広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

これは正しい処方なのか

うつ病とパニック障害、と診断されて苦しんでいる人がいる。

不安や被害妄想の発作が出ると、精神的にとても危険な状態になり、自死念慮が極端に高まってしまう。

今日は心療内科に同行した。

医者(開業歴も長く、評判がよいと紹介されたらしい)には
本人は主訴はすでに何度も伝えているが、「それは気のせい」と話の相手にもなってくれないという。

私も診察室に入り、本人が私に訴え続けてきたパニック発作、希死念慮、それらを説明しようと思った。
(本人は多少言語力が足りないため、今までの訴えが理解されていないのかも、と思ったからだ)
医院長はかなり高齢だ。人の話を全く聞こうとせず、一方的に投薬を追加。
「これでだめならなんぼでも入院できる病院に紹介状を書いちゃるよ。
ただし、あんたみたいな人は病院を選ぶ権利はないから」と捨て台詞のように言われる。

今までも処方薬が多く、気になると聞いていたので「おくすり手帳」を見せてもらう。
ずっと処方されているのは抗うつ剤の「リフレックス15mg」。
さらに抗不安剤が5種類も処方されている。
ネットで調べてみると「不安障害、睡眠障害に効果がある」と似たような効用が書かれている。

なんでこんなにたくさん処方されているのかわからない。

私は本人から不眠の悩みを聞いたことは一度もないが。

これに、今日追加されたのは、統合失調症などの被害妄想を改善する治療薬「リスペリドン」だ。

これでこの人が飲む薬は、精神に関わる薬だけで1日7種類。

今までも何かを訴えるたびに薬が増えてきて、新しい薬の代わりに何かの薬がなくなる、
ということはないらしい。

泣き出した本人を家に連れて帰り、不安発作の引き金になるいろいろな出来事を聞き、
「あなたは妄想を見ているのではないよ。
見聞きしたものが、ふつうならそこで終わるところが、あなたの場合はすべて恐怖につながっている。

それはあなたが悪いとか、他人に迷惑をかけているとかではない。
病気がそうさせているのだから、よくなるようにがんばろう。

私が聞いた感じでは、それらのことはあなたに危害を加えるために誰かが悪意を持ってしていることではないから。大丈夫。誰もあなたを殺したり襲ったりしないから大丈夫」

と話し、来週また一緒に医者に行く約束をして別れた。

こんなことしかできない自分がもどかしい。

この医者の処方が多剤でないのかを見極める能力も、
それを相談できる、信頼できる精神科医も知らない自分の無力さが情けない。





2014年08月07日 17:01

原爆被害は過去のことではない

私が学ぶ広島カウンセリングスクールで前期講師をされた先生は、
広島原爆の被爆者のトラウマカウンセリングをされている方。

前期授業の最後に、こんな話をされていました。

「被爆者の方に『これほどつらい人生を歩まれながら、あなたの人生を支えてきたものは何ですか』と聞くと

「自分を支えてくれた周囲の方への感謝の気持ち」
「前向きに生きようとする気持ち」
「『仕方がない』とあきらめること」
「家族への役割(家族のために自分ががんばらないと、という気持ち)」

そして「運命」。これは自分に課せられた運命、と受け入れる気持ち。
この5つが被爆者に特有の傾向なのだということでした。

長い年月の中で、
「これも自分の運命とあきらめ、家族のために生き抜いてきた。恨みたいこともたくさんあったのに、支えてくれる人の存在に目を向けて前向きに生きようとしてきた」

すばらしいでしょうか? 
そう思い込まないと生きていけないほど、辛い半生だった、と考えるべきではないでしょうか。

原爆の被害をよく知らない人は、69年前の「過去のできごと」と誤解しているかもしれない。

しかし、
被爆者の方は、その後の人生で、放射能の被ばくに対する誤解や偏見で二次的、三次的に被害を受けてきた。
一番ひどいのは「放射能被ばくは伝染する」という風評被害。

このために、被爆の認定を長年受けなかった人、結婚をあきらめた人、仕事につけなかった人。
親族に被爆者がいることをひた隠しにした人が少なくない。

結婚してはじめてお互いが被爆したことを知った夫婦もいると聞いた。
また、放射能の身体への影響が見えないため、子どもを産むことが怖かった、という人もいる。

1945年8月6日という過去のことですか?

福島の方々が同じような試練の人生を繰り返さない、と断言できる人がいるだろうか。

似たようなことは自死遺族にもある。
「自殺する家系は遺伝する」という流言飛語がまだ根強く残っていて、
自死した子どもの姉妹の縁談でひた隠しにした、と、つい最近の分かち合いで聞いた。

何の罪もない人が突然の悲劇に苦しむだけでなく、
追い打ちのように、「社会」がその人を傷つけてきた歴史をきちんと反省しないと

決してこのことは過去にならない、と思いました。



 




2014年08月04日 20:11

やっぱり家族に分かってもらいたい

「誰も私の気持ちをわかろうとしてくれない」

苦しみの中にある人に、なんとか寄り添って、長い時間をかけて話を聞いても
その後、別の機会にこのように言われることが少なくない。正直、辛い。

私はその人の気持ちを理解しようとしている「人」の1人として入っていないのかしら。
私は確かに、私以外の誰とも「100%同じ苦しみ」を共有することはできないから。

同じ苦しみを持っている人同士しか「本当に分かり合うことができない」のかしら。

ある人からその言葉を聞いたとき、尋ねました。
「誰にわかってもらいたい、と思う?」
即答で「家族。」と答えが返ってきました。

もちろん、みんながそうだとは言いませんが、やはり家族なんです。


一方で、ちょっと前に、カウンセリングスクールの師匠は言っていました。

「家族はカウンセラーにはなれない。当事者に対する期待、落胆、思い入れ、怒り。
家族の方にも強い感情の思い入れがあるから。
他人の方が、その人の想いをくみ取ってあげることができる。
それがカウンセラーの役目。

でもカウンセラーは『先生』だから、
本人が心を開いてホンネをなかなか言えない、ということがある。

結局、自分以外の誰かに心を救ってもらいたい、という考えにあきらめをつける。
それがクライアントにとっての結論。」

それもまた1つの真実かもしれない。
でも、心を病んだ人の言動に振り回されて、理解する気力もやさしさもつきてしまっている家族が多いのもまた事実。

せめて、当事者と家族が、やさしい心が取り戻せるまで、もつれた気持ちを安らげるお手伝いをする、
「ビフレンターズ」(be-frienders)でありたいと思う。



2014年07月28日 18:22

なんで役所はこんなに疲れる

ここ1か月ほど、精神障害者認定をうけているある人(Aさんとする)とやりとりを続けています。

メールで「助けて」と訴えてきたのがはじめで、
なかなか電話に応じてくれないまま、その間に何度も「遺書」としか思えないメールがあり、
そのたび、心臓が飛び上がるような、頭が凍りつくような思いがありました。

こちらからの呼びかけに応じず、「もう生きていないかもしれない」と思ったことも。

それでもなんとかつながりが続き、
今日はAさんに同行して
自治体の福祉事務所と保健所で話をするところまでこぎつけました。

それまで、「あれもこれも、『ダメ』『それ(精神保健福祉サービス)は受けられない』」と
本人が言っている内容を正確に理解しようと思ったからです。

30分のつもりで出かけたけど、終わってみたら2時間かかっていた。

Aさんが受けられる金銭的援助や受け入れ施設はまだまだいろいろあることがわかった。

それにしても、しっかりとこちらが頭を整理し、
いや、整理してもわからなくなりそうなのでしっかりとメモしないと「わけわからん」。

「こういう制度があります」
「こういう資格のある人が受けられます」
「そのためにはこういう書類を提出しなくてはいけません」
「書類を提出するためには○○に行って認定をしてもらわなくてはいけません」
「制度を利用しようとするとこういう制限がかかります」
「書類では一応、このように書いているけど、現実ではほとんど難しい」

1つ1つの制度利用のたびに、説明される。

それぞれ手順がバラバラで、一から理解しなくてはいけないし、色々並べられるうちに混乱してくるので何度も確認する。


今まではAさん1人では理解できないと、体の不自由な80代の親が同行していたらしいが、
分かるはずがない。というか、その時説明されたことだけはわかっても、別の制度を説明されたらごちゃごちゃになって混乱する、絶対。
自分自身が「人に迷惑をかけている」と負い目を持っている人は、私がするように、
自分が理解できるまで何度でも図々しく質問することもできないだろう。

なんで役所の制度は、どれもこれも、似たような長ったらしい名前がずらずら並んでいるんだろう。
役所を出てAさんが言った。「やはり難しいいんですね」。

いや、制度を利用することが難しいのではない。仕組みを理解するのが難しすぎる。
だから、利用できる制度も「無理!」と思ってしまっても仕方ない。

先日のシンポで、広島大学病院の「自殺未遂者追跡調査」結果が発表された。
自殺未遂者で、それまでに行政の窓口に相談した人は2割もいなかった。

その理由を私も今日は実感した。

自治体の話を一緒に聞き、解きほぐして説明し、「あきらめずに利用につなげる」
コーディネーターの必要性をひしひしと感じた。




2014年07月25日 15:21

種まきもせず刈り入れもせず

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星野富広 詩・画「シデコブシと犬」

これはJAFの会報誌の切り抜き。好きなので手帳にはさんでいます。

シデコブシの下で昼寝をするワンコの絵もかわいいのですが
写真の下のコメントがほのぼのします。

水汲み労働はおろか、犬の常識、お手さえもしない。
でもご主人への愛情は尻尾をいっぱい振って表す
ミシンへの愛のまなざしがあふれています。

「種まきもせず刈り入れもせず」は新約聖書「マタイによる福音書」の中の言葉。

だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、身体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を良く見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
(中略)
『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。(中略)
あなた方の天の父は、これらのものがみなあなた方に必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから明日の事まで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」


私がお話を聞いている、心に重荷を負う人の中には
「自分はろくに仕事にも出れないし、家事もこなせない。こんな私は生きる価値がない」
「こんな自分の明日が不安でいてもたってもいられない」
という自己否定から、希死念慮を訴える人が多いのです。

そんな方々に、この言葉が届くといいのに、と思います。

「思い悩むな、あなたは生きているだけで価値がある。

神様はきっとあなたを助けて、生かしてくださる」と。

2014年07月15日 19:54

思い上がりに気づく

シンポジウムの前後に新聞で取り上げていただき、
小さな一歩の連絡先も掲載されたので、
シンポジウムの前後から、さまざまな心の病で苦しんでいる当事者から電話がかかります。

いつも、自分が十分な心と時間の余裕をもって電話口に出られるとは限らないのですが
なるべく時間を使ってゆっくりお話しを聞けるよう、
あわただしいときはかけ直す、などして、電話でお話を聞くようにしています。

その多くが、不安障害などで自宅を出ることもできない、
人に会うこともできないから誰にも相談できない人。

1人で、自分を責めながら「こんな自分は周囲に迷惑をかけるだけだから死んだ方がいい」と思いつめている。

さまざまな電話相談に何度もかけているがいつも話中。
やっとつながったのにとても傾聴とは対応だったり。

私が、よかれと思い込んで始めた「分かち合い」「心の語り場」に来ることもできない
人々がこんなに悲痛な思いを抱え込んで自宅にこもっているなんて、

ショックでした。

自分の甘さと思い上がりに頭が殴られる想いでした。

「こころのシェルター」も"待つ場所"。
「苦しい人を迎え入れる」なんて、そんな考えでは救えない。

考えを改めてやり直しだ。

2014年07月09日 19:41

新たな気持ちで

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29日のシンポジウムの後、1日から昨日5日まで、逃避してちょっと休養していました。

携帯電話を不通にし、メールチェックもせず、Webチェックもせず
たくさん寝て、ぼーっとし、海を見て過ごしました。

その間、連絡いただいていた方があり、ご連絡もせず、すいませんでした<(_ _)>

いままで、休養すると、休養明けに元の生活に返るのがとてもいやなのですが
今回はそのような気持ちにはなりません。

のんびりして充電したので、心新たに、日々の活動を淡々粛々と、
誠意をもって過ごしたいと思います。

焦らずがんばります。
2014年07月06日 15:20

自死問題シンポジウムの御礼とおわび

昨日6月29日の自死問題シンポジウムでは、
とてもたくさんのご来場をいただき、まことにありがとうございました。

新聞社やテレビ局の方も多く取材に来てくださり、
自殺未遂者の支援について、大きく取り上げてくださったことを感謝いたします。

しかし一方で、
色々な関係者が出入りしたことで会場内の居心地が悪くなったことや
席数の(特にカメラに映らない席)確保が十分でなかったこと、
音声の調整が悪く、特に後ろの方には音が聞き取れなかったこと、
また、期待した内容のお話が十分でなかった方もいらしたこと、
さまざまな稚拙な準備のために、不快な思いでお帰りになった方もいらしたことに
心からおわび申し上げます。

アンケートでいただいた、率直なご指摘を今後の反省に生かしていきたいと思います。

多くのご支援に改めて感謝いたします。

本シンポジウムの成果や反響を、今後の地道な活動に息長く生かしていきたいと思います。

皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
2014年06月30日 19:28

6月21日は3回目の命日でした

2014年06月24日 19:23

「市民と市政」6月15日号で紹介されました

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自死問題シンポジウムの情報が
広島市広報紙「市民と市政」6月15日号に
掲載されました。

自死問題に関心がある方の
目に留まってくれるといいな、と
思います。

Web版「市民と市政」でも見られます。
2014年06月16日 17:47