広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

現場で培われた助言は得難い

「こころのシェルター」サポートメンバーの方からの紹介で、
過去に、やはり、様々な苦しみを抱えている人にフリースペースを提供し、
食事を提供するボランティア活動をしていた2人の方とお話しをすることができた。

「フリースペース 木かげ」というグループだ。

9年間の活動中、本当に色々な人が来られ、様々な出来事が起きたとのこと。
「9年間は短かったですか、長かったですか?」と聞くと
「長い、短いで形容できない、『濃い時間』でした」との答え。
「充実していらした、ということですか?」
「充実、という綺麗な言葉ではなく、ただただ濃い時間でした。その時間で、私たち自身が学ばせたもらいました」と言われました。


「木かげ」に来られる人は、
過去の辛い経験がきっかけで心に不調をもつ人が多かったそうです。
また、家族に求めて、それが果たせなかった、
「素の自分、弱い自分、だめな自分の姿をさらけだせる」場所を求めてくる人が多かったそうです。
そんな人たちに、あるときは受入れて許しながら、
あるときは「ここはみんなが過ごす場所。あなたの思い通りにならないこともある」と叱責もしたそうです。

それこそ「お母さん」の姿ですね。

「これから始めるにあたって、色々な不安もあるのですが。。。」と
色々なケースを想定して、医療福祉や心理職などの専門職の助けを借りることを尋ねると

「専門家は必要ない。それより必要なことは。。。」と教えてもらったことは

1、覚悟(強い意志)を持って臨むこと
2、人間のやることには限界がある。最後はその人の幸せのために「祈り」の気持ちを持つこと。
3、スタッフ同士が本音をぶつけあうこと
4、苦しい人に向かい合う「苦しさ」をスタッフ同士が吐き出しあえること
5、心の病を持つ人だからと「特別扱い」「お客様扱い」をしないこと
  (自分が「いや」だと思うことをする人には、本音でNOを言うこと)
6、走りながら考えること(やりながら変えていくこと)

と教えて下さいました。

9年間、肌身で経験したことを持ち寄り、考えながら、話し合いながら改良を続けた方々の助言は大変ありがたかった。

こういう出会いに恵まれる私は幸せです。

 

2015年01月13日 17:51

ネガティブでいい

先月の自死遺族の分かち合いで
ある出席者が、「どうしたらネガティブな想いをポジティブに変えられるか、乗り越えた人から教えてほしい」
という問いかけがありました。

その問いかけに対して、1人の方が、
「ネガティブな想いが『いけない、何とか消さないといけない』と頭で思って、
発想の転換をしようしよう、と思っても、湧き出てくる想いを押さえつけることはできない。
むしろ、閉じ込めようとすればするほど、体の中で溜まって噴き出そうとする。
自分の中の矛盾が、体も心も悪くする。
『ネガティブな自分』も、そのまま、全て受け入れて、『そういう自分が自分なんだ』と
心の底から思えるようになったら楽になる。」
といったことを言われました。

精神科医でもカウンセラーでもありません。

家族の自死をきっかけに神経の病気で、何年間も引きこもりの生活を送った方です。
このことを、自分の中で納得するまでに、他人では想像できないほどの身体の痛みや
自己嫌悪や矛盾に苦しんだ方です。

身を削って経験してきた人だからこそ、の言葉の重みがあります。

私が決まってネガティブな想いに入ってしまうのは、娘が遺した愛犬と夜の散歩をしている時。
暗い夜道を犬と歩いていると、娘が身を投げた10分間のことがフラッシュバックします。
その都度、自分を責める想いが洪水のようにあふれてきてしまう。
さびしくて寒い、川べりの道を歩いていると、このまま歩き続けていると娘のいる場所に
たどりつけるのでは、と思ってしまう。

消せない想いではあるけど、消さないから、いまの「小さな一歩」の活動が始まり、いまがある。

「ネガティブな想いも大切な自分のこころの一部」。
まるで持病とうまくつきあって生きていくように。


だから、というわけではないのですが、
ネガティブな自分を否定せず、受け止め、つきあっていく方法を昨年、大阪で体験しました。

そのセミナー講師を広島におよびし、同じ内容で講義をしてもらうことにしました。

「ネガティブ思考をやめて、ポジティブ思考に転換させなくちゃだめだ」と
言われて悩んでいる方にお勧めしたいと思います。

セミナーのご案内は「勉強会、研修会の開催」に載せています。



2015年01月08日 19:26

映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

昨年末から、広島の横川シネマで公開されている「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を12月28日に観に行き、太田監督ともお話しをすることができました。

映画の紹介は http://watayuru.com/

映画を観終わった直後の感想は一言、「心にささる」。

27歳で自死した増田さんは太田監督の高校時代の先輩でした。
高校時代に、全国ミュージックコンテストで賞を獲得し、
プロミュージシャンの道を歩もうとする増田さんでしたが、
その道は彼自身の心の病もあって、彼の理想とは大きく離れたものでした。

増田さんの歩んだ道については http://watayuru.com/sota_masuda/

増田さんから持ちかけがあり、彼の生き様をドキュメンタリー映画にするために、
増田さんと音楽パートナーの冨永さんの音楽活動と日常をカメラで追い続ける太田さん。
そのフィルムは100本にものぼります。

彼の音楽が受けいれられない客席、仲間同士のけんか、葛藤と自己嫌悪や暴言を口走る増田さんの姿。。。
時には周囲の人間さえついていけない、増田さんの心の混乱。
カメラは容赦なく「そこにある事実」を記録し続けます。
唯一のパートナー、冨永さんも、そして太田監督自身も、一片の容赦もなく、人間の弱さや脆さ、おろかさをさらけ出す姿が心にささってきました。

100本の映像は編集次第では、違う構成にもできたはず。
「なぜ、こんなにしてまで本人も当事者も追い詰めるのだろう」と思わせられます。

これは私個人の推測ですが、
岡田監督は、増田さんの自死に「許せない」思いを強く持っているのだと思います。
哀しい、寂しい、救えなかった自分への自責感とはまた違う、怒りの感情です。
増田さんにも、自分や周りの友人たちにも、増田さんを苦しめた病気や向精神薬にも、社会にも。

だから、一切の美化をせず、そこで起きたことをそのままの形で伝えているのではないかと思います。
映画冒頭、やや違和感のある映像がありますが、映画の最後でその思いが伝わります。
彼の死後に、映画を完成させるために苦しむ太田さんの姿も画面に現れます。

映画を観ながら、もし自分が増田さんの親の立場で、娘の生前の映像記録が残されていたら、
故人を貶めるかもしれない、こんなにきびしい映像を公表できるだろうか、、、、
いやできない、と思うと胸が苦しくなりました。

「私はどうしても、やさしかった娘、元気だった娘の姿だけを思い出そうとする。
病んでいった姿をつぶさに再現しても目を向けることなどできない」と思いました。

それだけに、増田さんの死後、この映画を「認め」、画面にも登場するご両親の勇気に感銘を覚えました。
100本のフィルムを両親に渡そうとしたら「自分たちではとても見られないから、映画に仕上げて」と頼まれたそうです。
特に「音楽への挫折や自己嫌悪に苦しむ増田さんの姿を撮り続けたことが、彼を死に追いやったのではないか」
という太田さんの葛藤を、明確に否定するお父さんの言葉には尊敬を感じました。

増田さんの遺書は、両親や友人への思いやりとやさしさでつづられていました。

「映画を完成させてね。できればハッピーエンドで。」

エンディングでそれが少しわかります。

自死遺族にとっては辛さの伴う映画だと思います。でも観てほしい。


 

2015年01月03日 19:01

シェルター具体化にむけて一歩前進

「こころのシェルター」計画の中で大きなテーマは場所探しでした。

今年の後半から、色々な賃貸物件を探し、見に行きながら、その間考え、悩むのは
その場所にした場合、自分が「ここでシェルター活動をしながら、仕事と両立できるか」。

本当は、景色のよい田舎の広い一軒家で、空間的にものびのびといやせる場所が理想的です。
しかしそうなると、シェルターの活動と仕事の両立はむずかしくなる。

今の会社をやめて、シェルターの活動に専念することも真剣に考えました。

「こころのシェルター」は、前例のない、自分でも経験のないことをしようというのですから、
ボランティアスタッフに任せて、とは思えない。自分自身がそこにいつもいて、責任を持って力を注ぎたい。

しかし一方で、息の長い活動にするためには、現実問題として、お金の問題は真剣です。
開始して何年間かは、補助金や寄付金が期待できず、自前の資金でやりくりをする覚悟ですから、抑えられる出費は極力抑えなくてはいけない。

そのためには、会社も続けつつ、「小さな一歩」の事務局が自分の会社に同居していて、
家賃や事務経費、維持費がかからない、今の状態を維持させていこう、と決心しました。

会社の事務所と同居となると、ある程度便利でないと、会社の業務の方がたいへんです。

今まで、仕事をしながら小さな一歩の活動を続けてきた私。
活動のために仕事を社員に任せて、会社を留守にすることも少なくなかったのですが、
理解してくれて無言でささえてきてくれた社員にこれ以上の負担を強いることはできない。

悩みながら探しつづけ、広島市西区の比較的便利な住宅街のビルの1階に
ここなら会社の事務所とシェルターが
「入口も全く別で、一見全く別の事務所」という形をとりながらうまく同じフロアをシェアできる、という場所を見つけました。

シェルターのサポーターの方々には計画地を説明し、経緯や、自分の考えを話してほぼ了解してもらっていたのですが、
気がかりは会社のスタッフがこの構想を理解してくれるか、でした。

何と言っても、「比較的便利」とはいえ、今の事務所(広島市のオフィス街のどまん中)に比べると、通勤も客先へ行くのにもかなり不便になります。

今日は会社の年内最後の日。忘年会の席で、話しました。

予想外にスタッフは歓迎してくれました。

私が「こころのシェルター」の構想を持っている、ということは、今年6月のシンポジウムに来てくれたので知っていたスタッフたち。
口にはしないけど、「そうなったら会社はどうなるんだろう」と不安に思っていたこと、
今日、話してみて、「どこか遠くに行ってしまうわけではない」と思ってほっとしたことが
改めてわかったのです。

新天地について、みんなで楽しそうに談笑し、食事をしながら、
「ああ、これでつながった。これでまた一歩前に行ける」と安どした私です。

理想の姿にはまだまだ遠い。
できること、満足してもらえるレベルもまだ低いかもしれないけど、
「まず、始めてみよう。続けることで本来の理想の姿に少しずつでも近づけていこう」と思います。



2014年12月26日 19:10

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む

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昨日12月20日の分かち合いでは10人の遺族が集いました。
そのうちの2人が、まだ1周忌も迎えていない初参加の方でした。

「希望の会」では、
「望まない方へのアドバイスや質問はしない。
アドバイスが欲しい方からの問いかけがあったら、
あくまでも「自分の経験」から、思いやりの言葉をかける」
ことをルールとしていますが、
昨日の分かち合いでは、少し年月を重ねた遺族が自分がたどってきた道のりを語り、
亡くなってから日の浅い遺族が涙をこぼしながらそれにうなずく、という場面が何度かありました。

傷つき、苦しんだ経験から生み出される言葉の説得力は何にもまさる、と思いました。

次の日の21日は教会の「クリスマス礼拝」でした。
牧師の言葉を聴きながら2年前のことを思い出しました。

この会を「希望の会」と名付けた理由。
私が3年前の12月に教会で洗礼を受けたきっかけにつながります。

当時、闇をさまよっていた私。明日という日を考えられない毎日を繰り返していた私。
「希望」という言葉が世の中にあることを忘れていた私が出会った聖書の言葉。

「(私たちは)今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマの信徒への手紙5:3-4)

「いまは、一筋の光も見ることもできない自分が、悩んで考えて、考え抜いた末に新しい自分を見出し、
小さくても1つの希望が見いだされたら、その希望は、うそのないものになるのだろうか」。

この言葉に接した当時には、すんなりとこの言葉を受け入れられませんでしたが
1年後、小さな一歩の活動を始めようと決めたときには
自分がそうでありたいように、同じ気持ちを他の遺族とも分かち合いたいと思いました。

「自死遺族の希望の会」は丸2年となりました。

苦しみの中に落ちてこそ。本当の自分の生き様を見出すことができるようになる。
そのように伝えていきたいと思います。

 

2014年12月22日 13:25

何よりもうれしいこと

慢性疲労症候群という病気を知っていますか?

原因不明の強度の疲労が長期間(一般的に6ヶ月以上)に及び継続する病気で
長期間の疲労感の他に体の傷み、筋力低下による運動能力の低下や、
思考力の低下や抑うつ、不安などの精神症状も現れて健全な生活が送れなくなるという病気。

“慢性疲労”という言葉が誤解の元となって、その重病性が理解されず、
「なまけているのでは」「気のもちようでは」などと、患者さんが偏見に苦しんできた病気です。

患者の増加や、この病態に対する誤解や偏見をなくそうと最近では

NPO法人筋痛性脳脊髄炎の会(旧「慢性疲労症候群をともに考える会」)などの活動団体ができたり
http://mecfsj.wordpress.com/

NHKテレビ「ためしてガッテン」
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20141203.html
でも取り上げられました。

サンフレッチェ広島の人気選手として有名な森崎和幸選手がこの病気を患い、
引退を決意するも周りの方の支援や励ましで復帰しています。
http://ameblo.jp/urara-cfs/entry-11418889107.html

小さな一歩を通じて友人になったIさんはこの病気と闘っています。

心療内科や精神科でも治療法がわからない。
身の回りにも同じ病気の人がいないので、苦しみを分かち合えない。

そんな環境の中で孤独感を抱えながら、自宅で療養しているIさんに
同じ病気と闘う人と、ブログなどでつながってみたらどうか、と検索し、
いくつかのブログやホームページをお見せしました。

Iさんの第一声。
「こんなに同じ病気の人がいて、声をあげていると知らなかった。自分が一人で苦しんでいるように思っていて、、、、」

そうです、数字では国内の患者数30万人以上、と言われていても
直接誰かとつながっていないと、「自分だけ」と思ってしまうもの。

病気のため、遠方に出かけたり、大人数の集会などには出られないIさんでも
このようにネットでつながりを作ることができるのは、明るい知らせだったでしょう。

顔の表情が明るくなったIさん。
その後、珍しく話がはずんでいるうちに
「同じ状態でも『うつ』になる人とならない人の違いってなんだと思いますか?」と問われて
うまく答えられなかったのですが、苦し紛れに

「例えば、、、仕事がいっぱいいっぱいの状態になった時に
『俺がやらなきゃ、だれがやる』と思ってしまいやすいタイプはうつになりやすく
『俺がやらなきゃ、だれかやる』と思えるタイプはなりにくい、かなあ?」と言った瞬間

Iさんが、声を出して笑ったのです。
そして「その例えがおかしくて」と何度も何度も笑いました。私もつられて笑いました。

微笑むことさえ少なかったIさんの、声を出して笑う姿、初めて見ました。

うれしかった。本当にうれしかった。

2014年12月16日 11:53

ホンネで語ってくれる人

今週火曜日(12月9日)に「こころのシェルター サポーターの会」の2回目の会合がありました。

1回目の会議から2か月半の間に、設立候補地を探したり、具体的な事業内容を考えたり、
その事業を達成するために、1人1人のサポーターさんに協力してもらいたいことなど、
書類にまとめて説明をしましたが
私が1人で考えてきたことに対して、サポーターの方々から率直な異論反論や質問が出て、
1時間半の予定が2時間半。それでも終わらず、次回に再度討議することになりました。

私が自分の頭の中だけで考えて、伝わっているつもりでいて伝わっていなかったこと。
私が安易に考えていて「できるだろう」と思ったことに対する不安や慎重な意見。
あいまいなままになっていたことへのつっこんだ指摘と質問。

きびしい意見が多かったけど、ありがたいと思いました。

「好きの反対は無関心」といいますが、
私の考えを聞いて「あ、これ無理」とか「自分には関係ない」といった気持ちで聞いていたら
意見も言わず、無言で話を聞き流して、その場を去ればいいこと。

辛口の指摘を熱心にぶつけてくれる、というのは、本気で考えてくれていること、と考えました。

「こころのシェルター」は私自身の想いから始めた計画ですが、
1人よがりで進めたくないと思います。それではきっとうまくいかないから。

次回は2月17日に開催し、それぞれの考えや希望を話し合います。
あせらず急がず、納得の上で仲間になってもらいたいと思います。
2014年12月11日 19:27

過労自死の背景にあるもの

最近、若い人が就職後短期間で、過労死や過労自死に追い込まれている事件を見て心が痛みます。

11月でしたが、22歳の英会話講師が「持ち帰り残業」も含めて月の残業時間が111時間なったことから
うつ病を発症し、自死に至ったことを裁判所が認め、労災が認定されました。
この英会話教室に就職して2ヶ月でした。

http://www.asahi.com/articles/ASGBN6RTLGBNPTIL023.html

残業時間111時間が2ヶ月間。休日出勤も含めて考えると例えば
4時間の残業(例えば17時が定時退社なら21時まで)が22日で88時間。
それに加えて、週休2日のうち1日、8時間仕事をすると32時間。
これでだいたい120時間。このように具体的にしてみると、その過酷さがよくわかります。


今年度から厚生労働省が従業員50人以上の企業に「職場のストレス診断」を義務付けました。
http://kokoro.mhlw.go.jp/etc/kaiseianeihou.html

私はいま仕事でこのストレス診断分析に関わっていますが

この「診断基準」に沿って言うと、「仕事上のストレス度判定」は4つの要因の分析で行います。
「仕事の量的負担」(仕事の量、仕事時間に関するストレス)
「コントロール」(自分のペースで仕事ができる、自分で仕事の手順を決められる、仕事の方針に自分の意見を反映できる)
「上司の支援」(上司と気軽に話ができる、困った時頼りになる、個人的なことも相談できる)
「同僚の支援」(気軽に話ができる、困った時頼りになる、個人的なことも相談できる」

もちろん、「個人のこころの健康」全体には私生活や身体のことも関わっていますが、
職場に起因するストレス要因は、複雑なようでこの4要因でほとんど集約されます。

分析結果の傾向を見る限り、職場による差が大きく、
総合的な「こころの健康リスク」に大きく影響するのは「上司の支援」「同僚の支援」。
仕事がハードでも職場での助け合いがあり、自分が主体的にその仕事に取り組むことができる環境なら
人は乗り越えて行ける、ということが数字的に表れています(もちろん残業時間を容認するつもりはありませんが)

例えばこれが、
社内が新規事業のために一丸となってする残業と、
上司や同僚はさっさと帰る孤独な残業。
頑張る姿を上司が見守り、支援を送ってくれる中での残業と
ぎりぎりの体で頑張っている人に追い打ちをかけるような非難や叱責がある職場。
自分では処理しきれない仕事を同僚や上司がサポートする残業と、
逆に同僚や上司が有無を言わずに仕事を丸投げしてくる残業。

残業時間は同じでも、心のストレスは同じでしょうか。

職場に由来してストレスを最も高めるのは
「自分だけがこんなに仕事を押し付けられている」という『孤立感』だと言います。

希望を持って就職した若い女性が2ヶ月でうつ病から自死にまで追い込まれるという悲劇。
単純に「残業時間」だけが判断基準なのか。
上司や同僚が彼女の持ち帰り残業を把握し、手助けする言葉をかけていたのか。
持ち帰り残業は強いられたものだったのか、彼女自身が自分の仕事の質を高めるためにしていたのか。
ぎりぎりまで体を酷使している彼女に追いうちをかけるような非難や叱責はなかったのか。

本当の「過労自死」の原因をもっと深く調べる調査をしないと職場は改善しないのでは。

「ちょっと仕事がきついとうつになるメンタルの弱い若者」という間違ったレッテルが蔓延しないように。

2014年12月10日 11:58

クリスマスカード

   

心因性の難病のために、家事や仕事、外出ができず、1人で家で暮らすAさん。

自死遺族の方です。

半年くらい前に会い、外出や人と会うことができないことがわかったので自宅に行って
「2人だけの分かち合い」を毎週1回、続けてきました。

話すこともAさんにとっては疲れの原因になり、体調を悪くします。
1時間くらい、疲れが出ないように気をつけながら話をするのだけど、
時々、私の油断で、心の内に入り込みすぎ、
「すいません、今日はもうちょっと疲れました」と言われることも。

そんな日は、自己嫌悪でいっぱいになりながら家路をたどります。

先週、建物管理側の都合でAさんが別の部屋に引っ越しをすることになったので手伝いに行きました。

でも平日で、仕事の約束の時間が迫ってきたので、途中で失礼することに。
福祉ヘルパーさんがたくさん手伝いに来ていたので大丈夫と思いつつも、
この中途半端さに自己嫌悪、になります。

そんな気持ちで先日、Aさんの家にいつものように伺ったところ、
「何か引っ越しのお礼をしたいと思ったのですが、私は一人で買い物にもいけないので。。。」
と言われながら、封筒に入ったカードをもらいました。

「ああ、うれしいな。ありがとう。後で楽しみに開いていい?」と言って
家に帰ってから開いたところ。。。。。

お礼の手紙でした。

なんだか、目じりも胸の中も熱く、じんわりとした温かいものが広がりました。

病気が原因で、感情表現が少ないAさん。
お役に立っているのか、かえって負担を与えているのか、わからなくなる日もあるけど
「もう疲れるから来ないでください」と言われるまでは通い続けようと思いました。

いつかAさんを、自死遺族の希望の会に連れて行ってあげたい。
遺族同士で話しあうことが、Aさんがいま、一人で繰り返し繰り返し自問していることへの
きっと解決になる。と信じるから。
2014年12月03日 19:19


内閣府「自殺対策官民連携協働ブロック会議」

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先週金曜日(11月28日)、岡山市で

内閣府自殺対策推進室主催

「自殺対策官民連携協働ブロック会議・中四国ブロック会議」が開催されました。


「小さな一歩」では、私と、「こころのシェルター」サポーターさん2人が参加し、

私は「こころのシェルター設立計画」を中心に、25分間発表をしました。

当日説明用資料(PDF)


「小さな一歩」以外では、

「若者向け自殺対策啓発事業」(高知県地域福祉部障害保健福祉課)

「愛媛県宇和島保健所における未遂者支援の取り組み」(愛媛県宇和島保健所)

からそれぞれ発表がありました。


●高知県地域福祉部の発表からの気づき


・就活、恋愛、家族関係、、テーマは同じでも時代間隔が違うと、共有しにくい。

 若者には若者の「ゲートキーパー」が必要だ。

・バトンタッチできる受け皿機関(こころのシェルターもその1つになりたい、、、)との連携が
あってこそ「若いゲートキーパー」が重荷を負わずに身近な人に声がかけやすくなるのでは。。。


●宇和島保健所の発表からの気づき


・12万人(広島市では、1つの区くらいの規模)くらいの人口規模は、
 自殺未遂者の事後ケアのために色々な機関が連絡を取り合い、連携するのに
 ちょうどいいコミュニティサイズ。

 今まで見聞きしてきた防止対策の先進的取組も、だいたい中小都市での取り組みだった。

・自殺未遂者の事後介入はタイミングが大切!「涙が枯れる前に」!

 夜間に多い未遂行為。次の朝までの初動が成否を決める。

「ああ、そうだな~気づかなかった」「そうか、そのタイミングが大切なんだ」
と気づかされることがあり、全てが勉強になりました。

 今まで、自殺防止対策や自死未遂者支援に関する会議はいつも1人で行っていました。
3人で行ったのは初めて。 1人でない、って、なんて心強いんだろう、と思いました。 
来る12月9日には、第2回「こころのシェルター サポーターの集まり」があります。

 今回の学びをまた肥やしにして、計画を少しずつでも、煮詰めていきたいと思いました。
 
2014年12月01日 11:44