企業のブラックは消せても教育のブラックは消せない
偶然だろうか、最近、複数の高校生の自死遺族の方から共通点がある話を聞いた。大学進学実績を上げることに熱心な高校の生徒だったこと。
成績に対する指導が非常に厳しく、1課目でも成績が悪いと、教師、はては教頭や校長が出てきて親も呼ばれて厳しい叱責に合う。
たった1~2教科の成績不良のために、落伍者扱いをされ、自己否定感やうつ症状が極端に高まり、
発作的ともいえる自死にいたってしまう。
遺された親の自責感や、やり場のない学校への怒りは、爆発するほど大きい。当然だろう。
たった1~2教科の成績不良のために、追い詰められ、死を考える、、、、
さらに「こわい」と思ったのは、「クラスの中で孤独になっていった」点も共通していることだ。
学校の極端な成果主義の押しつけ。
その成果主義教育による生徒への洗脳。
「成績が悪い」自他ともにレッテルが張られ、孤立している教室。
まるで軍国主義国家かファシズム政権下のようだ。
ここには、成績の悪さを自虐ネタにして笑いあうなんて、おおらかな空気は全くない。
「進学校の受験指導に必死でついていかないと停学や退学。子どもの将来はここで閉ざされる」
学校による脅迫のような進路指導の前に親は無力だ。口を出すこともできない。
物理、化学、生物、数学、古文、漢文、現代国語、英語、世界史、日本史、地理、音楽、美術。
どうですか、高校生の時、皆さん全部同じように点が取れましたか?
赤点を1課目も取らなかったですか?
苦手科目の成績の1つ2つで圧迫面接のような叱責を受けましたか?
苦手科目の1つ2つでその後の人生が大きく左右されましたか?
それより、信頼できる恩師の一言や生涯の親友との出会いが「学校時代の宝」ではないですか?
ブラック企業の勤務管理が問題になり、過労死や過労自死についてようやくメスが入り始めているが、
「あなたの将来のため」と言われる教育という聖域はどうだ。
その根底にあるのは、実は生徒1人1人の将来を考える姿勢ではない。
学校の進学実績があがると、優秀な生徒が集まりやすく、人気が出れば受験料収入や入学一時金も多く集まる。
指定校などになると、補助金などが文科省から引き出せる。「学校の都合」。
生徒のことを考えるなら、指導方法はむしろ逆だ。その子の「苦手」を受け止め、
その上でその生徒の「得意」を伸ばしてやるように指導するのが教師の役目ではないのか。
ゆとり教育の反動から、学校間の学力競争をけしかけるような文部科学省の政策が作り出した悲劇と言えないか。
若い命を大人の都合で翻弄することはいいかげんにしてほしい。
2014年08月18日 11:40