やっぱり家族に分かってもらいたい
「誰も私の気持ちをわかろうとしてくれない」苦しみの中にある人に、なんとか寄り添って、長い時間をかけて話を聞いても
その後、別の機会にこのように言われることが少なくない。正直、辛い。
私はその人の気持ちを理解しようとしている「人」の1人として入っていないのかしら。
私は確かに、私以外の誰とも「100%同じ苦しみ」を共有することはできないから。
同じ苦しみを持っている人同士しか「本当に分かり合うことができない」のかしら。
ある人からその言葉を聞いたとき、尋ねました。
「誰にわかってもらいたい、と思う?」
即答で「家族。」と答えが返ってきました。
もちろん、みんながそうだとは言いませんが、やはり家族なんです。
一方で、ちょっと前に、カウンセリングスクールの師匠は言っていました。
「家族はカウンセラーにはなれない。当事者に対する期待、落胆、思い入れ、怒り。
家族の方にも強い感情の思い入れがあるから。
他人の方が、その人の想いをくみ取ってあげることができる。
それがカウンセラーの役目。
でもカウンセラーは『先生』だから、
本人が心を開いてホンネをなかなか言えない、ということがある。
結局、自分以外の誰かに心を救ってもらいたい、という考えにあきらめをつける。
それがクライアントにとっての結論。」
それもまた1つの真実かもしれない。
でも、心を病んだ人の言動に振り回されて、理解する気力もやさしさもつきてしまっている家族が多いのもまた事実。
せめて、当事者と家族が、やさしい心が取り戻せるまで、もつれた気持ちを安らげるお手伝いをする、
「ビフレンターズ」(be-frienders)でありたいと思う。
2014年07月28日 18:22