広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

「約束の向こうに」

   

先日、このブログで紹介した佃祐世さんの「約束の向こうに」が
6月11日の発売を前に、送られてきました。

まだ着いたばかりで、中までゆっくり読んでいませんので、感想は後日にします。

優しいイラストの表紙ですが、内容は、佃さんが歩んできた7年間の道のりがどれほど壮絶で
あるか、
それを乗り越えてきた 佃さんの強さに感動します。

先日、ご本人とランチをした時に、私がブログの中で「おっとりとしてちょっと天然が入った、、」と書いたことで爆笑されていましたが、
やはり佃さんは強い人だ。
「え、そんなことないですよ」と謙遜する彼女に私は言いました。

「元々の性格は違うかもしれないけど、意志の力が佃さんを強くしているんですよ」と。

29日のシンポジウム、3部のパネルディスカッションにパネラーとして参加してもらうことになりました。

「約束の向こうに」も会場で販売しますが、アマゾンからも注文できます。

2014年06月10日 19:17

東尋坊で見てきたこと

先週土曜日に、福井弁護士会主催の「シンポジウム 強いられた死のない社会を~自死をなくすために私たちができること」で、茂さんの講演があったので出かけていきました。

 
行政担当者、医師、弁護士など 多くの肩書を持った方が話す中で
現場で体を張っている茂さんのお話は、血肉が通った,最も力強く心に迫るものでした。

このシンポジウムに「行きます」とお返事したときに「茂さんの東尋坊の現地や事務所を見に行きたい」と、お願いしていたのですが、確認が悪く、「だめかな」と思っていたので、日帰りの予定でいたのですが会場で茂さんにお声をかけて話をしているうちに、
「やっぱり、東尋坊の現場を限りある時間だけでも見せてもっていいですか」
「ええよ、こちらは連絡をもらっていたから、そのつもりでいたんよ」(その時はまだ、終電で帰る予定でした)

現地では川越さんが車で迎えに来てくださり、夕日にそまる東尋坊の絶景を見ることができました。
初夏のさわやかな風が通る、日本海の絶景。断崖絶壁の落日風景。
息をのむような迫力。 このまま異界にひきこまれそうな気がします。

            
近くではファミリーやカップルが、にぎやかな声をあげながら楽しんでいます。

この場所が、人生に疲れ、最期の場にとたどり着く人が多い場所とはとても思えません。
お話では、自殺願望のある人は、観光客の多い時間帯はひっそりと物陰に潜んで夜になるとここから飛び込もうとすることが多いとか。

死を覚悟しながら、その横で幸せな恋人たちや家族連れの嬌声を聞く。。。
その心の中に、去来するものはなんだろう。。。。

その後、茂さんと川越さんと一緒に酒食、となり結局、福井駅前のホテルに一泊して帰りました。

東尋坊の現地や事務所を直接自分の目で見たこと、
茂さんの、体当たり現場主義の自殺防止活動を直接お聞きできたこと。
その中には、長い警察官として、体に身についたテクニックやスキルあってこそ、と思えることが多かったこと。

決して、他の人が同じようにしようとしてもできないことであること。

大変勉強になりました。

茂さん、川越さん、ごちそうさまでした。ありがとうございました。
                
   
 
2014年06月02日 17:17

人生の望みを失うことの意味

 先週、「心の語り場」にお話しに来たシニアエイジの方。
 過去に持っていた「人生の繁栄」が次々に失われ、今は何もなくなってしまった。

 分かっていても過去の輝かしい日々と今の自分を引き比べるたびに
 それを失ったのはすべて自分のせい、と屈辱的な気持ちになり、一方で、近づいてくる老後のことを考えるたびに、生活の不安と孤独と孤立感でいっぱいになる。

 そんなお話をした後、「でもこうやって話を聞いてもらえてよかった」と帰られました。
 何の力にもなれない自分を情けなく思いながら後姿を見送りました。
 
 
 その後、1時間くらいたったころでしょうか、その方から電話があり、

 「たまたま読んだ本ですごく励まされる言葉ありました!」と言って電話口で読んでくれたので
 「それってすばらしい言葉ですよ! 多くの方に知ってもらいたいので送ってください」と話したところ、
今朝、Faxで届いていました。

「山本周五郎の言葉をもう一度思い起こしてほしい。
彼自身、「貧乏と、屈辱と、嘲笑と、そして明日の望みのなくなったときこそ、
初めて我々は人生に触れる」と述べていたではないか。
また、人間というものは、自分に不運が回ってきて、ようやく他人のこともわかる、とも
論じていたはず。大きな挫折を味わってこそ、世の中のさまざまな仕組みが見えてくるもの
であって、そうなって初めて人生は彩りを獲得し、生きるに値するものとなるのである。」


 理屈でわかっていても、どうしても自責感や屈辱感、不安、不満、怒りなどの感情で頭がいっぱいになってしまうときはある。
そんなきれいごとを言われても、そう簡単に思えるなら、うつになんかならない。

 そう思うときもあるかもしれないけど、でも心の中のポケットにしまってほしい言葉です。

 その方も、その後も、1人の自宅に帰ると、やりきれない孤独感に襲われてしまうと電話をしてきます。

 私もそうです。
 突然真っ暗な地獄に墜ちたような想いをして、その後も、自分を責める気持ちはなくならないし、すべてがむなしく感じて、どうしようもない徒労感や疲労の中で、
全てを投げ出してしまいたくなるときもある。

でも、「生きること」「死ぬこと」について、考えて考えて考え続けている。

かつては自分だって偏見の持ち主だったと思う。

でも、いまはそんな過去の自分の、人間として浅さを振り返るたびに反省している。

生きることの重さを、この年になってからこんなに考えるなんて。
神様が、能天気だった私に与えた宿題はこれだったのかもしれません。


 
2014年05月29日 19:23

夫の遺志を受け継ぐ自死遺族

本日5月26日の中国新聞の3面に、小さな一歩の仲間、広島の自死遺族であり、
弁護士である佃祐世さんが出版される自伝「約束の向こうに」のことが大きく取り上げられていました。

2006年に脳腫瘍で倒れ、静養中に心の病を発症したご主人は2007年春に自死で亡くなりました。
当時4人目の子どもを出産したばかりで専業主婦だった佃さんですが夫が闘病中に語った「司法試験を受けないか」という言葉を忘れずシングルマザーで4人の子どもを育てながら、猛勉強の末、法科大学院に入り、12年秋に、3度のチャレンジで司法試験に合格したのです。

私が佃さんと会ったのは今年の春で、出版準備の中で、本の巻末に、全国の自殺防止活動団体や自死遺族支援団体を紹介するページを設けたい、という投稿が全国自死遺族支援団体のメーリングリストにあったところから連絡をとってお会いしたのです。

書かれたような履歴を見て、さぞ「できる人」オーラが強く、切れ者的な(言わばキャリアウーマンのような)タイプの方を想像していたら、目の前にいる佃さんはおっとりとかわいい声で話す、ちょっと天然が入った、思わず「だいじょうぶ?」と手を差し伸べたくなるような感じの方でした。(失礼!(^_^;))

「この人が、4人の子育てをしながら、5年間で司法試験合格までたどりつき、
本を出版するところまできたんだ」と思うと、
故人から受け取ったパワーと意志力はどれほどのものか、と改めて思います。
ぜひ、この意志とパワーを、今後も小さな一歩にも貸してほしい、とお願いしたところ、
快く了解いただきました。
まさに「出会いに感謝!」です(T_T)



また、先日、
衆議院で「過労死防止法案」が通過した、というニュースの中で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140523-00000118-mai-soci
遺族である「全国過労死を考える家族の会」の寺西笑子代表が
「(夫の)命を救えなかった悔しさが胸に刻み込まれ、どうすれば死なずに済んだのかを
考えることが私の生きるテーマになりました」と活動のきっかけを語り、
その上で「若者が過酷な労働環境に追いやられ、優秀な人材をなくすことは日本の未来をなくすことです」と訴えました。


なんと意志の強い言葉でしょう。本当にその通りです。

なんの資格もなく、社会的活動もしていない私ですが、自分ができるところから小さな一歩でもがんばっていこうと大きな勇気をもらいました。



2014年05月26日 13:49

肩を抱き、手を握ること

 先週末の「うつ症状のある方、またはその家族の会」には、
 初めて、当事者と支援する家族が一緒に参加がありました。
 しかも、2組の方が。

 
 
  当事者と家族が同席、というのはお互いに遠慮しあってうまく胸の内を語れないのでは、
 2つの家族が牽制してしまわないか、と始まる前は心配したのですが
 実際に語り始めてみると、
 支援家族同志は当事者ががんばっていることを当人の前で語り合い、
 隣り合った当事者同士は、肩に手を置き、背中を抱いて、
 自分がとてもつらいのに
 「よくがんばってるね、えらいね。。。」と声をかけあっていました。

 考えてみると、一対一で当事者と支援する家族が向き合っているとき、
 支援家族は、愚痴やストレスも口にできないけど、
 面と向かって「ほめてあげる」こともできないのかも。

 
 同志がいると、1人ではできないことが自然とできるようになる。

 うつ当事者と家族の分かち合い、

 こんな形で続くといいな、と思いました。


 
 

2014年05月20日 16:56

広島市精神保健福祉課のホームページにリンクされました

今回のシンポジウムのお知らせが広島市精神保健福祉センターの「イベント」情報にアップされました。

確認のため、ページにアクセスして、改めて
気づかなかった、過去のいろいろなイベントや自助グループの活動について知りました。

小さな一歩などの自助グループ活動も
「こういう活動をしている団体、て、他にないですよね」と言われ、
「いえいえ、実はけっこうあるんですよ」と、逆に他の会を教えてあげることが結構あり、
自死遺族の中にも、うつ当事者の中にも、求めている「居場所」が探せない人は未だに多いのでは、と思わされます。


「一生懸命やっていても、必要な人に届かなければ、やっていないに等しい」

常に私はそう思っているのですが、
この情報過多の時代にあって、
必要な人が情報の洪水の中から
自分に必要な情報を見つけることのむずかしさを改めて考えます。

今回のシンポジウムは、多くの人が集まればいい、のではなく、
心から「希死念慮の強い人への対策」について考えている人が、少数でも来ていただきたいと思っているのです。

同じ志を持つ方に、どうぞつながりますように、と祈ります。



2014年05月14日 13:56

母の日プレゼント

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連休中の3日、小さな一歩のお友達が2人、家に遊びに来てくれました。

「母の日だから」とプレゼントに持ってきてくれた花束がうれしかった。
偶然にも、2人とも可愛らしいガーベラの花束。
一緒に花瓶に挿して。
お昼過ぎに来て、軽くごはんを食べて、テレビを見ながらゆるい時間を過ごした後、
「ついでに夕飯食べていったら」となり、夕飯を食べて帰りました。

10代、20代を母親の精神疾患に苦しみながら寄り添いながらも、自死で失った2人。
生きていれば彼女たちとほとんど同年代だった娘を亡くした私。
失われたものは代えがえのないものだけど、
失った者同士だからこういう新しい関係も生まれるんだな、不思議な天命です。

「こんな家族だんらんを母親と過ごしたことがなかった」
しみじみと語る彼女に
「これからいつでもできるよね」
と語りました。

母の日にはちょっと早かったけど、忘れられない母の日プレゼントになりました。
2014年05月07日 21:00

新たな出会いが多くの教えをくれる

茂さん著書
シンポジウムのチラシができて以降、いろいろな方に新たにお会いする機会がありました。

温かい支援をお約束してくださった原田康夫先生
広島大学第9代学長、名誉教授)
ありがとうございました。
お言葉に涙がこぼれました。

遠慮なく頼りにさせていただきます。

励ましのお便りと、著書を送って下さった、東尋坊の茂幸男様、
「これが自殺防止活動だ!」を読ませていただきました。
体当たりで、東尋坊で自殺未遂者の救助と支援を続けてこられた実績がつづられた本は
理論で語る「自殺防止論」とは違う、心に迫る迫力と強い使命感を感じるものでした。

私はどこまでできるのか。。。。でも、できるとこから、小さなところからでも一歩ずつ、
あきらめずにいこう、と思いました。

29日には、広島市西区の太光寺で「無村塾」という集まりがありました。
有志が集まって、いのちのこと、生や死について語る会です。
(太光寺は、娘が眠る「広島教会墓地」があるので、毎週墓参りに行っています)

この会で、いろいろな立場の方が「自死」について意見を交わしました。
自死遺族と異なる立場や目線から見る「自死」や「救命救急における自殺未遂者支援」。
この意見は大切だな、と思いました。

私も含め、自死遺族は「自死」に関して、どうしても同じ方向で見てしまいがちですし、
違う方向からの意見を「遺族の気持ちがわかっていない」と耳をふさいでしまったり、受け入れなかったりすることがあります。

でも、自死遺族の考えを自殺防止につなげるためには、立場、目線が異なる(多数派の)人と「どう折り合っていくか」は大切だな、と
違和感があってもあえてその意見を聞くことが大切だと思いました。

よい体験に誘ってくださったせきとうさんに感謝です。
2014年05月02日 18:13

天国で新しい衣をまとう

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20日は、キリスト教の大きな祝祭事である
「イースター」の日でした。

イエスキリストが、金曜日に十字架にかけられ、3日目である日曜日に復活したことを祝う日で、
毎年、春分の日の後のはじめの満月の、次の日曜日がイースター。
(クリスマスと違って、毎年日が違うので一般の人には理解しにくいですが)

このイースターの祭りが持つ意味、というのは
「命のよみがえり、とこしえの命」への信仰。
そのため、毎年イースターの日には教会信者による墓前礼拝が行われます。

亡くなった人の魂が神の国で「よみがえる」ことを祝うのです。

「死んだ後、天国に上り(信者は「御国」という)、現世での鎧や殻(罪や苦しみ、悪意を意味する)を脱ぎ捨て、新たな衣を神様から授かり、そこで永久に生きながらえる」
この教えは、心の支えになります。
娘がいつまでも私を天国で待っていて、見守ってくれている、という。

昨日初めて知ったことですが、
キリスト教では「かたつむり」をシンボルとして扱い、多くの美術品のなかで、キリストの墓の回りにある影にかたつむりが描かれ、又彫られているそうです。

かたつむりは、成長すると小さくなった殻を脱ぎ捨て、いったん裸になって、新しい殻を身にまとうそうです。
娘も、天国で、生きている時に、身にまとわりついていた「いろいろな殻」を脱ぎ去り、
今は新しい衣をきているのだろうか。。。。

よく眠る子でしたから、かわいい巻貝の中でゆっくりお昼寝している姿を連想してしまいました。




2014年04月21日 10:29
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シンポジウムのチラシを制作中です。

チラシに使うフリー素材を探していたら、とてもぴったりする写真がありました。

どんよりと曇った空と寒々とした風景。
目の前にある冬の水辺。

それを見つめながら、寄り添う2人。

自死を考えるほどの辛さを抱える人と、その心によりそう人の心象風景はこれに似ているように思います。

春うららの季節のときも、クリスマスの華やかな町並みにあっても、
こころの風景はいつも寒々とした孤独や、行きどころのない不安の中にある。

でも、1人でいるより、2人で寄り添っていれば、温もりがあるだけ、ちょっとは暖かいよね。

シンポジウムのテーマは「自死の淵に立つ心に向き合う」。

チラシに以下のような主旨分を書きました。



「自死者は直前まで、「生きるのが辛い!誰か助けて!」という壮絶な心の苦しみと戦い、
なんらかの形でSOSメッセージを発しています。
私たちは、「死にたい」という訴えや自殺未遂行為に対してうろたえ、立ち往生し、
正面から向き合えず、「まさか死ぬことはない」という思いこみに逃げ込みたくなります。
自死遺族の多くはその経験をしています。そしてそのことで、終生自分を責め続けるのです。
このシンポジウムは、自死遺族が自責の体験をもとに、「自死の淵に立つ心」に対して、
どのように向き合い、寄り添うべきかを多くの方と共に考えたいという思いから、
自殺防止対策の第一人者を講師に迎え、お話しを聞くために企画しました。
広島県も「自殺未遂者の事後ケア」に今後、重点的に取り組むことを発表しています。
このシンポジウムが、医療・福祉・地域の支援者が連携のもとでの自死者減少に
ささやかでもつながることを祈念します。」


少しでも多くの人の心にとまり、自死防止に向けた思いを共有することができますように。
2014年04月09日 10:46