわかってきました。
自己紹介をしたり、順番に話したり、沈黙があると発言を促すようなことをしたりすると
話し合いの場が活発になるのですが、場の流れに合わせて話題を選んだり、
その場の空気に流されたり。
結局は心の解き放ちになっていない。
私も久しぶりに、1人の遺族として、いろいろなことを話しました。
今まで話したことがなかった、奥底にある想いも湧き出てきて、
帰りの新幹線でもしばらく、その想いが深く重く沈殿していました。
今までの自分のやり方に反省、反省です。いい勉強になりました。
でも、ファシリテーターにとって、「沈黙」は結構勇気がいります、なんでだろう。