訪ねてみたい「森のイスキア」
先日、「こころのシェルター サポーター」募集の呼びかけをしたところ、ご連絡をいただき、これから一緒にやっていきましょう、と言ってくださった方が教えてくれました。
青森県、弘前市から車で1時間。岩木山の麓、標高400メートルの湯段温泉の地に
佐藤初女さんという方が主宰する、憩いと安らぎの家「森のイスキア」。
ウェブサイトにも多くの紹介記事があります。
http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori2.html
https://www.ntt-f.co.jp/fusion/no27/tokusyu/tokusyu.htm
訪れた方に、丁寧に心をこめて作られた食事を提供し、円卓を囲んで共に食し、
心が折れてしまった人の話に、ひたすらじっと耳を傾ける。
1992年から活動をされているそうです。
初女さんご自身が、17歳で肺結核を患っています。また、詳しくは語られていませんが、
息子さんに先立たれる、という辛い経験もされています。
息子さんがなくなられてまもない頃のことを語る初女さんの言葉は自死遺族のわが身に染み透るものでした。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/kaminohado/008sathohatusne.html
初女さんの言葉は、多くの書籍にもなっていますが、
人生の中の辛い出来事ややるせない人間の想いをすべて包み込み、受容し、包み込むその言葉は
そんな初女さんご自身の中から生まれたものかもしれません。
1921年生まれの初女さんですが、今も元気に講演活動をされ、、また、森のイスキアで春から秋まで多くの方を迎えいれておられます。
とはいえ、ご高齢の初女さん。
ぜひ近いうちに、「森のイスキア」を訪ねてみたい。私の新たな道の道しるべとして。
初女さんの多くのすばらしい言葉に、書物を通じて出会いましたが、
1つ、心に刻みたい言葉。
「あるとき神父さんが「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。
犠牲を伴わない奉仕は真の奉仕ではない」という意味の話をしてくださったんです。こ
の言葉が私の心に入ってきて、教会からの帰り道、私に何ができるのだろうかとずっと考え続けました。
そして、ふと交差点で立ち止まったとき、「私には心がある。心は無尽蔵にあって尽きることはない。
だから、私は心で行こう」という思いに気づいて、以来、人に奉仕をすることを大切さを
考え実践してきました。
「犠牲とは、今まで自分にできなかったことを一歩前進していくこと。
誰でもできることの一線をひとつ越えること。」
2014年09月02日 19:56