広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

死んだ人は生きている人の誰よりも人を動かす

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10年前に広島県廿日市市で起きた「女子高校生殺害事件」は今も未解決です。
地元の警察署長や捜査員、聡美さんのお父さんの忠さんなど36人が10月5日、
廿日市市内にある宮島行き渡航船乗り場で
改めて、犯人捜査につながる情報を呼び掛けるチラシ3000枚を配りました。

10月6日の中国新聞に、被害者の父親である北口忠さんを取材し続けている記者が書いた「担当記者の視点」という記事がありました。

この中で
「忠さんは自身を『強くもなく、積極的でもない普通の父親』という。
どれだけ気持ちを奮い立たせ、語ってくれたことだろうか。
遺された家族の心情をすべて理解できるとは思わない。
だが、子を持つ同じ親として忠さんの言葉を一つ一つ受け止め、記事にしてきたつもりだ。」
と記者自身が語っています。

取材記者のこのような想いが紙面に載ることは珍しい。
それほどに、北口さんの強い意志に心動かされたということでしょう。

北口忠さん。
ほんの前日までは、どこにでもある普通の親子で、思春期の娘の扱いに困ったりしながら
平凡でも普通の「父親」としての毎日を過ごしていたのでしょう。

昨日普通にそこにあった毎日が突然、崩壊する。
昨日普通にあったものがいかに大切でかけがえのないものだったを、突然知らされる。

壮絶な苦しみ、犯人への怒り、自分の人生の喪失感。。。
「もっとこうしていたら被害に遭わなかったのでは」という自責感もあるかもしれない。

これらの想いが、「強くもなく、積極的でもない普通の父親」である忠さんをつき動かし、
周囲の支援者もメディアの人も忠さんの強い意志に動かされたのでしょう。

「生きている人はぼくたちに向かって「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが
死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人は全てを生き残っている人に託している。
生きている人は、死んだ人のすべてを受けとるよう、死んだ人から期待されているのである。」(岡知史「知られない愛について」より)

忠さんの闘いは続いています。殺人事件に時効がない今日、
犯人逮捕の日まで終わることはないでしょう。
聡美さんは帰ってこないけれど、天国で一緒に戦ってくれていると信じている、と
テレビのインタビューで話されたいたことも覚えています。

「それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようとして動く人は多い。
なぜなら生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は生き残った人たちのものだからである。」(同上)

どうか忠さんの信念が実を結び、犯人逮捕につながりますようにと願わずにはおれません。

情報提供は 0829(31)0110 廿日市警察署

北口さんのブログは
コチラです。県外の方もぜひこの事件を思い出してください。

2014年10月09日 19:10

素晴らしい人々との出会いがありました

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おとといの9月30日、「こころのシェルターサポーターの集い」の第1回ミーティング
が開かれました。
 
集まったのは2次会から参加の方も含め、全部で11人。
生きづらさを抱え、ひきこもりがちな若者を支援する活動を今もされている人。
長年、会社で「お客様担当窓口」に勤務の後、産業カウンセラーの資格をとり、
今も各所の相談窓口で相談員をされている人。
精神救急の看護士の経験があり、今もホスピスケアの訪問看護の仕事をしている人。
臨床心理士試験を控える大学院生。
社会福祉士資格取得間近、郊外に別荘を持ち、「ぜひシェルターのゲストハウスとして使ってほしい」と
申し出て下さった方。
自死遺族でもある女性弁護士。
家族と自分自身のうつに苦しみながらも、「シェルター構想を自分自身も持っていた」と言って下さる方。
家族が死の際にある人々の「重大な決定」に寄り添う仕事をしている人。
メンバーの中には自死遺族が6人。
 
鉄板の「こころ」を持つメンバーが揃いました。
 
でも、私が一番うれしかったのは、メンバーの履歴のことではなく、
全員が、個人的に、自分自身や深くかかわった人間関係を通じて、
直接的に、真剣に「生死の際」というものを感じた経験を持っている当事者だということ。
 
「心の危機を抱える人に向き合う」ことは、「生きるか死ぬか」のぎりぎりを自分自身が
実感しているからこそ共感し、その人の懐に入っていけるのだと思うのです。
 
会議の後、近くのレストランで行われた2次会も大いに盛り上がり、
制限時間を大きく超えてしまうほどでした。
 
迷いや不安を抱えながら、自分の中で温めてきた「こころのシェルター構想」。
まだ出発地点に立ったばかりですが、なんだか「夢がかなう」ような気になってきました。
 
次回は12月9日に会合があります。
今からでも参加できます。どうぞ、興味のある方は連絡下さい。
ささやかでもできることから、一緒に歩んでいきたいと思います。

「こころのシェルター サポーター募集」のお知らせはコチラにあります。
2014年10月02日 19:49

最愛の人を喪ってわかる、一番大切なもの

放送禁止用語を多用して、政治や社会を痛烈に批判する笑いで人気を博したアメリカのコメディアン、ジョージ・カーリン氏が最愛の奥さんを亡くした際に、彼がボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用して友人に送ったとされるメールの文章。


ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている


忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ


ジョージ・カーリン


英語の原文もふくめ、掲載サイトはこちらにあります。
2014年09月26日 13:46

心に新しい風を入れることの大切さ

寄り添い支援を続けてきた人が心身ともに状態が悪くなり、
毎日のように訴えられて私もどうしていいかわからなくなってしまいました。
そこで、公的機関の相談窓口に本人と一緒に出向き、個別相談をしてもらうことに。
 
以前からよく知っている相談員さんです。
 
始めに私と本人、相談員が三者面談をしました。
その後、本人⇒私 の順で個別に話をし、また三者面談をする、という順番で
1時間半くらい時間をかけて相談しました。
 
電話で相談したときに、
「当センターがその方に対して具体的な解決策を決める、ということは難しいので
どれだけお役にたてるかわかりませんが。。。」と静かに言われていたので
正直(失礼ながら)、あまり大きな期待をせずに行きましたが
ゆっくり時間をかけて傾聴してもらうという体験は本人も、私も、初めてでした。
 
その結果、一番わかった、のは自分自身の未熟さ、冷静でなかったこと。

支援者として冷静にあるべきだった私自身が、日夜続く訴えの声に対して、
決して冷静でなく、視野狭窄になっていたことです。

「こうするしか道はない」と思い込んでいた、ということです。
押しつけた言い方はしないけど、自分の中で1つの結論に固執していた、ということです。

本人の「心のゆれ」が伝わってきて、暗く思いつめた心理になっていました。

相談員の方が「色々ある中で、がんばってこれまで自立して生きてこられた」と言われた時、
自分が全くそのような視点からの声掛けができていなかったことに改めて気づきました。
 
「第三者にゆっくり話を聞いてもらう」ということは、具体的な解決策がそこで得られなくても、
自分自身への振り返りができることで、どれだけ人は新しい角度から物事をみることができるようになるか。実感しました。
本人もそうだったと思います。
面談の後は、表情も口ぶりも落ち着いて、明るくなっていました。

もちろん、私自身の力足らずもあるのですが、
誰でも、密室のような1対1の関係の中で、重い課題に向き合っていると起こることではないでしょうか。

特に家族は、感情的な思い入れもあるから一層そうだと思います。
 
「心の問題」の解決は、、色々な風(多様な立場や考え方、その方に対する関係性)を
持った人からの色々な話)を入れることが大切だな、と改めて実感しました。
2014年09月19日 16:21

亡くなった人をいまも愛しているから「遺族」という

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13日に「第7回 全国自死遺族フォーラム」が滋賀県大津市で開催され、参加しました。
上智大学 岡知史教授が「専門家によるサポートグループとの違い・行政との葛藤について」という演題で講演をされました。
岡教授の言葉の中で、心に残る言葉がありました。

「身内の人が亡くなった、というのなら、多くの人が、何らかそのような経験をしているわけですね。
でもそういう人をみんな【遺族】とは言わない。

『遺族』といのは、亡くなった人がいまも心の中にいる人、愛している人。
だから、悲しいのは愛しているから。『哀しみは愛しさ』なんですね。

 
ですが、『いつまでも悲しんでいることがいけないこと、それは心の病気だ』
『早く忘れて悲しみから回復しなくては』と言う人がいる。
そういう人は、「いないものはいない」と考える。
「いないものを想い続けることはよくない」と考える。
 
 
はっとしました。

そうか、私は娘のことを「死んだから、もういない」と思ったことは一度もない。
キッチンカウンターの前のテーブルや棚には一面に、娘が笑っている写真や
手紙、娘の好きそうな人形やお菓子などが置いてあるし、
もうご飯は食べなくなってしまったけど、その代わりにいつも、新鮮な花を置いている。
旅行に行ったら、娘のためにおみやげを買ってくる。
毎朝毎晩、「いつも私のそばで私を見てくれていますように」とお祈りをする。
墓地には週に1回行って、ここでもきれいな花が途切れないようにしている。
 
私には当たり前のこと。だって、そうして、毎日娘と会話をしているのですから。
 
その姿は、第三者から見ると異常で、「回復できていない人」になるのでしょうか。
 
では「回復する」ためには、娘の写真や花を整理し、墓参りは年に何回か。
つまり、「普通の生活」に帰るのが「正しい姿」なのかしら。
 
私にはその方が、自分にとってよっぽど辛くて普通でない生活に思えるのですが。
2014年09月17日 17:01

「自殺未遂者は迷惑」と公言する医師

 広島県中央地域保健対策協議会が今年3月に発表した、救命救急医療機関、消防署、身体科医師(内科、外科)に対して実施した「自殺未遂者対応に関する調査報告書」がホームページにアップしています。
 
前半 ⇒ https://www.pref.hiroshima.lg.jp/book/view.php?id=63
後半 ⇒ https://www.pref.hiroshima.lg.jp/book/view.php?id=64
概要版 ⇒ https://www.pref.hiroshima.lg.jp/book/view.php?id=62
 
 救命救急医療機関が33人が回答し、自殺企図者に対応した回数は29件。
 患者の属性や自殺未遂歴、精神科受診歴、搬送後の対応などを回答していますが、件数が少ない上に、無回答の人が多い項目が多いので統計調査結果としては「?」な結果になっています。
 
身体科医師の意識調査は199人が回答。
●自殺未遂者の診察経験がある割合は55%と半数強。
●精神的ケアの必要性の有無の確認について
 ・「今も死にたい気持ちが強いかどうか確認」を「必ずする」は27%
 ・「自殺企図にいたる背景の確認」を「必ずする」は25%
 ・「公的な支援や身近な支え手がいるかどうかなどの確認」を「必ずする」は26%。


「確認しない理由」は「必要かどうか不明。考えたことがなかった」「直接の治療関係がない」「精神科ではないのでむやみに刺激したくない」「自殺に関する診療を行っていない。専門外」「必要性がない」など。つまり、”関係ないという回答。

●身体的処置後に自殺リスクが高いと判断した場合は「精神科医を紹介」が43%、「精神科医への受診を勧める」が68%。これに対して「相談機関へ紹介状を書く」は19%、「相談機関への相談を勧める」が20%。

●自殺未遂者への対応について
 「精神的ケアを行う人的・時間的余裕がない」は88%、「自殺未遂者への精神的ケアは難しい」が88%、「精神科保健医療機関への紹介の必要性判断がむずかしい」が59%、「家族への指導が難しい」が78%。

●「自殺未遂者対応マニュアル」については「ない」「あるかどうかわからない」が94%。
●「広島県精神科救急医療システム」について、「知らない」が58%。
●精神科医師とは個人医師レベルを除くと「連携を取っていないが61%。
●市町や福祉事務所、保健所、精神保健福祉センターとは個人医師レベルを除くと「連携をとっていない」が59%。
はたして、「知ろう」「取り組もう」「連携しよう」という気持ちがあるのか。


 一方で、自殺未遂者への支援体制で必要なこととして1位にあがるのは「精神科医療機関や相談機関との連携」が1位で69%。つまり、自分以外の誰かがしたらいい、ということでしょうか。

●「自殺未遂者に対する対策への意見」の中には
「精神科のある病院のみへ搬送依頼をしてほしい」
「自殺未遂者の中に本当に死のうと思っている人は少ないと思う」
「急性期病院で当直をしていて自殺未遂の症例はむなしい。自殺企図そのものが救急医療機関に大迷惑をかけていることを自殺予防の1つのアドバイスに入れてほしい」
「救急医療の負担になり、腹立たしい限りです」
など、自殺未遂者を社会の迷惑者として

「関
わりたくない、来てほしくない、精神科だけでなんとかしてほしい」。これがホンネなんですね。
 

これらの結果を受けて報告書では、今後の取り組みとして、
「自殺未遂者患者対応マニュアルの作成」「身体科救急医療機関と精神科医療機関との連携体制のあり方の協議」「患者・家族向けに精神科受診を勧めるパンフレットの活用」「医療関係者への研修会」「過量服薬予防」「自殺未遂者支援機関や窓口に関する情報提供や支援技術の向上」などをあげていますが、
既定路線上のものばかり。プランは立派でも、対応する現場の「こころ」がこれでは、掛け声もむなしいばかり、といつもの溜息です。
6月のシンポジウムの際に、広島県精神保健福祉課が実施した専門職研修にも、医師の参加は0でした。
裏付ける調査結果です。

2014年09月11日 19:06

広島市が自殺未遂者に相談窓口案内カード、リーフレットを作成

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広島市が自殺未遂者の悩みを聞く窓口の連絡先を記したカードとリーフレットを作成し、
病院への搬送時に市消防局の救急隊員を通じて手渡すほか、市内の41医療機関で退院時に
配る、という新聞報道がありました。

それ自体は大切なことだと思うのです。

ただ、「窓口」としてどこが書かれているのかが気になりました。

広島市精神保健福祉センター、各区の保健所や福祉事務所、地域包括包括センター、ハローワーク。。。以前「うつ病のサイン、見逃さないで」というリーフレットに書かれている機関とほぼ同じのように思えます。

6月のシンポジウムで配布された「自殺未遂者実態調査」では、自殺未遂者のうち、公的相談機関への相談経験がある割合はわずか2.8%。
精神医療受療率は現在通院中が69.2%、通院歴ありが12.8%。合わせて8割を超えています。

利用率が低いのは「知られていないから」との考えから認知を高めるために資料を
作ったのかもしれないけど、
「なぜ相談しないか」について、もっと根本的に考えるべきではないでしょうか。

私は2か月間、重い精神疾患の人から、色々な相談を受けてきました。
窓口にも一緒に行き、相談にも付き添いました。
その後も病状は好転せず、希死念慮もときどき高くなります。そんなとき来るメールは
心がつぶれそうです。
でも、公的窓口に再度行って相談しようと思いません。
そこで得られる援助の限界は1回行けばわかってしまうからです。
2014年09月08日 18:13

広島土砂災害で子どもを亡くした母親の悔い

広島土砂災害で子ども2人を亡くしたお母さんの悔い。誰がこの一瞬の悲劇を予測できただろうか。
ただ、「あなたのせいではないよ、自分を責めないで」と肩を抱いてあげたい。

【記事抜粋】
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あの日、一瞬のできごとでした。夜中の1時くらいに雷と雨の音がすごくて。普段は2階で寝ている遥大が怖がって、家族一緒に1階の和室で寝ていました。
 いったん少し落ち着いたけど、雷も雨もどんどん強くなって、午前3時過ぎに雷が落ちたような「ゴロゴロ」という音がしました。隣の家の人から「裏の山が崩れる」と電話があって、このままじゃ危ないと思い、「ばあちゃん家(ち)に早く逃げようや」と言って家族を起こしたんです。母の家が近くにあるので、避難しようと思いました。
 主人は避難の準備をしていて、次男も和室から出ていた。私も妹に電話をかけるため、リビングにいました。遥大と都翔だけが和室にいました。
 「今からそっちに行くけ」。妹に電話で言った瞬間、本当に一瞬でした。
 土砂が家の壁ごと流れ込んできました。真っ暗で何が起きたのかわかりません。土砂と一緒に大木2本と青竹2、3本が入ってきてたことは覚えています。
 「遥大と都翔を出さないと!」と思い、主人と土砂を手でかきわけて2人を捜しました。ご近所の方たちも助けに来てくれました。
 土砂を掘っていると、都翔の体と頭に触れて、ドアか家具か何かの下にいるのがわかったんです。「呼吸できるスペースがあるから、大丈夫かもしれない」と思って、「骨折くらいしてもいいから引っ張り出して!」って叫びました。
 遥大は捜しても見つからなかった。土砂も木も埋もれた家具も、重すぎてどうしようもなかった。掘っても掘っても土砂が流れ込んできて、どうにもならない。「遥大、都翔、返事をして!」。叫び続けました。
 遥大。やっと見つかったけど。お医者さんからは、遥大の体の中にほとんど泥が入っていなかったと聞いて、苦しむ時間もなかったのかな。せめて苦しまなかったなら。
 都翔は助かると思っていたけれど、振り返ると、あの土砂が襲ってきた時から、泣き声の一つもなかった。痛くなかったのかな、苦しくなかったのかなって。
 ■理解できない
 後悔しかないです。「あのときもっと早く逃げようとしていたら」「山側の部屋を寝室にしていなければ」。ご近所の方とは家族ぐるみの付き合いで、本当にいい方たちに出会えました。それでも、なんであんなところに家を建てちゃったんだろう。そんなことばかり考えてしまって。

 8月22日のお葬式に、たくさんの人が来てくれました。遥大の友達には知らない子も多くて、「こんなに愛されていたんだ」と。生きてきた11年の間に、遥大が築いてきたもの。親として誇らしかった。

 夜が来ると、失った命の大きさに落胆しています。恐怖が襲ってきます。ずっと大切に育ててきた遥大と都翔がいない。わかっているけど、心では理解できない。2人の未来が失われてしまった。壊れた家なんて、家具なんてまた買えるけど、2人はもう。取り返しのつかないことになってしまいました。

【記事全文は朝日新聞デジタルニュース】

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11330409.html?_requesturl=articles%2FDA3S11330409.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11330409

2014年09月03日 10:54

訪ねてみたい「森のイスキア」

先日、「こころのシェルター サポーター」募集の呼びかけをしたところ、
ご連絡をいただき、これから一緒にやっていきましょう、と言ってくださった方が教えてくれました。

青森県、弘前市から車で1時間。岩木山の麓、標高400メートルの湯段温泉の地に
佐藤初女さんという方が主宰する、憩いと安らぎの家「森のイスキア」。

ウェブサイトにも多くの紹介記事があります。
http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori2.html

https://www.ntt-f.co.jp/fusion/no27/tokusyu/tokusyu.htm


訪れた方に、丁寧に心をこめて作られた食事を提供し、円卓を囲んで共に食し、
心が折れてしまった人の話に、ひたすらじっと耳を傾ける。
1992年から活動をされているそうです。

初女さんご自身が、17歳で肺結核を患っています。また、詳しくは語られていませんが、
息子さんに先立たれる、という辛い経験もされています。

息子さんがなくなられてまもない頃のことを語る初女さんの言葉は自死遺族のわが身に染み透るものでした。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/kaminohado/008sathohatusne.html

初女さんの言葉は、多くの書籍にもなっていますが、
人生の中の辛い出来事ややるせない人間の想いをすべて包み込み、受容し、包み込むその言葉は
そんな初女さんご自身の中から生まれたものかもしれません。

1921年生まれの初女さんですが、今も元気に講演活動をされ、、また、森のイスキアで春から秋まで多くの方を迎えいれておられます。

とはいえ、ご高齢の初女さん。
ぜひ近いうちに、「森のイスキア」を訪ねてみたい。私の新たな道の道しるべとして。

初女さんの多くのすばらしい言葉に、書物を通じて出会いましたが、
1つ、心に刻みたい言葉。

「あるとき神父さんが「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。
犠牲を伴わない奉仕は真の奉仕ではない」という意味の話をしてくださったんです。こ
の言葉が私の心に入ってきて、教会からの帰り道、私に何ができるのだろうかとずっと考え続けました。
そして、ふと交差点で立ち止まったとき、「私には心がある。心は無尽蔵にあって尽きることはない。
だから、私は心で行こう」という思いに気づいて、以来、人に奉仕をすることを大切さを
考え実践してきました。


「犠牲とは、今まで自分にできなかったことを一歩前進していくこと。
誰でもできることの一線をひとつ越えること。」







2014年09月02日 19:56

鉄道会社が自殺防止にもう少し前向きになってほしい

線路やホームへの飛び込みによる自死は、遺された家族にとって、複数の意味で最も悲劇的なことではないでしょうか。

今日、インターネットで、下のような記事が載りました。

自社に損害さえなければ、「個人情報に立ち入れないし、、」を理由に知らんぷり、なのでしょうか。

自殺未遂者の再発防止のためにもう一歩踏み込むことが、結果的に自社にとっての「損害」を減らす(という言い方もいやですが)ことになる、という考えに立ってほしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140825-00010000-qbiz-bus_all

鉄道自殺が後を絶たない中、駅のホームから線路に飛び込むなどした人が列車と接触する前に助け出された場合、JR各社など鉄道会社の多くが、本人のけがや鉄道側の損害がなければ家族や警察に連絡・通報せず、そのまま立ち去らせていることが、西日本新聞の取材で分かった。自殺者の4割に自殺未遂歴があるともいわれており、鉄道自殺を図ったことがある人を周囲が把握し、支援する仕組みづくりが急がれる。

 鉄道各社によると、線路内に立ち入った人が負傷したり、運休・遅延や車両の破損などで損害が発生したりした場合は、「救急搬送や被害請求の必要があり、身元を確認して警察などに通報する」(JR西日本)ことが徹底されている。

 しかし、けがなどがなかった場合には、「必ず通報する体制にはない」(同)、「個人情報の問題もあり、名前や連絡先は聞かない」(JR東日本)など、多くが身元確認していない。

 九州でも同様の傾向で、JR九州は「マニュアルはなく現場の判断に委ねている。全員に名前などを確認するわけではない」。西日本鉄道も「後続列車に再発警戒を促すほか、挙動不審な場合は警察に通報して保護をお願いしているが、立ち去る人が多い」という。全駅に転落防止のホームドアがある福岡市営地下鉄は「線路内に入ろうとした利用客がいれば制止して保護し、警察に必ず引き渡して対応を依頼している」というが、全国的にも少数派だ。

 国土交通省によると、線路内立ち入りなどによる輸送障害は2013年度に全国で2036件起き、約3割の599件が自殺だった。「自殺と特定できなかったが、その可能性がある事例も少なくない。けがも、運休や30分以上の遅延もなかった場合は事業者が国に報告する必要はないため、未遂に終わった鉄道自殺の件数は把握できていない」(鉄道局安全監理官室)という。

 NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」(東京)の清水康之代表は「外傷の有無ではなく精神的な状況の危険度、自殺リスクを踏まえた判断が必要であり、自殺未遂の疑いがあれば警察に通報することが望ましい。鉄道会社だけでなく行政が連携し、支援につなぐ体制を整えるべきだ」と話している。


2014年08月25日 18:23