広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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分かち合いにおける「支援者」の立場?

先日、自死遺児支援のセミナーで講習を受けてきました。

1年間「分かち合い」を続けてみて、
自死遺族(大人)に対するグリーフケアも大事だけど、
自死遺児に対するグリーフケアは違った意味でもっと重要だと常々思ってきたからです。

批判覚悟ですが、
例えば私は50代で子どもを失って、
自分の中に今もあるのは自責感と、哀しみと寂しさ、喪失感。

でも、そこから自分のために喪失感から立ち直り、人生を再構築しようという気持ちは薄い。
「娘の分も幸せになろう」という意欲はほぼ皆無に近い。
人生の軌道修正はできないし、無理にしようとも思わない。
「あのときは辛かったけど、それを乗り越えたから今の自分は成長した」とは死ぬまで思わないと思う。

でも、若い時、特に子どもは、これから人生を築いていかなくてはいけない。

自死や災害や事件、事故などで突然大事な保護者を亡くした後も
自分に起きた、理不尽な哀しみを乗り越えてほしい。
また、家庭内で自死が起きたことからくる、家庭内外からの二次的な精神的苦悩から守ってあげたい。
子どもは、社会的弱者ですから。

と思って、参加したのです。

とても参考になることもありました。

ただ、一点気になったことがあります。
「グリーフケアをする人は、自分自身の【喪失感】をまず整理しなくてはいけない、
相手の悲嘆感情から自分の感情を揺らしてはいけない、
それでは正しいケアができない」
と教わったことです。

自分は、はじめに参加した「自死遺族の分かち合い」で、
主催している自治体の担当者が、私の話を聞きながら一緒に泣いてくれたことが忘れられません。
自死遺族当事者でなかった担当者が、心を揺らして一緒に悲しんでくれたことで
とても救われた経験があります。

「一緒に泣いてはいけないのかな、冷静なやさしい心で、正しいグリーフケアをするのがいいのかな?」
と疑問に思いました。

でも、もし、私が「小さな一歩」を始めようとして、
そのための心の準備として、自分自身の喪失感や悲嘆感情を、まず、整理しようとしたら。。。
きっといつまでたっても、始められなかったのでは、と思うのですが。


2014年01月22日 19:09