一足早く春の花

いまは常春の天国にいるんだろうけど、季節感がないだろうから、せめて花を見てもらおうと。
成長期の頃、三度のごはんを整えるのに一生懸命で、ゆっくり話も聞いてやらなかったな。
いまは、ごはんを食べさせてあげることもできないけど、代わりに花はいつも新鮮なものを見せてあげたい。
先日、早咲きの桜のつぼみの枝が花屋の店先にありました。
数日でつぼみがほころんで、、、
「見える?地上界は、もうすぐ春ですよ♪」
広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」
自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い
活動の主旨と主な内容 ≫ ブログ ≫
先々週から先週まで、自死遺族支援、自殺防止に関わる会議や行事に立て続けに出席し、
自分の中できちんと整理ができないまま、流されてしまいました。
2月13日:広島弁護士会主催「自死遺族支援シンポジウム」に先立つ勉強会に講師として出席
2月14日:「自死遺族の希望の会の分かち合い」開催
2月15日:一般医療者向け自殺未遂者ケア研修に参加
2月17日:「こころのシェルター」サポーター会議開催
2月19日:広島市「わかちあいグループ交流会」にスタッフとして参加
2月21日:「自死遺族ケア全国ネット」スタッフ研修会(東京)にパネラーとして出席
朝7時に家を出て新幹線に乗り、会議終了後帰広。帰宅11時30分
偶然とはいえ、重なりすぎだろ~(@_@;)
忙しいとは「こころを亡くす」とはまさにその通りで、1つ1つに対する丁寧な心配りが抜けてしまったり、
その場で得た「気づき」を次の出来事に紛れて忘れてしまったり。
ゆっくり準備を整える間もなく参加して、自分の伝えたいことがきちんと表現できなかったり。
何より、疲れると心に余裕や優しさがなくなります。反省です。
そんな中で、よき気づきとなった言葉がありました。
2月19日の「広島市『わかちあいグループ交流会』」の講師である鈴木愛子さんの言葉です。
鈴木さんは自死遺族当事者として、東京、富山、静岡で「自死遺族の分かち合い」のファシリテーターを長く続けている方です。
交流会の後のスタッフミーティングで
新しく来る人と毎回のように来る人との話の調整のことが話題に上りました。
鈴木さん
「何度も来ていて、『毎回来るたびに、同じ話をするたびに悲しい気持ちに立ち戻される』
と言われる人もいるけれど
その方の、自死について語る言葉は、毎回同じではないはずです。
初めは何十分もかけて自己紹介をしていた人の言葉が、10分になり、5分になっていく。
これは、その方にとっての“自死”が、自分自身の言葉として整理されていく過程なのです。
これが「自助」というものです。他人の助言や専門家でなく、自分自身で『喪の作業』をしていくのです。」
自死遺族の自助グループに来る方のうち半数以上は、2回以上来ないとも言われます。
1回吐き出して、心の澱が整理できたから、2回以上は語る必要がない、と思う人もいるでしょう。
1回来てみたら期待していたような場でなく、2回以上行きたくなくなった、という人もいるでしょう。
でも、心の中にある苦しさや悲しさ、後悔の想いは簡単には消せないはず。
「悲しみの場に出かける」のはしんどいことだけど、繰り返し自分自身の言葉で語っていくことで
自分の中にこれらの感情の「居場所」を作ってあげられるのではないでしょうか。
消えないものだからこそ、大事に居場所づくりをしてあげたい。
そのために、自助の分かち合いがあるのだな、と改めて思いました。
先日、うれしいことがありました。
以前から週に1回訪問している、心因性難病を持つAさんとお話しをしていました。
Aさんは一人暮らしで、外出ができず、頼りになる身内もいないため、
いつも孤独と「1人の時に何かあったらどうしよう」という不安を抱えて暮らしています。
特に、祝日で、いつもなら訪問するヘルパーや訪問看護師が来ない日、
誰も自分のそばにいない、という不安と寂しさがとても強くなる、ということです。
でも、心的障害が原因で「車に乗ると恐怖感の発作が起きる」と言われていました。
そのため車を利用した遠出の外出ができない、
だから「人に会うための外出も無理」と言われていました。
私が「車で送迎しますよ、車に乗れる練習につきあいますよ」と言っても、首を縦に振りませんでした。
先日、私は、「こころのシェルター」の計画の話をしました。
「Aさんのように、1人で過ごす孤独や心細さが強い人こそ、この場にお連れしたいのですよ。
そこに来られたら、色々な人と、無理なく自然に話かけたり話しかけられたり。
皆で、温かい食事を囲んだり、疲れたらお昼寝をしたり。
そんな風に、『家庭の茶の間』にいるように自然に人と触れ合うことができるのですよ。
「こころのシェルター」について考えるとき、いつも貴方のことが頭に浮かぶのですよ。
でも、それは車に乗れるようになったらね。
無理ではなくね、少しずつ近距離から。だんだんと距離や時間を増やしていって、平気になったらね。
今は無理でもね、『少しでも練習してみようか』と思ったら、いつでも一緒に練習しますよ」
Aさんが、ふっと言いました。
「今日はどこに車を停めているんですか?」
「え、近くのスーパーの駐車場だけど」
「今から練習してもいいですか?」
「ええ、もちろん!!」
雨の夜でしたが、急きょ、初めての練習になりました。
5分間くらい、Aさんの家を出て近所の道を車で走りました。
「気分はどうですか?」
「今までは、緊張して、乗った途端、動悸が激しくなったり頭が痛くなったけど、
今日は短時間だとわかっているから大丈夫です」
「それはよかった。少しずつ、距離を伸ばしていけるといいね」
Aさんを家に送ってから家路につきながら
「小さな一歩だよね、これも」と1人でうれしくなりました。
3月9日に広島弁護士会主催のシンポジウムが開催されます。
テーマは「自死遺族の直面する問題と考える」。副題は「弁護士やこころの専門家にできること」。
(詳細は⇒「関係団体の開催情報」http://chiisanaippo.com/infomation.html
これに先立ち、今週の金曜日に1時間ほど、自死遺族の立場で弁護士会の勉強会で話をすることになりました。
何を話そうか、と悩みます。
法律の“専門家”やこころの“専門家”、精神科の“専門家”、行政の“専門家”。。。
“専門家”とは「専門の資格や職業的な立場を持つ人」で、専門的な助言や手助けをしてくれる人、と考えます。
私は娘の自死のあとで、専門家の支援をいただいたことがありません。
法的な手続きを求めたこともありません。
娘の死に関して、法的に誰かを訴えたり真実の究明につながることはありませんでした。
個人的には発狂するほどありましたが、それを突き詰めると犯罪を犯しそうでしたから。
精神科医にも行きませんでした。
娘が死の前2ヶ月間に、精神薬の副作用で体が消耗し、ふらふらになりながら
「でもこれは元気になるために必要だから」と薬を続け、
最後には、その薬の多剤服用で未遂を図り、その後、精神的に錯乱し、投身して死んだから。
恐ろしくて向精神薬など飲む気になりませんでした。
「うつ病チェック項目」は全てあてはまっていたけど、
「娘が自死して、うつにならない人なんかいるもんか。チェックもなにもあるもんか」思っていました。
行政の窓口に相談にも行きませんでした。
私の望みは1つだけ、絶対にかなわないものだけ。相談しても解決しないもの。
2011年は自死者が3万人を超えていて、国をあげて自死防止への取り組みが活発化していました。
その中で、失業や借金を苦にした死、過労自死など「自殺は社会的に追い込まれた末の死」というスローガン(?)が上がりました。
また、3月の東日本大震災の爪痕が大きく、テレビや新聞では多くの家族を亡くし、
家や財産も失った方の悲嘆の姿が毎日のように報道されました。
そんな世相の中で、
私は肩身が狭い思いをしていました。
「社会的に追い込まれた末」でない娘の自死は、なんだというのだろう。
東日本大震災の犠牲者の方々の姿を見ると、「娘しか失っていない」自分、
自殺未遂を図った娘を見殺しにした自分は
誰かに訴えたり、助けを求めたりする価値がないのではないか。
「訴える価値のない人間」だという思いの中で、できるのは祈ることだけでした。
でも、娘が多剤服用で救急病院に搬送された夜から次の日の朝に起こったことは
消しても消しても消えない。
結局、自分で贖罪の道を探し、いまもその道を歩いています。
本日1月31日、広島いのちの電話主催の公開講演会
「人はなぜ死にたくなるのか、そして死ぬのか ~私たちはどう支援できるのか~」を聴きに行きました。
講師は、鑪幹八郎先生。日本を代表する心理学者、精神分析家、教育学博士であり、
私が学ぶ「広島カウンセリングスクール」の理事長でもあります。
「いのちの電話」スタッフの方向けに語られたので、電話口の場面を想定されていましたが、全てに通じる話でした。
ここに書く内容は、私自身が今日受けた教えを忘れないようにとどめておくためのものです。
○自分の心の中の支えがなくなる時、人は「死にたい」と思う。
自分を支える大切な人を失くした時。
自分の名誉を傷つけられ、屈辱や侮辱を感じた時。この「名誉」「屈辱」とは“外”にあるものでない、
“内なる自分の中”にある。他人がきめられるものではない。
不治の病で生きる希望を失ったとき。
精神疾患によるもの。特に自分の意思とは無縁に、「死ね」「飛び込め」といった
内面の声に動かされたとき。
○心の中に「もう死ねと叫ぶ人」がいたらどうしようもなくなる。
○黙って自死する人もいるが、「死にたい」と声に出す人は、「助けて下さい」「生きたい、でもどうしていい
かわからない」と訴えている。 (Cry for help) そういう人には「何がないのか」?心
の中に、自分を支え、見守り、認めて「それでいいんだよ」と認めてくれる「やさしい人」がいない。
「やさしい人」が心の中にいないと、帰る場所がなく、生きていくための「足元が定まらなくなる」。
家族や友人がいても、心の中は一人ぼっちで空っぽ。雪の中で寒さにふるえ、小さく丸まってしまっている。
○怒りの感情が表に出る人もいる。表面では「怒り」だが、本当は「何で自分が一人ぼっちなんだ」
「何で誰も助けてくれないんだ」と孤独の叫びをあげている。
○そのような人が求めているのは「やさしい声」だ。
やさしい声で話を聴いてもらっているうちに、消えていたり、忘れていた「やさしくされた経験」が
呼び起されてくる。
元気な時には忘れていた、「大事な人」のことを思いだす。ろうそくの灯がともるように。
○でもまたしばらくたつと、その灯が消えてしまう。消えるとまた電話したくなる。
たびたびCry for helpがかかるのはそのためだ。
○元々、心の中の「やさしい人」の影が希薄な人もいて、電話口の声を頼りに自分で
これから作っていかなくてはいけない。
そういう人に心のやさしさが取り戻されるのには十分な時間をかけることが必要だ。
○神棚や仏壇、位牌の前で亡き人と話すのも心の支えになる。大事な人のイメージが回復し、
「やさしい声」が聞こえるからだ。
○教会で神様に話すのもよい。心の中の支えになる。自分との会話になっている。
○傾聴に必要なのはテクニックより真心だ。
バレンタインデーのチョコレートに例えると、値段が高いほど喜ばれるのではない。
100円のチョコレートでも真心がこもっていればうれしい。
具体的に言うなら、電話口で「あなたが主役よ、私は脇役よ」という気持ちが伝わる聴き方をすることだ。
自死の原因は、色々な調査や研究の結果が発表されてきました。
「自死とは社会的に追い込まれた末の死」と定義されたこともありました。
が、これほど、私個人にとって“なぜ娘は死んだのか”、“死の淵にある人に必要なことは何か”
「腑に落ちた」話は初めてでした。
フェイスブックで、発見した記事。
新生児仮死の後遺症によって脳性まひの障害を持ちながら小児科医となった熊谷さんへのインタビュー記事は、深く考えさせれるものです。
この中で、特に心に響いた言葉です。
「“自立”とはどういうことでしょうか?」
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、
さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。
なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。
そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。
エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。
5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。
これが障害の本質だと思うんです。
つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。
健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。
けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。
依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。
“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。
世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが“自立”といわれる状態なのだろうと思います。
だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。
だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。
今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。
「TOKYO人権 第56号」インタビュー記事全文 ⇒
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm
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このインタビュー記事を、精神の障がいで、在宅看護を受けている方に見せたところ
「私は、いつも『早く自立できるようにがんばりなさい』と言われて負担なんです。
彼らの言う『自立』とは『人に頼らずに生きていけるようになる』ことのように聞こえます。
でも違うんですね」
私「そうですね。色々な人に“依存”できる、依存の仕方を自分が選べるということなんですね。
貴方と理解しあえる人と出会う機会が増えることもその1つだし、
『不本意だけど、在宅でできることはこれしかないからがまんするしかない』
から自分が望むサービスを受けられる選択肢が広がる、とか。」
自死遺族の抱える孤立感のこともこの言葉から考えさせられました。
多くの遺族が「いつまでも考えていないで前を向きなさい」とか「まだそのことにこだわっているの」とか『励まし』の言葉で傷つきます。
差別や偏見の言葉があったり、気持ちを理解しない人からの無神経な言葉などで、気持ちが
一層萎縮してしまうから、周りの誰にも自死のことを話すことができず、
孤独、孤立、閉塞感の中で過ごす遺族が多い。
自死遺族の苦しい心情が、広く偏見や色眼鏡なく受け入れられるようになれば
(こころの「頼り先」が広がれば)哀しい気持ちは変わらなくても、少なくても孤立感は和らぐのでは。
そんなことを考えさせられました。
「こころのシェルター」サポートメンバーの方からの紹介で、
過去に、やはり、様々な苦しみを抱えている人にフリースペースを提供し、
食事を提供するボランティア活動をしていた2人の方とお話しをすることができた。
「フリースペース 木かげ」というグループだ。
9年間の活動中、本当に色々な人が来られ、様々な出来事が起きたとのこと。
「9年間は短かったですか、長かったですか?」と聞くと
「長い、短いで形容できない、『濃い時間』でした」との答え。
「充実していらした、ということですか?」
「充実、という綺麗な言葉ではなく、ただただ濃い時間でした。その時間で、私たち自身が学ばせたもらいました」と言われました。
「木かげ」に来られる人は、
過去の辛い経験がきっかけで心に不調をもつ人が多かったそうです。
また、家族に求めて、それが果たせなかった、
「素の自分、弱い自分、だめな自分の姿をさらけだせる」場所を求めてくる人が多かったそうです。
そんな人たちに、あるときは受入れて許しながら、
あるときは「ここはみんなが過ごす場所。あなたの思い通りにならないこともある」と叱責もしたそうです。
それこそ「お母さん」の姿ですね。
「これから始めるにあたって、色々な不安もあるのですが。。。」と
色々なケースを想定して、医療福祉や心理職などの専門職の助けを借りることを尋ねると
「専門家は必要ない。それより必要なことは。。。」と教えてもらったことは
1、覚悟(強い意志)を持って臨むこと
2、人間のやることには限界がある。最後はその人の幸せのために「祈り」の気持ちを持つこと。
3、スタッフ同士が本音をぶつけあうこと
4、苦しい人に向かい合う「苦しさ」をスタッフ同士が吐き出しあえること
5、心の病を持つ人だからと「特別扱い」「お客様扱い」をしないこと
(自分が「いや」だと思うことをする人には、本音でNOを言うこと)
6、走りながら考えること(やりながら変えていくこと)
と教えて下さいました。
9年間、肌身で経験したことを持ち寄り、考えながら、話し合いながら改良を続けた方々の助言は大変ありがたかった。
こういう出会いに恵まれる私は幸せです。
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